「生きる希望を得られたのだろうか」アマチュア satoさんの映画レビュー(感想・評価)
生きる希望を得られたのだろうか
復讐劇と言うのは古今東西安定して人気のあるジャンルである。
それはつまり我々は常に復讐までとはいかずとも、誰にも明かす事の出来ない暗い感情を抱えて生きているのかも知れない。
この作品は愛する妻を殺されたCIA職員であるチャーリーが冷静に緻密に時に大胆に、怯え葛藤し苦しみながらそれでも静かに計画を実行して行く。
そうする事でしか前を向けないから。
この手の作品によくある「弱く経験もない無力な主人公が最高の理解者であり最強の師匠に出会い成長して行く」ストーリーなのかと思いきや、チャーリーの持つ武器は最後まで変わらない。
自身の持つその頭脳と、CIA分析官として培ったスキルと、妻を愛すると言うただ純粋な気持ち。
作中何度もチャーリーはサラの幻覚を見る。
これはチャーリーの心が壊れていく描写なのかと思ったが、きっと逆で、心が折れそうな時、気持ちが揺らいだ時、自分の信念を思い出す為なのだ。
愛する妻はもういない、何故なら理不尽に殺されてしまったから。
自分が後悔している責任を誰かに押し付けたい、あの時一緒に行っていれば、でも行かなかった、だから妻は殺されてしまった。
ならば自分が殺すしかない。
復讐なんてものはどこまでも身勝手で、これくらいシンプルであるものなのだと思う。
大義名分などいらない、思い知らせてやりたい。それだけでいい。
その為に誰かを利用しようとも、それで何もかもを失っても、それでもいい、止まれないから。
この作品はミスリードを誘う演出が多く見られた。
それはチャーリーの優秀さを裏付けると共に、私達に思い知らせるのだ。
「チャーリーを見誤った」と。
妻を殺され自暴自棄を起こす哀れな主人公ではなく、どこまでも冷静に、時に人を利用し、虎視眈々と標的を狙う。
その姿は、まさしくプロであった。
最後まで引き金を引く事のなかったチャーリー。
それは彼の甘さでもあり、優しさと人間らしさを感じさせた。
どれだけ復讐が成功しようとも、彼の傷が癒える事はないのだろう。
それでも、あの晴々としたラストシーンの大空はチャーリーの生きる希望にも感じられた。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。