「一人のブレない男」陪審員2番 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
一人のブレない男
クリント・イーストウッド。御年94歳。
100歳を超えても生涯現役を宣言していたが、本作で引退の噂が…。
最後になるかもしれない作品なのに、アメリカではノープロモーション小規模限定公開の後、配信。日本ではU-NEXTの独占配信のみ。
イーストウッド作品であるにも拘わらず劇場公開が見送られた事は、後々映画界の大いなる過ちとして語られるかもしれない。
だって本作は、『運び屋』『リチャード・ジュエル』以来、近年出色の出来。確かに『ミスティック・リバー』『ミリオンダラー・ベイビー』『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』『チェンジリング』『グラン・トリノ』『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』…外れナシの傑作揃いの頃と比べると精彩に欠けるかもしれないが、今一つだった『15時17分、パリ行き』『クライ・マッチョ』などよりずっと。これならキネ旬でベストテンに選出されても異論ナシ。
本作が劇場公開されていたら、イーストウッド崇拝のキネ旬では間違いなく洋画今年の1位になっていただろうに(キネ旬ベストテンでは配信映画は選考外)。残念だったね、キネ旬。
まあ、そんなひねくれ意見はさておき、映画界の生き神様が“最後の作品”で描きたかった事は…
イーストウッド初の本格法廷サスペンス。
有罪がほぼ確実視される殺人事件。その裁判の行方。
評決を託された陪審員たち。イーストウッド版『十二人の怒れる男』と言っていい白熱議論。
正統派と思いきや、一捻り。
もし、真犯人が“その場”に居たら…?
タウン誌で働くジャスティン・ケンプは妻が出産間近。平凡な幸せを送っている。
ある日、陪審員の召喚状を受ける。辞退しようとしたが、陪審員に選ばれる。
務める事になったのは、世間で注目の裁判…。
ある雨の夜。バーで飲んでいたカップル。サイスとケンドル。
口論となり、店の外に出ても続く。多くの客の目撃証言あり。
ケンドルは雨の夜の中を歩いて帰る。
程なくサイスも車に乗って帰る。彼女の後を追ったかのように。
翌日、ケンドルが橋の下で無惨な死体となって発見される。
容疑者として逮捕されたサイス。彼女の後を追い、殺害に至ったか…?
場所はよく鹿との衝突も多く、雨の夜だと見渡しも悪い橋の上の道。そこで車を停めた男の姿を見たと言う近くの家に住む老人の証言もあり。
サイスは否認。そのまま家に帰ったと。
しょっちゅう口論はしていたが、自分は恋人を愛していた。誓って、殺したりなどしていない。
なら、口論したとは言え、何故雨の夜を一人で帰らした…?
サイスには麻薬の売人だった過去もあり。目撃証言や状況から、犯人である可能性が濃厚。
いや、犯人だ。それが世間や検察や陪審員のほとんどの見方。
そんな中、ケンプは激しく動揺する。
犯人を知っている。その犯人とは、自分だ…。
あの雨の夜、ケンプは同じバーにいた。
口論も目撃し…どころではなかった。悲しい事があり、周囲の事になど気にも留めず。
憂さ晴らしに酒でも飲もうとしたが、結局手を付けず、そのまま帰った。
その帰り道…。見渡しの悪い雨の夜のあの橋の道。
何かをはねた。
一旦車を停めて確認したが、何も見つからず。
鹿か…? 橋の下にでも落ちたか…?
ろくに確認せず、そのまま立ち去ったのだが…、
今この場ではっきり分かった。被告とされている男の恋人を轢いてしまったのだ、と…。
陪審員の一人が裁判中に自分が真犯人かもしれないと気付くトリッキーな展開。
だけど、本当にそんな事があり得るのか…?
陪審員って厳正な選考の上で選ばれる筈。
本作、微妙な矛盾点も多い。
警察は殴打などでサイスが恋人を殺したと断定したが、もし轢き逃げが本当だったら、現場検証の時そういう証拠が出てくるのでは…?
陪審員は裁判中、事件に関わる事に見聞してはならない。気が気ではないケンプは事件について調べ始めたり、J・K・シモンズ演じる陪審員の一人も事件について調べ始め、尚且つ自分が元刑事である事を漏らしたり…。その後陪審員から外されるが…。
疑念を持ち始めたトニ・コレット演じる検事も自分のフィールドを超えた行動したり…。
よく分からないが、実際にあり得る事なのか…?
本作は徹底的なリアルさ追求より、エンタメであると同時に、ストレートに訴える。
人が人を裁く難しさ。
善悪を迫られた時、人は…?
本作での“疑い”ははっきりとしたものではなく、“グレー”な部分が多い。
例えば、サイス。家に帰ったと言うが、その描写はない。かといって、彼が恋人を殺した描写もない。
ケンプも同様。彼がケンドルをはねた描写もない。そうかもしれないと確信はしているが…。
もし、サイスの言う事が偽りで、本当に恋人を殺していたら…?
