「時に笑えるちぐはぐな会話を繰り広げ、いつの間にか樹上での生活に慣れていく2人の変化を演じ切った堤と山田は見事でした。」木の上の軍隊 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
時に笑えるちぐはぐな会話を繰り広げ、いつの間にか樹上での生活に慣れていく2人の変化を演じ切った堤と山田は見事でした。
終戦80年の夏、戦争に関する映画が続々と封切られています。今作は、民間人を含む多くの犠牲者を生んだ沖縄戦にまつわる物語です。戦闘を直接的に描いたシーンは少ないけれど、終戦に気づかないまま2年間もガジュマルの木の上で生き抜いた2人の日本兵の実話を通じて、争わずにはいられない人間の愚かしさと、それでも協力して生き延びていくことができる人間への希望を描き出しています。
実話に着想を得た井上ひさし原案の同名舞台劇を、堤真一と山田裕貴の主演で映画化した作品です。脚本、監督は沖縄出身の若手、平一紘。
●ストーリー
太平洋戦争末期の1945年4月。戦況が悪化の一途をたどる中、飛行場を占領するために米軍が沖縄・伊江島に米軍が侵攻します。激しい攻防の末に島は壊滅的な状況に陥っていました。
宮崎から派兵された山下一雄少尉(堤真一)と地元の伊江島で生まれ育った新兵・安慶名セイジュン(山田裕貴)は敵の銃撃に追い詰められ、大きなガジュマルの木の上に身を潜めます。
太い枝に葉が生い茂るガジュマルの木はうってつけな隠れ場所となり、木の下には仲間の死体が広がっていき、遠くの敵軍陣地は日に日に拡大していくのです。圧倒的な戦力の差を目の当たりにした山下は、援軍が来るまでその場で待機することを決断します。
やがて戦争は日本の敗戦をもって終結しますが、そのことを知る術もない2人は終戦を知らぬまま2年もの間木の上で2人きりの“孤独な戦争”を続けることに。戦闘経験豊富で厳格な上官・山下と、島から出た経験がなくどこか呑気な安慶名は、噛みあわない会話を交わしながらも2人きりで恐怖と飢えに耐え続けたのでした。
やがて食料がつき心労も重なった時に2人の意見の対立が始まります。
きっかけは、米兵の残飯を安慶名が発見したこと。当初は山下は「敵の飯が食えるか」と意地を通し、米兵の残飯を漁ろうとする安慶名を怒鳴りつけて、口論となったのでした。厳格な軍人で、敵国の物を食べたり使ったりすることを拒んでいた山下でしたが、何も食べないままではみるみる衰弱していきます。安慶名は、米軍が残していった缶詰を日本製の缶詰に移し替え、日本産と偽って、食べさせたのでした。
しかし樹上生活が長くなるにつれて当の山下も規律や恥の意識が薄れ、何かと理由をつけて米軍の物を利用するように変わっていきます。朗らかでのんきだった安慶名は、そんな上官の変化に複雑な思いを抱き始めるのでした。飢えを鸚いだ2人はやがて、なんと、米軍のゴミ捨て場を発見します。それによって、2人の生活は大きく変わっていきます。
●解説
脚本がよくできています。悲劇を語りながら、ユーモアを忘れません。厳粛と滑稽、強さと脆さ、涙と笑いが常に背中合わせになっているという認識が根底にあるのでしょう。例えば、たばこを探し当てた安慶名とヌード雑誌を拾った山下の掛け合いなどまるで漫才のようです。堤と山田の息も合っていました。
また米軍の残飯を見つけて食糧事情は好転したふたりの変化も見所です。「援軍を待って反転攻勢」という“作戦”は次第に空文と化し、階級も意味を失っていきます。米兵の余り物で命をつなぎながら米軍への憎悪を抱き続ける、2人の矛盾と滑稽さから、戦争のむなしさをあぶり出したのでした。そこには、生きようとする本能と人間関係の原型が語られていると思います。
しかし、勘所は県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦の歴史。2人だけの軍隊は、日本軍によって「捨て石」として扱われた沖縄の隠喩以外の何ものでもありません。
特に 木の上の“戦い”が始まるまでの序盤の描写で、沖縄戦の本質を凝縮。軍国主義者と庶民の目線の相違を時にコミカルに見せる脚本は奥が深く、人間性とそれを踏みにじるものを力まずに提示して出色でした。
実際のガジュマルの樹上で撮影し、ガジュマルの上からの目線など、映画ならではの映像が見応えありました。主演の2人も体重を落として役に臨んだといいます。米軍の気配におびえ、空腹に苦しみ、時に笑えるちぐはぐな会話を繰り広げ、いつの間にか樹上での生活に慣れていく2人の変化を演じ切った堤と山田は見事でした。
陰惨な描写を避けた点にも、幅広い世代に戦争を考えるきっかけにしてほしいという作り手の願いが感じられました。
●最後に一言
個人的には、解放感が漂うラストとそこに至る過程を描いた演出に好感が持てました。
あることで終戦を知らされた安慶名は、山下に向かってまるで子供のように何度も帰りたいと泣きじゃくりながら訴えかけるのです。これまでの山下なら、そんな軟弱な安慶名を怒鳴り散らして叱るところですが、なぜか神妙になっていくのです。山下が見つめていたのは、安慶名ではなく、泣きじゃくるわが子の姿だったのです。そこに堤がありったけの万感の思いを詰め込んで演じていました。
だからこそ、堤が放つ最後の一言の台詞にとても解放感を感じたわけです。