グッドワンのレビュー・感想・評価
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少女の感情の流れを実にしなやかに描写している
観賞後、知人が「ライカートの『オールド・ジョイ』を思わせる」と語っていたが、時間が経つにつれ、なるほどその通りだなと感じるようになった。ティーン少女と父とその友人が3人チームで森に入りキャンプのひと時を過ごす。それだけといえばそれだけだが、そもそも自然を描いた映画にはマクロとミクロの目線が欠かせないもの。山や森を感じ、なおかつ水の滴りや生き物達にも目を向けるかのような観察こそが、3人の間で交わされる言葉や心理を紐解く上で重要なのかもしれない。そして何より、誰しもが通ってきた成長期に思いを馳せたい。人は必ず親に対しNOと意志表示する時がくる。少女にとって今がその時。明晰な彼女が自然と呼吸するかのように感情を研ぎ澄まし、「いま私は怒ってますよ」のサインを伝える。その一連の描写がまさに流れる川のごとくしなやかで魅力的。情けない中年男たち(しかし芸達者)の狭間で新星リリー・コリアスが際立っている。
男
サムがOKと言ったら、マットお前どうするつもりだったんだ。
節分の日の『ばけばけ』で、司之介が相撲取りと喧嘩した。司之介は元武士だが、武道に秀でているはずはなく、劇中で描かれている通り、武士としても父親としてもダメダメだ。でも、そんな司之介でも娘が侮辱された時は、絶対勝てないのに相撲取りに向かって行った。
これだよ、クリス。確かにマットはキャンプに寝袋を忘れるようなバカだ。だけど、バカの戯言と一笑することではないんだ。マットをボコボコにしなくても、本気で怒るべきだ。これが、母親ならマットは、もう出禁だろうなあ。
バカマットが夜中にテントで食べ物を広げたときは、「クマが来たらどうする!娘を危険にさらす気か」と激怒したくせに。これって、もしかしてマットならパンチ1発でやっけられるが、熊は無理だから。クリスは自分で全てをコントロールしていると思ってるんじゃないか。友達も娘も。そして自らの人生も。でも、娘の母親とは離婚しているし、娘の気持ちも解ってやれない。なぜ、彼女がバカと彼を残して黙って車に戻ったのか。
余談だが、舞台となるキャッツキルと言えば、ロバートBパーカーの『キャッツキルの鷲』を思い出すが、『初秋』ではスペンサーが親のネグレストにあったポールをキャンプで鍛えた(救った)が、『儀式』の売春をさせられている少女エイプリルには、なんと高級なその手の店に移籍させる。その後、ポールはバレエダンサーとして成功するが、エイプリルには。スペンサーもクリスと同じだよ。アメリカのマッチョ系男子ってやっは。
余談談だが、エンディング曲はグッド👍️。でも、歌い手がボブディランよりももっと前の人とは😱❕
Indigo Days
父と娘と父の友人の3人でのキャンプって流石に年頃女子はその旅行断らない?と思いましたが着いていくのねとメンタル強いわ〜って思いながら観始めましたが、大人2人が中々にはっちゃけているので信頼が揺らいでいくという気持ちの置き場が難しい作品でした。
旅の最初から居心地があまり良くなく、それでいて1日目から大人2人が自由すぎたり、発言がいきすぎていたり、無意識的に娘の扱い方が悪かったりと、どこか前時代的すぎる人たちなので、娘と近い年代なのもあってイライラは確かに伝わってきました。
それと同時に自分もクィア含めた同性愛にはやはり馴染めないところも多く、それが普通になっていってるとはいえどこか嫌悪感が残っているのもまた確かだなと思ったり。
もっと発散するシーンがあっても良かったのになとは思いつつ、溜め込んだものが言えないという感情は自分も近しく経験しているので分かるよ〜と共感していました。
とんでもないキルエンドへ向かうか!?と思いましたが、非常にビターな終わり方をしたのは敢えてなのかなーと思いました。
大人2人の醜いところを浮き彫りにするのが本題なのかなとも。
かなり静かかつ行間空きまくりで考えさせられる映画なのもあった途中少しウトウト。
首がガクンガクンとなりながらもなんとか乗り越えてスクリーンにしがみついていました笑
自分があの場所に放り込まれたら…いやぁゾッとしてしまいますね。
息子みたいに逃げ出したいです。
鑑賞日 1/31
鑑賞時間 18:20〜19:50
大人になるまでのほんの少しの間
パパとその友達のおっちゃんと三人でキャンプって・・・これはアメリカでは当たり前?
