HERE 時を越えてのレビュー・感想・評価
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時系列シャッフルしない方が、夫婦の幸福度の変化がわかりやすかったように思えた
2025.4.9 字幕 イオンシネマ高の原
2024年のアメリカ映画(104分、G)
原作はリチャード・マクガイアの小説『HERE』
定点カメラによるある一点で起こった過去を描いたヒューマンドラマ
監督はロバート・ゼメキス
脚本はエリック・ロス
物語の舞台は、アメリカ・フィラデルフィアのとある場所
かつては隕石の直撃を免れ、氷河期を過ごしたその土地は、やがて人類が生活をするようになり、先住民のコミュニティが出来上がっていた
1700年代後半に入り、開拓者のベンジャミン・フランクリン(キース・バートレット)がそこに入植し、周囲の開拓を始めてからいく
それから月日が過ぎた1900年代初頭、フランクリンの邸宅の斜め前に家が建てられることになり、そこに飛行機好きの夫ジョン(グウィリム・リー)とその妻ポーリーン(ミシェル・ドカリー)が住み始めた
だが、ジョンは飛行機への憧れを捨てることができず、家を引き払うことになった
その後、1940年頃に発明家のリー・ベックマン(デヴィッド・フィン)とその妻ステラ(オフィリア・ラヴィボンド)が住むようになった
彼らは、発明したリクライニングにて大儲けをして、その場所から引っ越すことになった
そして、第二次世界大戦が終わった頃、アル(ポール・ベタニー)とその妻ローズ
(ケリー・ライリー)がその家を購入することになった
彼らはリチャード(成人期:トム・ハンクス)、エリザベス(成人期:ローレン・マックイーン)、ジミー(成人期:ハリーマーカス)と言う3人の子どもに恵まれた
映画は、リチャードがマーガレット(ロビン・ライト)と結婚し、ヴァネッサ(成人期:Zsa Zsa Zemeckis)を授かる様子が描かれ、彼らが老人となって、空き家になったところを訪れる様子を描いていく
リチャードは父が施設に入った時に家を譲り受けていたが、どうしても自分の家を持ちたいと言うマーガレットと絶えず衝突してきた
やがて、アルを介護する段階になって、マーガレットとリチャードは別れることになり、アルも亡くなってしまう
リチャードはそこで画家になる夢を追い求めたが、やがてその家は売りに出されてしまった
そして、2000年代に入ると、今度はデヴォン(ニコラス・ピノック)とその妻・ヘレン(Nikki Amuka-Bird)、息子のジャスティン(Cache Vanderpuye)が引っ越してきた
彼らにはラケル(アーニャ・マルコ・ハリス)と言うメイドがいたが、どうやら彼女はコロナによって亡くなり、デヴォンたちも引っ越さずにはいられなくなったようだった
そして、空き家になったところに、認知症になったマーガレットを連れて、リチャードが訪れることになったのである
時系列で書くとこんな感じになるのだが、映画はそれを思いっきりシャッフルしまくっているので、どのような並びになっているのかが分かりづらい
テレビ番組や家具などで時代を表していて、そのシーンを見ている間は大体わかるのだが、度々シャッフルが行われ、シーンが途切れまくるので、かなり見づらい内容になっていた
おそらく、ひとつの家庭内の時系列はそこまでシャッフルされていないのだが、リチャードとアルは別の夫婦の物語なので、ここがシャッフルされると非常に分かりづらい
それでも、その意図が映画から伝わってくれば良いのだが、それを考える余地を与えない演出と構成になっていたように思えた
夫婦の問題として、「金銭の裕福」はどの家庭にもついて回るのだが、リチャードとマーガレットの世代になると「なりたかった自分」と言うものが出現する
そして、彼らの下の世代になるとそれが実現していくのだが、それと同時に描かれる黒人家族の場面では、そう言ったものがあっても危険が多い社会になっていることが示唆されている
だからと言ってメッセージ性が強まっていると言う感じにもなっていなくて、とにかく実験的な映画だったなあと言う感覚だけが残った
いずれにせよ、夫婦に何があれば幸せなのかを描いているように思えるのだが、それが愛なのかお金なのかはわからない感じになっている
それよりも、同じ方向を向いて一緒に過ごしていることが幸福度に繋がっていると思うので、映画内における最大幸福を得たのは発明家夫婦であるように思う
