「重力と自由とタイトルの考察」機動戦士Gundam GQuuuuuuX Beginning MP0さんの映画レビュー(感想・評価)
重力と自由とタイトルの考察
最近の大型アニメ作品は序章(0話)や第1話を拡大枠で放送したり映画で先行上映したりする傾向にあり、本作(81分)もその例に漏れず二毛作。
前半はタイトルのBeginningという事で序章、後半はポスターなどに描かれているマチュらキャラクターが登場する第1話のTV放送版を再編集したものといった構成。
キャラクターデザインなどはややデフォルメ感が強く可愛らしく、スタジオカラーの手が加わったガンダムやガンタンクなどの刷新されたデザインのMSは斬新で迫力の戦闘シーンなども流石でした。
しかし、ここから物語が始まるといった展開なので様々に張り巡らされたであろう伏線は本編に投げっぱなし。これで一つの映画として評価しろというのは無理です。面白いか面白くないかでいえば面白い。古参の『機動戦士ガンダム』(所謂ファーストガンダム)をよく知っている人ほど面白く感じるでしょう。
けれどあくまでも本編に引き込むための作品。ファーストガンダムをあまり知らない人、記憶が曖昧な人はバンダイチャンネルで1話だけでも見直してから鑑賞がお勧めです。(全40話観れば尚良し)
なので初見やニワカ殺しすぎるので評価は可もなく不可もなく★3.5としました。
ガンダムの時系列としては『機動戦士ガンダム』の「宇宙世紀(U.C.)」ですが分岐してスピンオフ的な位置付け。パンフレットで鶴巻監督は"仮想戦記"と呼んでいます。
正史では開発中だった連邦軍のMSガンダムにアムロ・レイが乗り込み、そのまま紆余曲折を経て正パイロットとなりますが、本作ではシャアが強奪。
リバースエンジニアリングをしてジオン軍のMS開発を加速(主人公機GQuuuuuuXなど)。強奪機は改修してシャア専用の紅いガンダムに。
更に強襲揚陸艦ペガサス(ホワイトベースの1番艦)まで鹵獲するなどで、やりたい放題。
シャアはルナツーでの作戦中にゼクノヴァ暴走事故により行方不明(異世界転生か世界線の移動なのかは現時点では不明)。
一年戦争はタイトルから連想される通りジオンの勝利で終わったその後のU.C.0085のサイド6が舞台となっています。
ここからは主観とタイトルについての考察ですが、シャアの声優をあえて変えたのもこれが正史ではない作品だからなのだと思います。
シャアというイメージが固定化された定番のキャラクターと定番のセリフを使いながらも、何処かいつもと違うイントネーション。Beginningでの出番は多い割にセリフもやや無理やり言わせているっぽさを感じる人もいるかも。
そのニセモノっぽさ、正史との差別化こそが作品の狙いなのだと思います。
本作の主人公マチュは宇宙生まれ、宇宙育ちのスペースノイドで、サイド6で暮らす女子高生。(制服姿は起伏が少なく幼く見えるが、パイロットスーツになると…)
地球の本当の重力(不自由)を知らず、コロニーが遠心力で作り出す重力に疑問を感じています。
「空って自由ですか?」
マチュの純粋な問いは、作品の根幹に繋がっているように思えます。
タイトルであり、MSの仮初めの機体名GQuuuuuuXは推察するに「ジークジオン(Sieg Zeon)」に音を充てたGQ、Gundamに謎(Q)、Xはこの劇場版で度々登場するヒート"アックス"やビームサーベルが切り結ぶシーン、「刻が見える」発言による時間軸(じくぅぅぅぅぅぅ=時空=世界線)のクロスオーバー、またローマ数字のX(10)とuuuuuu(6)でガンダムシリーズ16作品目をかけた遊び心。
Qは小文字で表記するとqで数字の9や重さの単位g(グラム)に似ているので重力を表し、uuuuuu(6)はひっくり返っているので反転し無重力を意味でしょうか。
一年戦争から6年後の世界の意味も含まれているかもしれません。
まぁ、監督たちがサンライズから許可をもらった事で子供がガンプラで戦争ごっこするように一番自由に描いていますよね。(褒め言葉)
これが庵野監督の「シン」シリーズの一つとしてシン・ガンダムにつながる物語の前哨戦(?)
ガンダムに搭乗しなかったアムロたちという世界線で宇宙を取られて連邦軍はもう勝ち筋の見えない中でどうなっていくのか勝手に期待してしまっています。