「宇宙戦艦ヤマト」放送50周年記念セレクション上映 プログラム1のレビュー・感想・評価
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放送50周年か…何もかも、みな懐かしい💧
私は沖田艦長よりも徳川機関長よりも年上になってしまった。
劇場は、そんな世代の観客だらけだった。
「モスクワ、サヨナラを打ち続けています」(第2話)
「全員乗船しました。欠員なし」(第3話)
「古代、命を粗末にするな」(第7話)
藤川桂介による、サラッと流すセリフにこそ感動したりする。
圧倒的に上回る敵戦力に対して、たった一隻の戦艦が立ち向かう孤高の美しさ。
一縷の可能性を見出して勝機を図る冷静沈着な司令官の下で、未熟だった若者たちが見せる成長物語。
死力を尽くしたうえで死ぬのが男の美学か、生き抜くことこそ美しいのか、戦士たちの葛藤。
この時点では、西崎義展プロデューサーと松本零士の熱い思いは共通していた。
第7話では、冥王星にガミラスの前線基地を発見する。そこから遊星爆弾が次々に地球に向けて発射されていたのだ。
ヤマトをかすめるようにして地球の方角に飛んていく遊星爆弾。
沖田艦長は、なるべく戦闘は避けたかったと言う。ヤマトには専守防衛の精神があった。
また、冥王星には生物がいることになっていて、太陽系生物の共有財産である惑星を破壊することは許されないという倫理観が示される。
「…ヤマト」の本放送は低視聴率で、私の小学校のクラスメートの男子は、ほとんどが裏番組の「猿の軍団」を観ていた。
「人類滅亡まであと364日」「363日」と、毎週1日づつ減っていくので、1年間を描くには7年かかるではないかという初期の驚きを共有できる友達はいなかった。
〝猿の軍団ごっこ〟に知ってるふりをして参加するのにも苦労した。
※監修に名を連ねている豊田有恒は、「猿の軍団」の原作者(共同)でもある。豊田有恒は企画の初期段階で「放射能除去装置を遠い惑星に取りに行く物語」を生み出した人で、石津嵐著の小説「宇宙戦艦ヤマト」にその原型が反映しているらしく、原案に豊田有恒の名がある(松本零士の名はない)。私は中学生になってから文庫版で読んだが、アニメとは全く異なるハードSFで、驚き、戸惑ったのを覚えている。
再放送によって人気が出始めた最初のきっかけは、ヤマト発進時、波動砲発射時、ワープ航行切り替え時などの手順を確認するセリフが男の子の心をくすぐったことだった。
軍事もののようでもあり、SFチックでもあった。
そして、概ね平日の夕方に連続で放送されたことで前回との矛盾が見え、ツッコミを入れる面白さにも気づいた。
だが、物語の終盤に古代進が戦いよりも愛することだと訴えるに至り、少し上の世代の心を鷲掴みにしたのだ。
松本零士は、同世代の藤子不二雄・ちばてつや・石森章太郎らと比べれば遅咲きのイメージがある。
(石森章太郎(石ノ森章太郎)と松本零士は同じ日に生まれている)
「オバケのQ太郎」「ハリスの風」「サイボーグ009」の作者の名前を知っている子供たちも「光速エスパー」の作者の名前は知らなかった。
やがて、「天才バカボン」の赤塚不二夫、「デビルマン」の永井豪など、続々と漫画家たちがTVアニメによって名を成すようになっても、松本零士の名前は轟かなかった。作品がTVアニメ化されなかったからだ。
愛と正義というよりペーソスの味わいを得意とした作風から、青年誌・成人誌への掲載作品が多かった松本零士は、知る人のみぞ知る存在だった。
1974年にテレビで本放送された「宇宙戦艦ヤマト」は、オープニングで堂々と「監督 松本零士」とクレジットされていたので、小学生だった私などは初めてその名前を認知し、4歳上の兄から「男おいどん」の漫画家だと説明を受けた。
西崎義展プロデューサーが、設定・デザインを松本零士に依頼しなかったら、ヤマトはどんな作品になっていたのだろうか。
あのヤマトを斜め前方から見た、パースをデフォルメしたアングルは画期的な発明だったと思う。そして時折見せる真正面や真横のフォルムは、驚くほど美しい。(基本デザインは松崎健一による)
これを当時のセルアニメの技術で毎週動かそうとした、その取り組みは称賛に値する。
ヤマトが目の前を通過する映像で、フォルムが微妙に歪んでしまうところに、CGでは絶対に出せない味があって堪らない。
通常の4作品分に相当するスタッフが動員されてなお、過密な作業だったそうだ。
この「プログラム1」のポスターのイラストは、松本零士によるコミックス(単行本)第1巻(※)の表紙の絵が基になっている。
コスモガンを高く掲げて背骨をねじったような古代進のポーズに、体幹を無視した松本零士のデッサンの魅力が現れている。
