映画を愛する君へのレビュー・感想・評価
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ドラマとエッセイが融合した不思議かつ温かい手触り
本作はアルノー・デプレシャンの監督作『そして僕は恋をする』『あの頃エッフェル塔の下で』でお馴染みの主人公ポールが幼少期、少年期、青年期と歳を重ねる姿を点描しつつ、成長の傍らにいつもあった映画の存在、および映画の誕生から現代に至るまでの歴史や人々へのインタビューをも独特のタッチで絡ませた一作だ。すなわちドラマとドキュメンタリーとエッセイが一緒くたになった異色な味わいと言うべきか。そのデプレシャン流としか形容詞しようのない語り口からは、「映画とは何か」という命題をただ難解に突きつけるのではなく、あくまで温もりあるドラマや日常風景に差し込む光のように優しく浮かび上がらせようとする趣向が感じられる。きっと観る側も自ずと胸に手を当て、初めて観た映画のこと、映画館の思い出、香り、一緒に見た愛すべき人の記憶を強く蘇らせるはず。そんな観客一人一人の積極的な共感あってこそ、この映画は完成するのだと強く思う。
残念ながら愛していないことを知りました。
映画を愛する君へ
このシネマエッセイ、全く面白くもなく、勉強にも、参考にもならなかった。
まあ、彼と同じようには映画を愛してはいないとして、
溜飲を下げます。
(^ω^)
映画を愛する君へ
フランスの名匠アルノー・デプレシャンが自身の映画人生を投影しながら、
映画の魅力を観客の視点から語り尽くした自伝的シネマエッセイ。
「そして僕は恋をする」「あの頃エッフェル塔の下で」でマチュー・アマルリックが演じたポール・デュダリスを主人公に、初めて映画館を訪れた幼少期、
映画部で上映会を企画した学生時代、
評論家から映画監督への転身を決意した成人期を、
19世紀末の映画の誕生から現在に至るまでの映画史とともに描きだす。
本編には映画史に功績を残した50本以上の名作が登場し、
デプレシャン監督が尊敬するアメリカの哲学者スタンリー・カベルやフランスの批評家アンドレ・バザンの言葉も引用しながら“映画とは何か”をひもといていく。
主人公ポール役には成長に合わせて4人の俳優を起用し、
マチュー・アマルリックが本人役で出演。
「ママと娼婦」のフランソワーズ・ルブランが祖母、
「落下の解剖学」のミロ・マシャド・グラネールが14歳のポール、「みんなのヴァカンス」のサリフ・シセが30歳のポールを演じた。
映画を愛する君へ
劇場公開日:2025年1月31日 88分
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 『ニュー・シネマ・パラダイス』みたいな映画かと思っていたら大違いでした!
スタカンだ!
ナレーションは英語だった。
この映画は、「アメリカは(エジソンにより)最初の映像(キネトスコープ)を発明したが、フランスは(リュミエール兄弟により)映画(シネマトグラフ)を見出した」という言葉で始まる。この「映画の歴史」の部分で、英語のナレーションを務めるのは、フランスの俳優で監督をすることもあるマチュー・アマルレック。
50を超える映画のドキュメンタリー・タッチの紹介に、アルノー・デプレシャン監督の「個人史」が入れ子のように挟み込まれる、彼の分身であるポール・デダリュスが(4人の子役や俳優たちによって)6歳の子供の頃から、いかに映画と親しみ、学校、大学を経て、映画評論家となるが、やがて映画監督に転身してゆくかが、フランス語のドラマ(フィクション)の形で描かれる。
ポイントは、二つあるように思われた。
一つは、パリ第3大学の講義で、アメリカの哲学者スタンリー・カヴェルの引き写しと思われる「演劇では、観客の座る位置によって見えるものが異なるが、映画では、監督の(ただ一つの)視点に委ねられる」という言葉が、ドラマの一部として出てくる。講義のすぐ後、
「映画の歴史」の一部として「ノッチングヒルの恋人」でのヒュー・グラントとジュリア・ロバーツの一場面に繋がってゆく。
「映画の歴史」と「個人史」が交錯する最大の場面が、クロード・ランズマンの「ショア」。ポールに最大の衝撃を与えた映画として、ホロコーストを取り扱った9時間半に及ぶ映画が紹介された後、この映画の代表的な論客であるユダヤ人女性学者ショシャナ・フェルマンへの(テルアヴィブでの)インタヴューが出てくる。映画は、もう誰も見ることができない(あるいは隠している)情景を切り取って見せることができる、これが最大のメッセージか。映画作家には、重い責任があるわけだ。
一見すると、フランス映画らしく晦渋で、何を言いたいのか、さっぱりわからない、ということになるだろう。しかし、英語のナレーションとフランス語のドラマに代表されるように、アルノー監督は多面的で、映画を劇場で見ることだけでなく、テレビやストリーミングで観ることも許容しているのだ。彼の「個人史」が、それを示しているように。この映画の原題にそれが現れているSpectateurs(観客たち)。
