劇場公開日 2025年3月7日

「目隠し鬼の記憶」Playground 校庭 cmaさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0目隠し鬼の記憶

2025年4月20日
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鑑賞方法:映画館

 突然の喧騒に、すっと引き込まれる。校門前で登校を渋る女の子・ノラとのやり取りに、親の顔は登場しない。不安げな彼女が顔を寄せる、たるんだお腹が大写しされるだけ。性別さえも分からない。その後も、子どもの視線で物語は進む。大人はほとんど登場しない。声が上の方から振ってくるばかりで、かがむか座るかして視線を落としたときだけ、彼らはふっと現れる。子どもの世界で、大人は単なる遠景、もしくは脇役。絡まっていく事態をほどくことは、とても期待できないのだ。大人の非力に気づき、絶望した子どもの、孤独なたたかいが始まる。
 友だちがふえ、彩りを得ていく妹・ノラと反比例するかのように、兄・アベルはいじめのターゲットととなり、追い詰められていく。そして、順調に見えたノラにも新たな影が…。
 めまぐるしく、容赦ないパワーゲームに気を取られながらも、ノラの友人たちのおしゃべりがちくりちくりと胸に刺さった。「サッカーやる子は差別主義者」、「差別主義者は自分が一番な人たち」、「無職者は怠け者」となどという短絡的な価値観を、彼女たちはどこで得たのか。無神経な大人の言葉が、子どもに取り込まれ、暴力性をあらわにしていくさまが生々しい。
 共に遊び、笑い合える瞬間がきらきらとするほどに、これがいつまで続くのかと、不安がよぎる。中盤、目隠し鬼のシーンが印象的だった。鮮やかな青い布ですっぽりと顔を覆い、ぐるぐると回り、歓声の中で手探りするノラは、目隠しを外すのが少し怖かったのではないか。子どもの遊びには、目をつぶったり目隠ししたりと視覚を奪われるがものが色々ある。そういった遊びは少し非日常でワクワクするけれど、ちょっとした怖さもある。目を開いたとき、周りはどうなっているのか、目の前に広がる世界が様変わりしていないか、自分だけ取り残されていないか…。そんなひんやりとした記憶が、ふっと蘇った。
 ラスト、ノラが選んだ必死の行動は、ささやかな光だ。すさみかけた、観る者の心を温めてくれた。けれども、解決とは言えない。問題は、そこからだ。もし、大人が彼女と同じ行動を取ったら、どうなるだろう。そもそも、同じ行動を取れる大人は、どのくらいいるだろう? だからこそ、必死のバトンを受け取れる大人になりたい。ほろ苦さを噛み締めながら、そう思った。

(追記: ほとんど情報なく劇場に駆け込んだので、鑑賞後に、ちらしを改めて手に取った。フランスではなく、ベルギー作品だったのか。ベルギーと言えば…と思ったら、ローラ・ワンデル監督の次回作は、ダルデンヌ兄弟が製作に加わるとのことだった。納得。期待!)

cma