もし、ケンプの確信が見当違いで、はねてなどいなかったら…?
どっちに傾いてもおかしくないし、だからこそ危うい。
真実とは…? 天秤に掛ける責任や事の重大さ。
だけど人は、重圧逃れや世の流れや思い込みで、時に見誤り、間違えてしまう。
そして冤罪が起きてしまう。
冤罪とは、人一人の人生を変えてしまう大罪。
今年国内でも再び大きく注目された冤罪。
司法が完全じゃない事の証し。
しかし法に携わる者たちは、出世や面目からそれを軽く見てしまう。
今一度問う。クロ間違いナシと思えても、ほんの一点でもグレーな点があったら、見直せ。疑え。考えろ。
それを怠り判断を間違ってしまったら、取り返しが付かないのだから。
サイスに関してもそうだ。
私はどうも男の姿を見たと言う近くの家の老人の証言が引っ掛かって仕方なかった。
“男の姿を見た”と言ってるだけで、“男の顔を見た”という事ではない。それは即ち、サイスの顔を見た訳でもない。
警察にサイスの顔写真を見せられて、そうかもしれないと思い込み。容疑者をサイスしか挙げなかった警察の怠慢でもある。
陪審員の中で唯一、サイスは犯人じゃないかもしれないと説いたケンプ。
自分が犯人かもしれないとの確信があったからではあるが、真犯人だとしても、大多数の意見が固まった中で勇気ある発言。自分が真犯人と知られるかもしれないのに…。
実際ケンプは、悪人ではない。自分の罪を激しく後悔し、名乗り出るべきかどうするべきかを知人に相談。
サイスを庇ったのは、彼なりの罪悪。もし彼が有罪となったら、彼の人生を奪う事になる。自分はのうのうと幸せに生きていいのか…?
だけど結局、名乗り出る事は出来ず。彼にも欲はある。守りたいものがある。
妻と間もなく産まれてくる子。
待望の子供なのだ。妻は以前も妊娠していたが、流産。その悲しみは両者にとって大きかった。ケンプがバーで悲しみに暮れていたのも、これ。それを乗り越え、ようやく生命を授かろうとしている…。
あの時バーでお酒を飲もうとして、飲まなかった。実はケンプは、アルコールで問題を起こした過去あり。その時出会い、支えになってくれたのが…。人は変われるとも教えてくれた。
ケンプも過去や悲しみから今の幸せを失いたくないのだ。
自分の幸せばかり考えて、相手の無罪を訴えるのは偽善ではないのか…?
本当に相手の事や人生を考えたら、真実を…。
それを隠し、罪を背負ったまま生きるのは幸せと言えるのか…?
自分は変わったのではないのか…?
陪審員の中には、人は変わらないと言う者もいる。サイスの麻薬の売人の過去と訳あり。
今一度、秤に掛ける。真実か、保身か…?
ケンプたった一人の無罪から、6対6に。
割れに割れ、評決は決まらず、異例の陪審員たちの現場検証。
納得いくまで自分たちの目で見、自分たちで話し合い、遂に至った。
評決は…。
これで良かったのだ。
これで良かったのだと信じたい。
裁判を終え、剣と天秤を持つ女神像の前で、ケンプと検事が話し合う。
お互い、サイスや事件に関して疑念を持った身。
これで良かったのか…?
これで良かったのだ。
各々通した“正義”でもある。
真実や真犯人は明かされないままか…?
それはフィクションの中だけでしかないのか…?
常に弱者の立場に立って正義を訴えてきたイーストウッド作品に於いて、意外な結末…かと思った。
子供も産まれ、自分の幸せの“正義”を選んだケンプの前に、思わぬ訪問者。
それはその訪問者にとって、やはり納得いかなかった事を正す“正義”である。
ケンプにとっては、あのラストシーンの後。彼の今後の人生や妻子の事を思うとバッドエンドのようにも思えるが、ただ後味が悪いだけではない。
真実と正義。今一度、人は変われると証明するチャンス。
今度こそ、真に秤に掛けて。
難しい役所に挑み、見事応えた、ニコラス・ホルトの複雑内面演技。
トニ・コレットもさすがの巧助演。
J・K・シモンズとキーファー・サザーランドはちょっと勿体なかったかな…。
派手な作風ではないが、2時間コンパクトに纏め、終始見る者を引き付け、離さない。
キャリア集大成は言い過ぎかもしれないが、じっくりと社会派とエンタメを融合させた円熟の手腕は一つの頂の域。
最後かもしれない作品でも、正義を訴え、人間を正面から真っ直ぐ見据える。
クリント・イーストウッドはブレない男であり続けた。
配信になったらすぐ見ようと思っていたが、今年のトリのお楽しみに。仕事が忙しくて見る時間も無かったけど。
やっと短い年末年始休み。今年のベスト級…とまではいかないが、締め括りに良し。
それでは皆様、良いお年を!