木の上の軍隊のレビュー・感想・評価
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戦下のお花畑
WW2下の伊江島でガジュマルの木の上に隠れ、終戦に気づかず2年間暮らした2人の兵士の実話ベースの話。
1945年4月、米軍が伊江島に上陸し交戦状態となる中、追い詰められた将校と島から出たことのない兵士がガジュマルの上に登って危機を回避することになって行くストーリー。
水は結構早い段階で見つけられたけれど、敵襲に怯えつつ、飢えと戦いつつ、というシリアスな話しだけれど、あまり緊迫感はなく寧ろコミカルさもあって良くも悪くもみやすいつくり。
ただ、ちょっと夢とか妄想のシーンであからさまに感動させようとみえみえに煽る演出が多過ぎたし、クドく感じてしまった。
若干 ツウ好みの演劇調 しかしそれがW主役による 令和版 戦争のリアル
最近ニュース見たら 麻原彰晃地下鉄・・・事件 すらある程度 若い人はほぼ知らない のにビックリ🫨
俺は高度成長期世代だから 親世代が兵隊では無いが 親が子供として戦争,そして その後の『価値観のどんでん返し』
骨の髄まで味わってる世代。親はほぼほぼ戦争について語らなかったし、声高に 旧日本軍やアメリカ🇺🇸語らなかった
いいも悪いも。それがかえって戦争のことリアルに感じたね。
しかし 今の 生まれた時から ネットパソコン💻がある世代からすると 第二次世界大戦・.太平洋戦争・大東亜戦争
は 黒船来航 とか 関東大震災 レベルで 遠い昔の話なんだろうね。
そういう意味で 本作は 今風 リアル 戦争描写。
説教や無意味な根性論を嫌う 今風の人のための作品。ただ ある程度 映画への耐性は必要。
コレ 若干長いのね その時系列の長さが 戦争のリアルを伝えてる。
原案 井上ひさしさん【昭和人なら 面白い小説 誰でも知ってる人】
演劇 が元らしいから 若干演劇調 だが 堤真一 山田裕貴の W主役 迫真の演技がなかなか見せる
時にユーモラスに 時に 当然 悲惨に残酷に 魅せる
俺のポイント的には もはや幻覚の 亡くなった友人との会話 普通のささやかな 日常生活への渇望。
『農業やって お母にご飯あげて 休みには釣りして 最高だよなぁ』の山田裕貴さんのセリフ😢
有料パンフ🈶は 二人の実在の人物 沖縄 伊江島の地理 とか極めてオーソドックス 普通。
声高に 反戦映画ではなく 説教くさく無い 戦争描写映画
細かいこと言うと 上官 と言うより 小隊長殿or少尉殿 の方がリアルのような気はする。スクリーンで確認を。
まあ とっつき易い 感情移入できる前半なので なかなかの好作品 最後の伊江島出身シンガーの歌声も良い。
まあ私的には まあまあ良かったです。ほぼほぼ沖縄スタッフ映画。
「おかえり」が聞きたかった
山田裕貴さん演じる安慶名が抱く「生きたい」「家族に会いたい」「帰りたい」という切実な思いが、観ているこちらにも痛いほど伝わってきます。安慶名のやわらかなまなざしと、人間らしい優しさに、何度も心を救われました。
極限状態の中でもなお、他者への思いやりを失わないその姿には、深い敬意を抱かずにはいられません。
観終わった後、「良かった」とも「悪かった」とも言えない、不思議な感覚に包まれました。ただ、心が痛むのです。2人の静かな時間、耐えることしかできない日々を目の当たりにして、まるで自分も一緒に息をひそめていたかのような感覚を覚えました。
山田裕貴さんがおっしゃっていたように、この作品には前向きにとらえられる部分も確かにありました。理不尽な状況の中でも、人を思いやる心や、生きようとする強さが描かれていて、それはとても美しく、希望の光のようでした。
それでも、やはり多くの場面では、苦しみや孤独、報われない思いに胸が締めつけられました。
ラストには、「生きていてよかった」と思えるような、人のぬくもりに触れる映画のシーンがあってほしかった。
たとえば、誰かが「おかえり」と迎える場面や、待っていた人との再会。ほんの短い描写でも、映像としてそれがあれば、この長い物語の終わりに、救いや希望をより強く感じられたと思います。
もちろん、2人は帰還したのでしょう。でもその「帰る姿」や「待つ人の存在」を画面で見たかった。それだけが、最後に心に残った痛みでした。
生きてる事はそれだけで尊い
井上ひさし原案、こまつ座の作品。多くの人に観てほしい
井上ひさしの作品は戦争を題材に親子愛や家族愛を描くものが多い。
悲しくてやり切れない。だけど知っておくべきことだし、後世に伝えていかなくてはいけない。
