「真犯人が関係者を一堂に集めて名探偵気どりで自らの優越性を明かしてマウントをとる映画(笑)」リライト じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
真犯人が関係者を一堂に集めて名探偵気どりで自らの優越性を明かしてマウントをとる映画(笑)
冒頭からクソ寒い茶番を見せられて、
「おいおいなんだこれ、ひでーな」
と思わざるを得なかったのだが、
あとから、「あれは茶番でした」と
ちゃんと種明かしがありまして(笑)。
じゃあ、……しょうがないね!
早回しのような気の乗らない演出も、
ステロタイプすぎる高校生のラブも、
棒読みのような未来人のダサ演技も、
みんな「実はわざとやってました」と。
そういわれちゃあ、納得するしかない。
いちおう、中盤で明かされるネタに向かって、さまざまな伏線が回収されながら収束していく過程で、前半戦で展開されていた「大林宣彦」的で「時をかける少女」的なドラマは、すべて(転校生側からすれば)「茶番」であり、必要に駆られての「小芝居」だったことが明かされる。
要するに、前半のノリがダサかったのには相応の「理由」があり、すべてはとある「ネタ」のために奉仕する本格ミステリマインドの強い作品であったことが明らかになるわけだ。
僕は、そういう「頭で考えた」「ネタ重視の」物語は大好物だし、実際、ネタばらしがあって以降は、普通に楽しんでみることができた。
とはいえ。
この話は、やっぱりどちらかというと「小説向け」で、「映像向け」ではないような気がする(ちなみに原作は未読です)。
テクストによる「情報」の形で読んだほうが、間違いなくお話の「真実味」は高く感じられたはずだ。小説だと、ネタにとって不都合な部分や余分な要素は適当にぼかして認識できる部分もあるし、言葉で説明された「現象」は「概念」として比較的無理のない形で受容され、消化されるからだ。
だが、それが「映像化」となると、若干話は変わって来る。
実際に起きていた様子を視覚的に認識しようとすると、33回のリピート要素も、33人の分裂要素も、ほぼ「コント」にしかならないからね。
映画として観ちゃうと、この物語の仕掛けについては「おいおい、そんなことあるわけねーだろ!!(笑)」という印象のほうが、どうしても強くなってしまう……。
松居大悟監督も脚本の上田誠もそこのところはよくわかっているから、明らかに同窓会終盤の「種明かし回想」に関しては、「笑い」に寄せて撮っている。
実際、僕の観た映画館では、夏祭りのシーンや学校中にカップルがいるシーンでは、くすくす笑いがあちこちで上がっていて、観客も明快に「コメディ」として観ている気配だった。
とくに、あの青汁王子みたいな顔した手配師の青年が、謝罪と絶望の叫びをあげたときに、劇場内では観客がどおおぉっと笑いで湧いたのでした。
(倉悠貴くんって『六人の嘘つきな大学生』の一ツ橋大生からはずいぶんイメージ変えてきてて偉いなあ。)
原作小説の場合は、たぶん「2人とか3人とか、そういうレヴェルじゃなくて……実は全員なんですよ(どやっ)」っていうのが、どういう書き方や叙述を用いているかは知らないが、本格ミステリのどんでん返しみたいにびしっと決まってるんだと思う。ある種の「絵空事のネタ」「気の利いた逆説」(チェスタトンみたいな)として機能していて、逆に「それくらい無謀なネタにしたからこそ、ぶっ飛んでて面白かった」ということなのだろう。
だがこれを映像でやると、「いやいやいやいやいや、そりゃさすがに無理あるよね???」という、素直で素朴な抵抗感がどうしても先立ってしまう。
だって、33人同時攻略だよ? 同じ学校の敷地や同じ神社の境内に33組がひしめき合ってるんだよ? しかもその片方は全部おんなじ転校生だ。
そりゃお互い見つかるだろうし、ぶつかるだろうし、必ず齟齬が生じる。
たった2人でそれを差配しきることなんて、実質できるわけがない。
だいたい、全員とハグしてお別れにまで持っていけるわけないじゃん。
