陪審員2番のレビュー・感想・評価
全47件中、1~20件目を表示
配信あるだけ御の字。
クリント・イーストウッド。
監督としては、1992年の「許されざる者」から2016年の「ハドソン川の奇跡」まではまさしく黄金期で、オレ個人としては、「アメリカン・スナイパー」(’15)のようにあまり好きではない作品があるにはあるが、素晴らしい作品ばかり。
ただし
前作「クライ・マッチョ」('21)という、あきれるほどの駄作を放ってしまったことで晩節を汚すことになってしまうのではと。スライの名作「オーバー・ザ・トップ」(’87)、そして蛇足の「ランボー ラスト・ブラッド」(’20)を彷彿させるが、それすらよく見えるほど。
もともとイーストウッドはそれほど政治的なテーマを全面に描き、自らの答えを出すほうではないが、少年がアメリカ人の父とメキシコ人の母の子だという設定が全然活きていないなど、「クライ・マッチョ」は言うなれば、商業作品としても「自覚」の足らない作品だった。
最新作は、アメリカでほんの一部の限定公開の末、配信に移り、日本では配信のみ、ということ。この流れで本作の「価値」はある程度想像はできる。
「陪審員2番」
・
・
・
そりゃそうだ。
とにかく、プロットだけで進み、イーストウッドの、「いつもの結末」で終わる。絵的な驚きがないのはいつものことで、よく言われる彼の「手堅い演出」というのは、現場や役者陣の力量に依存している、とさえ思うほど目を見張るものがない。
そもそも論として、現代ではこの状況はほぼほぼあり得ないのだが、その「雑さ」を百歩譲ってみたとしても、真実と正義は必ずも一致しない、とは凡百の法廷サスペンスでも見かけるテーマ。
この映画で語るべき、最も確かな「正義」はある。
主人公側でいうなれば、飲酒運転をしないこと。精神的に不安定な時に、車を運転しないこと。土砂降りの中、わき目を振らずゆっくり運転すること。容疑者側でいうなれば、パートナーと公の場で喧嘩しないこと、土砂降りの中、パートナーを一人で帰らせないこと。(これは容疑者が最大の後悔といってたが、まさにその通り。)
良心の呵責と保身とか以前に「確固たる正義」を描けよと。つまりこれはイーストウッド自身の「自覚」にかかわる部分とも思えるほど、そこは一切触れていない。
作品がそうなのだから、実はイーストウッド自身もそうなんじゃないか、と見えてしまうわけだ。もちろん、その人となりについては、作品の評価とは関係はない。だが、名前でありがたがる人もいるわけで、「イーストウッド」の名前で目くらましを食らう。
イーストウッドは、後年しばらく「一般アメリカン人の正義、勇気」をいろいろな形で描いてきたわけで、本作の主人公もいわば「一般アメリカ人」。イーストウッド自身こそがその主人公(そして容疑者も)であったとするならば、と観ると、自身のやんちゃな人生の「自覚」や「自省」はあるのかもしれないが。
ワーナーはそれはもう「正しい」処置をしたと思う。
追記
コレット演じる検事もよくある役どころで、いつもの、最後に揺れる検事役。
サザーランドの役もひどいもの。シモンズもあり得ないキャラクター設定。
追記2
と同時に、主人公のニコラス・ホルトは頑張ってはいるが、この顔をみると、本作30年前のクルーズだったら、と思ったりしたのだが、意外とクルーズを意識した演技に見えた。
圧巻の傑作
映画館で観られる機会は訪れそうにないので、仕方ないので配信で観た。近年のイーストウッド作品の中でもかなりよくできた部類に入る作品ではないかと思った。特殊な見せ方は何一つしていない、しっかりした本を用意して、しっかりとキャスティングをして、しっかりと撮影する。揺れる天秤などメタファーも実にシンプルで奇をてらったものではないわけだが、出てくるタイミングが絶妙なので、すごい効果的だ。話の運びのテンポもいいので、全然ダレることがなく最後まで緊張感を持って見れてしまう。
真実は藪の中、ならぬ真実は雨の中、という作品なのだけど、目隠しされた女神の天秤像はアイロニーにも見えてくる。「見かけにとらわれずに偏見を持たず、お金や権力にも左右されずに公平に真実をジャッジするということを象徴」するのが目隠しされた正義の女神像なんだが、目が見えない=視界不良の激しい雨の中、という意味にも思えてくる。
ニコラス・ホルトの終始不安そうな眼つきがすごく良い。一方のトニ・コレットの目力は力強くて、自分に間違いはないといい自信に溢れているように見える。このイメージが最後まで映画を緊張感を与えていて、キャスティングって本当に重要だよなと改めて思った。
陪審員の中に事件の容疑者がいたとしたら。。。
嵐の夜、1組のカップルがバーで言い合いになり、女性は外に飛び出し、その後、橋の下で惨たらしい姿で発見される。容疑者として浮かび上がったのはバーにいた被害者の恋人で、招集された陪審員の多くは事件の目撃証言や状況証拠から有罪を主張する。しかし、それは正しい評決なのか?