飛行機夫は夢のために家族を犠牲にしたし、リチャードは家族のために夢を犠牲にしている
アルは国に尽くしてきたが、国は国民を豊かにしないし、愛国心は孫の世代に通じていても、そこに感謝の念を示せない
そう言ったアメリカの建国と家族の在り方というものが時代ごとに描かれているのだが、個人的には「時系列シャッフルがない方が伝わりやすい」と思っている
少しずつ変わっていく価値観だからこそ、「あれ? 最初と全然違わない?」と思えるのであって、その違いがシャッフルによって分かりにくくなっているのでは意味がないのではないだろうか
Scope
時代背景の違うひとつの場所を定点カメラでお送りするという画期的なアイデアに惹かれ鑑賞。
アイデアは確かに面白かったんだけど…映画的な盛り上がりには欠け、数十年前の家族の現代までにフォーカスを当ててしまってるせいか時代の振れ幅が狭いのがどうも気になってしまいました。
時系列は結構反復横跳びするのでややこしいことになっており、順々に進めるのかと思いきや、大昔から最近、最近から大昔と移り変わっていくので大変でした。
基本的にもどの時代でも愛の営みが描かれており、それを咎める時代もあれば、受け入れる時代もあり、そもそも自分たちで判断せざるを得ない時代もあったりと、どの時代でも大変な事に変わりはありませんが、その営みがあったからこそこうやって生きていけてるんだな〜となったりしました。
基本的には男たちがちょい滑稽な行動をして、それを妻が戒めていくって流れですが、決して説教くさいわけではなく、無意識にやってしまっている行動は直さないとね〜くらいの感じなのは好感が持てました。
老いは確実にやってきており、体の変化はもちろん、関係性の変化というものを強く描いていたのは興味深かったです。
出会った当初はラブラブでも月日が経って、子供も大きくなって、嫁姑の問題も出てきて、夫婦で考えがすれ違いだして…と問題が積み重なってからの熟年離婚となっていく流れはリアルだなと思いましたし、そういう事例を実際に聞いたことがあるので、こういう風に別れるってもう自然のことなんだろうなとシュンとなってしまいました。
定点カメラの映像で面白いのはバラエティをはじめとしたハプニング要素だったり、密室空間でのトラブルだったりが面白さを加速させていく気がするんですが、今作は普通の家族の人生を描いているのでハプニング的な要素はほぼなく、しっかり人生なのでその辺りも見応えが感じられなかった要因だったなと思いました。
地球が誕生したタイミングとか、戦争真っ只中の時代とか、もっと見たい時代はあったのにひとつの時代に全振りしてしまったがために、観たいのはそこだけじゃないんだよな感が強くて残念でした。
技術のフル活用でトム・ハンクスはじめ同じキャラクターの一生をやり切ったのは凄かったです。
それを知らずに見たので、この人歳の割に声が掠れてるなとは思いましたが、その違和感くらいで他は帳消しにしているは凄いなとなりました。
映画というよりかはそういう教育番組のようでした。
NHKで放送されたら気になって見ていたと思いますが、大スクリーンで観るかと聞かれると微妙なラインの作品でした。
ラストシーンはおおっとさせられただけに全体的な満足度の物足りなさが足を引っ張ったかなと思いました。
鑑賞日 4/6
鑑賞時間 17:55〜19:50
座席 G-5
その地は見ている。
恐竜がいる時代、氷河期、そして草木が生え、先住民、人が住んだ時を、その地に設置された定点カメラ越しで見る話。
恐竜がいた時、先住民達が過ごしてた場所、“その地”の向こう側にある建物の舗装されていない雨の日はぬかるみなデコボコな通り道、…後にその地に一軒家が建ち…。
一軒家購入予算は3000ドル…、彼女マーガレットの妊娠を知り嬉しくて予算オーバーの3400ドルで購入となるけれど、あれっ?その家元々生まれた時から住んでなかったっけ?!が少し頭にあって。
個人的に観てて思ったのは主人公や周りの人のストーリー、その家に住んできた住人達の生活が描かれてるけど、その土地その家が色んな人達を見てきたって感じの印象が強いかな。
本作観る前に解説を先に読んでおいて良かったかも。
クリクリヘアーの若き日のトム・ハンクス
6500万年に及ぶアメリカのある場所の記録である。
しかし、本編に入ってからはそこに建てられた家に入れ替わりに住むいくつかの家族の“生と死”に関するエピソードを時代を超えて描いてる。
