セプテンバー5のレビュー・感想・評価
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A283 当時は小学5年生
2025年公開
映画ならスチュアート大佐が全裸でトレーニング
するところから始まるであろうが
本作は全くメディア側のみの視点で物語は進む。
もちろんマクレーンがしゃしゃり出る場面もなし。
早朝の銃撃から撮影の場所とりや
衛星放送の時間枠調整
字幕のアナログな作成
外部と繋ぐケーブル
関係者のアップ写真
都度連絡を取るにも無線とアナログ回線にダイアル式の電話
通訳を通してのやり取り
警察の対応?なんで?いや西ドイツの憲法で
軍の対応は禁止されているし
MCのアドリブ全開など
現在のディレクターやスタッフではやりきれない技術が
細かいカットで進み
緊迫感を充満させたドキュメンタリー風に展開される。
事件が終了後は長いカットでその喪失感を醸し出す。
当時の現場を見事に再現した手腕は凄い。
アラブ側の事情を踏み込み過ぎると
現在でもよからぬ問題も起こるであろうため
テロリスト側の描写は一切なし。
パンフレットも鑑賞劇場では販売されていなかった。
個人的に凄いものを見た、という感想です。
90点
鑑賞 2025年2月16日 東宝シネマズ二条
配給 東和ピクチャーズ
セプテンバー5(映画の記憶2025/2/16)
オリンピックでそんなことがあったとは…
セプテンバー5、タイトル通りオリンピック期間中、9月5日に起こった前代未聞のテロの生中継の話。話はほぼABCニュースの中継室の中だけで、まるでドキュメンタリーを見ているようだった。恥ずかしながらこの事件のことは全く知らなかった。こんな大事件がおきていながらオリンピックは継続され、日本は男子バレーの活躍があったのかと思うと複雑な気持ちになる。
生中継はすべきだったのか、中継をしなければイスラエルの選手は助かったのでは。当時、中継していた人たちも、見ている側もそれぞれ思うことがあるだろう。しかし、当時、事件の生中継を世界の9億人もの人が見ていた事実もある。きっと、当時に生きていたら私もテレビに釘付けになっていたと思う。オリンピック、報道、歴史、警備、いろいろと考えさせられる映画だった。
報道とは?知る権利とは?を考えさせられる
ミュンヘンオリンピックで発生した人質テロ事件は、スピルバーグ監督の「ミュンヘン」で観て概要は知っていた。本作はそれを報道するアメリカのTV局から描いた物語。
あくまでテレビクルー側からしか描かないから情報は断片的。物語のほとんどがオリンピック中継を行うためのサブ室で進むし、手に入った情報もドイツ人の翻訳がないと内容が理解できないという限定され状況だからかなりリアルだ。そんな中、衛星放送枠の取り合いや、報道局との主導権争いなども交えつつ、人質立てこもりの状況を生中継していく。
テロの悲惨さや非道さを描いている映画とは思えない。そんなシーンがないから。本作で問いかけているのは報道のあり方だ。様々な困難を乗り越え、生中継を続けたアメリカのテレビクルーを称賛する内容なのか。それともテロリストたちに筒抜けとなった生放送を反省すべきという主張なのか。どちらなのかは観ている人に委ねられている。個人的にあのテンポがよく緊迫感のある作りは、テレビクルーの活躍を描くものとして見応えがあったことは確か。でも観終わった後に感じてしまうのは、これでよかったのかという迷いだ。
「知る権利」を満たすものとして報道がそこで起きている事件を映すことはとても重要で必要なことだと思う。ただ、それを報道する側のモチベーションはそれだけではないということ。会社員である以上、この仕事でどう評価されるか、そして報道する側としての達成感みたいなものは当然つきまとう。中継を観ている人間がただの興味本位で観てしまうこともどうなんだろうかと思ってしまう。
だから、本作を観ている自分が映画の中の生中継をエンタメとして興味本位で観ている側であることに気付かされる。自分みたいな興味本位で観たがる人間がいる限りこんな報道姿勢はなくならない。観終わった後にモヤモヤする気持ちはこれなのかもしれない。色々と自分に問いかけることとなった映画だった。
よく出来たサスペンス劇でした。
土曜日の昼過ぎの回で鑑賞。地味な映画だと聞いていたので、観客は少な...
