「若さの幻想を捨てた先に残る“愛のかたち” ──邦画が迎えた成熟の時代」平場の月 こひくきさんの映画レビュー(感想・評価)
若さの幻想を捨てた先に残る“愛のかたち” ──邦画が迎えた成熟の時代
近年、ハリウッドでは中年以降の恋愛映画が当たり前のように成立している。2010年代後半から2020年代前半にかけて、“多様性”の概念が年齢領域にまで拡張したことで、50〜60代が生々しく恋をする映画が増えた。成熟した観客層がメイン視聴者であることが可視化され、俳優たち自身がその年齢にふさわしい役柄を自然に獲得した結果、欧米では“老いの恋愛”がジャンルとして成立した。
その潮流がようやく邦画にも到達した。その象徴が本作であり、これは日本映画の価値観において静かだが大きな地殻変動を意味する作品であると感じた。本作が描いたのは、若さの美しさでも奇跡的な運命でもなく、傷を抱えた人間同士が“受容”を通じて寄り添う恋愛だ。大腸がん、人工肛門(ストーマ)、離婚歴、生活の摩耗、孤独と後悔、親、介護、お金──普通の恋愛映画なら“乗り越える壁”としてドラマ化されそうなものが、この作品ではあくまで自然な背景として扱われる。
そして、須藤葉子の死を知った青砥健将――堺雅人が見せた“作り物の笑顔”と、その裏から静かに崩れるように溢れた涙。この一瞬に、本作が描こうとした成熟の核心が凝縮されている。本来なら絶叫してもいい場面で、彼は笑おうとして笑えず、泣きたくないのに涙が出る。人は本当に深い喪失を前にしたとき、感情のボタンが壊れる。その“誤作動”のような表情は、人生の後半戦を生きてきた男の、痛みと諦念と優しさの全部だった。
終盤の展開は誰が観ても予想できる。しかし、裏切る必要はない。むしろ“読める未来がそのまま訪れる痛さ”こそが、この映画の真実性であり、中年以降の恋愛の構造そのものだ。派手なドラマを積み上げなくても、俳優の呼吸と沈黙だけで物語が成立する。これは邦画が成熟した証拠である。
そして今後、邦画は確実にこの方向へ舵を切る。観客の中心が40〜60代へ移り、配信プラットフォームが中年の恋愛を積極的に支える時代において、“傷を抱えた大人の恋”は邦画の新しい主要ジャンルになる。若さを前提とした恋愛映画の時代は終わりつつあり、これからは“受容としての愛”が物語の中心になるだろう。
本作はその転換点に位置する作品と感じた。恋愛は若者の特権ではなく、人生の重荷を背負った後でなお続いていく営みであることを、美しく、そして痛切に示してみせた。成熟した邦画の時代は、いよいよこれから始まる。
コメントありがとうございました。
観た人しか読まないだろうと思って書いてしまっていますが、これから多くの中年以降の恋愛映画が作られるようになるためにも、興行的に成功してほしいと思います。
共感ありがとうございます!
>近年、ハリウッドでは中年以降の恋愛映画が当たり前のように成立している。
まさにこの一言に尽きますよね。長寿が当たり前になってきた世界で、老後をどの様に過ごすかを真面目に考えた時、やはりそばにいてくれる人の存在は真っ先に思い付く重要課題だと思います。
須藤が大腸がんになった時、無事に緩解する未来に期待してしまった自分ですが、そういうありふれた期待感に迎合することなく真実の生き方を描いたことが、本作一番の重要な部分だと思います。
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