「偏りのない立場で沖縄戦を描いてみせた大傑作」木の上の軍隊 アラ古希さんの映画レビュー(感想・評価)
偏りのない立場で沖縄戦を描いてみせた大傑作
反日作家井上ひさしの原案で沖縄が舞台と聞いて、さぞ旧日本軍が貶されまくっているのではと恐る恐る見に行ったのだが、意外にも非常に中立な立場で描かれた大傑作だった。こまつ座の演劇は井上ひさしの生前からよく見ていて、作者の2つ前の席で見たこともあるのに、この作品には見覚えがないと思っていたら、1990 年に上演予定で俳優や演出家まで決まっていたのに、結局は台本が書けずに流れた作品とのことである。
井上ひさしが残したものはたった2行のメモと、図書館の一つのブース分くらいありそうな膨大な資料だったらしい。これを完成させたのは劇団モダンスイマーズの蓬莱竜太で、井上ひさしの蔵書を多数所蔵する井上の生まれ故郷山形県川西町の遅筆堂文庫に通って膨大な資料を読みながら、遂に完成させて 2013 年にこまつ座で初演している。生憎舞台は見たことがない。
井上ひさしが目に留めたのは、1945 年4月の米軍上陸から2年間、沖縄本島北部から北西約 9km の伊江島で、終戦を知らずにガジュマルの大木の上で密かに戦闘行為を続けていた2人の日本兵が見つかったという新聞記事だったらしい。片方が沖縄出身で、もう一人が宮崎県出身というのも事実通りだそうである。宮崎県出身の歴戦の兵士を堤真一が演じ、地元出身の若い志願兵を山田裕貴が演じており、互いを「上官」「新兵」としか呼び合わないところは旧日本軍の慣習そのままである。
島が米軍に占領されるまでの過程は、手抜きなしに実に丁寧に描かれており、敵の容赦ない攻撃の無情さを徹底的に描くことで、米兵の恐ろしさや戦争のむごたらしさを見る者に感じさせ、米兵に見つかったらどういう目に遭わされるかという恐怖を下地として上手に雰囲気作りがなされていた。そんな中で水も食料も自分で手に入れなければならない絶望的な状況の中で、地元出身の新兵のサバイバル知識の豊富さに助けられて二人は命を繋いでいく。
水は雨水を溜めることで何とかなるが、食料は簡単にはいかない。当初は戦死者の持っていた乾パンや缶詰めで飢えを凌ぐが、すぐにそれも尽きてしまうと、蘇鉄の実を砕いて長期間水に晒して毒抜きをしたものを団子にして食べたりもした。いよいよ食べるものが尽きてしまったところに、米軍の缶詰を見つけるのだが、その貴重な食べ物に対して二人が見せる立場の違いが切実だった。死んでも敵の食糧など口に入れないという上官に新兵は困り果てるシーンがあり、あそこは「任務遂行のためには、敵の食糧だって使って命を繋がなければならない」と言うべきだと思ったが、その後の展開は私の想像を遥かに超えたものだった。
二人の会話が中心で物語が進行するところは、いかにも演劇的という感じを受けたが、映画としての価値が下がるとかいうことは決してなく、次々と局面が変わって二人が臨機応変に対応していくところは非常に見応えがあった。二人の主演俳優は、極限状況を演じるためにかなりのダイエットをして臨んでいて、雰囲気を感じさせていた。相棒の二課の課長役で知られる山西惇が出演しているが、こまつ座の舞台で上官役を演じたらしい。また、新兵の親友役を演じた津波竜斗が実に存在感があって好演だった。
音楽は見慣れない名前の人だったが、雰囲気をよく伝える曲を書いていて好ましかった。監督は脚本も兼任していて、物語の進行に緩んだところはなく、必要なシーンを過不足なく繋いで見せていたのには感服させられた。「新兵」としか呼んでいなかった上官が呼び方を変えた時が、本当に素晴らしい瞬間だった。
(映像5+脚本5+役者5+音楽5+演出5)× 100= 100 点。
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