しかも17歳で・・・
日本のお父さんなら娘に「はぁ?」って言われそう。
大自然の中で水を組んで濾過し、火を起こして調理して食べる。
使った食器は土で汚れを落としたり、川に飛び込んで泳いだり、楽しそうだった。
この子、いい子なんだなぁ。色々なことをちゃんと考えて育ったんだろうな。
両親の諍いなんか聞いて早く大人になってしまった部分と、子供ならではの潔癖なところがあって。
生理用品を取り替えるシーンが何度もあり、これは何を意味してたんだろ?
替えてる途中にお父さんが来ないかハラハラした。
なりたい大人になってほしい
このきもちわるさを共有どころか理解さえしてもらえないのはつらい。すごくつらい。
そもそもこの旅によく女の子ひとりを参加させたなと思う。
私は女の子を生んでから、『女の子ひとり』のシチュエーションをなにより恐れている気がする。そんなん取り越し苦労もいいとこだよ、という場面のほうが多いのは百も承知だけど、それでもなにかあったらという畏れをぬぐいきれないし、危険なめに遭わないとしても、女の子ひとりの息苦しさや面倒くささみたいなものを味わわないですむならそのほうがいい。
大人になんかなるな、と大人はかんたんにいうけれど、大人にならないとやってられないような思いを子どもにさせるのはいつだって大人だ。
私も年をとるにつれ、頑固になったり人の話をきかなくなっている気がする。そういう自分に日々おびえているので、客観的に痛々しい同世代をみているのはけっこうきつかった。
きつかったが、ひかえめだが彼女のこころの機微がとても丁寧につづられていて、そのこころの機微を理解できている(ような気がする)自分にすこし安心したりもした。
私たちも自分の老いを受け入れて、老いとうまくむきあえるようにがんばるので、若者たちも自分を信じて、なりたい大人になってほしい。
プロの映画評論家にこの気持ち悪さはわからない
色々が削ぎ落とされた環境の中で見えてくるもの。
「両親も自分と同じ人間なんだなぁ」と思えるようになった瞬間を、今も覚えている。2人の馴れ初めの紆余曲折をはじめて聞かされた、大学生になって帰省した日のことだ。観ていて、そのことをちょっと思い出した。
上映館のサイトのイントロダクションに、「ケリー・ライカートの系譜に繋がる」と書かれていたが、それも一理ある雰囲気をもった作品。
特に大きな出来事が起こらないので、そういう作品が好物の人にはオススメ。ただ、寝不足の鑑賞は注意。
<ここから内容に触れます>
・父とその友人のキャンプに同行してくれる娘というのは、自分の身近ではあまり想像できない。だから、まずは「何で?」が率直な感想。
ただ、観ているうちに、ステップファミリーの複雑さが明らかになってくると、彼女なりの気遣いが見えてくる。
・都市では、多くの人々や物事に囲まれて、頼れる父と庇護される娘という関係性の中で生活してきたことを想像させる彼女。だが、余計なものが削ぎ落とされた自然環境でのキャンプに向かう過程で、父の言動に対して、だんだんと疑念のような違った見え方が生まれてくるところが、こちらの心もざわつかせる。
例えば「娘の食の好みとか知らんのか、この親父は」と思わせる場面や、運転やホテルの部屋での子ども扱い、それに、仕事に対する姿勢も、ちょっと娘からすると残念な姿だったんじゃなかろうか。
・それでも健気だった彼女だが、若者キャンパーと一緒の場面での父やその友人の無遠慮な言動、そして、父の友人から自分が性の対象として見られたことの飲み込めなさ、その気持ちを父に訴えた後の反応のガッカリさが、整理できずに積み重なっていく感じがよく伝わってきた。
・きっと、父やその友人は、自分の思い通りに振る舞える生活を長らく送ってきたのだろうなと思わせる描き方で、観ているこちらもイタタタ…となる。
明らかに若者たちに引かれているところとか、無自覚な優位性のイタさを自戒させられた。
・子ども扱いには、子どもっぽい仕返しをしてやれとばかりのあれは、ちょっと意外でおもしろかった。(ただし、意味するものは、中々重い)
・そしてラストシーン。少なくとも、感情的な反応ではなかった父。娘の気持ちは、少しは伝わったのだろう。
2人はこれからどのように関わっていくのか。
