「エンタメに必要な要素を全て兼ね備えながら、凡作に留まる不思議」プロジェクト・サイレンス 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
エンタメに必要な要素を全て兼ね備えながら、凡作に留まる不思議
崩落橋の上で逃げ場を失った生存者が、霧の中から襲い来る脅威に立ち向かうパニック・スリラー。主演は、惜しくも2023年12月に逝去し、本作が遺作となったイ・ソンギュン。製作費185億ウォン(約19億円)を投じて製作された意欲作。製作陣には、『新感染 ファイナル・エクスプレス』『パラサイト 半地下の家族』のスタッフが名を連ねており、監督・脚本は新鋭、キム・テゴン監督。
360℃を海に囲まれた空港大橋は、その日車の走行に支障を来しかねない程の濃霧が立ち込めていた。
国家安保室行政官チャ・ジョンウォン(イ・ソンギュン)は、娘のギョンミン(キム・スアン)の海外留学の為、空港へ向かう。大橋に入る前のガソリンスタンドで、店員のチョ・バク(チュ・ジフン)と揉めながらも、親子は空港へと向かう。
途中、軍の護送車が大橋に合流。同行する黒塗りの車で軍人らと行動を共にするヤン博士(キム・ヒウォン)は、ただならぬ気配を漂わせていた。
突如、過激なドライビングテクを披露して視聴者から金を稼ぐ迷惑配信者が起こした連続玉突き事故により、橋の片道が封鎖されてしまう。タンクローリーの大破により有毒ガスが立ち込め、皆先へと進めなくなってしまう。
一つの事故から始まった連鎖によって、軍の護送車も横転。中に入っていた“それら”が放たれてしまう。それは、軍が極秘に進めていたある計画“プロジェクト・サイレンス”だった。
最初に、主演のイ・ソンギュンさんのご冥福をお祈りします。
天候や事故によるディザスター・パニック×モンスター・パニックの組み合わせ方が面白く、連続玉突き事故のシーンは、「少々オーバーだな」とは思いつつも、次々と車が大破していく様は圧巻。そういったディザスター描写、後々効いてくる伏線等は、流石、韓国映画といったところ。その後の崩壊寸前の橋でのモンスターパニックも見事。
しかし、登場人物が皆テンプレート通り過ぎて、魅力的に感じられなかったのは非常に残念だった。唯一、レッカーことチョ・バクの道化的なキャラだけは僅かに面白味があったが。
主人公であるジョンウォンの、上司の大統領選勝利の為に、あれこれ隠蔽工作のシナリオ作りを提案する姿に、脚本の政府に対する不信感や批判がよく出ている。テロリストによる誘拐事件への対応として2パターンのシナリオ作りを提案する冒頭の安保会議室のシーンが、中盤で自分がそのシナリオ作りの被害者に回るという皮肉はベタだが王道。正義感の強い娘や周囲の人々の犠牲から改心していく様も御約束。
そんな正義感の強い娘ギョンミンのキャラクターも少々鼻につく。言っている事もやっている事も正しいのだが、主人公が卑怯者キャラとしてあれこれ思索する中、それと対立するポジションになるので鬱陶しく感じられてしまう。これは、親子間の不和の修復というテーマや、それぞれの立ち位置の違いによる当然の対立なのだが、もう少しやりようはなかったかと思ってしまう。
唯一、魅力的に映ったのは、やはりチョ・バクだろう。愛犬ジョディを大事に抱えて走る心優しい性根の姿や、状況次第でコロコロ態度を変える調子の良いキャラの前半と、真相を知り生き残る為に怯えながらも果敢に行動する後半の姿とのギャップが上手く決まっていたように思う。
くすねておいた酒を松明に吹き掛けて、火を吹くシーンの迫力や盛り上がりはナイス。何と、CGを用いず実際に撮影しているというから驚きだ。
パク・ヒボンとパク・ジュヒョンによるミランとユラ姉妹は、プロゴルファーである妹ミランとマネージャーである姉ユラという立ち位置のオリジナリティは○。特に、ミランは試合に破れるのが怖くて、パスポートの更新期限に気付いていながら、ユラに黙っていた弱さ、それを振り払うかのように持ち前のゴルフテクニックで窮地を脱する一助を担うという展開は良かった。しかし、とにかく姉のユラが喧しく、負傷により窮地を深刻化させる所謂足手纏いキャラになっていたのは残念。演じたパク・ジュヒョンはパンチパーマ姿にメイクしている都合で、普段の姿の美しさも全く活かしてもらえず不憫でならない。
いかにも生き残りそうな、認知症の妻とそれを献身的にサポートする夫という老夫婦組が、容赦なく犠牲になるという展開は好感が持てる。その辺りの容赦ない犠牲には、韓国映画の油断ならなさが出ていた。
キム・ヒウォン演じるヤン博士。元はマイクロチップ制御による優れた救助犬を開発する事を夢見ていたのに、軍の命令で対テロリスト用の狩猟軍用犬を開発させられてしまうのは不憫。しかし、典型的な卑怯者キャラによるラストの勇気ある改心にはあまり乗れず。
本作のメインとも言える、政府の対テロ用機密計画“プロジェクト・サイレンス”により生み出された、マイクロチップ制御による任意ターゲットの襲撃を可能にした軍犬、通称:エコー。
特に、E(エコー)9は非常に魅力的だった。クローン技術によって生み出された軍犬達の母親に当たり、襲撃の指揮を執る。ワザと橋に頭を打ち付けて、自身に埋め込まれたマイクロチップを取り外して見せる姿や、車の警告音を即座に学習し、特殊部隊員を呼び寄せる罠を仕掛ける姿といった知能指数の高さが素晴らしい。
ラスト、生き残ったE9と一頭のクローン犬。崩落した橋を静かに見つめるE9の瞳には、どんな意志が宿っていたのだろう。それは、未だ絶えずに燃え盛る復讐心だろうか?
高い知能を持つ彼女なら、あるいは自身の怪我を案じ、崩落寸前に父親の為に馳せ参じるギョンミンの姿を目の当たりにした以上、「良い人間もいる」という事だけは理解していてほしいと願うばかりだ。
脅威となるのが異星人やゾンビ、キメラといった特殊な生命体ではなく、あくまで軍用犬というリアリティがあるが故に、犬達に対するヘイトコントロールに気を遣っている様子が見て取れた。犬達が人間を襲撃するシーンと、特殊部隊により射殺されるシーンは、暗闇や濃霧という状況を上手く利用し、残酷や陰鬱になり過ぎないように描写されている。特に、被害者の悲惨な姿を映し過ぎない様子は上手いと感じた。彼女らもまた、被害者なので。
内容の評価とは関係ないが、有毒ガスは普通に「有毒ガス」と発音していたのには驚いた。
全体的に、そもそものアイデアの素晴らしさ、極限の状況下における人間ドラマ、襲い来る脅威とそれを生み出した政府に対する不信感を盛り込んだ脚本、巨額の製作費を投じた映像は、一級エンターテインメントとして必要な要素は全て兼ね備えている。しかし、やはりあらゆる要素が教科書的、予想の範囲内に留まってしまっており、凡作の域を出ていない印象。また、ラストでチャ親子が護送車の荷台で生還するシーンをギャグに落とし込んでしまったのは、明らかに悪手だったと思う。せっかく『新感染』のスタッフ、何より同作でも娘役を演じたキム・スアンが出演しているのだから、あそこは親子で有毒ガスと霧の中から口元を押さえて生還するといった描写でも良かったのではないかと思う。