居間を俯瞰的に捉える定点カメラでの記録というテイであるが、私には土地に宿る神や精霊の視点のように感じられた。
派手なエピソードもなく、カメラワークのない画面は、淡々としており感情移入し難いが、いつしか、それぞれの家族を“見守る”ような気持ちになっていく…。
そんなことはともかく…
「スプラッシュ」や「ビッグ」の頃の大物俳優になる前の、クリクリヘアーの若いトム・ハンクスに再会出来たことは、とても嬉しい。
場所に歴史あり❗️
主人公トム・ハンクスやその一族の歴史っていうより、徹底してその場所の歴史を描いていた。
見せ方も時間の流れに沿ってということではなく、過去に戻ったり未来に行ったり、画面もカメラはほとんど動かず、同じ場所で人や物が入れ替わる。
今まで観た事のない映画で新鮮で面白かった。
話の内容も派手さはないが、今現実に自分達にも起こりうる問題(結婚、出産、仕事、病気、介護、死)を描いていて、いろいろと考えさせられる映画でもあった。
かと言って暗い映画ではなく、ユーモアもあってクスッと笑えるところもたくさんあった。あの発明家?の夫婦とか最高😆❗️
さすがあの名作「フォレスト・ガンプ」のチームが撮った映画!
素晴らしい作品でした😊
期待しすぎたかも…だけど
地球上のある場所・地点から画面を動かさず、太古の時代から現代までのそこで起こった出来事をランダムに…
なるほど面白い視点かもしれないけれど、その位の事はちょっと想像力のある子供なら空想するだろうし、ゼメキス監督ならもう少し面白く出来なかったのだろうかと思ってしまいました。
画面が固定されているせいでキャラクター達の表情も見えずらかったし、だからこそあまり感情移入出来なかったし、感動できなかったかなぁ〜
これは個人々々で大きく意見が分かれそう。
面白い捉え方
定点カメラを据えて、そこで起こる事象を描く視点は面白い。
それも過去から現代まで時代を超え、その中で一つの家族を主体として描き、写真のみで描く幸せだけでなく夫婦の在り方、家族、それぞれの想い、すれ違い、時間の経過と状況により人の感情を捉える姿が断片的なものの連続なのだが、人の虚な側面と感情をしっかり描き観てるものの心にすーっと入ってくる。
そしてラストの2人のシーンが過ごした時間と共に思い出となる時間を共感させてくれる。
変わること、変わらないこと
HEREは時代も、そこにいる人達も変わって行きますが、場所は変わりません。
この映画のメインはトムハンクス演じるリチャードの物語ですが、その他にも発明家の夫婦や、家族などなど色々な人達の様子が描かれています。
そこにいる人達も時間も変わっていっているのに、そこには人間にある、嬉しい、悲しいなどの一言では言えない奥深い感情が溢れています
時間や世の中がまさに光陰矢の如しのようにどんどんと変わっていく中で、昔からずっと変わらない人間の持っている愛おしく素晴らしい感情が表現できているなと思いました。
以前
引きのカットになると客観的、
寄ったカットになると主観的になると聞いたことがあります
まさにこれだと思いました
ラストカットは定点カメラからマーガレットの顔にどんどんと寄って行きます。
ラスト以外でカメラに顔が近いシーンもある
のだけれど、結構客観的な目線が多めでした。
しかし、最後の最後でマーガレットが今までの思い出を語りながらマーガレットの顔に寄っていくことで感情移入してしまいます。
そして外に出て色々な家が映る時、
他の家でも今まで観てきたようなドラマがあるのかなと
リチャードとマーガレットと一緒に今までのことが一気に思い出されて
愛、悲しみ、喜びなど様々な感情が溢れ出して感動に繋がっていたのが凄いと思いました
また、リチャードやマーガレットの若い頃を描く時のCG技術は違和感全く無しでした
今後この技術が映画界でどのように使われていくのかが楽しみです
いまいち
ロバートゼメキスということで、
いくら定点カメラ作戦で通しても面白いのではと思ってみた。
ストーリーは良しとしても、やはり同じ視点が2時間だと飽きます。
とにかく飽きてしまう。
地味だけれどかなり挑戦的な映画
中々面白かったです。良い映画でした。
エンディングを除いて、カメラの画角を完全に固定して、家のリビングルームを写すだけという地味だけれどかなり挑戦的な映画。
ズームも、パンも全くしない。
俳優の大写しは、俳優自体がカメラに寄ってアップになる。
