劇場公開日 2025年4月4日

「勝手な意見ごめんなさい」おいしくて泣くとき R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 勝手な意見ごめんなさい

2025年10月13日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

2025年の作品 同名タイトルの長編小説の実写化
思い描いた夢
または、そこしかないと考えてしまう着地点
でも現実は真逆を突きつけてくる。
この物語は、誰にでもあるそんな出来事に寄り添うように手向けられる。
例えば私が50代で、当時の環境などを含めた時代は現在とは異なるし、何にも増して現代を生きる若者との思考の差となってその違いを感じることができる。
この物語の時代背景は、いじめ問題が地域ごとで考えられていた時代。
高度成長期の終焉からバブル経済が弾け、1億総中流意識から格差社会へと移行した時代。
様々な意味で多様化が始まり、人々が分散化した。
それでも助け合う精神はまだ日本人に残っていて、貧困にあえぐ子どもたちに食事を与える人々が登場した。
そんな子どもたちの家庭事情は単に貧困だけではなく、親による虐待またはネグレクトが同時に起きていた。
この家庭問題に関しては、行政機関は未だに踏み込むことが難しい。
それは学校でのいじめに発展し、見て見ぬふりの人々も普通にいた。
いじめを受ける側はいつも決まっていて、基本的にそれを助けるものなどいなかった。
いじめられる側の卑屈さが顔の表情に現れだすと、いじめはますますエスカレートする。
この物語の当時は、きっとそんな時代だったのだろう。
主人公風間心也と父が始めた「こどもごはん」
今で言うところの「子ども食堂」
必要なことにもかかわらず、それを偽善だとするいじめ
身体的特徴や、ハンディキャップ、そして貧困と親の職業は、いじめの格好のターゲットだ。
そして、いじめられている者同士が肩を寄り添いあう。
心也は、そんな家庭事情の同級生らのことをあまり見たくないし、知りたくもなかったのだろう。
学校から帰っても、「まだ腹減ってない」という言葉に、そんな気持ちがあるのを感じてしまう。
「学級新聞コンクール」という設定はなかなか良かった。
靭帯損傷でサッカー部を一時休部していた心也は、女子から嫌がらせの的だった新井夕花との接点がここで生まれた。
この設定は学園ものならではの自然な流れで、違和感がない。
夕花の貧困を感じていながら知らないフリをしていたのも、らしくて良い設定だった。
同じ時間を過ごすうちに、心也の中に芽生えてきた恋心
それが恋だと、しばらく気づかないのも良い設定だった。
心也にとって、「守りたい」ものは、かつて母親だったのだろう。
母が死んだことは、裏切りだと思っていた。
母を守れなかった自分の無力さを、心也は母が「守らなかった」約束に置き換えた。
これが彼のトラウマのようになってしまい、誰とも不明確な約束をするのを拒むことになった。
夕花は、たとえそれが嘘であっても「約束」という名の希望が欲しかった。
ほぼ絶望しかない家庭の中のつっかえ棒を求めていた。
「無力」
まだ幼い二人の夢や希望は、あまりにも遠くにあって、今の二人には無力だった。
夕花が公衆電話でかけたのは110番
行政機関に求めた保護だった。
惜しかったのは、夕花を見つけた継父のシーン
あの場面は、当時ずさんだった行政による保護と、その所為で発見された夕花の居場所、そして継父による激しい暴力によって、夕花の記憶が失われたシーンに置き換えてほしかった。
また、
15歳の二人と45歳の二人は別俳優だったこと。
設定上致し方ないが、ハリウッドであればできる技術だ。
1992年の「フォーエバーヤング」が頭をよぎってしまう。
ここが本当に悩ましい。
ディーン・フジオカさんや尾野真千子さんではなく、長尾謙杜くんと當真あみちゃんの老いをメイクアップしてほしかった。
逆に「高梨萌香」の登場シーンで、彼女が何者かおおよそ予想できたが、そこにどんでん返しがあったのは良かった。
そして何故、いつも焼きうどんだったのか?
それが最後に出てくるのも感動的だ。
しかしながら、
この物語は、ひとつは中学生を対象としているように感じた。
等身大の彼らに感じてもらいたい物語だったのだろう。
作品の中にほとんどすべてが描かれていて、最後のタイトルに着地するように作られている。
行方不明になって30年という意味
義理の弟が探しても見つからない姉
そこで起きた事件
店に車が突っ込んできて店が壊れてしまう。
この事態に、無償で改修工事を請け負うと登場した「高梨萌香」
さて、
中学生の視点ではあるかも知れないが、夕花を待ち続けた心也
しかし彼女は結婚して娘を設けていた。
この事実は、中学生の心に何を感じさせるのだろう?
心也は自身とコウタの力を借りながら夕花を探していた。
もちろん結婚はしていない。
記憶をなくしたことと、新しくつけられた名前 建築士になって結婚した。
この事実に関しての解釈は、40代以上が対象となるだろう。
「母の頭の鍵を紐解く」というミッションを自分に課した萌香
その設定は、なかなか突飛だった。
ただ、幼き心也の母との約束があるので、この部分は非常によくできていると考えることができる。
そして、
このどうしようもない人生の不条理 映画の魅力でもある。
映画では夕花が昔を思い出していた。
夕花が記憶をなくしたのは、石で頭を打った所為だった。
しかし、突発的な事故のようなことではなく、やはりそこに異常な行為があることで、夕花は「人生のすべてを忘れたい」から、忘れたように見せてほしかった。
同時に「どうしても忘れたくないこと」があった。
それが焼きうどんの匂いで揺らぐように思い出す。
でもそこには不完全な思い出だけが残っていて、顔などは思い出せない。
それを見ている心也は、「その美しい思い出の一部を思い出した夕花のことを理解した」だけで、30年という時間を昇華することができたという着地点にしてほしかった。
つまり、従業員の「ユウコ」は、ずっと心也を支えていて、「それらがあの最後の瞬間にそれぞれのパズルのピースに落ち着くのだろう」という余韻が残っていたら、この物語は最高だった。
誠勝手な感想で申し訳ないが、なかなか奥深い物語だった。

R41