「表題の生活に到るまでの戦争の凄まじさ、その生活の継続と終了時点での葛藤」木の上の軍隊 てつさんの映画レビュー(感想・評価)
表題の生活に到るまでの戦争の凄まじさ、その生活の継続と終了時点での葛藤
初めに、山田裕貴氏演じる若い兵士と兵士でない住民の与那嶺が、和気藹々と話しながら飛行場建設作業を進めていき、堤真一氏演じる上官が、彼らだけでなく、その後の女性や高齢者対象の竹槍訓練でも厳しく指揮を執ろうとするが、アメリカ軍の猛襲を受け、精神論の無力さを突きつけられ、轟音の直後に女の子の命が失われ、退却していき、表題の生活が始まる。
当初は、みつかることを恐れて、夜間活動に限定されていた。やがて、日曜日に敵の空襲のないことがわかり、大胆な行動が始まっていく。しかし、上官が慌てて肩を脱臼したりもする。それでも権力関係は変わらず、上官の誇りを尊重するために、若い兵士は偽りを言って上官に敵の食糧を食べさせる。
戦闘状態が終わっても、部下の投降を許さない上官の姿勢は、悲劇の予感しかなかったが、決定的な場面でも、上官はむしろ自身の子どもへの向き合い方から躊躇いを抱き、悲劇は免れた。しかし、若い兵士は上官に警告していた毒ヘビに襲われることで絶体絶命の危機を迎えることになり、そこで不運な最期を遂げても不思議はなかった。安堵の夢は先に逝った親しんだ者たちの仲間入りと思われたが、その安堵も叶わず、意外にも上官の配慮で若い兵士は命を取り留める。しかし、上官が目を離した隙に、絶望した若い兵士は、一番の希望だった海辺に向かう。足跡が懐中に続いていたのをみたとき、今度こそ死出の旅立ちかと思ったが、これまた意外に、海岸と並行に歩みを続けて行き、上官が若い兵士を呼び戻して、生還することができた。
有名な横井庄一氏や小野田寛郎氏のように、独りで籠もって投降に踏み切るのとでは、条件がまた違うのであろうと感じた。また、外国で籠もるのと、故郷で籠もり、戻る場所がない、という喪失感を含むのとでも、意味合いが違ってくることがよくわかった。
「最後の官選知事」である島田叡氏に対する批判も目にするが、ドラマ仕立ての『島守の塔』では、ユーモア溢れる人柄が描かれ、ドキュメンタリー版でも、県民の運命を左右する選択に葛藤を抱えていた様子が描かれており、まさにその表題のように『生きろ』という訴えにおいて、本作と共通するテーマではないかと考えた。