転校生の保彦自身が「同じではなかった、一人ひとりまったく違う日々だった」みたいなことを言っていたが、性格も男の好みも全く異なる女子たち全員に、付き合っている気持ちにさせて、イチャコラ疑似恋愛を繰り広げたあげく、本を書くことを約束させて消えるって、どんだけハードル高いタスクだと思っているのか? まして後半戦は男の可能性もあるって話でクラス全員の男とデートして一緒に花火見てハグしてお別れしたっていうんでしょ? いやいや、そんなの絶対、無理だから。
それに転校生君、雰囲気はあるかもしれないけど、別に誰もが恋に落ちるほどにはかっこよくないし(笑)。なんか偽結弦君みたいな……あ、すいません。
未来人だからって、女子が全員「未来人であること自体に惹かれる」なんてこともないと思うし(『ドラえもん』のひみつ道具のような、誰にでもモテる未来の香水とか使ってたら話は別だけど)。
「僕たちのことを小説に書いてよ」と保彦に言われて全員が「書くね」って約束するのも、全員があの年になるまで保彦との思い出を口にしてないのも、お互いにやってたことがバレてないのも、すべてが到底「あり得ない」。
実写になると、どうしてもそういうリアリティのゆるさが猛烈に気になるようになる。
だから、実写化としては悪くはないけど、もう一押しかな、と思わざるを得ない。
きっとそもそも無理があったんだよね、この原作を映画化すること自体に。
(これがアニメだと意外とすんなり受け入れられた気がするんだけどね。あれはもともと絵空事のメディアだから)
― ― ― ―
尾道、転校生、ラベンダーの香り、理科実験室、地震、
尾見としのり、石田ひかり……。
本作には、明快な大林宣彦オマージュの要素が散見される。
とくに『時をかける少女』については、
ほぼ「元ネタ」に近いような扱いだ。
それはそれでいい。
でも、「リスペクト」かって言われると、
あんまりそんな感じもしないんだよね。
Wikiには、松居大悟が大林をリスペクト
してるって書いてあるけど本当だろうか?
大林映画に対する溢れるような共感とか、
独特のスタイルに向けての熱い憧憬とか、
そういう「リメイクする側の愛と執着」が
正直この映画からは感じられないんだよなあ。
むしろ斜に構えて、軽くバカにしている感じすらある。
型だけ踏襲しつつも、全体を醒めた目で見ている感じが否めない。
でも、松居大悟と上田誠は、大林青春映画の祖型をまるっと援用することで、33人全員が転校生とひとときのかけがえのない恋(もしくは友情)をはぐくむという「嘘くさい」ネタを「ありそうな」ネタにすげ替えようとしているわけじゃないですか。
「尾道で、転校生で、ラベンダーの香りなら、なんかもう恋に落ちちゃってもおかしくなくね?」みたいな(原作の舞台は静岡らしいから「わざわざ」大林に寄せてるわけだ)。
それならば、もう少しそれなりの敬意というか、大林の成果物を「利用」している申し訳なさみたいなのはにじみ出ててもいいのにな、と思ったのでした。
― ― ― ―
振り返って考えると、『リライト』って結構意地悪な話だと思う。
なにせ、宣伝文句のキーフレーズが「これは『私だけの物語』のはずだった」なわけで。
要するに、
「え? もしかして自分だけがヒロインだとか思ってました?? プークスクス」
「ひと夏の思い出にすがって生きてきたんすか?? ぷぷぷぷ、残念でした~~」
これって、そういう話だから。
ここで描かれるのは、一言でいえば、主人公属性の嘲弄である。
個々人にとっての「かけがえのない青春」をあざけり、
「自分だけの特別な思い出」を客体化、相対化し、
それに想いを込めて生きてきた10年の努力をあざ笑う。
なにせ、自分と同じ「特別なひと夏」を実はクラス全員が体験していたというだけではない。相手の転校生は、自分のことが好きでもないのに粉をかけてきて、未来に帰るという自身の目的のために「利用」していただけだったのだ。
まあまあひどい話である。
そのせいで、自分が10年後に死んでいることを知って荒れたやつもいたし、クラスの半分以上が文筆系の仕事を目指すという、ある種の歪みが生じている。
そんな20代の全てを捧げた職業選択のきっかけが、実は「茶番でした」って、むしろ知らないままのほうが良かったくらいの爆弾情報ではないか。
結局、未来へ本を残せた「33番目の少女」も、
本当にそれで幸せになれたのかどうか。
だって、人の書いた小説のリライトするんだよ??
それでプライドが保てるもんなのだろうか??
