セプテンバー5のレビュー・感想・評価
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あれから半世紀
1972年のミュンヘンオリンピックの背中に起こった選手村での人質事件を描いた作品。
オリンピックにはあまり興味がなく、ほとんど観ていないが、過去にこんな事件があったことは初めて知った。
米ABC放送が期せずして生中継をしたことで、放送史に残る事件だったはずなのに、まさかの悲劇が待っている。
ピリピリした生放送ならではの緊張感が伝わり、全編無駄がない。
鑑賞後にこの事件の報復として、イスラエルとパレスチナの血と血を洗う報復合戦には目を覆う。
あの事件から半世紀経つが、あの地は未だに紛争の解決の糸口が見つからない。
過去と現在を思うと、重い作品だった。
オリンピック取材班の目を通してテロ現場が描かれた緊迫感ある作品
臨場感
ミュンヘンオリンピックでスポーツ担当のTVクルー達が突然のテロに遭遇し意地を貫き生中継するという内容。
ジャーナリストとしてのプライド、射殺場面でさえも中継するのかという倫理面、そして現実的な視聴率など、色々な問題の狭間で葛藤するクルー達の姿が臨場感満載で素晴らしかったです。
また、1972年が舞台ということで、荒い画質なのも雰囲気があってよかったし、字幕の付け方や写真の拡大方法など、当時の番組製作の方法を映像で見せてくれるのもとてもよかったです。
私はこの事件の存在も知らなかったので、歴史を学ぶ良い機会になりました。
ユダヤ人の迫害の歴史とドイツの汚点、そして今もなお根強く残るパレスチナ問題。
最近のガザ地区でのニュースも思い出しながら歴史のつながりを実感し、
もっと世界の歴史を学ばなければと改めて思いました。
ジャーナリズムと倫理観
ものすごい緊張感に身体が固まり、いい意味でどっと疲れた
低予算でも圧巻の緊迫感
緊迫感ではなく忙しなく煩わしい感なのだ。
オリンピック開催、当時珍しい衛星生放送、そして最中に勃発したテロ人質事件と、ノンフィクション作品としての素材に打って付けな題材の本作。
予告編は、まさに前代未聞な事件があの時に起こっていた! といった緊縛度合いもしっかり伝わってきて、骨太な作品と上映を期待してました。
が。期待値が上がっていた分、若干肩透かしされちゃったかな。どうも緊迫度というよりは、ネットがない時代の不便極まりない状況による"忙しなさ"だったり、ドイツ語から英語に通訳しないと事態が把握できない"煩わしさ"が要因だったなと。
ノンフィクションだけに脚本の流れもわかる分、鑑賞後のカタルシスも今ひとつ。
感じるのは、ネット以前と以後では、この手の作品は受け取り方が変わってしまうのだろうな。
電話機がダイヤル式のジーコジーコって、本当にまどろっこしい時代でしたよね。
裏をとれ
実録モノの作品が好きだ。
事実である、という裏づけが物語の格を一つ高めてくれるような気がして、
より集中力を持って観ることができる。
この映画の題材も、この作品がなければ知ることはなかった事実、事件だ。
物語の冒頭は少し観づらい。
登場人物のキャラクター付け、彼らのABCにおける立場、役職などが
イマイチ説明されないまま進むのでちょっと混乱する。
また当時の戦後ドイツという国の国民感情、歴史背景なども一瞬戸惑うところかもしれない。
ということは一旦差し置いて、
ほとんどセットだけ、ワンシチュエーションの物語構成でラストまで見せ切ることができているのは、
やはりこの物語が「事実である」という点が大きいと思う。
テレビ中継がまだ黎明期の頃の技術、システムを知ることができる、という部分は
個人的には面白かったが、多くの人にとってはむしろ退屈で歯痒さを感じる点かもしれない。
衛星の使用可能時間を局どうしで調整したり駆け引きしたりなどというのは、
観客にどう受け止められるのかな?と思いながら見た。面白いのかな?
真実とは何か?
「そこにカメラを置き、時事刻々と変化する事実を伝えること」をABCスポーツ班は選んだ。
慣れない言葉の言い回しや、むしろテロリストに有利な情報を中継してしまった?などの
問題点を乗り越えて中継は終わる。
ジャーナリズム、真実とは?という視点からこの作品は論じられることが多そうだ。
「ZDFが言っていた」「ここはABCだ!」というくだりが個人的には好きだった。
真実を伝えるって、なんだ?