ドキュメントの様な作りが緊迫感を生み出す素晴らしい演出
本編の大半は全米三大ネットワークの一つ、ABCのミュンヘン五輪放送ブース。
あくまでTVクルー達は、入ってくる情報を追いながら、史上初のテロ事件を生中継する経過を、ドキュメントの様に演出している事で、緊迫感を生み出す。
人質解放のニュース放送を巡り、クルーが対立する場面も、大仰に声を荒げたりせず、実際の現場での意見対立を思わせる、抑えた演出もリアル感があり、興ざめさせる事もなかった。殊更、テロ事件を批判するでもなく、情報を伝える側の問題提起をするでもなく、偶々、事件に遭遇しリアルタイムで伝えられる状況だった、当時のクルー達の使命感や必死さ、その後の虚脱感が良質の人間ドラマになっている良作。
TVクルーが目撃したことをそのまま再現している。逆にいえば見ていないものは映像化されていない。その潔さと主張のシンプルさを評価すべき作品です。
ミュンヘンオリンピックでのテロ事件を題材にした映画作品といえばスピルバーグの「ミュンヘン」。事件後のイスラエル側からの復讐が主題なのだが冒頭で10分間にわたってABCのミュンヘンからの中継(ジム・マッケイがアンカーを務めた)が取り上げられている。
本作と見比べてみればここは全く同じであって、9億人が目撃したと言われた中継がどれだけインパクトをもって記憶されているかがよく分かる。
今回、事件のディレクターであったジェフリー・メイソン(ジェフ)からインタビューをするなどして、当時、ABCのTVクルーが目撃したこと、放送したこと、考えたこと、議論したことが忠実に再現されている。
選手村襲撃や最後の空港での銃撃など実際に起こった事柄がシーン化されていないのでよく分からない、つまらないというレビューもあったが、この映画はあくまでもTVクルー視点であるので彼や彼女たちが目撃していないことは描かれない。このあたりは実に徹底していて潔い。スピルバーグの「ミュンヘン」が作り物に思えてくるほどだ。しかしながら、これはドキュメンタリーではなく、あくまでもドラマであると言い切れる。それは一つにはこの時の報道姿勢とかを問題提起したり告発したりすることを趣旨としていないから。確かに、警察無線の傍受など明らかに違法と思われる部分はある。ただ、犯人側がTVで中継を見ることで警察の行動が筒抜けになってしまったり、結果として誤報をしてしまったりするところは、中継におけるリスクというべきものであって、基本的には発信側がその時々で情報を固め、十分な議論をした上で、どの様な放送をするべきかを決めることが原則なのだと思う。つまりこの映画のTVクルーの報道姿勢は何も間違ってはいない。むしろどこよりも早く、正しく、かつリアルな放送を進めようとしたクルーの熱い姿を描いている、そういう意味では人間ドラマなのである。
臨場感がヤバイ
報道の自由と知る権利と人命の優先順位
かなり重い気持ちで観終わりました。
恥ずかしながらこの事件を知りませんでした。
今の時代でテロのニュースを聞くより、「世界で初めてのテロリストの中継」というこの事件はどれほど世界に衝撃だったのかと思います。
なのに普通にオリンピックの試合は続行されていたとは驚きでした。
オリンピック関係者の危機感が少なすぎたように思いました。
中継したABCテレビの方々に複雑な気持ちが残ります。
「報道するのは自分達しかいない」という責任感より、「報道するのがスポーツ担当の自分達」というエゴのように感じました。
人質の人達の事を考えれば、中継する事によってテロリストに警察の動きが筒抜けになっている事やドイツ警察に中継を止められてもまた中継するとかありえないような。
実際にABCテレビの人達はテロを起こしたわけでもないし、テレビマンとして当然の事をしただけかもしれないけど、やはり報道のあり方はどうなのかと思ってしまいます。
ラストのシーン、あの人の心の中は、中継した事への後悔があるのか、あんな悲しい結末になってしまった衝撃なのか、どんな思いだったのかとか、とても重い気持ちでいっぱいになりました。
いま世界が直面している課題をそのまま凝縮している作品
ドキュメンタリー風映画?
