「自分も島ももう変わってしまった」木の上の軍隊 alvoさんの映画レビュー(感想・評価)
自分も島ももう変わってしまった
日本の戦争映画は自分のメンタルを左右するから、普段は避けている。しかし、山田裕貴さんが好きなので見に行った。推しのお陰で世界の視野がまた少し広がる、ありがたいことだ。
見に行ったもう一つの理由は舞台となった伊江島に行ったことがあるからだ。花の百合を鑑賞する、ゆり祭に参加した。一緒に旅した友人のお母様の希望だった。そこにもまたご縁を感じるが、その時島の地図を眺めて、島の半分が米軍の軍用地なのだとわかり何やらうっすら恐ろしさを感じたのを覚えている。そういう意味では、伊江島はまだ島民の手には戻ってきていない、のかもしれない。Google map でこの小さな島に不似合いな空港の滑走路を確認するだけでも最早背筋が凍る。伊江島で買って未だにお気に入りの伊江ラムも、米軍由来なのか?と思ってしまうと何やら複雑だ。
実話というよりはそれに着想を得た舞台の映画化、ということでどの程度現実なのかはわからない。でも、おそらく禁足地に設定されてしまったが故に米軍以外が立ち入ることがなかったこと、島が軍基地になってしまった為に訓練で発砲音が聞こえ続けていたこと、そして何よりも闘いに人生を捧げる少尉が不用意な行動を抑制してきたからこそ月日が流れてしまったのだろう、もっとも若い軍人だけだったら初期に撃ち殺されていただろうけど。
生き残りがいないようにくまなく遺体に発砲していく様は、異世界でモンスターを殺しまくる漫画のシーンのようだ。今戦争が肯定されていたら、モンスター退治世代の若者は意外と違和感なく殺せてしまうんじゃないかとすら思える。
山田くんは常に山田くんで他の人にはならない、でもいつでもその人そのものになってる感じがする。彼のような、どこか飄々としたまっすぐな若者がきっと当時木の上で過ごしたんだろう、と思える。堤さん演じる上官も、米国缶詰を貪る狂気のシーンとか、さすがだった。
最後の手紙だけちょっと無理があったかも?ってここは事実なのかもしれないけど。なぜ急に?とやや感じた。残った島民もまだ貧しくて食料を漁っていたのだろうか?
最後の最後まで名前を出さず、ラストで名前を連呼してようやく二人が兵士から人間に戻ったシーン、胸を打たれました。でも、「もう変わってしまった自分と島」が元に戻ることは決してない。彼らの余生がどうだったのか、聞いてみたい。
※ちなみに恵比寿で鑑賞したため、道中エビスビール広告の山田裕貴もみながら向かえてなんだかお得でした。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。