リライトのレビュー・感想・評価
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簡単な記録。 序盤タイトルでるまでは、うーん…っていまいち乗り切れ...
恥ずかしながら、「舟を編む」つながりで
劇場映画を追っていたらそんな暇がないのでテレビ・ドラマは全く見ないのですが、たまたま目にしてから離れられなくなったのがNHKの『舟を編む』でした。それが映画の感想にも影響しようとは。
大林宣彦監督の『時をかける少女』を明らかに意識した、尾道を舞台としたタイムリープ物語です。十年後の自分に会いに行くという設定を複雑に組んでいるのですが、かなりうまくまとめられています。時間軸をいじくるお話はもうウンザリと思っていた僕も、若い時代のモヤモヤをくすぐる本作は妙に心に残りました。
何より「舟を編む」で急に気になり始めた池田エライザさんの魅力に惹かれます。「舟を編む」と同様に、左利きの彼女が文字を書く姿が凄く目を惹くんだよなあ。
尾道・ラベンダーの香りからの連想を覆す
The 青春
「最終日かなりの良作」
走り出す高校生がピーク
まあ一種の青春群像劇なんだろうけど…… いちばん成長したのが美雪 いちばん活躍したけど切なかったのが茂 いちばん得をしたのが友恵 そしていちばん気の毒だったのは室井
タイトルは上記のようにしたのですが、忘れてはならないのは未来からやってきた謎の転校生 園田保彦。悪気はないんでしょうけど、時間のパラドックスに捕まってしまって作戦展開……
思えば深町くんはよかったな。遠い過去にラベンダー等の植物の研究をしにさっと来てさっと帰ってゆきました。和子の深層心理の中に深町くんは残っているのかな。吾郎ちゃんはちょっと切なかったかな。この『リライト』ではあの『時をかける少女』で吾郎ちゃんを演じた 尾美としのりが「初老の」先生役で出てました。時の流れを感じます。時は地球の自転と公転のスピードに従って流れてゆく、そういうものです。
この『リライト』、まあまあ面白かったです。エンタメとしては合格点はつくのではないでしょうか? 観ている最中は、コメディ寄りの箇所ではけっこう笑いましたし(作り手側にコメディにする意図があったかどうかは不明)、ストーリーも楽しめました。で、鑑賞後にこの映画について印象に残っているところはどこ、と訊かれると、私はこんなキーワードをあげるかもしれません。
-物語の舞台は尾道
-未来からやって来た高校生
-その彼に思いを寄せるクラスメイト
-地震が発生する
-ラベンダー
-理科室
-倒れたフラスコ そこから白い煙がもわっ
え、これって…… そう、42年前の映画へのオマージュ。
「『リライト』って観た?」
「観たよ。最初のシーンはモノクロで画面のサイズも違ってた。スキー場だったな」
私の脳内の記憶も「リライト」されてしまったようです。
時をかける系青春映画を逆手に取った
時をかける系青春物語を逆手に取った新感覚ストーリー!
高校生・美雪のある20日間の物語
それは一人の転校生・園田保彦との出会いから始まる
ふとしたことから保彦が未来人だと知ってしまった美雪は「現代のこの町を案内して」とお願いされる
高台から見える海沿いの町、土産に買った風鈴、夏祭りの屋台、そして打ち上げ花火
そんな思い出を残して保彦は去っていく。二人の間にある約束を残して・・・
もはや定番の流れに捻りを加えるのは、保彦が発明した飲用型のタイムマシン
飲むだけで時間旅行ができるのだが、他人が使うと「10年後に10秒だけ」という縛りができてしまう
美雪はその薬で未来の自分から「夏の思い出を小説に書く」と伝えられるのだが、10年後の美雪の前にはなぜか過去の自分が現れない
何かが時間のルールを狂わせているのか?