映画愛はわかるが…
思ってたのとは違ったけど
どうも、ピンとこなかった
途中挿入される映画館エピソードがいい感じ
正直そこまでデプレシャンが好きというわけでもないのだけど、その存在を知った時から観たかった映画。みんなが言ってるようになんとなくゴダールの映画史ではないけどもう少しカジュアルなシネエッセイ的な小品。
とはいえ、途中のコッポラの映画に並ぶふたりの女の子と関係を持つというエピソード(片方が雨に濡れてスタイルカウンシルが流れてるとこ)や、ひなぎくをシネクラブ上映するとことかの劇映画の感じが好きで無限に観ていられる。映画館で映画を観るという行為の考察とか、映画文化の真髄を探ろうとしつつ、終盤はほぼ『ショア』と私。そしてラストカットのシナリオ書いてるバックショット通り、もう誰に観てもらうでもなく映画の考察なのだけど、まったく嫌にならない。
「映画を愛する私」
次はどんな映画と出会うだろう
ドラマとドキュメンタリーを融合させた詩的な自叙伝
文句なし!より映画・洋画を観ていきたいと決意した作品
文句なし❗️素晴らしかった。
監督の自伝的映画だが、ドラマとドキュメントの融合作品。
むしろ自分は今までいろんな映画を観てきたが、これで良かったのか見つめ直す事ができた作品でもある。
自分の映画ライフと比較しながら観るとこの作品の価値が更に増す。
早くも年間ベスト級の作品登場。
リピートも確定。もう一度観たい。
おすすめします。自分の映画ライフを振り返る意味でも。
この作品に出会えて良かった。
映画が好きで良かった。
面白い作り
フィクションとドキュメンタリーが合わさった構成で初めは戸惑ったが監督自身がインタビューするシーンがよかった。特にランズマン監督による映画「ショアー」について記事を書いた女性へのインタビュー。「ショアー」は、ホロコーストから生還した被害者、関わった加害者を訪ねて粘り強く証言を聞き映す映画。上映時間は9時間以上だが、一日か二日間か忘れたが大学で仲間と見た。長さは気にならなかった。当時「ショアー」で最も印象的だったのはトレブリンカ強制収容所へ続く真っ直ぐの鉄道線路の映像だ。「ショアー」では全部、現在形で語られる、という指摘を聞くことができただけでこの映画を見た価値があった。ランズマン監督が亡くなったこともこの映画で知った。
実際の映画からのシーンが沢山挟まれていて、冒頭でいきなり来たのが「エイジ・オブ・イノセンス」!ダニエル・デイ=ルイスをスクリーンで見ることができたのは望外の喜びだった。
映画とリアリズム(超私的)
2024年。アルノー・デプレシャン監督。幼いころに映画に魅了され、次第に映画漬けとなっていき、青年期に映画監督になろうと決意するまでの自伝的と思われる過程を、それぞれの時代の映画作品とともに描く。同時に、リアリズムをめぐる映画史的な議論を追いかけて、リュミエール兄弟からアンドレ・バザン、トリュフォー、ランズマンを取り上げて考察する。
個人的に偏愛する作品の魅力を詳細に解説し、その意義を裏付けてくれる理論(リアリズム)を追いかけて自分なりに解釈し、その道筋をフィクションとインタビューを交えて作品化するなどということは、多くの映画ファンが夢見ながらも現実には決してできないことであり、それをやっているのは映画好きとしてはうらやましい限り。ずるい。
もちろん、ここに挙がってないすばらしい作品は無数にあるし(「エイジ・オブ・イノセンス」への評価が高すぎないかとか日本映画は黒澤明「乱」のみでいいのかとか言いたいことはたくさんある)、リアリズムだけが映画理論ではないし、フィクション化するには無数の方法があるから、ダメだしすれば切りがない。しかし一つの作品として結実してしまうのはやはり「うらやましい」が先に立つ。
名曲Ruby's Armsで締められたら…
タイトル通り、映画監督のアルノー・デプルシャンの映画へ愛を沢山込めたエッセイのような作品。
映画の始まりの解説から始まり、映画に魅せられた少年が映画監督を目指すまでを、数々の名画の1シーンと共に切り取った、ちょっと変わった作品。
数々の作品が登場し、知っている作品が出てくると、思わずニヤリとしてしまう。
~映画を好きな人の数だけ、それぞれに思い出深い作品がある~
ラスト、郷愁と憧憬が入り混じった名曲トム・ウェイツの「Ruby's Arms」で締められていて、先人たちに対する感謝と憧れ、そして、これから現れるであろうまだ見ぬ映像への想いがずしっときた。
トム・ウェイツの曲で締めるなんて気が利きすぎてる。
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