ネイティブアメリカの時代から、数百年に渡る5組の家族の生活と人生を淡々と映していくだけなのに、飽きることはなくとても面白い。
観ている側が、この映画の向こうに、自分の人生を見るからなんだろうと思う。
「時を越えて」もBTTFは越えられず
4月4日(金)
3日間雨と寒さと家裁提出資料の作成で映画館へ行けなかった。MOVIX川口で本日公開初日の「HERE 時を越えて」を。
いきなり恐竜が走り去る。ジュラシック・パークかと思えば火山が噴火し、氷河期がやって来る。カメラはFIXしたままである。
千住民がこの地に住んでいる。
1900年代、その地に家が立つ。
1920年代、飛行士の家族が住む。妻は飛行機が落ちる事を心配するが、夫はインフルエンザで亡くなり、この部屋で葬式が執り行われる。妻は家を売る。
1940年代、リクライニング・チェアを考案した男が妻と住んでいる。部屋には日本軍がパールハーバーを攻撃したニュースが流れる。
1945年、戦地から帰還したアルと妻ローズがこの家を購入し、長男のリチャードが
誕生する。
1960年代、高校生になったリチャード(トム・ハンクス)はマーガレット(ロビン・ライト)と恋に落ち、居間のソファでSEXしてマーガレットは妊娠し、この部屋で結婚式を挙げる。そしてこの家に住む。TVではエド・サリバンショーにTheBeatlesが出演している。ディーン・マーチンがTVに映っている事もある。
その後、母は亡くなり、父の介護をするようになり、妻は出て行く。父も亡くなり、リチャードはこの家を売る。
その後、黒人の親子がこの家住む。
カメラは、20年、40年、60年経ってもFIXしたままで同じアングルでこの家の居間を映し続ける。
どの世代でも描かれるのはこの部屋での父と母と子、そして夫と妻、つまり家族と家庭の姿で、結婚式、葬式、クリスマス、出産!と死である。
ロバート・ゼメキス監督は、実験的な事を良くやるが、本作もその一つなのだろう。
しかし、この試みは成功したとは言い難い。
各世代が時間順に描かれる訳ではなく、40年前に移動したり、20年後にバックトゥザフューチャーしたりするのだ。各世代間にも何ら関わりや関連がない。
前に住んでいた家族等と繋がりがあれば話が違うが、唯一の繋がりが千住民のネックレスだけでは翠富士の肩すかしである。
(あ、相撲を知らない人には解らないか)
ラスト、リチャードとマーガレットはこの部屋を訪れる。それまでずっとFIXしていたカメラは動き出し、ヒッチコックのようなカメラの動きを見せるが、感動が無い。
ゼメキスの意図は解らないでもないが、共感は出来ないね。
おまけ
「白雪姫」でもそうだったが、VFXのデジタル・アーティストの数が多くてクレジットが長い。104分の映画で約7分もクレジットがあるのは勘弁して欲しいな。
リッキーが僕らの曲と言って二人で踊る
曲はLet It Be Me、The Everly Brothersが歌ってます♪
他にも時代や場面に合わせた楽曲が聴き逃せません、
とくに40年代から60年代ぐらいのがリアタイでないのにわたしにはささります。
ベトナム前はハリウッドもアメリカもいちばん輝いて見えるからだと思います。
グレンミラーを数曲、映画館で聴けて耳がしあわせでした〜
アラン・シルベストリのスコアもガンプ以上に心に沁みます
フォレストとジェニーのマルチバースを観てるような気になりました。
最後、視点が切り替わった時に飛んできたのはハチドリ、でも羽根に見えましたよ。
先住民も国史に組み入れつつ、しかし定点なのにフランクリン兄弟が住んでた歴史地区に
したので後の世代にならないとアフリカ系は住めない、
のが現実的なところに感じました。
コロナと対比した時代、墜落でなく流感で亡くなった飛行趣味人の奥さん、
ミシェルさんは好きな女優さんです、最近ではマークウォルバーグと戦う作品で活劇して
ますが今作の方も魅力的です。
リッキーの両親も大好きな俳優さん、とくにお母さん役はヴェネツィア舞台のポアロ作品
やイエローストーンでケビンコスナーの娘さんを演ってて。
ここであえてしあわせでしたー
アメリカでは受けたんですかね
とりあえず今回も音楽が楽しめました
元気なうちにやりたいことはやっておきたい
定点カメラから映し出されるここ(HERE)
リチャード家3世代をいったりきたりと
言う訳ではなく、まさにその場所で
起こったことが描かれていました。
フォレスト・ガンプのチームが再集結との事なので
(後から知った)