ちょっとずつ撒かれる違和感をたどっていくと、どうしようもなかった真相が明らかになっていく
脚本の上田さんらしい「必死だからこそ面白い」コメディ要素もあるが、松井監督の魅力も存分に詰まっている
夏×タイムループの傑作の新たな誕生だ
真犯人が関係者を一堂に集めて名探偵気どりで自らの優越性を明かしてマウントをとる映画(笑)
冒頭からクソ寒い茶番を見せられて、
「おいおいなんだこれ、ひでーな」
と思わざるを得なかったのだが、
あとから、「あれは茶番でした」と
ちゃんと種明かしがありまして(笑)。
じゃあ、……しょうがないね!
早回しのような気の乗らない演出も、
ステロタイプすぎる高校生のラブも、
棒読みのような未来人のダサ演技も、
みんな「実はわざとやってました」と。
そういわれちゃあ、納得するしかない。
いちおう、中盤で明かされるネタに向かって、さまざまな伏線が回収されながら収束していく過程で、前半戦で展開されていた「大林宣彦」的で「時をかける少女」的なドラマは、すべて(転校生側からすれば)「茶番」であり、必要に駆られての「小芝居」だったことが明かされる。
要するに、前半のノリがダサかったのには相応の「理由」があり、すべてはとある「ネタ」のために奉仕する本格ミステリマインドの強い作品であったことが明らかになるわけだ。
僕は、そういう「頭で考えた」「ネタ重視の」物語は大好物だし、実際、ネタばらしがあって以降は、普通に楽しんでみることができた。
とはいえ。
この話は、やっぱりどちらかというと「小説向け」で、「映像向け」ではないような気がする(ちなみに原作は未読です)。
テクストによる「情報」の形で読んだほうが、間違いなくお話の「真実味」は高く感じられたはずだ。小説だと、ネタにとって不都合な部分や余分な要素は適当にぼかして認識できる部分もあるし、言葉で説明された「現象」は「概念」として比較的無理のない形で受容され、消化されるからだ。
だが、それが「映像化」となると、若干話は変わって来る。
実際に起きていた様子を視覚的に認識しようとすると、33回のリピート要素も、33人の分裂要素も、ほぼ「コント」にしかならないからね。
映画として観ちゃうと、この物語の仕掛けについては「おいおい、そんなことあるわけねーだろ!!(笑)」という印象のほうが、どうしても強くなってしまう……。
松居大悟監督も脚本の上田誠もそこのところはよくわかっているから、明らかに同窓会終盤の「種明かし回想」に関しては、「笑い」に寄せて撮っている。
実際、僕の観た映画館では、夏祭りのシーンや学校中にカップルがいるシーンでは、くすくす笑いがあちこちで上がっていて、観客も明快に「コメディ」として観ている気配だった。
とくに、あの青汁王子みたいな顔した手配師の青年が、謝罪と絶望の叫びをあげたときに、劇場内では観客がどおおぉっと笑いで湧いたのでした。
(倉悠貴くんって『六人の嘘つきな大学生』の一ツ橋大生からはずいぶんイメージ変えてきてて偉いなあ。)
原作小説の場合は、たぶん「2人とか3人とか、そういうレヴェルじゃなくて……実は全員なんですよ(どやっ)」っていうのが、どういう書き方や叙述を用いているかは知らないが、本格ミステリのどんでん返しみたいにびしっと決まってるんだと思う。ある種の「絵空事のネタ」「気の利いた逆説」(チェスタトンみたいな)として機能していて、逆に「それくらい無謀なネタにしたからこそ、ぶっ飛んでて面白かった」ということなのだろう。
だがこれを映像でやると、「いやいやいやいやいや、そりゃさすがに無理あるよね???」という、素直で素朴な抵抗感がどうしても先立ってしまう。
だって、33人同時攻略だよ? 同じ学校の敷地や同じ神社の境内に33組がひしめき合ってるんだよ? しかもその片方は全部おんなじ転校生だ。
そりゃお互い見つかるだろうし、ぶつかるだろうし、必ず齟齬が生じる。
たった2人でそれを差配しきることなんて、実質できるわけがない。
だいたい、全員とハグしてお別れにまで持っていけるわけないじゃん。
