「現代のテオレマか?」ミゼリコルディア たけはちさんの映画レビュー(感想・評価)
現代のテオレマか?
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ジェレミー(フェリックス・キシル)は殺人を犯しながら表情も崩さず、しかも村のさまざまな人々に愛される。かと思えば、警察の執拗な追及に動揺し、かつて世話になった元パン屋の夫人や、彼に偏執的関心を示す神父に助けられながら、多様な愛を示しながらなんとも言えない結末に至る…という物語。
個人的にはパゾリーニやブニュエルに似た映画的感興を久しぶりに味わった作品だが、観た当初は、その性的有り様に驚きを覚え、共に鑑賞したパートナーほど素直に受け入れがたい抵抗感すら感じてしまった。
しかし時間が経つにつれ、前述した映画的感興が味わい深く心に残り、忘れ難い映画となった。千葉雅也氏の小説にも通じる感覚かもしれない。
ジャック・ドゥヴェレー演じる主人公に偏執的関心を示す神父とジェレミーによる告悔のシーンは本作の白眉と言える。告白するもの聞くものの立場が逆転したこのシークエンスで、ジェレミーは初めて神父の本質的な愛を知り、彼の救いに身を委ねることになる。
物語のはじまりから、何を考えているかよくわからず(その意味では殺されるヴァンサンの方がはるかに人間的だ)ある種、人間性を欠いたまま村の人々への説明不可能な愛の交歓を成すジェレミー。彼の撒く謎の愛の種子は、美しい森(撮影の勝利か!?)で象徴的に描かれるキノコのように村に拡がり、最終的には自らが神父や夫人、その他の人々からの愛に絡め取られていく。
不思議な愛の軌跡を映すこの作品のおかげで、他のギロティ映画も観たくなった。
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