個人的にはこの話は「裏を取れ」という話なんだな、と思った。
ラストシチュエーションではこの「確認(confirm)できたのか?」というセリフが、しばらく飛び交う。
誰が、どう確認すればいい?
政府が言ってることすら当てにならない。
現代においても、ネットや週刊誌は不正確な情報で埋め尽くされている。
裏をとれ。確認しろ。
1972年のミュンヘン五輪テロの現場で飛び交ったこの言葉。
今や、AIやフェイクの氾濫で当時以上に世界中のメディアは「確認」に翻弄されている。
私たちも一人一人が、「裏を取れ」ということを意識して暮らしていかなければ、
SNSのちょっとしたニュース、噂を簡単に信じ込んでしまう。
「裏を取れ」。
ABCスポーツ班のクルーの苦悩を、今の私たちも同じく背負って生きていくべきなのだろう。
きっと。
実に見事
歴史的な1日を追体験する、これは見事でした。
オリンピックの選手村を襲ったテロ、ミュンヘンオリンピック事件を題材にしたシリアスな作品。
テロ事件そのものでなく、事件を追うTVクルーの物語なのが斬新でした。
だから思想や国家間の問題は最低限の描写。
あと色調も当時のようなカラーグレーディングを施し、施された機材も凄いことに。あんな古いものどこにあったのやら。
物語はじっくりとタメを作った後、急ピッチで動き出す現場に引き込まれました。
スタジオという閉鎖された空間の緊張がピリピリと、少ない情報を何とか集めようと錯綜する熱量がすごいです。
この張り詰めた空気がずっと続くので、観ているこちらもつい力が入ってしまうんですよ。
最後、機材の電源を落としスタジオを後にした後のエンドロール。どっと疲れが出ました。
事件のその裏側でも、こんな闘いがあったのですね。
その描き方、実に見事でした。
そしてこれは史上初の「テロに寄る悲劇が生中継された瞬間」であって、決して「倫理のない報道からくる悲劇」ではないと思っています。
もちろん報道倫理や規制に関心が動いた機会ではあったと思いますが、あくまでも全くテロに対応できなかった西ドイツ側の失態でしょう。
そもそも選手村のフェンスをバッグを持って乗り込んでいる姿を目撃しているのに、それをスルーするところから事件は始まります。
事件後も現場にいたのはただの現地警察官で、もちろんテロリストに対抗する装備も訓練も行ってません。
狙撃手もただの警官でスコープも無く打てない、情報も錯綜し他の作戦も全て後手後手。
それを裏付けるように、事件後西ドイツは公式に調査も行っていません。
そして同じくIOCも同様の対応で、遺族のオリンピック開会式での黙祷の希望も聞き入れられませんでした。
驚くべき事にこの願いが届き、イスラエル選手団への黙祷が実現したのが、2021年東京オリンピックの事です。
映画とは直接関係ないのですが、オリンピックはの裏にはどうしても色々あったりしますよね。
緊迫感が続く90分
突然勃発したテロ事件を報道することになったスポーツ番組の放送クルー達が、即断即決を強いられながらも、ジャーナリズムや人権に直面する様が、終始緊張感の続くスピーディーな展開で描かれていました。
慣れないニュース番組の報道であり世界が注目する特大スクープ。それぞれのプロフェッショナルを発揮して今起きていることをカメラに映し出す。その機敏な仕事っぷりは観ていて気持ちが良く、1970年代のアナログな放送手法だからこその切り抜け方なども見応えがありました。
テロの発生から数時間が経ち、テロリスト側もテレビを見れることで情報を得てしまうことが分かったりと次第に難しい立場に立たされていく。そして、事実確認が仕切れていない速報が届き…。
「噂によると」「事実確認はまだですが」そんな保険をはっても結局他社が追従し、事実のように扱われてしまう。フェイクニュースに踊らされる現代にも通じるラストの後味の悪さは何とも言えないものがありました。
エンタメとしても、歴史の一片を知る機会としても、メディアの受取手としても、とても面白かったです。
情報を追う者もまた、情報に踊らされる。
