「ドラマの必要性について考える」新幹線大爆破 0gさんの映画レビュー(感想・評価)
ドラマの必要性について考える
本作は普通の人間しか出てこないからだろうか、登場人物が全体的にうわついて見えてしまい、いまいち作品に入り込めなかった。
(喚きたてる事によるキャラづけが多かったような…)
作品的に草彅氏演じる車掌(主)が主役という事になると思うが、こちらもどうも捉えどころがない。冷静に職務を全うするプロフェッショナルという役回りなのだろうが、その人となりがわかるようなイベントは特になく、車掌としての信念や葛藤を魅せるようなドラマが有るのかと思えばそれもなく、ただ感情の薄い人というイメージのまま終わってしまった。
車掌(副)についても、「プロフェッショナルではない方」くらいの位置づけか…と思っていたら中盤、不運な事故(?)で作中唯一の負傷者となり緊張感が走る。いやただの負傷者ではない。瀕死である。そうはならんやろという刺さり方をしているが、それ故に分かりやすく瀕死である。血もすごい出ている。いや出すぎである。予定が調和するから予定調和なのであって、ここまで血が出てしまうと話が違ってくる。客観的に見て明らかに手遅れの相手に向かって車掌(主)が何度も頑張れ、と励ますのだがそもそもキャラが立っていないので励まし方にバリエーションがない。車掌(副)の方も、最早演技を感じさせないレベルの完璧な瀕死状態であり、いくら呼びかけても反応は無く、よって有りがちなお涙頂戴のドラマも発生しない。リアル志向と言えなくもない。しかし車掌(副)がまだ生きている前提で物語が進んでいるのが気になる。そろそろ脈をとったらどうだ。
閑話休題
犯人役の人は非常に難しい役だと思うが好演していたと思う。学校の先生や議員の先生、秘書の人なども安定感があり良かった。
対して草薙さん、のんさんなどの主役陣も自身の色を出すのが難しい役の中で無理のない演技をしているなという印象を受けたが、結果としては作品の山場である筈の「車掌(主)が犯人の首を〆るシーン」に説得力を与える事に失敗していたと思う。(役者云々の話ではなく、本来あそこは列車の安全な運行を守る車掌としての判断、行動と言うものを見せたかったと思うのだが、そもそも彼に何の肉付けも為されていないため、「ただのおっさんがトロッコ問題の常識的な解としてJKの首を締めている」図にしかなっていない)
そう言えばこの首絞めシーン、映像では表情や指の動きから首を〆るのを躊躇っているようにみえるのにSEは首が締まっているようなミチミチ…という音がしており、どっちやねん!となった。まぁそこは最早些事かも知れない。
結果的に誰ひとり犠牲者は出ず、とナチュラルに書きはじめてからお父さんの事を思い出した。まぁ必要な犠牲というものもありますからね(適当)
色々書きたいことを書きましたが、本作は新幹線という馴染みのあるシステムとそれを運用する人たちの活躍を楽しむパニック映画で人の物語の部分は本質ではないという事でしょうか。私はパニック映画だろうが人の行動に説得力や整合性は必要だと思うのであまり本作を評価することは出来ません。
しかし令和の時代に最新VFXを使い、それも新幹線で複線ドリフトをやるのはシンプルに馬鹿だと思う(褒め言葉