こまつ座の舞台が映画化となると、これは是非とも観ておきたいと思い、子どもと一緒に観に行った。
本作は太平洋戦争末期の1945年の沖縄県が舞台。
宮崎から派兵された山下一雄少尉と沖縄出身の新兵・安慶名セイジュンの2人がガジュマルの木の上に身を潜め、飢えや死への恐怖に怯えながら、戦争が終結したことも知らずに2年もの間、木の上で孤独な戦いを続けていた。
お国のために任務を全うしようとする厳格な山下と、島や友達を愛する純粋で優しいセイジュン。親子ほどの歳の差で、何もかも真逆。そんな2人が共に、生きるか死ぬかの孤独な戦いを2年続けて、いつしか2人の間には強固な絆が生まれた。
山下はセイジュンと自身の息子とを重ねていたのだろう。
父を早く亡くしたセイジュンにとっても山下は父のような
存在になっていたのだ。
普通に生きることの幸せを改めて痛感する。
特にラストのシーンは感動的だ。
“むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく
まじめなことをだらしなく、だらしないことをまっすぐに、まっすぐなことをひかえめに”
井上ひさしの信条が本作にも表れていた。
僕の島は戦場だった
〔証言 沖縄スパイ戦史(2020年 集英社新書)〕等、
沖縄戦に関する著作は多いが、
民間人或いは県人の兵士で頻出する証言がある。
海を米軍の艦艇が真っ黒に覆いつくしていた。
銃の発射音が違う。日本軍はパンパンと単発なのに、
米軍はダララーっと途切れることがない。
橋を破壊しても、直ぐに架け直して来る。
普通なら彼我の戦力差に慄き
降伏するのだろうが沖縄戦ではそうはならなかった。
軍部の目的は米軍を一日でも長く足止めすることにあり、
沖縄は捨て石にしか考えていなかったから。
伊江島に空港を整備し、島そのものを浮沈空母化しようとの目論みは、
米軍の空爆によりあっさり崩壊する。
そもそも制空権も制海権も維持できていないので、
最初から構想自体が机上の空論だったわけだが。
上陸した米軍の圧倒的な攻勢により本隊とは分断され
『山下一雄(堤真一)』少尉と『安慶名セイジュン(山田裕貴)』新兵は
森に逃げ込みガジュマルの大木の上に身を潜める。
その時は、この先二年も、
木の上で二人きりで潜伏するとは考えていなかったろう。
『山下』は宮崎県出身の筋金入りの叩き上げ。
時として厳しい態度も取るが、上官の無謀で慈悲のない発言には
眉を顰める良識もある。
下位の者でも無碍には扱わず、それが
二人の共生が続いた理由でもあるのだろう。
現地で徴用された『安慶名』の
先に徴兵された父親は行方も知れず、
先祖伝来の土地を軍用に奪われた母親は正気を失くす。
が、そうした憤懣をぶつける相手はいない。
やがて二人を飢餓が襲う。
地元民の『安慶名』の知識が多少救いにはなるものの、
成人男性二人の胃袋を満たすほどではない。
第二次大戦時の日本兵の死亡理由は、
餓死と病死が六割との推定もあり、
兵站を無視した戦線の拡大が招いた結果ではあるものの、
ここでも似た事態が引き起こる。
昼は木の上で眠り、夜は命を繋ぐ食料を探すため森を徘徊する。
彼等の使命は軍務遂行のはずなのに、
何の為に生きているかさえあやふやに。
それを救ったのが、敵のハズの米兵が捨てた残飯だったのは、
なんたる皮肉。
そしてこの時点で、戦争が日本の負けで終わっていたことに、
薄々は勘づいていたのではないか。
ツープラトンの隊が曲がりなりにも続いたのは、
亜熱帯の気候と、二人の微妙なパワーバランスの故だろう。
しかし一度触れてしまった豊かな日常の匂いは、
郷愁の念をかき乱す。
ましてや『安慶名』には故郷のハズなのに、
身を隠さねばならない理不尽な思いはいかばかりか。
ぞんざいに扱われる命や、
定見の無い無謀な作戦、
民間人の軽視と、
往時の実態が嫌と言うほど盛り込まれた物語りは、
実話を基にしており、
『井上ひさし』の発案による舞台作の映画化と聞く。
〔父と暮せば(2004年)〕もそうだし、
構想のみも〔母と暮せば(2015年)〕の何れも秀作。
脚本の手腕は必須とは言え、
舞台の映画化はこうあるべきとの、
見本のような作品群ではある。
沖縄出身の監督の映画
よなみねの、よなみねによる、よなみねのための😅
ちょっとしんどいかな
既視感ある映像(演出含む)それなりに展開はしっかりしていて見れるは見れるが…
戦争の悲惨さを直接的に訴えるよりはこう言う方が良いのかも?しれませんんね。ただ同じような作品の「野火」(塚本版)とは圧倒的に鑑賞後感が違うには何故か?