1972年9月5日。ミュンヘンオリンピック開催中のイスラエル選手団の選手村を、パレスチナ武装組織「黒い九月」が襲撃。選手団とコーチを人質に立て籠もる。事件を中継したのは、ABC放送局のスポーツ部だった。事件発生から終結までの1日を、テレビクルーの視点からスリリングに描く。
監督・脚本にティム・フェールバウム。その他脚本にモーリッツ・ビンダー、アレックス・デヴィッド。
1972年ミュンヘンオリンピック。アメリカのABCチャンネル放送局(American Broadcasting Companies,Inc.)は、独自の機材を駆使した衛生中継による生中継を謳い文句に、スポーツ部のメンバーが日々中継を行なっていた。仮設スタジオは選手村のすぐ近くに設置され、目と鼻の先には世界各国のアスリートが宿泊する宿舎が見える。
9月5日、早朝。新米プロデューサーのジェフリー(ジョン・マガロ)が出社し、先輩のマーヴィン(ベン・チャップリン)やスポーツ局トップのルーン(ピーター・サースガード)らと共に、その日の枠で放送する競技の打ち合わせをしていた。放送の指揮を執る調整室のクーラーは故障し、ケーブルのトラブルでモニターも不調を来していた。そんな中、ケーブル修理に励む職員のジャック(ジヌディーヌ・スアレム)と、新しく入ったドイツ語通訳のマリアンネ(レオニー・ベネシュ)は、イスラエル選手団の宿舎から発せられた複数回の銃声を耳にする。
マリアンネが現地警察に確認すると、同様の通報が複数寄せられており、調査中だという。情報によると、パレスチナ武装組織「黒い九月」が選手村の宿舎を襲撃。選手団とコーチを人質に立て籠もっている様子。
かつてない特ダネを前に、ジェフリーは仮眠中のマーヴィンを起こし、ルーンを呼び戻す。本部からは本国の報道部に明け渡すよう要請が入るが、ルーンはこれを拒否し、現地に居る自分達が中継すべきだと前代未聞のスポーツ部のクルーによる世界初のテロリズムの生中継が行われる事になる。
ストーリーのほとんどが調整室内で展開されるクルー達の奔走で占められている。テロリズムの経緯は、調整室のモニターに映される当時の映像と、様々な場所から仕入れてくる不確かな情報のみ。何が真実か、何を報道すべきか?クーラーの故障した蒸し暑い調整室の中で、皆が額に脂汗を浮かべ、刻一刻と変化する現状に対処しながら行われる世紀の生中継。むせ返るような蒸し暑さまで伝わってくるかのような緊迫感溢れる様子に、こちらも緊張感を抱く。
また、情報を得る為、職員の身体にフィルムを巻き付け、偽のIDを胸に下げて現場に送り出す様子や、警察の巡回を掻い潜って選手村のバルコニーに潜伏する職員が居たりと、手段を選ばない様子には、緊張感と共に一種の嫌悪感も抱く。
警察が宿舎の電源を落とさなかったという落ち度もあるが、テロリストもABC放送によって現場の警察の情報を把握してしまう“平等に与えられる情報”という皮肉が効く。そして、そうしてなりふり構わず中継し続けた事が、最悪の結果を生む事に繋がるのだ。
【情報を追う者もまた、情報に踊らされる。真実を見極めたければ、冷静になれ。】
情報の速さがものを言うというのは、現代にも通じる問題である。しかし、情報源はどこからなのか。その情報が本当に確かなものなのか。それを見極めるのは、あくまで人なのである。
クライマックスでジェフリーは、空軍基地に搬送された人質が「全員無事に解放された」という不確かな情報を世界に伝えるべきかを問われる。マーヴィンは確証が得られるまで待つよう言うが、業界内の競争の激しさを知るルーンは“噂では”と付け足した上で放送するよう促す。ジェフリーもまた、新米である自分に訪れたチャンスを前に、「ドイツの公共放送局が発表したから」と、マーヴィンとの対立も厭わずに放送を決意する。直後に調整室に入った電報により、その情報が確かなようだと確認した一同は、長い1日が終わった事に安堵し、祝杯を上げる。
