「ラストで台無し」木の上の軍隊 gottsuanさんの映画レビュー(感想・評価)
ラストで台無し
「台無し」は言い過ぎかもしれないが、名作を傑作に(傑作を秀作に、または秀作を凡作に)ワンランク落とすようなラストでした。
まず「おおむね良作」だと、自分の感想を示します。
それでも2つの点が、どうしても引っかかりました。
①「敵の飯」を食えるか問題
本作をご覧の方は、少しでも先の戦争に関心をお持ちだと思います(堤真一萌え、山田裕貴萌えの方は…これから知ってください)。先の戦争を知っているなら、地獄のインパール作戦の際の「チャーチル給与」が脳裏をよぎったのではないでしょうか。私はよぎりました。
チャーチル給与とは、補給を無視した最前線(現在のミャンマー→バングラデシュ)に投入された日本の将兵が、敵英軍に対して英空軍がパラシュート落下させた補給物資を、敵と味方の入り混じる前線で拾い集め、「チャーチル(英首相からの)給与」だとありがたく利用し、命をつないだという、割と有名なエピソードです。
「腹が減っては戦はできない」。最終的に、堤真一もそう妥協してはいますが…。そもそも、なぜ彼はそこまで「敵の飯を食いたくなかったのか」。むしろ、根っからの軍人なら「今は敵の飯に甘んじても、近いうちに基地をつぶしてやる」と考えるのではないでしょうか。
ならば、「そこまで敵の飯を食いたくない背景が、この後に描かれるのか?」と想像しましたが、そういう訳でもありませんでした、チャーチル給与の史実を思えば、堤真一の考え方は不可解です。
まあ「それが戦場の狂気だ!」というマジックワードで納得するかもしれませんが…。
②余韻=観客が想像する大切な時間をぶった切った
ラスト、堤真一の「帰ろう」に対して、山田裕貴が何かを言おうとした、そこで終わればよかった。
しかしその後に、テロップ&ナレーション(彼らは2年抗ったが、すでに沖縄戦の組織的戦闘も、あの戦争も終わっていた)が入りました。まったくの蛇足です。
そういったことは、本作を観る前に知っておくべきだし、知らない観客をケアするためなら、始めのうちに明示しておくべきです(されていたと記憶しています)。
私は、あのラストで山田裕貴が何を言おうとしたのか、それを観客に考えさせることに本作の意義があるのではないかと思います(私が想像したのは、「もう帰るところなんてありません」)。したがって、その余韻をぶった切るテロップ&ナレーションに対して「FUCK YOU!」という感想です。
しかし、戦後もはや80年。この世はタイパ時代。よく知らない世代へあの戦争を伝えるための演出だったのかとも思います(「世代」という言葉を使いましたが、私だって、たとえば日清の戦に先人がどんな覚悟で挑んだのか想像しづらいです。世代論で分断するつもりはありません)。
もしかするとこの映画は今後、小中学校の授業で「教育映画」として視聴させられていくのかも知れません。
あのお節介なラストにしたのは、子供に分かりやすくするためと考えるならば、納得できなくもないのです。