「ゾンビ世界のケス少年」28年後... 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
ゾンビ世界のケス少年
ゾンビ映画にはヒューマニズムによる逡巡というのがある。いちばん解りやすいのは親族や恋人がゾンビになってしまったばあいの描写。そんなとき、かれ/かのじょは逡巡して(ためらって)、すぐにやっつけることができなかったりする。
ただし、この描写は観衆にとって「もどかしさ」でしかない。「ああもうそれいいから、とっとと撃ち殺すか、首ちょんぎれよ」と思ってしまうからだ。当然ながらこれは観衆が無情だからではない。それがゾンビものに付きもののヒューマニズムによる逡巡だと解っているからだ。
ゾンビは幾度となく焼き回され、すでに観衆にとって解りきった世界なので、解りきった描写はいらないと思うのは観衆にとってごく普通の感慨なわけである。逆にだからこそゾンビ映画では作り手の手腕が発揮される。古典といえるフランチャイズをダニーボイルがどう料理するのかを見たかった。
結論からすると特別なことはやっていなかった。ジャンプスケア、ゾンビ造形のおぞましさ、無音(BGMなし)、わざと素人っぽい撮影(撮影は主にiPhone15ProMaxが使われたとのこと。ドローンやバレットタイム効果も導入され、素人っぽく見えるものの撮影は技術の粋を集めたものだったといえる)。
人間の籠城化とゾンビ世界を軸に置き、少年がゾンビ狩りデビューを果たす、とりわけ珍しい話とも言えなかった。
特徴的だったのは危うさの表現。人間の行動を迂闊に表現している。迂闊とは「注意が届かず、ぼんやりしているさま」と辞書にあったが、緊張感をひきだすために人間たちを楽観的に造形している。したがってどのショットでも、さっさとそこから離れた方がいいとか、周り見た方がいいとか、もっと声を小さくしたほうがいいとか、まだ安全圏にいるわけじゃないとか、観衆が楽観的すぎる登場人物の行動を心配することで、映画がずっと緊張を保っている。
しかし、これは前述したように「もどかしさ」でもある。登場人物を危機に陥らせるために、わざと不注意に造形しているのが観衆には解りきっているからだ。
とはいえ緊張を保っているのは確かなので、そこはさすがダニーボイルだった。出産しそうなゾンビ女を庇護して出産させるシーンがいちばんもどかしかった。これは一応、ゾンビから生まれたにもかかわらず産児は非感染だったというアイデアの見せ場ではあるが、とっと撃ち殺すか、首ちょんぎれよ、とわたしは思った。わら
28日後(2002)、28週後(2007)に続き、この3作目の企画はすぐに始まったそうだが、映画権をめぐる対立によって、何年も何度も延期された。その結果3作目の仮題であった「28ヶ月後」は吹き飛んで、あやうくまじで28年後になってしまうところを、映画権がサーチライトピクチャーズからソニーピクチャーズに売却され権利の応酬にけりがついた、という。なんか冗談みたいな話だった。
急速に開発が進み、来年2026年には4作目の「28 Years Later The Bone Temple」が公開されるとのこと。次回も(2025年時)14歳のAlfie Williams少年が続投するそうだ。
ダニーボイルは本作28年後についてケンローチのKes(1969)から影響をうけたと述べている。無骨さと無垢な少年、よくわかる発言だった。
映画公開の前後でキプリングの詩ブーツをとくにtiktokでよく聞いた。Taylor Holmesというアメリカの俳優が1915年に録音したものだ。この詩の朗読を採用したことは映画の宣伝にすごく貢献した。ブーツは戦時に行進している兵隊の反復的思考を描いたものだそうだが、聴いてると怖くなる不気味な詩だった。
映画は賛否が別れた。大別すると映画的博識や技術に裏打ちされていると見る向きと、普通のゾンビ映画だと見る向き。カンタベリー物語と食人族のハイブリッドだと言う批評家もいる一方で、シンプルなゾンビ映画だと低評価する批評家もいた。
おそらく映画を見慣れている人であればゾワゾワする違和を感じ取ったはずだが皮相的にはパターンが見えるゾンビ映画でもある。謂わば玄人受けするゾンビ映画だが、にしてもグロ描写や膂力並外れたアルファが全速力で追ってくるシーンは超こわかったし、なんにせよ妙な感触のある映画ではあった。企画が頓挫しているあいだにアイデアが溜りすぎたという感じ。次回も期待できるフランチャイズになったと思う。
imdb7.0、RottenTomatoes89%と63%。
