「「戦争映画」というより「生きる」を考える映画」木の上の軍隊 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
「戦争映画」というより「生きる」を考える映画
太平洋戦争終結から80年。当時0歳の赤ちゃんが80歳の老人になるほどの年月。地球上から戦争が完全に無くなったわけではないが、日本では戦争を体験として語れる人は少なくなった。
私自身、直接身近な人から戦争の話を聞くことは出来なくなって久しい。どうして祖父からもっと聞いておかなかったのだろう、と思うと同時に、どう話していいのか祖父自身もわからなかったのかもしれない、とも思える。
「木の上の軍隊」は終戦を知らずに2年間、ガジュマルの枝に身を隠した2人の物語だ。元となった舞台版には無い、伊江島の戦闘シーンから始まり、次々と制圧され、仲間を失い、木の上に身を潜めることになる。
ここまでは記録ドラマのように感じるが、実際に伊江島のガジュマルの木の上で撮影された2人の潜伏パートからは、2人の個性がぶつかり合い、互いの価値観の違いがにじみ出た見応えあるドラマへと突入していく。
本土から来た上官役の堤真一、現地の新兵役の山田裕貴。最初は窮屈な木の上で息を潜めていた2人が生き残るために木の枝を増やし、敵の目を掻い潜って水や食料を探し、そうこうしているうちにだんだんガジュマルに馴染んでいく様も面白い。
この映画では「生きる」ことが最大の目的で最大のテーマだ。
生きる。戦争を諦めないために。生きる。死んでいった仲間たちのために。生きる。おめおめと戻れはしないのに。生きる。帰る家もないのに。生きる。何もかも変わってしまったのに。
生きる。何のために?
上官と新兵、年齢も、出身地も、考えてることも、今までの人生も全然違う。そんな2人のサバイバルを通して、生きることの難しさ、何でもない日常の尊さを観る側に投げかけてくる映画だった。
同時に、山田裕貴扮する新兵は「沖縄」そのものを表している。彼は言う、「失くした靴を見つけた丘は、今は米兵を殺した場所です。もう元には戻らないんです。」「僕の帰る場所はここしかないんです。」
いろいろな出来事があって、支配者も変わり、恐ろしい出来事も多く、今でも望まぬ変化に晒されながら、それでも沖縄の人にとって、沖縄はかけがえのない故郷で、家だ。
だから、「帰りたい」と思う。例え誰も待っていなくても。
映画の最後まで、新兵は名前を呼ばれない。映画の中で2人は個人ではなく、2名の日本兵として戦争の縮図、本土と沖縄の縮図として存在し続けた。
上官である山下少尉が心の底から敗戦を認め、生き残るために支え合ってきた彼を「安慶名」と呼んだ時、「もう帰ろう」と呼びかけた時、初めて2人の戦争は終わったのだと思う。
沖縄ロケ、沖縄のスタッフ、沖縄出身の俳優やアーティストが多く起用され、遠のく戦争の記憶を「他人ごとじゃないんだよ」と呼びかける良作だった。
真剣だからこそ思わず笑えてしまう部分もあり、誰でも見やすい映画に仕上がっていると思う。
個人的には多少見づらくなっても、編集でテンポにメリハリをつけた方がいいんじゃないかと思ったが、「誰でも見やすい」方がテーマにはあってるのか、とも思えてきた。
ドラマ的には“待ってる人”を強く描きがちなんですが、本作はそれが薄いんですよね。
目の前で亡くなってたり、生死不明だったり。
でもだからこそ、原始的な生存欲求が純化されて伝わったようにも思えました。
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