事件は現場で起きている、そして、バッドエンドへ
先日LoveFM(福岡市)の朝ワイド番組『Top of the morning』内で紹介されたことで興味を持ち、元々ミュンヘンオリンピック事件のことを少しは知っていたが流れまでは押さえていなかったので、ムビチケが当選したのもあり早めに観ることにした。
【事件は現場で起きているんだ!】
1972年のミュンヘンオリンピック(当時西ドイツ)の選手村に過激派テロ組織『黒い9月』が侵入し、イスラエル選手団を人質に立てこもった事件当日の9月5日、ジェフリーやルーンをはじめとする米国ABCテレビのオリンピック取材チームは急きょ事件現場の選手村からの中継を行うことになった。
米国の本社と取材の主導権をめぐる争いが起こるも「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」と言わんばかりに報道部門ではなくオリンピック取材チームが中継を主導。
奇跡的に現場を脱出した選手のひとりをインタビューしたり、取材クルーを米国選手団に偽装して現場に突入させたり、ラジオを改造して警察無線を傍受したり…と、通常ではあり得ない手段で中継に臨んだ。
ドイツ人通訳・マリエンヌの力もあり、情報収集は進む。
【ぬか喜びとバッドエンド】
しかし、ほぼ同時期に起きた日本の『あさま山荘事件』に似て事件の推移がテレビ中継され(9億人の視聴者が観たという)、警察の動きが過激派に筒抜けになったことで警察の作戦に支障が出たことで中継チームが警察の圧力で一度潰されそうになった。
その後、あることで取材チームは『ぬか喜び』状態に陥る。
これは事件のことを少しでも知っている人には辛い展開である。
この『ぬか喜び』、もし自分たちがあの中にいたら批判できるだろうか。
裏も取れてないのに軽々しくニュースに流すな、というルーンの忠告が痛い。
結果として事件は悲劇で幕を閉じる。
1970年代の世界情勢を知っていると当時の空気感を思い出すことができるだろう。
あとは、放送技術(特にテレビ局)に関心がある方だとより興味深く観ることができるのではないか。
事件の後日談にも興味がある方は、その後のイスラエル諜報機関『モサッド』と『黒い9月』の攻防がテーマの『ミュンヘン』もご覧になると良いだろう。
あえて見せないんだと思うけど
2025年劇場鑑賞49本目。
エンドロール後映像無し。
パンフレット無しなのでマイナス0.5。
この事件、記憶になかったのですが、スピルバーグのミュンヘンで触れられていたんですね。全く記憶に残っていませんでした。結構悲惨な事件で、しかももしかしたらこいつらのせいでここまで事態が悪化した可能性がある以上、実際の事件の様子を映像化せず、怪獣映画で一切怪獣が出てこない「大怪獣、東京に現わる」みたいな感じにして、ちょっとクッション置いているのかな、と邪推しました。報道局で情報が文字でしか入ってこないもどかしさみたいなのは感じられましたが、その分事件の悲惨さが薄れてしまうというか。
ショウタイムセブンと題材が似ているのも皮肉ですね。
極めて今上映されるに相応しい映画
1972年のミュンヘン五輪で起きたテロ事件を描いた映画。事件の当事者ではなく、事件の報道をするテレビクルーの視点で描かれています。
で、その視点こそ、この作品に対する好みが分かれるポイントじゃないかなと思います。描かれているのは、事件の犯人でも被害者でも、警察でもなく、その家族でもありません。報道するテレビ局です。だから基本的に事件を外から見るだけ。「外野じゃねえかよ」と思う人や、人質に感情移入する人は共感できないかもしれません。
奇しくも先週公開された『ショウタイムセブン』に続き、メディアのあり方を問う作品を2週連続で観ました。片方は現在を舞台にした作品。もう一方は生まれる前の事件を描いたもの。断然1972年のこの映画の方が、今この時代にマッチした映画だなと思いました。