しかし、喜びつつもマーヴィンは自局のスタジオでインタビューに答えるドイツの報道官の発言に違和感を覚える。彼の発言は、何処か希望的観測によるものだからだ。直後、「まだ空港で銃撃戦が続いている」という情報が入る。マーヴィンは知り合いであるドイツの広報に連絡を取り、「人質が全員死亡した」という確定情報を得る。世界に向けて放たれた世紀の誤報は修正され、最悪の結果を報じて放送は終了する。
放送終了後、ジェフリーは自らの欲で先走り、誤った情報を世界に発信した罪悪感に苦しむ。しかし、ルーンに局長室に呼び出された彼は、「今日はよくやった。明日、追悼番組を放送するから指揮を執れ」と告げられる。痛ましい犠牲を前にして、尚もルーン達は翌日の放送について考え、悲劇性を強調するよう翌朝空港に赴いて、逃走用のヘリの残骸を映そうなどと話している。
ラスト、ジェフリーは調整室の電源を落とし、ボードに貼られた人質達の写真の方を振り返る。やるせなさに苦悶の表情を浮かべ、調整室を後にする。暗い駐車場で1人静かに車に乗り込む彼の横顔のアップで、本作は幕を閉じる。
全世界で9億人が視聴した初のテロリズムの生中継は、最悪の形で幕を閉じた。皮肉にもそれは、人質が無事だと放送した直後、電話越しで本部のボスがルーンに言った「放送史に残る」中継となって…。
限られた空間内で展開される緊迫のテロ中継に釘付けにされた。ロレンツ・ダンゲルによる音楽が素晴らしく、緊迫感溢れる本作を更に盛り上げてくれている。情報の信憑性については、現代でも度々取り沙汰される問題だ。本作で描かれている事は、決して単なる過去の出来事ではない。強烈な切れ味を持って、今日を生きる我々に突き刺さる。
画質の良さが強調される昨今において、本作はまるで“70年代の作品をリマスターして流している”かのような、綺麗過ぎないザラついた映像に仕上げている。アップで展開される登場人物達こそ綺麗に映されてはいるが、ふと背景に目を向けると、ザラついた質感を感じ取る事が出来るのだ。個人的に、この選択には大いに拍手を送りたい。綺麗過ぎない映像は、当時の映像との親和性が高く、相乗効果を持ってこちらの没入感を抜群に高めてくれるからだ。
惜しむらくは、本作のパンフレットが制作されていない事。こういった作品にこそ、内容の充実したパンフレットは必要不可欠だと思うのだが。
史実を知らずにに観るか、史実を知ってから観るか
こんな事件があった事は昔聞いてはいたが…詳細は知らなかった。ドキュメンタリータッチでスリリングに描いている。それをまたスタジオ内のみのワンシチエーションで見事に表現している。
しかし一方で、これは米国ABC放送の言い訳ムービーではないかとの批判もある。生放送の恐ろしさや警察の動きを犯人達にも伝えてしまう重罪な部分がある。それから人質が助かったとの憶測をあそこで放送していなかったら、その後の他局の後追いもテレグラム(電報)の送信も無かった筈だから…。
まさにマスコミの罪な部分だ。。それは現在のマスコミにも通じる部分となる。メディアにとって何が正しくて何が間違いなのか…これはずっと問い続けられる課題だと私は思うのである。
黒い九月を知っているか
当時小学生だった少年が今や60代なので、この事件を知っている人も少ないので、話の展開がわかりにくいかもしれません。事件自体ではなく、事件を生中継した米ABC局のドキュメンタリーなので肩透かしを食った人も多いかもしれません。
ドキュメンタリー手法に徹底した演出方針で、スリラーも申し分なし、時代考証もしっかりしているので、逆に言えばこの時代を知らない人にはどう映るのでしょう?
参考
昭和47年というのは、2月に札幌で日の丸飛行隊が表彰台独占して、その後あのあさま山荘です。事件の最中にニクソンが電撃訪中して毛沢東と握手、連合赤軍を始めとしたアカの連中が愕然としました。米中接近の流れで角栄が日中国交回復してパンダが初来日した年です。野球はON健在でV8、大相撲は大鵬引退、玉の海休止のあと北の富士が一人横綱で貴ノ花が大人気、郷ひろみがデビューしてジュリーはソロに、女性では天地、小柳、南の三人娘、そんな時代です。
職務か?倫理か?
