「私が艦長に成ったからには、この艦は沈まぬ。理由は、私が艦長だからだ」雪風 YUKIKAZE YAS!さんの映画レビュー(感想・評価)
私が艦長に成ったからには、この艦は沈まぬ。理由は、私が艦長だからだ
歴史好きなので、"封切日"というよりも「終戦の日(8/15)」に観ました。
考証的には、艦長以下登場人物の髪形が、短髪でないこと以外に大きな過ちはないが、
なぜか、この映画の最後に「この映画はフィクションである。。。」と文章が入るが、この映画をフィクションと位置付けるならば、この世の全ての戦争映画を、"フィクション映画"と呼ばねばならないだろう。
せいぜい「このドラマは 実話をもとにした。。。」「一部フィクションの場面があります。。。」程度に留める冪だと考えます。
映画中の感動的な某氏の戦死は、史実では「ソロモン海戦」時に頭に深手を負った水雷長(終戦後死亡)であるが、
この雪風では、戦死者が6名という記録になっている。
こんなに立派な館長なのに、実名を使わず、映画の中では、偽名に成っています。理由は解りません。
もしかしたら「名前の通称名使用」を、政治的に訴えていたのかもしれない。
だとしたら、映画作りとしては、愚の骨頂である。
寺内 正道 実艦長は、竹ノ内さんのような美男子ではなく、低身長のわりに96㌔の巨漢の大酒飲みであり、
とても豪快な"太ったダルマ"のようであったようで、海軍兵学校(通称:江田島)55期では、120名中下から2番目の成績だったという
映画の冒頭にもあるが、主人公である竹ノ内艦長が着任時には、すでに雪風は、不着弾・不発弾や気象状態に多々助けられながら、
ほとんど軽微な被害で戦場を闘い続けて、
「呉の雪風、佐世保の時雨(しぐれ)」として、武運艦・強運艦で有名になり、塗装を剥がして、持ち帰りお守りにする人間が後を絶たなかったそうです。
その代わりに、酷使されたりすることも、多々あり、映画の中にも出てきますが、
マリアナ沖海戦(1944年6月19日~)では、小沢艦隊にわざと
殿(しんがり)・囮的盾として、補給部隊(後に自沈)と共に置き去りにされたりしますが、
その中でも魚雷ではなく、サーチライトで! 敵機を撃墜したりして戦果もきちんと挙げています。
映画の中で、艦長が艦橋屋根に開けたハッチから体を乗り出して、三角定規を持ち、操舵支持を出していますが、
これは、艦長が雪風前に指揮していた駆逐艦「電(いなづま)」と同じく、
防御を無視して、雪風を魔改造カスタムして、天井に穴を開けさせたもので、
他艦にはない操縦法となり、これが多くの空爆から艦を避けれる肝になっていたようです。
もちろん雪風乗組員の練度の高さは言うまでもありません。
劇中にでてくる"スクリュー損傷"は、大和に横付けして、修理してもらったという豪快な逸話がありますが、映画には出てきません。
雪風は、馬車馬のように使われたので、任務中に50、100名単位で味方を何度も救助して、
南太平洋海戦(10月26日)では、
味方が撤退する中、最後まで戦域に居残り、通称「トンボ釣り」と言って 夜間でも電気を派手につけて、散り散りに撤退してくる味方を誘導した事により、艦として表彰されています。
そして、駆逐艦「雷(いかづち)」と同じように、
スラバキヤ沖海戦(1942年2月27日)では、米軍兵士40名救助したり、サマール島沖海戦(1944年10月25日)ではアメリカ巡洋艦「デ・ロイテル」駆逐艦ジョンストンの救命ボートの生存者に食料を分け与える事もありました。
大東亜戦争後は、台湾に引き渡され「丹陽(たんやん)」と改名され、台湾海軍 旗艦としても、幸運艦であり続け、最後は解体されて、艦命を無事に終えました。
駆逐艦「雪風」自身ですが、この手の映画では、艦橋操舵室 をきちんと作り込むまでは、よくあるが、本作では、電探室、九六式25ミリ三連装機銃、魚雷発射塔内部をよく作り込んでいます。
この映画を観たら「男たちの大和 YAMATO(2005年)」を次に観るべきだと思います。
共感ありがとうございました。詳しい事情が知れて映画が味わい深いものになりました。先任伍長にもモデルが居たんですね。寺内艦長が天井に穴を開けさせたなんて、そこを掘り下げたら盛り上がったのに。ほとんど事実なのにフィクションにした理由が分かりませんが、遺族の了解が取れなかったという場合もあるんでしょうか。
それで架空の人物だから、急死したり娘が海自に入ったりと脚色したんでしょうかね。
共感ありがとうございます。
YAS!さんの書かれてる史実を読ませて頂くと、
雪風がなぜ沈まずに活躍出来たかが、納得出来ました。
この映画の描写では、雪風の凄さが、ちっとも
伝わりません。
艦長が実名ではいけない理由でもあるのでしょうか。
英雄なのに。
共感ありがとうございます!
やはり歴史ものに詳しい方のレビューには説得力がありますね。
>なぜか、この映画の最後に「この映画はフィクションである。。。」と文章が入るが・・・
自分もこの部分が凄く気になりました。フィクションの部分は隠し味程度なので、「この映画は史実を元に製作されていますが、諸事情により一部改変させていただいた部分があります」ぐらいの表現で良かったのではと思います。エンドロールも黒地に白文字で淡々と無音で流れていくのも終わらせ方としては中途半端感が否めません。でも低予算の中で精一杯頑張って製作したのは評価できますね。
共感ありがとうございます。
詳しい解説、ありがとうございます。
事実(史実?)にベイスドオンしたお話ってテロップが最初出なかったのは確かに違和感でした。竹野内くん始め漢貌に頼る部分が多かったと思いましたが、藤本隆宏さんとかもうこんな役ばっかりの印象です。
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