「自由への扉 垣根を取り払う取り組み」シンシン SING SING レントさんの映画レビュー(感想・評価)
自由への扉 垣根を取り払う取り組み
RTA(演劇を通して更生を目指すプログラム)を描いた作品としては「塀の中のジュリアスシーザー」が思い浮かぶ。かの作品も本物の受刑者たちが役を演じており、その演技力には驚かされた。本作はこのRTAを通して自由を奪われた人間たちの真の解放を描いた感動の物語。
最重警備刑務所として知られるシンシン刑務所、原爆に関するスパイ容疑で逮捕されたローゼンバーグ夫妻が処刑されたことでも有名な場所である。
警備体制が厳重なシンシン刑務所は一方で受刑者の社会復帰に向けたプログラムも充実していた。
再犯率が70%ともいわれるアメリカ、しかしこのRTAを経験した受刑者の再犯率は実に3%だという。その効果はすでに実証済みだ。
犯罪を犯す人間は社会に適応できず、たとえ服役を終えても再び刑務所に戻ってきてしまう。根本的な解決をしない限り再犯率を抑えることはできない。
社会に適応できない人間を社会へ復帰させるためにこの演劇活動が役に立つ。それぞれが自分の役割を与えられその仕事に責任を持って取り組む、演技をする場合その役に真摯に向き合いセリフも憶えなくてはならない、自然と根気も養われる。そしてお互いに協力し一つの作品を作り上げていくことで協調性も養われ、その成功体験から自信も得られる。
また様々な役を演じることで自分はなんにでもなれるのだという自信にもつながる。社会に戻るときにはそんな自信が役に立つだろうし、現に服役後俳優になられた人もいるという。
このRTAの活動はまさに社会に直結した活動とも言え、服役の間でも社会とのつながりを感じることができて長い刑期を乗り越える心の支えにもなっている。
たとえ終身刑であっても真面目につとめていればいつか恩赦で出られるのではないか、そんな一縷の希望を胸に抱いて前向きに生きてゆくこともできる。それは人間性を失わずに最後まであきらめない心を養う手助けにもなるはずだ。ちなみに終身刑でも仮出所が認められるケースはある。
犯罪を犯して収監された者たちにとって社会とのつながりを感じさせるRTAの取り組み。それは彼ら受刑者と社会との間にある垣根を取り払う取り組みであった。
しかし無実の罪で服役していたジョンにとってそれは違った。彼は罪を犯したわけでもなく社会復帰活動などはそもそも必要なかった。彼は札付きの悪であるギャングのクラレンスとは違ってインテリでもあり、自分は他の受刑者とは違うという意識があった。彼らをどこかで上から見ていた。彼と他の受刑者との間には垣根が存在していた。
それは彼の自己防衛でもあった。自分は他の犯罪者たちとは違う。自暴自棄になり、彼らに感化されて自分を見失ってはならない。いつか必ず自由の身となることを胸に抱いて自分の冤罪を晴らす努力を続けていた。他の受刑者との垣根は彼が自分を保つために築かれたものでもあった。
彼にとって演劇活動はこの塀の中にいても社会とつながれる唯一のものだった。たとえ自由を奪われた身であってもこの活動により心の中はいつも塀の外にいられる。心だけはどこへでも自由に飛んでいける。鳥籠に囚われの身であっても彼の心は自由に大空へ羽ばたいて行けた。演劇の活動はそんな彼の心の支えであった。いつか無実が認められ本当に自由に身となれる希望を胸に抱いて。刑務所の窓から手を出して外の空気に触れるときいつか身も心も自由の空気を浴びることができると信じていた。しかし彼の希望は打ち砕かれる。
彼の無実の訴えは認められず、相棒のマイクマイクまで失い彼は絶望に打ちひしがれる。鳥籠から解放されるどころか翼を折られてしまったかのように彼の心は折れてしまう。