あそこで切ったところはとても好みだった。
パパたち、愚かすぎ
主人公サムによる「パパたち、愚かすぎ」。
このセリフに本作の本質を見た。
このセリフをサムが放ったときは、まだ失笑レベルの呆れ方だったのだが、
父の友人マットによる「一緒に寝ようか」で完全に心が離れてしまうのだ。
サムは実に従順な娘で、父からキャンプも教わっていて、
料理もテント張りもなんなくこなす。
マットがテント張りに苦戦しているところに自然に手伝うのだ。
料理もサムがやるのが当然的な父と友人。いまどきどうなの!?この姿勢。
さらにそれ以前にレストランにおいても、サムに対して「ベジタリアンっぽい」などと
ほざく父とマット。ステレオタイプの典型と言ってよいだろう。
本作には父とマット以外にキャンプ場で出会った男三人組のキャンパーがいるが、
本当にガキっぽい。マウントの取り合い的な会話。これは父とマットも終始そんな会話だ。
前半は会話劇でもあるが、後半は完全にサムの表情のみで語る映画だ。
一貫してサムの表情と振る舞いで表現していて、
サムが何を考えて父たちの会話を聴いているのかは観客に委ねられている。
観客自身がモノローグ的にサムの気持ちを代弁しながら観るに違いないのだ。
父に勇気を出してマットに言われたことを告げるも、今日を楽しもうと宣う父。
昼寝をする父とマットを横目に、彼らのリュックに石を詰めこみ
一人山を降りるサム。そしてラストはリュックの石を車のダッシュボードに置く父。
サムのRevengeをしっかり受け止めた父。
サムは大人の道を歩み始めたのだろう。
静謐ながらなんとも雄弁に語るサムの表情の演技。
演じたリリー・コリアスの今後に要注目である。
美しい自然と心のざわつきが錯綜するトレイルムービー
サムの心のひだを丁寧になぞっていく描写が素晴らしい。また余白的沈黙を贅沢に取っている。このタイパと省略の時代になかなか出来ない演出だ。
おっさん達の、レッテル貼り、残念な言動、おふざけはサラッとかわし、悲哀にはさりげなく寄り添っている。サムはとっても「いい子」。ある意味大人以上に「大人」だ。
不適切にもほどがある風に言えば、「まあおっさんは酔ったら軽口ぐらい言うもんや」とか「コンプラのアップデート出来てなかった」となるのだろう。
でも世の中には大なり小なりこんな大人いくらでもいる。大人だからって全然大した存在じゃない。
悪人じゃないんだし、しょうがないよと開き直っている訳ではないが、かく言う私も無意識にそうなっている。かも知れない。あゝすみません、言い訳です。
なので、サムももう「いい子」でいる必要は全くないし、あの抗いは当然の行動であっていい。
多分父親はまだ理解できてないだろう、でも小石一個だけは持って帰ってきた。
だからと言う訳ではないが、「大人」になり切れない大人としては、中国の登山は一緒に行ってあげてほしい。ダメ?やっぱり無理かな。
怖い映画
見終わった時の後味がとても悪いのだけれど
見終わった時の後味がとても悪いのだけれども、私は中々良い映画だと思った。
気のおけない親密な話の進展の中で、序盤から小さな違和感が散りばめられる。それが各々の場面できちんと解消されないまま、主人公の心の中に滓のような物が溜まっていく感じがする。
終盤、親和的な共感の暖かい雰囲気から、予期していなかった答え合わせのように、急に奈落の底に突き落とされる主人公の気持ち。
世の中って実はそんなものなんだよとは思うけれど、これが現実であるならば、生きるって救いが余りにも少ないと思う。ま、そんなもんだけど。
主演のリリー・コリアスがとても魅力的。
ロケーションで見せる自然の包容力と、女の子の心の機微
17歳の女の子サムは、父親とその友人との3人で山歩きのキャンプにいく。
父親が山好きらしく、サムもそこそこ山歩きはわきまえている。
山歩きと言ってもそこらのハイキングコースの散策ではない。3日間キャンプしながら深い森や岩場を歩くのだ。
サムは父親を嫌いなわけではなさそうだが、喜んでついてきた訳でもなさそうにも見えた。
父親のクリスは、時に友人のマットに対して高圧的だ。
二人は若い頃からの付き合いで、キャンプ仲間でもあったようだが、マットは然程アウトドア慣れしていない。そんなマットをクリスはどこか見下したところがある。