俺なら屈辱的すぎて耐えられないけどなあ。
人生を懸けて挑むチャレンジが、人の剽窃だとか。
そんなことに10年の年月をかけるのって、
マジでしんどくないか??
だいたい、そのことで「保彦に選ばれて」
一体どうなるというのか?
保彦が読む本が自分の「盗作」した本
だったとして、それって勝ちなの??
実際、ヴィランみたいな扱いで描かれてるけど、
少なくとも第三者的に見て、僕には、
「この本の著者の地位を勝ち取ること」にも、
保彦の一番であり続けようとすることにも、
ほとんど前向きな価値を見いだせない……。
要するに、この子は単純に、
いま生きている地獄から抜け出す
「方便」が欲しかったのだろう。
そして、池田エライザにだけは、
死んでも負けたくなかったのだ。
陰キャの文学少女として、
陽キャの文学少女にだけは。
図書館での二人のラストバトルでは、
両者がその背景に気づいたからこそ、
あの「本の交換」が成立したわけだ。
― ― ― ―
結局、転校生(未来人)の保彦くんって、
誰とも本気じゃなかったわけだし、
池田エライザだって、橋本愛だって、
彼からすれば、別にどうでもよかったんだよね。
ただ、帰れなくなってパニックになって、
手あたり次第に口説き倒して、
33番目のチャレンジでようやく未来へ帰った。
(追記:後から教えてもらったが、実は帰れていないらしい)
でも、その過程で、保彦がただ一人心を開き、
全幅の信頼を抱いて、人の流れの調整を任せ、
33回、苦楽を共にした「相棒」が一人だけいる。
そう、倉悠貴くん演じる、酒井茂だ。
言い換えれば、本作は「映画の主人公」の座を
池田エライザと橋本愛が奪い合いながら、
最後には倉悠貴が全部かっさらってゆく、
そういう話でもある。
なんといってもスタッフからの「愛され方」が違う。
保彦と池田エライザのシーンも、
保彦と橋本愛のシーンも、実際は
通り一遍で陳腐で学芸会テイストだが、
保彦と酒井茂のシーンだけは、
自然でコミカルで感情移入が可能だ。
それどころか、そこだけ濃密なBLの香りが漂う。
結局、この物語ではいろんなヒロインが、
自分だけのせつないひと夏の恋を夢見たが、
主演俳優が「絆」を結んでいた相手は、
ヒロイン役ではなくて、舞台監督だった。
「同じ」思い出を共有する33人と違って、
「特別な」思い出を手に入れたのは、
協力者である酒井茂ただひとりだった。
彼はヒロイン争奪戦の「真の勝者」なのである。
考えてみると、この映画のなかで起こっているほぼ「すべてのこと」が、酒井茂の綿密なプログラムに則って計画的に実行されている。
出逢いも、展開も、恋愛も、すべては、酒井茂の「演出」によるものだ。
茂はその後の各人の動向にも気を配っているし、荒れてしまった友人にも真摯に手を差し伸べている。
さらには、全員を集めての種明かし(同窓会)もまた、酒井茂のエゴによって開かれたものであり、彼が企画し、彼が人を集め、全員がそろったところで「過去の真実」を自ら露呈した。
その意味では、本作は「あやつり」テーマのミステリだということもできるし、「謝罪」の形でただ一人異なる夏を過ごした優越性をクラスメイトに知らしめて「マウント」をとる「真犯人=名探偵=酒井茂」の活躍を愛でる映画だとも言うことができそうだ。
最後に。
映画を観終わったあとに、
初めて予告編をネットで観たけど、
これ明らかなネタバレでしょ?
ここまで言っちゃったら
せっかくのネタが台無しだと思うんだけど……。
コメントありがとうございます。
友恵が『エンドレス~』を書く未来が確定しないと、というか美雪がループを閉じない限り保彦は未来に帰れませんからね。
保彦が10年間をどういう気持ちで過ごしたかとか、友恵との関係性なんかは色々と想像が膨らみます。
本作は原作からかなり変えてあり、『リライト』のリライトといった印象でした。
巻き戻して確認できない劇場作品として、非常に上手く翻案したなぁと感心する反面、元の作風で見たかったという気持ちもあり…
ちなみに1冊あたりは長くないとはいえ4部作だったりもします。(当初は『リライト』単巻の予定だったため1作目だけでも問題ナシ)
相当に混乱しますし読破してもスッキリしないので、お薦めはしませんが。笑