転校生の保彦自身が「同じではなかった、一人ひとりまったく違う日々だった」みたいなことを言っていたが、性格も男の好みも全く異なる女子たち全員に、付き合っている気持ちにさせて、イチャコラ疑似恋愛を繰り広げたあげく、本を書くことを約束させて消えるって、どんだけハードル高いタスクだと思っているのか? まして後半戦は男の可能性もあるって話でクラス全員の男とデートして一緒に花火見てハグしてお別れしたっていうんでしょ? いやいや、そんなの絶対、無理だから。
それに転校生君、雰囲気はあるかもしれないけど、別に誰もが恋に落ちるほどにはかっこよくないし(笑)。なんか偽結弦君みたいな……あ、すいません。
未来人だからって、女子が全員「未来人であること自体に惹かれる」なんてこともないと思うし(『ドラえもん』のひみつ道具のような、誰にでもモテる未来の香水とか使ってたら話は別だけど)。
「僕たちのことを小説に書いてよ」と保彦に言われて全員が「書くね」って約束するのも、全員があの年になるまで保彦との思い出を口にしてないのも、お互いにやってたことがバレてないのも、すべてが到底「あり得ない」。
実写になると、どうしてもそういうリアリティのゆるさが猛烈に気になるようになる。
だから、実写化としては悪くはないけど、もう一押しかな、と思わざるを得ない。
きっとそもそも無理があったんだよね、この原作を映画化すること自体に。
(これがアニメだと意外とすんなり受け入れられた気がするんだけどね。あれはもともと絵空事のメディアだから)
― ― ― ―
尾道、転校生、ラベンダーの香り、理科実験室、地震、
尾見としのり、石田ひかり……。
本作には、明快な大林宣彦オマージュの要素が散見される。
とくに『時をかける少女』については、
ほぼ「元ネタ」に近いような扱いだ。
それはそれでいい。
でも、「リスペクト」かって言われると、
あんまりそんな感じもしないんだよね。
Wikiには、松居大悟が大林をリスペクト
してるって書いてあるけど本当だろうか?
大林映画に対する溢れるような共感とか、
独特のスタイルに向けての熱い憧憬とか、
そういう「リメイクする側の愛と執着」が
正直この映画からは感じられないんだよなあ。
むしろ斜に構えて、軽くバカにしている感じすらある。
型だけ踏襲しつつも、全体を醒めた目で見ている感じが否めない。
でも、松居大悟と上田誠は、大林青春映画の祖型をまるっと援用することで、33人全員が転校生とひとときのかけがえのない恋(もしくは友情)をはぐくむという「嘘くさい」ネタを「ありそうな」ネタにすげ替えようとしているわけじゃないですか。
「尾道で、転校生で、ラベンダーの香りなら、なんかもう恋に落ちちゃってもおかしくなくね?」みたいな(原作の舞台は静岡らしいから「わざわざ」大林に寄せてるわけだ)。
それならば、もう少しそれなりの敬意というか、大林の成果物を「利用」している申し訳なさみたいなのはにじみ出ててもいいのにな、と思ったのでした。
― ― ― ―
振り返って考えると、『リライト』って結構意地悪な話だと思う。
なにせ、宣伝文句のキーフレーズが「これは『私だけの物語』のはずだった」なわけで。
要するに、
「え? もしかして自分だけがヒロインだとか思ってました?? プークスクス」
「ひと夏の思い出にすがって生きてきたんすか?? ぷぷぷぷ、残念でした~~」
これって、そういう話だから。
ここで描かれるのは、一言でいえば、主人公属性の嘲弄である。
個々人にとっての「かけがえのない青春」をあざけり、
「自分だけの特別な思い出」を客体化、相対化し、
それに想いを込めて生きてきた10年の努力をあざ笑う。
なにせ、自分と同じ「特別なひと夏」を実はクラス全員が体験していたというだけではない。相手の転校生は、自分のことが好きでもないのに粉をかけてきて、未来に帰るという自身の目的のために「利用」していただけだったのだ。
まあまあひどい話である。
そのせいで、自分が10年後に死んでいることを知って荒れたやつもいたし、クラスの半分以上が文筆系の仕事を目指すという、ある種の歪みが生じている。
そんな20代の全てを捧げた職業選択のきっかけが、実は「茶番でした」って、むしろ知らないままのほうが良かったくらいの爆弾情報ではないか。
結局、未来へ本を残せた「33番目の少女」も、
本当にそれで幸せになれたのかどうか。
だって、人の書いた小説のリライトするんだよ??