それをサムは感じ取る。
森での最初の夜、たまたま若いキャパーたちと一緒になるが、二人は彼らをそっち退けで自分たちにしか通じない昔ばなしを延々続けたりする。
そこで、キャンプにマットが連れてきた女が一人で帰ってしまったという思い出話になる。二人はその彼女が変わり者だったと言いい、一人でどこに行ったのかその後の行方も知らないと言う。山深いキャンプ地だったとすれば、その女性は無事に帰れたのか心配ではないかと思うのだが、それこそその彼女は二人に辟易として逃げ出したとも思えなくもない。
一見ヤンチャそうで実は聡明なサムは、このときすでに父親たちの思慮の浅さに気づき始めていた。
主人公のサムを演じるリリー・コリアスは本作が初主演とのこと。
監督・脚本のインディア・ドナルドソンは、『カクテル』(’88)や『スピーシーズ』(’95)などの監督ロジャー・ドナルドソンの娘さんで、本作が長編デビュー作とのことだ。
サムが思うこと・感じることは、言葉では語られない。
唯一、父親にあることが「気持ち悪かった」と感情を吐露する場面が終盤にある。それに対する父親の反応が決定打となり、サムはある行動に出て、物語は結末に進む。
あの父親たちの若い日にキャンプから姿を消した女性が、この結末の布石だったのかもしれない。
ハイティーンという年ごろは多感な時期だし、色々と思慮の幅も広がってくる。大人の小ささも見え始める頃だ。
それは、男より女の子のほうが顕著だろうと、男の私は思う。男女の精神年齢の差が大きく開く時期でもある。
50代半ばのクリスとマットは、典型的な“男の子ジジイ”だ。女の子の気持ちなどに理解は及ばない。
結局、サムの最後の行動も彼らには理解できないのだ。かく言う私にも。
この映画はこれといって起承転結がある訳ではないのだが、森林や岩場、渓流や湖など山の深くを俳優たちが歩く姿をロケーションで見せていくところに惹きつけられる。
オープニングに映し出される河原に積まれた石が、終盤に映し出される。そこは三人が辿り着いた岩場の渓流の河原だった。点々といくつも置かれた積石は、誰によるものなのか…。
キャンプの一夜目でサムがインスタントラーメンを作り、三人は美味しいと言って食べるシーンがあるが、すすらずに食べるラーメンはどうも美味しそうに見えないのだが…(笑)
男の子は頭の中に大宇宙が広がっているが、女の子は心の中が深い無限の大宇宙なのだなぁと、この映画で感じた。
おっさんホラー映画
生理中の娘とパパがパパの友だちと3人でキャンプに出かける。冒頭から不穏さしか感じない。
パパは真面目で責任感はあるが、堅物で面白いことは言わない。友だちのマットは役者なのか多少は柔らかいみたいだけど、感情的で子どもっぽい。娘の立場からすると楽しいわけがない。だけど、今まで同様、親が望むいい子を演じる。
作り手が、キャンプ夜話のシーンで、これはホラーなんだ、怖い話なんだと出演者に語らせる。
「ブラックボックスダイヤリーズ」でも捜査官Aが発した、無邪気だけど、絶望的な一言。おっさんが娘にかける一言で物語が動く。
離婚というギクシャクした家庭で育った子どもは、反抗期が送れないという示唆がある。親にとって理想の子どもを演じることはできるが、親への反抗心がないから自我が確立しない。
人間にとって一番怖いこと、それは?
アップデートされない中年男たち
優しく、そして痛快な映画でした。
父親とその友人が、娘のサムと三日間の登山キャンプに出かける。サムはまもなく大学生になる年頃で、優しく気遣いのできる性格。ガサツで話の通じない中年男たちに対応し、忍耐強くその場の空気を取り持っていく。
だが、父親の友人のあまりに非常識な言動にショックを受け、父親に注意を促す。父親はまったく意にかけず、逆に彼女に的外れな教訓を垂れる。堪忍袋の緒が切れたサム。しかし父親は、彼女が何に怒っているのか理解できない。
サムは、遂に行動し男たちにお灸をすえる。それは、父親に成長のためのモラトリアム期間を与える行為なのかも知れない。一時が万事。早く気づいてくださいね。
少女とおっさん
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