戦争はダメ、平和が大事って事は小学生でもわかるし、簡単なエンターテイメントに仕上がってるのは仕上がっていますが、そうなると反戦映画を否定できなくなる。
これはハッキリ良くないと感じます。単純にエンタメ感で仕上げて良いのか問題と、当事者性(沖縄出身)を利用したイデオロギー丸出しの大勢批判にも取れる。なんかしっくりこないのはやはり作り手の真摯な気持ちが足りないのでは?と思う。演技が云々の前に
知るという意味で観といた方がいい映画だと思います
沢山考えされられる濃い作品でした。 彼らにとっての二年間は生き地獄...
戦後80年、この時期になると戦争が上映され、戦争の悲惨さをあらため...
戦後80年、この時期になると戦争が上映され、戦争の悲惨さをあらためて感じさせられます。
沖縄の地で繰り広げられた戦いが地元住民の住み慣れた所への思い残された家族への思いが痛烈に伝わりました。
やっぱり生きる執念や国への忠信、当時の日本兵の姿が見えて来ました。
無事帰還されて良かったです!
偏りのない立場で沖縄戦を描いてみせた大傑作
反日作家井上ひさしの原案で沖縄が舞台と聞いて、さぞ旧日本軍が貶されまくっているのではと恐る恐る見に行ったのだが、意外にも非常に中立な立場で描かれた大傑作だった。こまつ座の演劇は井上ひさしの生前からよく見ていて、作者の2つ前の席で見たこともあるのに、この作品には見覚えがないと思っていたら、1990 年に上演予定で俳優や演出家まで決まっていたのに、結局は台本が書けずに流れた作品とのことである。
井上ひさしが残したものはたった2行のメモと、図書館の一つのブース分くらいありそうな膨大な資料だったらしい。これを完成させたのは劇団モダンスイマーズの蓬莱竜太で、井上ひさしの蔵書を多数所蔵する井上の生まれ故郷山形県川西町の遅筆堂文庫に通って膨大な資料を読みながら、遂に完成させて 2013 年にこまつ座で初演している。生憎舞台は見たことがない。
井上ひさしが目に留めたのは、1945 年4月の米軍上陸から2年間、沖縄本島北部から北西約 9km の伊江島で、終戦を知らずにガジュマルの大木の上で密かに戦闘行為を続けていた2人の日本兵が見つかったという新聞記事だったらしい。片方が沖縄出身で、もう一人が宮崎県出身というのも事実通りだそうである。宮崎県出身の歴戦の兵士を堤真一が演じ、地元出身の若い志願兵を山田裕貴が演じており、互いを「上官」「新兵」としか呼び合わないところは旧日本軍の慣習そのままである。
島が米軍に占領されるまでの過程は、手抜きなしに実に丁寧に描かれており、敵の容赦ない攻撃の無情さを徹底的に描くことで、米兵の恐ろしさや戦争のむごたらしさを見る者に感じさせ、米兵に見つかったらどういう目に遭わされるかという恐怖を下地として上手に雰囲気作りがなされていた。そんな中で水も食料も自分で手に入れなければならない絶望的な状況の中で、地元出身の新兵のサバイバル知識の豊富さに助けられて二人は命を繋いでいく。
水は雨水を溜めることで何とかなるが、食料は簡単にはいかない。当初は戦死者の持っていた乾パンや缶詰めで飢えを凌ぐが、すぐにそれも尽きてしまうと、蘇鉄の実を砕いて長期間水に晒して毒抜きをしたものを団子にして食べたりもした。いよいよ食べるものが尽きてしまったところに、米軍の缶詰を見つけるのだが、その貴重な食べ物に対して二人が見せる立場の違いが切実だった。死んでも敵の食糧など口に入れないという上官に新兵は困り果てるシーンがあり、あそこは「任務遂行のためには、敵の食糧だって使って命を繋がなければならない」と言うべきだと思ったが、その後の展開は私の想像を遥かに超えたものだった。
二人の会話が中心で物語が進行するところは、いかにも演劇的という感じを受けたが、映画としての価値が下がるとかいうことは決してなく、次々と局面が変わって二人が臨機応変に対応していくところは非常に見応えがあった。二人の主演俳優は、極限状況を演じるためにかなりのダイエットをして臨んでいて、雰囲気を感じさせていた。相棒の二課の課長役で知られる山西惇が出演しているが、こまつ座の舞台で上官役を演じたらしい。また、新兵の親友役を演じた津波竜斗が実に存在感があって好演だった。
音楽は見慣れない名前の人だったが、雰囲気をよく伝える曲を書いていて好ましかった。監督は脚本も兼任していて、物語の進行に緩んだところはなく、必要なシーンを過不足なく繋いで見せていたのには感服させられた。「新兵」としか呼んでいなかった上官が呼び方を変えた時が、本当に素晴らしい瞬間だった。
