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最初にネタバレあり設定に関して補足しておくと、このレビューは映画版を鑑賞済みの方に読でもらうことを想定していて、原作小説との主要な違いについても言及する。小説、映画それぞれの本格的なネタばらしをするつもりはないが、当然ながら小説には独自の面白さがあり、もし原作をなるべく予備知識ない状態で読んでみたい、映画で腑に落ちなかった点などを自分なりに原作でチェックしたいという方には、当レビューより先に小説を読むことをおすすめしたい。あと、思った以上に長いレビューになってしまったので、できればお時間のあるときにお付き合いいただければ。
ではまず、法条遥が2012年に発表した小説「リライト」と、劇団ヨーロッパ企画主宰としても知られる上田誠の脚本と松居大悟のメガホンによる映画版の主要な違いとその意味合いについて、軽めのネタバレを含めつつ5項目を挙げたい。
1. 物語の舞台となる場所
法条遥は1982年生まれ、静岡県焼津市出身の男性作家。小説の主な舞台は静岡市だが、映画化に際して大林宣彦監督作「時をかける少女」(筒井康隆原作、1983年)へのオマージュとして広島県尾道に変更している。恥ずかしながら映画初見時の凡ミスを白状すると、劇中で保彦が「この町を舞台にした本が好きで、この時代に来た」と美雪に話したとき、はいはい「時かけ」ね、と早とちりしてしまった。その後の保彦との会話から自分の勘違いに気づいたが、もちろん正しくは本作の中でカギとなる登場人物の誰かがのちに書く小説のこと。蛇足ながら、映画の登場人物は誰も「時をかける少女」を知らない、つまり「時かけ」が存在しない世界線の物語でもある。
2. 主要キャラの年齢と時代
小説では美雪を含むクラスメイトたちは中学2年生で、保彦からもらった薬で1992年7月から10年後の2002年7月にタイムリープする。いっぽう映画では美雪たちは高校3年で、2009年7月から10年後の2019年7月にタイムリープする。小説で13~14歳だったのが映画で17~18歳の設定に変更された理由として、主に2つの事情が考えられる。
①主要キャラだけでも10人近くいるので、生徒時代と成人後を同じ俳優が演じたほうがわかりやすい。一般に成長に伴う外見上の変化は13歳と23歳より、17歳と27歳のほうがが少ないはずだから、同じ俳優が演じる前提なら後者のほうが違和感も少ない。
②主要キャストのキャリアと知名度、それらから見込まれる集客と興行収入、つまりは大人の事情。同級生役の中では1996年生まれの池田エライザと橋本愛が年長で、20代半ばから後半の実年齢のキャストを揃えたようだが、もし彼ら彼女らが13歳と23歳を演じ分けるとしたらどうだろう。30手前の俳優が中2を演じるのは、演劇の舞台ならまだしも実写映画では無理があるし、かといってキャスト全体の年齢層を4~5歳下げて10代後半から20代前半までで揃えるとしたら、一定以上の演技力と知名度がある俳優たちを揃えるのにもっと苦労しそうだ。
特に②のほうは日本の商業映画で起こりがちな問題だと思っていて、最近の例では台湾映画「言えない秘密」の同題リメイク(2024)でも、原作の高校生が邦画では大学生に変更されていた。役柄の年齢を上げてよりキャリアの長い俳優を起用するほうが演技面でも興収面でもメリットがあるのは理解できる。だが反面、原作にあった若々しさ、初々しさが損なわれるデメリットがあるのも確か。「リライト」に関して言えば、小説には中2での転校生との出会いがひと夏の淡い初恋の記憶になる甘酸っぱさがあるし、クラス全員に彼氏彼女がいないというのも不自然ではない。でも映画の高3の設定だと、きっと保彦は初恋の相手ではないだろうし、いくら地方都市の高校生とはいえ30人以上の生徒たちに一人も彼氏彼女がいないって無理がないか(男子生徒には彼女がいたとしても保彦との秘密の交友はできなくもないが、あの20日間は彼女からかなり疑われるはず)。
3. 10年後へのタイムリープで重要なもの
これは前項の時代の変更にも関係している。原作小説では保彦を助けるため10年後から携帯電話を持ち帰る。1992年の中学生にとって携帯電話は見慣れない機械だ。いっぽう映画の序盤では、高校生の美雪が10年後の美雪から自分が書いた小説の見本版を見せられる。これは時代の変更に伴う妥当な改変だろう。2009年の高校生にとって携帯はもはやありふれたものだし、原作に忠実に未来から持ち帰った携帯で保彦を助ける筋だったら陳腐なエピソードになりかねない。物語におけるキーアイテムを小説に絞ったのは映画らしい秀逸な改変と評価できる。
4. SFらしい設定とガジェットの変更
設定に関して端的に比較するなら、原作小説は時間旅行系SFの伝統的な約束事により忠実で、映画はそれを大幅に緩めている。原作ではタイムリープした先で自分に会うことも会話することもできない。これは歴史が改変されパラドックスが生じるのを防ぐためで、そうした制約を前提にストーリーを構築した時間旅行系SFの傑作も数多い。いっぽうの映画版では、その約束事をあっさり反故にして、タイムリープ先で自分に会って話もできる。このあたりは、SFらしい約束事が大事だと思うか、エンタメとして楽しめれば細かいことは気にしないか、まあ好みの問題だろうか。
同様に、SFガジェットについても違いがある。原作では、保彦の身を守るバリア、傷を瞬時に直す器具、生徒たちの位置情報をモニター表示できる装置などが登場する。協力者の茂はこのモニター装置を利用して多数の保彦と同伴者が鉢合わせないようにしていた。いっぽう映画版ではモニター装置などが登場せず、茂は大判のノートに舞台作品の香盤表よろしく保彦と同伴者の動線を図示してそれを実行させている。このアナログな手法で乗り切るくだりには演劇っぽい無茶苦茶さがあり、上田誠による脚本ならではの笑えるポイントだろう。
5. ダークなミステリ要素
原作小説では連続殺人事件が起き、犯人の正体と動機が謎解き要素としてストーリーに暗い影を落とし続ける。終盤のカラオケボックスでの場面も、原作のほうがはるかに深刻で、緊迫した状況だ。友恵がどんな意図で、何をしたのかも、ラストに衝撃的な形で明かされる。小説「リライト」の刊行時、早川書房は「SF史上最悪のパラドックス」というキャッチコピーで宣伝したし、「時をかける少女」のバッドエンド版とも評された。脚本・上田誠と松居大悟監督による映画版では、そうしたダークな要素を大幅にそぎ落とし、よりライトな(明るい・軽い)、よりポップな青春エンタメ作品に“リライト”した。
私の場合、映画→小説→映画の順で楽しみ、初見では気づかなかった細部や理解不足だった部分を二度目の鑑賞で確認し納得できたものもいくつかあった。先に小説を読んでいた方が映画を観て抱く感想もまた違うだろう。両者の異なる仕掛けや魅力を比較して楽しむ人が増えるといいなと思う。