なぜクラレンスが仮釈放で自分は出られないのか、そのあまりの理不尽に彼の心はくじけてしまう。そんな彼にクラレンスが寄り添う。クラレンスはRTAの活動通して、ジョンや他の仲間たちのおかげで変わることができた。次は彼がジョンを救う番だった。
RTAの活動は社会復帰に向けた活動。それは罪を犯した者たちのためだけではない。理不尽にも自由を奪われ希望を失った人間に希望を与えるための活動でもあった。理由はどうあれ共に自由を奪われた者たちが互いに助け合い力を合わせて苦難に立ち向かう。社会の一員として互いに協力し合い共に生きてゆくことを学ばせる、そんなRTAに込められた真の目的がジョンを救ったのだった。この時ジョンとクラレンスの間にあった垣根は完全に取り払われた。
アメリカの受刑者数は世界一の数で220万人にものぼり、世界の受刑者全体の25%にも及ぶという。ジョンのような無実の人間だけではなく収監される必要のない者たちまで収監してきた歴史がアメリカの刑務所にはあった。
今でこそシンシン刑務所のような人道的取り組みがなされている刑務所も少なくないが、アメリカの刑務所の多くはその作られた理由が他の所にあった。
もちろん当初は犯罪者を処罰するため隔離するために作られたが、その多くは収益性を見込んで作られた。
それは南北戦争終結時にまでさかのぼる。奴隷労働に依存していた南部は奴隷解放により経済は苦しくなった。その不満が当の黒人たちに向けられ彼らは迫害される。
憲法で奴隷労働は禁じられていたが受刑者の労働だけは例外であり、奴隷解放後、職や住むところを失った黒人たちは徘徊などという微罪で多くが刑務所に入れられ労働力として利用された。
刑務所は労働力を供給する新たな奴隷制度を作り上げた。こぞって刑務所は建設され、また70年代以降麻薬犯罪取り締まり強化によりさらに受刑者の数は膨れ上がった。多くは麻薬所持だけで最高終身刑にまで至るケースもあり受刑者は増え続けた。
犯罪取り締まり段階でもシステマティックレイシズムが働き、黒人が白人よりも集中的に取り締まり対象となり多くが収監された。アメリカ全人口に黒人が占める割合が14%に対して黒人受刑者が占める割合は30%にも及んだ。
次第に増えすぎた刑務所が財政を圧迫し、民間刑務所が採用されることとなる。刑務所を中心としたビジネスモデルが確立され、産獄複合体という状況が生まれた。もはや刑務所は人間倉庫と呼ばれ、収益化のために経費は節減され、ただ受刑者を収容するだけで彼らへのケアはほとんど行われなかった。病気でも治療は受けさせてもらえずそのまま亡くなる受刑者も後を絶たなかった。社会復帰に向けた厚生プログラムなどありえない状況が今でも続いている。
受刑者はもはや利益を生む搾取の対象としてしか意味を持たなかった。シンシン刑務所のように本来の刑務所が担うはずの矯正施設としての役割を果たさず、受刑者をただ奴隷のように搾取している刑務所が今も存在するアメリカ。
ジョンは最後には自由を手に入れることができた。しかし今もなおジョンのように無実の罪であるいは微罪により自由を奪われ奴隷の身に甘んじている人々が多く存在する。
このRTAのような取り組みがすべての刑務所行政に行き渡り、奴隷制度を続ける劣悪な刑務所の垣根を取り払いすべての受刑者の人権が守られることを願うばかりだ。そうして初めて真の自由が人々にもたらされるのだろう。南北戦争から160年以上経った今でもいまだ黒人奴隷たちは真の自由を勝ち取れていない。
刑務所と社会との垣根を取り払うRTAの取り組みが人権を侵害する不当な拘束を許す制度の垣根をも取り払う役目を持つものであることを信じたい。
物語の最後、仮出所が認められたジョンをクラレンスが迎える。車の窓から手を出して外の空気に触れるジョン。この時彼は身も心も自由を嚙み締めていた。