メディアのミスリードが世論や事件の結果を変えてしまう。その危険性について、僕たちは改めて考えねばならないのではないかと思いました。
日本の大手映画会社ではほとんど作られないタイプの作品だと思います。こういう作品がたくさんの人に見られて、日本でももっと作られるようになればと願います。
テレビマン
実話ベースだからなのか、期待通りに展開しない
ミュンヘンオリンピック、日本男子バレーが8年計画?で金メダルを目指し宣言通りに世界一に輝いた熱狂の舞台で、こんなことが繰り広げられ、しかも協議は中止せず、まるで平穏無事化の如く「平和の祭典」が幕を閉じたとは……
キャストには「ありふれた教室」の先生が通訳役で出ているじゃない!製作にはショーン・ペンが名を連ねている。
対テロの収束方法の是非はさておき、局面局面における瞬時の決断を迫られる面々の葛藤はよく描き出されていたと思うし、まだまだ戦後・分断されたままのドイツの世界へ向けての「見栄」、そしてアナログな時代での通信方法など、観ている最中にいろんなところに感情移入できてモヤモヤしたり憤怒したり、悲嘆にくれたり、緊迫感が持続する作品でした。
分断が進む今の世の中に不安を強くもしました。
その日、二十時間の顛末
尺が共に百分弱との共通項を始めとし、
一週前に公開の邦画〔ショウタイムセブン〕と
かなり重なる部分が。
勿論、先の作品は{フィクション}、
こちらは{ノンフィクション}との違いはあれど。
放送の現場で
突然訪れたまたとない機会に
臨機応変に対処する中で、
数字や栄達を求める態度や、
事実を報道することに向き合う姿勢が
独特のスピード感で描かれる。
とりわけここでは、
制作陣がワンチームとなり
以心伝心で一つの有機体のように機能し事に当たる。
観ていて胸のすく思い。
1972年は、
イスラエルに対するパレスチナの武装組織による抗争が
とりわけ多くあった年との記憶。
5月8日には「黒い九月」による
「サベナ航空572便ハイジャック事件」。
その失敗を受け5月30日には
「日本赤軍」による「テルアビブ空港乱射事件」。
そして9月5日の、やはり「黒い九月」による
「ミュンヘンオリンピック事件」へと繋がる。
それを衛星中継で全世界に配信したのが
アメリカ「ABC」のスポーツ番組制作クルー。
まるっきり畑違いのフィールドも、
目の前の好餌は逃さずとの
ジャーナリストの本分を剝き出しに、
知恵と駆け引き、コネクションを駆使し
放送を継続。
人質が中継中に射殺されたらどうするのか、や
テロリストも自分たちの映像を見て情報収集しているのではとの、
生放送故の葛藤のエピソードも挟み込まれる。
その時の緊張感に満ちた副調整室でのスタッフの表情は
ドキュメンタリータッチの本作の中でも白眉。
一方で眉を顰めるのは、
政治や組織が絡むうさん臭さ。
テロ事件が起きても、当時のIOC会長『ブランデージ』は
オリンピックの継続を指示。
方や、命の危険が迫るイスラエル選手団をよそに
非日常の祝祭が何事も無かったように同衾する。
『マーク・スピッツ』は七つの金メダルを獲りながら、
身の危険を感じいち早くアメリカへ帰国したというのに。
そして最終盤での、人質全員解放との噂や広報発表。
当然、悲劇的な結末を我々は知っているのだが、
何故にこうした情報が流されたか。
現代にも繋がる、情報操作のテクニックを見る。
報道する際に、複数のソースに当たる必要性は
メディアには当然求められるも、
受け取る側もリテラシーを高く持たねばならぬことを改めて認識する。
最後の場面での、えも言われぬ余韻も
やはり近似さを感じさせる要素。
一つの事件が終わっても、
明日はまた異なる報道に当たらねばならぬ。
耳目を集める、
新たな出来事が画面を席捲するかもしれないのだ。
怒涛の90分、疲れた。
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