これまでも、人々の大多数が信じる正義というものに疑問符を付けてきたクリント・イーストウッドは、事件の真相を究明するのではなく、あろうことか、異なる容疑者を陪審員の1人に加えることで事の成り行きを複雑にする。知られざる新たな容疑者は保身のために評決をミスリードし、そこに次期検事長の座を狙う敏腕検事や、多忙なために早く裁判を終わらせたい弁護士や、陪審員の中に捜査好きの元刑事を潜ませたりして、この物語の行方を曖昧にしていく。観客からすると、目が離せなくなる。
陪審員制度の問題点を突くことで、真実=正義という構図を一旦壊し、そこから、正義を諦めない人間の可能性へと繋げる語り口は、まさに、イーストウッドならでは。無駄のない演出は年齢を重ねても変わらぬ抑制力の賜物ではないだろうか。
神様だぞ 粗末にするなよ!
司法のバグ
「正義(正しいこと)とは何か?」を観客に突きつけ、非常に丁寧に作られた、イーストウッド監督らしい見応えたっぷりのシリアスな法廷劇。
正義が不確かなこの時代。
思い付きで政治も経済も破壊しまくる大統領がいる時代には刺さる内容。
奇をてらってない。
天秤の傾きのイメージシーンなど、オーソドックスな演出。
ああ古臭いかもな、とさんざん油断させておいて、ラストには驚かされました。
そして司法って「事実」を基に「善意」と「誠実さ」で成り立つもので、「悪意」に弱く、また事実というのも「恣意的誘導」「不確かな記憶でも断言してしまう人」「信じたいことだけ信じる人間」によって歪められやすい、そんなシステム的なバグを抱えているんだ!
という指摘と、批判の精神が込められているようにも思えました。
これって、日本の冤罪事件などにも通じるなぁとしみじみ。
配信&ビデオ(Blu-ray)スルーになって、劇場で観られなかったのがもったいない作品でした。
ゾワゾワする。
古臭い映画
善人とはなんだろう。
人なんて善と悪をもって日々を過ごす。
悪のない人間なんていないのである。
私は悪人ではありません、
なんてほざける悪人を嫌という程、見た。
悪人と世間で指を指しても、人は殺さない人もいる。
善人ヅラして人をイジメて平気でいる、
とんでもない腐り者を今まで何百人と見てきた。
法が裁かなくても、お天道様が視ている。
私は日本人なので、
お天道様が視ているよ、
と子供の頃からよく言われたものである。
この映画の時代設定はいつなのだろう。
ドライブレコーダーなど物質的な証拠もなく、1人の目撃証言で『アイツは悪人でヤクの売人だから』と有罪を決めるが、今でこそ日本の刑事モノドラマは監視カメラやドライブレコーダーなど物的証拠は提示されるものなので、
時代的にそうだよなぁ〜、
と頷くのだが、
本作はそういう物的なものではなく、
人の中にある善と悪をみつめることをテーマにする、
としたいのだろうな。
物的証拠なんて、全く考えようもしないのだから。
(その逆、物的証拠だけで犯人にするケースも多くありますが。)
主人公が妻に罪を問われるシーンで、その俳優のそれまで観なかった、美しい澄んだ青い瞳が捉えられていた。
この俳優さん、こんなに美しい瞳なんだ、と驚く。
でも、告白はできない、妻の前で瞳を澄ましても、
事実を告白はできないのだ。
その美しい瞳を捉えたシーンを、果たして監督が意図したかは分からない。
(私はイーストウッド作品がやはりすきではないし、
繊細な描写をできる人だとは思っていないので、
そのシーンの瞳の美しさは、偶然か。
悪人を冤罪にする一般人は、日本のイジメと変わらず、
不快極まりない。
加害者が罪に問われず、わが子を迎える様子は
ウディ・アレンの『マッチポイント』を思い出した。
(『マッチポイント』の悲劇は重い石のように私の心にある。)
どちらを残す。守る?
