「ただの法廷劇ではない仕掛け」陪審員2番 ふぇるさんの映画レビュー(感想・評価)
ただの法廷劇ではない仕掛け
あのイーストウッド監督作がまさかの配信スルー。本国でも劇場公開の期間は短く早々に配信へと移行した今作だがそれらの背景や一見法廷劇とも思えるようなキャッチを見るとなかなか重そうな気がするが、観始めてしまうと物語に引き込まれ、展開にエキサイティングしてしまうほどだ。観終わってしまうと何故これをスルーにしたのかが疑問に思う程である。近年のイーストウッドの作品の中でも重厚なテーマ性がありつつもダレない作りになっていてとても観やすい作りになっている。
出演陣も実力派ばかりである。
米国の裁判制度では陪審員制度を取り入れており、
判決に陪審員団の評価が考慮される司法制度になっている。
ただし陪審員に選ばれた人たちは公正な判断を下す為に情報統制などの拘束下に置かれる事になる。
OJシンプソン事件を取り扱ったドラマシリーズの「アメリカン・クライム・ストーリー」では今作のように短期間で終わると見込まれていた裁判が長期に渡り、その間にTVを見る事や電話も出来ない陪審員団が精神的にも追い込まれ、終わらせたいがために本意とは違う評価を出そうとするような場面もある。
真実に近づけば近づくほど、期間が長引き、精神的にも陪審員は追い込まれていくのである。
本作にもそのような描写があるので陪審員裁判での陪審員の過度の負担は現代でも問題とされているのだろう。
完璧とは言い難い証拠しかない中で彼女を殺害したと疑われている被告人だがその裁判の陪審員であるニコラス・ホルト演じるジャスティンが実は彼女を轢き逃げしていたのかもしれないという疑惑が持ち上がるのが本作の大筋だ。
この“かもしれない”や“疑惑”等の思い込みで進行する本作は、近年のソーシャルメディアでの個人特定や法廷闘争中であるにもかかわらず、如何にも結果が決まっていると断定しているような書き込みやマスコミュニティなど民主主義とは言い難い状況を表しているのだろう。
被告人は過去の人物像から殺害を疑われるが、その証拠はなく有罪と断定するには不十分である。
そこでジャスティンも自らが真犯人だと思い込んで入るが
事故当時ジャスティンもその場で周囲を確認しており、
遺体を確認しているわけではないので確実にそうだとは言い難い。車のDNA鑑定等すればわかるかも知れないが、殺意があった訳ではないし、被告人を無実にしようとする姿勢は考慮されてもいいのかもしれない。
エンディングでは警察ではなく、検察が個人的に家に来るところで終わるがこれも何か別の取引があるのかもしれない。