(映像5+脚本5+役者5+音楽5+演出5)× 100= 100 点。
戦争の無意味さを実感するために
太平洋戦争末期の沖縄戦における伊江島が舞台。追い詰められた二人の兵士、宮崎出身の山下少尉と地元出身の安慶名はガジュマルの大木の上に身を隠すが、いつの間にか戦争が終わって2年の月日が過ぎていた……。
一定の年齢以上の人々であれば、戦争終結を知らずに身を隠していたと言えば、横井・小野田などという名前が浮かぶかもしれない。
しかし、本作を観ながらずっと感じていたのは、そんな個人のエピソードではなく、人を人でなくしてしまう戦争の恐ろしさと愚かさ、そして戦争の無意味さということだけだ。
もとは舞台作品の映画化。限定的な場面で少数のキャストが演じることで、その人間性と彼らの関係性が色濃く描かれる。
山下と安慶名の関係は父の息子のようであり、愛しむ気持ちもありながら、近すぎるがゆえに反目しあったりもする。それはあたかも二人の出身地である本土と沖縄の関係のようでもある。
多くのことばは要らない。軍事費増額などと言っている連中を筆頭に、一人でも多くの人々が本作を鑑賞すべし。そして、こんな無意味なことを二度と繰り返すことのないように、しっかりと胸に刻んでおくべきだ。
帰りたい
帰ろう、すぐそこにある戦場だった故郷に
太平洋戦争の沖縄で、終戦を知らず大木の上で二年間隠れ続けた二人の兵士を描く異色の戦争映画です。何のビジョンもなくただ徹底抗戦を叫ぶだけの無能な帝国軍人と、地元沖縄で徴発されながらもひたすら朴訥で心優しい青年が、木の上と言う異常な閉鎖空間で暮らし続ける設定が面白いです。また、二人を米兵から隠してくれる大樹のビジュアルが素晴らしいです。食料調達のため米兵が捨てた食糧や物資を漁る内に、軍人が本来の目的を忘れてただの消費者に堕落してしまう一方で、家族も親友も戦火で無くした上に故郷はすぐ目の前にあるのに帰れない青年の葛藤の対比が、何ともやるせません。とは言え、お話しの展開が全体的にゆるくいろんなエピソードはあるのに、イマイチまとまりを欠く感じです。また、時間の経過による軍人の心境の変化が分かりにくいのと、二人の関係が終始一方的なのが気になりました。それでも、三線の流れる空想の実家で母や親友と再会する夢から醒めた時の、青年の『帰りたい』と慟哭するシーンは、思わずもらい泣きしました。役者では、青年役の山田裕貴がダントツの素晴らしい演技でした。話し方や視線のやり方など、静かな受けの演技から、望郷の念が爆発する動の演技への切り替えが上手いなぁと思いました。
横井庄一、小野田さん…
生きることの大事さを痛感
実話であることを噛み締めて鑑賞すると、
あらためてガジュマルの樹をねぐらにしたサバイバル生活は
壮絶としか言いようがない。
この環境で2年間も命をつないだ、おふたりの共生力と生命力に感服した。
山田裕貴演じる安慶名のセリフが実にリアル。
全然飾っていないし心の声をちゃんと発声している。
それは相手が上官であっても、、、だが、それはコミュニケーションが深化し、
心理的安全性というかもはや吹っ切れてからだが
(言いたくても言えなかったことが安慶名の日記に書かれており、それを最後半で山下(堤真一)が読むのだ)、
その言葉ひとつひとつが胸に刺さった。
セリフだけではなく山田裕貴の演技が本作の要といって過言ではない。
やつれ方や表情の演技が本当に素晴らしく、彼の演技だけで涙が出そうになったシーンがいくつもあった。
堤真一も素晴らしい。特に気持ちというか考え方というか認識の変化がわかるように演技していて、
特に米軍の残飯を食べるシーンや、
地元民に本当に終戦したかを問い、終戦していることを認識せざるを得ないシーン。
それにしても戦闘シーンは痛々しかったし、
あっけなく人が死んでいく戦争は何のためなのか?と思ってしまう。
兵士はもとより住民の命も簡単に失われていくのだ。
これは現代の戦争でも同じである。
命とは何なのか。生きるとは。を考えてしまうのと同時に、
本作の主役のおふたりを見るにつけ、命を大事にしなければと思った。
生きることの大事さ、平凡な生活がいかに素晴らしいか、
痛感する作品だった。
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