※当初コミックスは全1巻だったので巻数の表示はなかったが、「さらば…」の漫画版が続編として執筆され、それが第2・3巻として刊行された時に“第1巻”と表記が改められた。
個人的には浮遊大陸編(第5話)が観たかったところだが、ヤマトフリーク庵野秀明のチョイスに敬意を表し、この企画自体に☆フルマーク。
第3話で既にイスカンダルとガミラスが双子惑星だと図解されていた。古代進たちにとってはイスカンダル間近に到達してから知る驚愕の事実なので、「視聴者の皆様だけにお見せします」という位置づけの図解だったのか…(笑)
覚悟をして見に行きました
50年前、リアルタイムで視聴したものです。
当時小学生でドキドキしながら熱狂しながらテレビに齧りついていました。
松本零士のデザインの斬新さ(船のフォルムのままに宙を飛ぶ)にびっくりしたし、オープニングの主題歌にも度肝を抜かれました。
でも50年後、覚悟をして見に行きましたが、寄る年波には勝てないのかと愕然としました。
あのドキドキはどこへいったのか?作画の粗さはしょうがないとしても、ガバガバな設定にはげんなりしてしまった。
懐かしいだけで、駆け抜けることができればよかったのですが、寄る年波には勝てませんでした。
残念です。
仕方がない仕方がない仕方がないのである。子供向けアニメをいい年の大人がみたのだから仕方がないのである。
松本零士先生許してください。まことに申しわけありません。懺悔懺悔懺悔です。
もうジジイなのです。許してください。
それにしても最近のアニメのクオリティーの高さには驚かされます。作画、設定、すべてが、凄すぎるのだと思う。
その礎になったのが、宇宙戦艦ヤマトであり、機動戦士ガンダムであり、カリオストロの城であり、未来少年コナンなのである。
マンガと軽視されたころからのアニメ映画のファンとして、その進歩に尽力された大勢のアニメーターに最大限の賞賛を贈りたいと思います。
決して色褪せない昭和の秀作
スクリーン初上映の昭和のテレビアニメ傑作
観るか観ないか迷いましたが、映画館上映なんて二度と無いと思い、やっぱり観て来ました。ヤマト発進シーンも劇場版と違い、より細かい描写になっているし、何度も家のテレビで観てるのに、大画面で観ると今まで気づかなかった描写があることが見えたりして
逆に新鮮でした。とにかくヤマト第一作には、人間の息づかいが感じられる 芝居の間とか声優の方々の演技も上手く スクリーンに映し出される映像も現代とは比較出来ない味がある 細かなセルに付いた擦り痕や塵なんかも気にならない 概ね手描きの大作ですからそこにも製作スタッフの活き感じました。放送から50年にして初上映の機会を企画くださり感謝の極みです。
一つ苦言は鑑賞料金が高過ぎる
新作じゃ無いし、コスト回収は不要では?
ああ、そうだった。思い出したこの感覚。
色褪せぬ作品
TVシリーズのセレクション上映なので
映画の画質や音質ではないことは理解しておくべき
あと、「よりぬき」なので物語の前後がつながらないことも大いに理解して臨むべきだ
つまり放送当時、あるいは80年代夕方4時帯に繰り返し繰り返し再放送されていたのを
鮮明に覚えている中高年ファン向けの上映である
まさに「何もかもみな懐かしい」だ
作画のいいカットのヤマトは身震いするほどに美しく力強い
あえて波動砲などの派手な回ではなく
印象深い反射衛星砲を持ってくるのは観ていて
エピソードチョイスの共感がすごい
そしてヤマトのOPは冒頭のフレーズを
「重々しく始めるか」「軽快に勇ましく始めるか」で二パターンあったのを
この上映で思い出した。なじみ深いのは勇ましい方だけど
重々しく始まるのもやはり良い
しかし、重たい物語にギャグを入れようと
アナライザーにスカートめくりさせたり
フラダンスを躍らせたりというシーンが
観てた当時も、そしていま改めてみてみても
やっぱ浮いているよなあ(笑)
この辺は当時の作劇における義務みたいなものだかけどさ
ヤマト発進...まずまず
1974年放送の貴重な最初の頃のエピソード
1年で29万光年の旅ですって ヤマトってどうやって動いてるのか謎だったけれど波動エンジン(タキオン粒子)とはさすが松本零士氏 しかし今回はメンバーとヤマト成立ちで本当に最初の最初でやられっぱなしで残念
冷静な沖田艦長にせっかち古代 そして意外にもガミラスとの戦略合戦みたいだなと思ってしまいました
往年のファンが多いのか一律料金に関わらずかなり賑わっていました
次はきっと挽回してくれると期待
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