ミュンヘンオリンピック事件は私がまだ生まれる前の事件。そういう事件があったということはテレビのドキュメンタリーなどで知っていたが、今回あらためて衝撃を受けた。平和の祭典であるオリンピックでこんなテロ行為が行われたなんて。しかもテロが起きているにも関わらず一部競技は継続していたことも衝撃。映画の中でも時折出てくる発言を聞いていると政治的にも非常にヒリヒリとしている時代やったんやろう(今もだろうけど)
メディア側の人たちにとっては職務を全うする意思を持ってやっていたのだけれど、テレビは犯人たちも観ているもので、報道規制の重要性も認識されることになったきっかけの事件なんやなあと。倫理的な面で考えると人が殺されるかもしれない場面を流すことが果たしてどうなのか?視聴者の知る権利も守る必要はあるけれど…あの放映によって事件が最悪の結果になったと100%否定はできない時点で当時も「マスゴミ」なんて呼ばれたのかな?とふと思った。
ただ、あの人たちやって解決してほしいという気持ちは同じなんやよね。有名な事件なので結末は分かっているからこそやりきれない。
テレビ報道の意味を考えた
この映画を見ることができてよかった。一つにはスピルバーグの「ミュンヘン」で描かれた、イスラエルによる報復のトリガーになった西ドイツのミュンヘン・オリンピック1972の様子を知ることができたからである。生中継で流された当時の映像を使いながらミュンヘン在のABCテレビの調整室は当時の機材、電話、モニター、服装;俳優は現在の人達。ドキュメンタリーとフィクションが滑らかに繋がり映画として面白く緊迫感が半端なかった。
もう一つはテレビの役割が今よりずっと大きかった当時を実感した。現地に居るスポーツ担当とアメリカに居る報道担当との駆け引きは競争でもあり面子であり専門家はどっちだ!という争いでもあってリアルだった。「現場にいるのはスポーツ班のこっちだ」とのジェフの主張と決断は正しかったと思う。テレビ中継のリアルさを全ての人が信じていた時代でもあったんだろう。ジェフの上司二人(ルーンとマーヴィン)のそれぞれの立場からの対立、連帯、まだ駆け出しだったジェフにリーダーを一任させるなど、なかなかよかった。
極めつけはドイツ語通訳のアメリカTVチームでの立ち位置だ。通訳のマリアンヌはドイツ人(ドイツ映画「ありふれた教室」の主役の先生役)としてZDFのニュースや警察からの情報のドイツ語→英語の通訳、チームが詰めている建物のドイツ人ハウスマイスターとやりとり(彼の文句を聞いてあげて説明する)して仕事がスムーズに行くよう取り計らう、ミュンヘン近郊の地理に詳しい。フットワークが軽くて頭がいい。TV調整室に配属される位だからかなり優秀なはずだが、まさかあんなことが起きるとは思わなかったろう。通訳は孤独を感じることもあるが、リーダーを任せられたジェフとは結果的にはうまくいっていた。ただ、最初の自己紹介段階でジェフが彼女の両親のことを尋ねたのはかなりきわどいと思った。70年代のあのマリアンヌの年齢で両親健在なら、68年の学生運動で学生達が批判の対象としたひとつが「私たちは何も知らなかった」と言った(或いは知らない振りをしていた)親世代だからだ。イスラエル選手団全員がパレスチナのテロリストによって殺害された最悪の一日。翌日は追悼式。調整室でジェフはマリアンヌに感謝しいたわり、マリアンヌはドイツはまた間違いを犯したと呟く。
選手村に警察官を常駐させるのは強制収容所を想起させるからしない、軍隊を中に入れないのは憲法(基本法)で禁じられているから。このような説明をきちんとできる通訳。辛かったろうが、クリアにきちんと事実を述べた。
ジェフ役は最初はなんだかぼんやりした感じの人だなあと思ったが、リーダーとして見事な仕事ぶりだった。テロップ担当の女性も、選手に変装して選手村宿舎に入りこんで撮影するスタッフもよかった。ただ実況中継は宿舎のテレビでテロリストも見ていた。宿舎内の電気を一斉に消すことはテレビ・クルーの仕事ではない。開催国ドイツの問題だ。
ABCだけが生中継できた、ということは他国のTVはABCが映した映像をそのまま流していたのだろうか?日本での報道はどうだったんだろう?よりによって(でも意図的な気もする)ドイツでのオリンピックで起きたイスラエル絡みの悲惨な事件、この映画の制作にドイツも入っていることは当然であるが勇気もある。
報道班は腰がひけている、でも自分達のセクションではビクビクしないで攻めの姿勢でやっていると、どこかの日本のテレビ局のクルーの言葉を読んだ。攻めてくれ!