既視感もあり、期待していたほどではなかったかなぁ。
マーガレットの50歳誕生日のサプライズで
彼女が涙ながらに訴えたシーンに
夫婦生活で大切なことのひとつだなぁ。と思ったし
鑑賞後、友達と
「やりたいことは先延ばししちゃだめだね😢」と
反省しました。
ラストで定点カメラが初めて部屋の反対側をとらえ
マーガレットが「ここが好きだった」と呟いたのには
少し泣けました。
【”光陰矢の如し。”定点観測カメラアングルで、太古のジュラ紀、白亜紀から第二次世界大戦後に生まれた家族の変遷を、ソファのあるリビングのみで捉えたロバート・ゼメキスらしい作品。】
■スクリーンには、太古のジュラ紀、白亜紀の様子が映し出され、”あれれ”と思っていると、アメリカ合衆国建国の頃から、第二次世界大戦終了後に、アル(ポール・ベタニー)とローズ(ケリー・ライリー)が家を購入し、リチャードが生まれる。
そして、高校生になったリチャード(トム・ハンクス)はガールフレンドのマーガレット(ロビン・ライト)と、居間のソファでセックスし、マーガレットは妊娠し結婚する。
◆感想
・走り続ける「フォレスト・ガンプ/一期一会」とは対照的に、今作では画面は固定である。映されるのは、ほぼソファのあるリビングのみである。
・今作では、そこで、繰り広げられる或る家族の二世代に亘る変遷を描き出している。それにしても、相変わらずの映像の魔術師、ロバート・ゼメキス監督である。
高校生のトム・ハンクスの表情にはビックリである。技術の進歩なのだろうが、どのように撮ったのだろうか。
・内容としては、リチャードの両親の若き頃から始まり、彼が生まれ、結婚し、娘が生まれる家族の変遷を描き出している。
大きな出来事はないが、中産階級よりやや下の家族の悲喜こもごもが描かれているのが、印象的である。
リチャードは、早くに子が出来た事で画家の夢を諦め、全米で12番目の保険会社の営業マンになるが、豊かではなく、妻マーガレットが求める自分達の家を持つ事が出来ずに、今でいう二世帯同居で暮らしているのである。
・だが、諍いはあっても、サンクスギビングやクリスマス、年越しの日には家族が集まり御馳走を食べるのである。
・そして、リチャードの母ローズは早逝し、父も居間で寝たきりになるが、悲壮感はない。その後、老いた父アルは施設に入居し、リチャードに家を譲るのである。
だが、サンクスギビングの時に、招かれたアルが亡くなった妻ローズの想い出を語り、泣き出すシーンは少し沁みたな。
■今作を観ていると、人間は生まれたら、(当時は)結婚し、子供が生まれ、子供が成長する中で反抗期を含めイロイロと起きるが、子供は旅立ち、最後は夫婦二人になる、という拡大再生産時代から縮小再生産時代を辿るのだなあ、としみじみと思ってしまったな。
しかも今作では、リチャードとマーガレットは、中年以降にマーガレットの独立心もあり、別居しているのである。
けれども、二人は心のどこかで繋がっているのである。老いたリチャードがマーガレットに居間で言う言葉。”もう一度、一緒に暮らさないかい?””無理だわ・・。”けれども、二人はその会話後にそっと抱き合うのである。
<今作は、”あまり豊かな生活を送れなくても、愛する女性と結婚し、子供を立派に育て上げただけでも、一大事業ではないか。”というロバート・ゼメキス監督のメッセージではないかな、と妻子持ちの私は思ったのであります。面白き構成の映画でもあるとも思いました。>
アイデアは斬新。展開はグダグタ
主人公は家。定点カメラがある家の一室の時の流れを撮し続ける映画です。
始まりは、恐竜が走り回っている時代からとなっています。後に家が建てられます。時代経過の順に進むと思ったそうではありません。過去に行って、現代に戻って、また過去、さらには先住民まで飛びます。しかもその時々の話がどう意味をなしているかついていけません。
部屋の中ですから、薄暗いので人物像もなかなか把握しにくい映像です。
映像で残念なのは、CG処理です。AIを活用しての映像ですが、雑です。景色、樹木、動物がいかにもCG丸出しです。トム・ハンクス、ロビン・ライトの若い姿も作られた映像で違和感しかありません。
自分が今住んでいる所はどいった歴史があるのか?と成り立ちを考える方には本作品は魅力を感じると思います。
ラストの光陰矢の如し、今を大切に生きようというのが沁みたので星が1つ増えました。
漫画ハコヅメで防犯カメラの画像を主役のおにゃのこが見て精神崩壊するとこあるじゃん?