それでプライドが保てるもんなのだろうか??
俺なら屈辱的すぎて耐えられないけどなあ。
人生を懸けて挑むチャレンジが、人の剽窃だとか。
そんなことに10年の年月をかけるのって、
マジでしんどくないか??
だいたい、そのことで「保彦に選ばれて」
一体どうなるというのか?
保彦が読む本が自分の「盗作」した本
だったとして、それって勝ちなの??
実際、ヴィランみたいな扱いで描かれてるけど、
少なくとも第三者的に見て、僕には、
「この本の著者の地位を勝ち取ること」にも、
保彦の一番であり続けようとすることにも、
ほとんど前向きな価値を見いだせない……。
要するに、この子は単純に、
いま生きている地獄から抜け出す
「方便」が欲しかったのだろう。
そして、池田エライザにだけは、
死んでも負けたくなかったのだ。
陰キャの文学少女として、
陽キャの文学少女にだけは。
図書館での二人のラストバトルでは、
両者がその背景に気づいたからこそ、
あの「本の交換」が成立したわけだ。
― ― ― ―
結局、転校生(未来人)の保彦くんって、
誰とも本気じゃなかったわけだし、
池田エライザだって、橋本愛だって、
彼からすれば、別にどうでもよかったんだよね。
ただ、帰れなくなってパニックになって、
手あたり次第に口説き倒して、
33番目のチャレンジでようやく未来へ帰った。
(追記:後から教えてもらったが、実は帰れていないらしい)
でも、その過程で、保彦がただ一人心を開き、
全幅の信頼を抱いて、人の流れの調整を任せ、
33回、苦楽を共にした「相棒」が一人だけいる。
そう、倉悠貴くん演じる、酒井茂だ。
言い換えれば、本作は「映画の主人公」の座を
池田エライザと橋本愛が奪い合いながら、
最後には倉悠貴が全部かっさらってゆく、
そういう話でもある。
なんといってもスタッフからの「愛され方」が違う。
保彦と池田エライザのシーンも、
保彦と橋本愛のシーンも、実際は
通り一遍で陳腐で学芸会テイストだが、
保彦と酒井茂のシーンだけは、
自然でコミカルで感情移入が可能だ。
それどころか、そこだけ濃密なBLの香りが漂う。
結局、この物語ではいろんなヒロインが、
自分だけのせつないひと夏の恋を夢見たが、
主演俳優が「絆」を結んでいた相手は、
ヒロイン役ではなくて、舞台監督だった。
「同じ」思い出を共有する33人と違って、
「特別な」思い出を手に入れたのは、
協力者である酒井茂ただひとりだった。
彼はヒロイン争奪戦の「真の勝者」なのである。
考えてみると、この映画のなかで起こっているほぼ「すべてのこと」が、酒井茂の綿密なプログラムに則って計画的に実行されている。
出逢いも、展開も、恋愛も、すべては、酒井茂の「演出」によるものだ。
茂はその後の各人の動向にも気を配っているし、荒れてしまった友人にも真摯に手を差し伸べている。
さらには、全員を集めての種明かし(同窓会)もまた、酒井茂のエゴによって開かれたものであり、彼が企画し、彼が人を集め、全員がそろったところで「過去の真実」を自ら露呈した。
その意味では、本作は「あやつり」テーマのミステリだということもできるし、「謝罪」の形でただ一人異なる夏を過ごした優越性をクラスメイトに知らしめて「マウント」をとる「真犯人=名探偵=酒井茂」の活躍を愛でる映画だとも言うことができそうだ。
最後に。
映画を観終わったあとに、
初めて予告編をネットで観たけど、
これ明らかなネタバレでしょ?