作りがやや雑・・ん?そこに意味がある?
かつて「12人の怒れる男」という法廷映画の名作がありましたが・・そ...
かつて「12人の怒れる男」という法廷映画の名作がありましたが・・それに匹敵する名作じゃかなろうか?なぜ 劇場公開できなかったのだろう?
配給会社がビビったのか?買い付けたU nextがバカ高い配給権を設定したのか・・。
いずれにせよ・・配信だけでなく・・映画館でも鑑賞されるべき映画だと思う。
UNext は、映画文化なんてどうでもいいのかしらん?? スポーツにおけるDAZNと似たようなものか・・。
クリント・イーストウッドが出演していない・クリント・イーストウッド監督の法廷映画♪
前作で、もう主役を演じながら監督するのは無理があるんじゃないか・・という感想を持ちましたが・・
出演にこだわらなくても、このような名作を生み出すエネルギーが彼には残っているのですね♪
良心や、倫理観、現実や・欲、偏見・・いろいろな要素が絡み合って・・どう決着つけるのだろう・・と引き込まされる・・。あなたならどうする? この物語をどう締め括られれば良いと思う??と投げかけられる終り方・・・。ほんと・・あなたなぁーらどうする???です。
抜群におもしろい
いやぁ、おもしろい!
こんな見応えたっぷりの映画が日本では劇場未公開になる今のトレンドがおそろしいくらい…。
真犯人が陪審員として被告を裁く側に立ち、公の正義と自らの保身のあいだで揺れ動く感情が絶妙!
そして陪審員どうしで議論を深めるうちに変化していく評決。
最後まで結論がどちらに転ぶのか分からないスリリングさが観ているこちらまで緊張感を引き上げ、最後は吐きそうになるほどだった…。
人が人を裁くことの難しさ。でもそれでも結論を出していかないと社会の秩序は保たれない。
正義とは何なのか。正義より価値のあるものはあるのか。
様々な問題提起がされている本作は現代版『12人の怒れる男』のようでもある。
ほんのすこしの偶然や運。それによって有罪になったり無罪になったりすることは実際にあるんだとおもう。そんな不完全さで社会はできていて、そのなかで生きている。
でも、だからこそ、1人ひとりが何を大事にして生きていくのかが問われている。ほんとうに大切なものを見失うなよと、そう問いかける94歳のイーストウッドの姿がまぶしい。
良心の呵責…
最後まで見てしまう。
正義について考えさせられた…
タイトルからして、「十二人の怒れる男」のイーストウッドなりの映画なのかなと予想したが、似て非なる作品だった。主人公の驚き、怖れ、葛藤などが、ひしひしと伝わってきた。しかも、だんだんわかってくる主人公の別の側面。監督はこの話にどう決着をつけるのだろうかと最後まで目が離せなかった。そして見事なまでの幕切れ。さすがと言わざるを得ない。それにしても、アメリカでも高評価だったというこの作品を最初から配信に回すなんて信じられない。ひどすぎる。配給会社には良心がないのか? あくまでビジネスで人が入らない作品は劇場公開しなくてもいいというのだろうか? 悲しい。私の大好きな「アバウト・ア・ボーイ」で親子として共演した2人がこうして主演として対峙する映画に出ることになるとは感慨深いものがあった。
これ、こっわっ
紛うことなき傑作!!
全47件中、1~20件目を表示