この映画はまさにそれだ。いやぁ、ここまでヤマも落ちもないストーリーにすらなっていない役者の演技をただただ眺めているという、神の視線とはこういうモノなのかという事は理解できるが、
普通の人間はストーリーがない芝居を長時間見るようには出来ていない。芝居を知らない人には分からないだろうけど、最近、流行っているインプロという手法があってだな?
人前でお芝居をするのに、事前に稽古をしないで、その場の勢いだけでアドリブ芝居をするわけだ。落語家や漫才師が血の滲むような努力で稽古しているから、面白いものが作れるのに、インプロ野郎は全く稽古をしない。
恐ろしい事にインプロ野郎は、ワークショップで演劇素人を集めて会費をとって、インプロをやらせて、素人にも演技が出来たと勘違いさせて、素人が素人を育てて、またその素人が、素人を呼んで、素人だけのインプロを開催するという佐世保ガレージ劇場の悪しき習慣は断ち切らねばなりませぬ。
いや、マジでこの映画はインプロなみに、つまんない!アメリカンドラマの笑いどころが無い日常シーンが、ぶつぶつ挿入されて、ヤマもオチも無く、
場面が切り替わって、他の家族が登場するも、毒にも薬にもならない芝居がつらつら続くのら、人形の家。
何度も僕等を楽しませてくれた、ロバート・ゼメキスに一体何があったのだ?まだ、アニメの黒猫が彷徨うだけの映画の方がまだマシだぜ?
うん!この映画!見なくていい!配信でも見るのはキツイと思う!アノーラを見ろ!あれは、やっぱり完璧な映画だった!
内容はわかっても製作の意図が... まったく... 姑息
一つのリビングの窓から、人々の暮らしと歴史を垣間見る... その時の移り変わりを例えて言うならば あるプロデューサーのフィルモグラフィーより
1953年、『Houdini』から始まり、後に数々のSci-Fi 映画を世に送り出し、その中でもおバカが製作したものではないオリジナルの『The War of the Worlds』を...
そして秘密結社の一員で世の中における二大 Sci-Fi 小説家の一人で、彼の小説を基に、いわゆる "タイムパラドックス" を回避した1960年の映画『The Time Machine』を彼はSci-Fi 映画史に残した...
以前にも彼ゼメキスは、この『The Time Machine』のシチュエーション(シーン)を『Back to the Future』で拝借している。だから、彼は、よほど好きだったのか?グラフィック・ノベルを言い訳に「またやっちゃってるんですか?」なんてね?と聞きたくもなる。
ゼメキス、ハンクス、ロビン・ライトって事で本作『HERE 時を越えて』は、いわゆる亜流の『フォレスト・ガンプ』的でゼメキス流、彼によるモーションキャプチャー技術という視覚効果の革新提唱者としては、元になったグラフィック・ノベルで取り入れられたフレーム内フレームという静止画像を重ね合わせ移行するというコンセプトの視覚的アイデアを利用した映像をいくつかの素材と組み合わせたコラージュ効果による発想からCGIで作り上げた四角形でも長方形でも多様に積み重ねたものをスクリーン上に映し出し、そして、ある時には、いくつかのシーンで登場人物自らがフレーム・アウトしていく。その上、プロットが "タピストリー" 風ノンリニア・ナラティブ" のタイムラインにより、記録のない先史時代から始まりベンジャミン・フランクリンとその息子が通りの向かいに植民地時代の邸宅を構え、また第二次大戦を経由して観る者のノスタルジアを誘う『エド・サリバンショー』に登場するずーとるび、もとい、ビートルズと共に現代にいたるまでを定点カメラで撮影している。そのためアト ランダムに時を行き来する事で時代を見失わないようにと暖炉の脇には "idiot box" が形を変えながら象徴的に鎮座する。
“Your scientists were so preoccupied with
whether or not they could that they didn’t
stop to think if they should.” (ジェラシックパークより)
愛と別れ、結婚と憎しみ、SEXと不仲、喜びと悲しみ、希望と失望。そして、コケージョン特有の独立記念日とクリスマスと感謝祭 、... etc.