ここまで言っちゃったら
せっかくのネタが台無しだと思うんだけど……。
笑って過去を語れる人へ
美雪は、高3の夏、転校生としてクラスに入り込んだタイムトラベラー・保彦と親密になり、その経験に将来を決定づけられた作家である。10年後、美雪の身に起きるはずの出来事が不発に終わったことを皮切りに、2人が過ごした20日間の真実が明らかにされていく。
『時をかける少女』のオマージュを全面に押し出したプロモーションがされていた本作だが、作品の方向はジュブナイルとは異なっていた。少年少女の未来や可能性が無限であることに立脚した物語が『時をかける少女』だとすれば、本作は、いかにドラマチックな青春を経ても殆どの者がそこそこの大人に収束することを前提にした物語だった。
登場人物達はそこそこの大人の暮らしに納得しているように描かれてはいるが、彼らの中には10年の間に責任感や義務感に疲弊したり、挫折して罪悪感に苦しんだ者もいたのではないだろうか。特に幾人かにとっては、未来を実現させるために苦労や努力を重ねた末に梯子を外された向きがあり、彼らが遠い目をして笑う度に胸が苦しくなった。
騒動に関わる人数の多さが面白味の一つではあるのだが、それがかえって、彼らの10代終盤のヒーロー・ヒロイン願望の焼け木杭、あるいは『何者かにはなれるだろう』という漠然とした自信と、自立へ全振りするしかないエネルギーを雑に搾取したように見えて残念だった。
過去は現在の礎である。本作は、自分の現在をおおむね気に入った上で、過去の苦労もダサさも輝きも笑って語ることができる人や、苦境に勝利した経験のある大人に向けた世界観なのだろう。
シニカルな視点やウェットな感性がリードする物語の中、同窓会の茂の告白から始まるわちゃわちゃしたパートは脚本の上田氏の作風そのままという印象で、浮いている気がした。クリエイターの競演も本作の目玉の一つであるが、シリアスとユーモアのバランスや方向づけが時折突飛になる瞬間に、得意分野が異なるクリエイターどうしの共作の難しさが見えた気がした。
一人から始まる物語が散らばり、オープンエンドに近い部分もあるため散漫な印象は残るものの、事前情報から予想していたものが裏切られる感覚や、夏の表現、タイムリープものの暗黙を壊していく展開は楽しめた。
壮大な騙し
細かい設定は置いておいて、発想としての一クラス分の”嘘”を思いついた原作に先ずは敬意を表したい
池田イライザの日本人離れした顔立ちの、やっぱりの出自が今回も華を添えている作品である
アイデアの勝ちな出来映えであった
これは最高のリライト
原作既読。原作は主人公の一人称で語られるのだけど、その語り手の名前がコロコロと変わって、読んでる間に大混乱する難解な小説だった(それが狙いなんだろうけど)。アイデアは面白かったのだけど、読み続けるのが途中から苦痛になってきて、早く終わってくれーと思いながら読んでいた。
その原作を、タイムリープものの名手である上田誠さんがうまく「リライト」してくれた。原作では中学生だった設定を高校生に持って行ったのも正解だし、舞台を原作の静岡から「あの」尾道に移したのも大成功だと思う。特に21世紀になっても相変わらず情緒ある美しい尾道の風景を現代の映像技術で大きなスクリーンで観られたのはよかった。女性4人の居酒屋のシーンや、同窓会の1次会のわちゃわちゃした雰囲気も好きだ。