そう言えば、当時の映像としてミュンヘン近郊のダッハウ強制収容所跡の記念館とそこを訪れる人々の様子が映っていた。自分が訪ねた唯一の強制収容所がダッハウなのでとても集中して見過ぎて、映画の中のどの箇所に挟まれた映像なのか忘れてしまった。
おまけ
「通訳」は、なんちゃって通訳から、専門に特化した恐ろしく高いレベルの知識が求められる通訳までとても幅広い。だから通訳をどのような職業なり立場として認識しているかは、今までどのような通訳を見たことがあるか(テレビなどでも)、知っているかに依存すると思う。だからどんなイメージをもっていてもそれは全く自由だ。ただ、通訳をする人の人間性が問われること、通訳を必要とする側との信頼関係が命であることは、どんな種類・レベルの通訳にも共通して言える。「ある外国語ができるだけ」の通訳は趣味としての通訳で、そういう通訳だって必要だ。
スピルバーグよりうまい
巧みなテンポと演技で、
複雑で多層的なテーマを見事に描き出している。
特に、登場人物たちの微細な感情やリアクションを、
無駄なく展開する手腕は見事だ。
通訳役のレオニー・ベネシュ(『ありふれた教室』『ザ・クラウン』での演技も素晴らしいが、やはり『バビロン・ベルリン』のレオニーが特に印象的だ)の演技も相変わらず絶妙だ。
彼女がコーヒーを頼まれた時、
老スタッフとの間で交わされるわずかなやり取り、
微妙なリアクションが、ほんの一瞬で描かれるが、
その間に込められた感情の動きや、
また、
重量挙げの選手を偽るスタッフの微妙なやりとりも、
短尺で笑いを生み出す絶妙な描写だ。
ほんの0.1秒の間に織り交ぜられる、
登場人物たちの感情の小さなうねりや駆け引きが、
作品全体に張り巡らされた緊張感を強調している。
短尺で対立する葛藤を的確に表現し、
観客に濃淡のある対立をマッピングして印象を与える。
描写は一貫して対立を映し出し、
その構造は観客にとって非常に分かりやすい。
登場人物の過去や背景に触れることなく、
彼らが抱える対立と葛藤が浮き彫りになり、
これがエンタメ作品として高い完成度を持つ理由のひとつだ。
エンターテインメントとして、
誰もが楽しめる内容でありながら、
その背後には多くの社会的・政治的なテーマが潜んでおり、
それらが巧妙に絡み合っている。
極めて多岐にわたり折り重なったレイヤーの一部を紐解くと、
イスラエルとドイツ、
イスラエルとPLO、
ABCとCBS、
ABCとZDF、
選手と国、
スポーツ局と報道局、
表現の自由と警察権力、
言葉の重さと責任、
速報と確認、
ラジオと警察無線、
上司と部下、
英語とドイツ訛りの英語、
生中継と編集、
生中継と生フィルム(撮影前生フィルムと撮影済みフィルム缶の違いも細かく表現していた)
TVカメラと16ミリカメラ、
強行と交渉、
そして、
乾杯と献杯、、、
数え上げればキリがないほどの対立が映画の中で描かれている。
それぞれの対立が映画の中で巧妙に絡み合い、
多層的な意味を持たせる。
本作が描くエンタメベースのヒューマニズムの深さにおいて、
スピルバーグがヤヌス・カミンスキーの力を借りても到達し得ない領域を突き詰めている点も特筆に値する。
スピルバーグはエンタメを描くことにおいては卓越しているが、
歴史的事実が持つ緊迫感や、
キャラクター間の微妙な感情のやり取りの細やかさの
積み上げに関しては、
個人的には良い印象はない。
カラーパープル、シンドラー、
プライベートライアン、ブリッジオブスパイ、
いずれも、その理由はyoutubeで少し触れている。
本作はエンターテインメントベースで、
歴史的事実を約90分で見事に表現している。
観客は、単なるサスペンスやドラマとして楽しむだけでなく、
そこに込められた重いテーマをも感じ取ることができるだろう。
イスラエルとパレスチナの対立の歴史を知る事ができるかと思いましたが、、
私が中学3年生だった1972年は激動の年でした。
連合赤軍あさま山荘事件、沖縄返還、日中国交正常化等もありましたが、ミュンヘンオリンピックの選手村にいたイスラエル選手団がパレスチナのテロリストグループ「黒い9月」に襲われ沢山の人が射殺されるテロが起きました。
いまイスラエルによるガザ進攻も起きているので、この事件の背景が知りたかったのですが、映画ではマスコミ目線で作られた映画で複雑な背景は描かれていませんでした。
この事件では結局、人質、テロリストなど合わせて17人が犠牲になりましたが、島国に暮らす日本人には到底理解できない民族、地勢、宗教の違いが複雑に絡まっているんでしょう。
しかし、映画観ていたのが私ひとりとは(笑)
あと、この年に残留日本兵の横井庄一さんがグアム島で発見されたのもニュースになりました。
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