彼は世界中のありとあらゆる家庭で起こる普遍的なイベントと同時に時代時代の背景から起こりえるシチュエーションを独特な方法で身近に描き出そうとしている。ただ...
ゼメキスが子供の頃のベビーブームに沸く60年代のアメリカの若き夫婦リチャードとマーガレットを時間軸とプロットの中心に置いたことが父親は収入のために外で働き、母は子育てと家庭を守るために家にいる150年間続いた良きアメリカとされる典型的ステレオタイプ的家族の在り方がまだ保っていた時代をただ単に回顧する...
先史時代からの流れでネイティブアメリカンによる誕生と死への儀式、現代になるとこの家に住む唯一の黒人であるハリス家の物語は、両親が10代の息子に警察の暴力を説き、またラテン系家政婦がコロナに感染したことについて話すという内容だけで、このネイティブアメリカンと黒人家族の両方が、やや無理矢理に繋ぎ合わせただけのコラージュとして、それが何度も繰り返す軽率さから、これらの人々についてあまり情報を語ることはない。そんなことから黒人一家の描き方のたんぱくさが無意識の偏見を生みだしてもいる。
なんといってもストーリーが一貫して、おなじみのドラマチックなシノプスをただハイライトなシーンをアトランダムに並べ集めただけで、しかも長い人生を短いスパンで無秩序にモンタージュで描くことが偶然性だけの必然性に欠けている。それと...
トム・ハンクスのエイジングや10代への若返り...
特に若返りに関しては、彼の実際の年齢を知る者からするといくら最先端のモーションキャプチャーであっても、その歪さが軽減されたとはいえ、あたしのような脳みそウニの者からすると、うにの部分にトムハンクスの現在の年齢の彼の姿がどこかにこびりついていて若返りの認識があたいの脳では処理できずに「そんなはずはない」と思ってしまい、認識できたとしても違和感でしかなくなる。彼には二人の息子がいるんだから彼らに役を演じてもらってもいいんじゃないかと思うけど最先端技術の先駆者で気取り屋でミエハリの彼は、技術を見せびらかしたくて居ても立っても居られないゼメキスでは、自尊心がそうはさせないらしい。
その上、四角で囲むことだけが理由ではなく、目に見えない第四の壁にさえぎられた閉塞感と疎外感が入り交ざったようなつまらない代物と個人的にはなってしまい、悪質とは言えないまでも甘ったるい "rom com" によって、人工的で意図的で恣意的で感傷に満ち溢れた涙腺崩壊型を狙うかのような空々しいフィルムとなってしまっている。
I remember finding it. She was so happy. And you-you came
in the door, and you were so happy. Oh, I remember all that.
That was right here. I remember being here. I love it here.
"I love it here."
確かに認知症は短期で直近の記憶は無くなってしまう。でも過去の記憶の断片を思い出しもする。それをなぞらえた映画のモチーフとなるマーガレットの上記の言葉が、心地よい響きと美談に済ませる事で出来過ぎてしまっている為に誰もに感動を呼び、その感動を呼ぶことがタップもしていないのに自動的に誘導する一般受けする住宅保険会社の宣伝文句に聞こえてしまう。
ロバート・ゼメキス = スティーブン・スピルバーグ ≒ CGを駆使した絵面だけの中身のない映画を妄信的に作りたがる。しかも牛のヨダレのように垂れ流す。言い過ぎです(💕ᴗ͈ˬᴗ͈)”peko
彼らの〇の不自由なファンの皆様... あくまでもあたしのザレゴトですのでご容赦を!?
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