原作は"史上最悪のタイムパラドクス"と言われているそうだけど、そこを上田さんはうまいこときれいにまとめてくれてて、うならされた。鑑賞中、もっと見ていたい、まだ終わらないでくれー、と思って見ていたし、全てのストーリーをわかった今、もう一度見ていろいろと答え合せをしたくなってしまう。
小ネタとしては、テキ屋のお兄さんが首からヨーロッパ企画のタオルを下げていたり、他にも探せばあるのかな。
もともと書かれた歴史なら書き換えても良いんだろう
今日あるすべてのタイムリープ物語の原点たる「時をかける少女」を下敷きにした青春SFミステリ小説を原作に「サマータイム・マシンブルース」の上田誠が脚本を書きオール尾道ロケで撮ったというのだから面白くならないわけが無く、そもそもNHKの「タイムトラベラー」を観て育った私たちの世代はタイムリープを普通に日常の現象として受け入れる準備ができており、主人公の美雪(池田エライザ)同様300年後から来たという男の言葉をこれっぽちも疑うことは無いのだがストーリーが進むにつれどこから笑って良いものか、そこがツボの少々悩ましい映画なのかも知れない。「史上最悪のパラドックス」というのだが、繰り返し繰り返し繰り返し繰り返される「パッと光って咲いた」打ち上げ花火の胸キュンデートは未来から来た保彦が読んだ小説の主要部分で相手が誰であろうとこれは避けて通れない、という夏祭りの夜の時間的縛りがあまりにも楽しく綿密な秒刻みのスケジュールに追われる酒井茂(倉悠貴)がドラマを盛り上げ理科室でフラスコが床に落ちるシーンやラベンダーの香りを「お約束」として仕方なく的に盛り込んでいるのも良し。何といってもきれいなタイムループで完結したいと必死な保彦に対して「歴史なんて書き換えちゃえばいいのよ」という〇〇ちゃんの言葉が吹っ切れていて感動しました。
可もなく不可もなく
パラレルワールド的なものが、ドラマでも映画でも、流行っているように思うのですが⋯
結構、こんがらがるタイプでして⋯
33人目の橋本愛さんが未来を変えちゃったの?
変えちゃった未来としても、それがそうなる運命なの?とか考え出すとこんがらがるので⋯
まっ、別になんとなく皆んな幸せに生きてるようだから良いということで。
ただ、前田旺志郎さんのターンは、結構重い内容なのに描かれ方が軽すぎるのでは⋯。
いつも、観る前にスケジュールに打ち込むんですが、
こちら打ち込むのを忘れていて、
3日後に打ち込もうとして、何を観たかをすっかり忘れていた⋯汗
地獄の2時間
園田〜!
筒井康隆も大林宣彦も新しい世代にリライトされて、形を変えて次世代に受け継がれていくのをリアルで観ることができて、本当に良かったです。そもそも、食事でも芸術でも、文化は先人のアイデアをリライト×リライトされて私達に受け継がれていますから。
園田モテまくりですね。未来人は現代人よりも話が楽しいからですね。現代人は勉強になります。
園田は33人と同じことをして最後にはもううんざりしていたので、同じことをずっとやることは人間は苦手なんだろうな。だから、毎日同じことを繰り返す労働者が病むのも良く分かります。
美雪が可愛くではなくかっこよく描かれていて、好感をもちました。ラスト、美雪は10年前の自分に何と言ったのでしょうか?
私も10年後の自分からアドバイスが欲しいなあ。でもそれは不可能なので自分で未来を創造するしかありません。私達も未来だけはリライトできますよ。明日から。
悪くはないが、何かモヤモヤが(~_~;)
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