HERE 時を越えてのレビュー・感想・評価
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同じ場所で違う時代に生きた人々をコラージュして見せる独自の映像表現
① 最新のデジタル技術を駆使した映像
同じ一軒家に住む(ただし時間軸が違う)何組かの家族の暮らしを
リビングルームでカメラ固定のまま映し出す。家が建つよりはるか昔の
場面もあるがとにかくカメラの向きと画角は変わらない。見せ方として
ズームやカット割りは一切なし。時々画面が分割され、それによって現れた
小窓のような映像がだんだん大きくなっていつの間にか違う時代の映像に
替わっていたりする。画面をコラージュすることで違う時代の人物が同じ
スクリーンに映し出されている時もある。
文章がへたくそなものでどんな映画かを説明するのが難しい。とにかく
一般的な劇映画とは一味も二味も違った映像体験ができた。最新の
デジタル技術を駆使して一流のスタッフ・キャストが力を合わせると
こんなに高水準の映画が出来上がるんだと感心した。
何組かの家族の中でリチャード(トム・ハンクス)とマーガレット(ロビン・ライト)
の人生を描く部分がかなりの比重を占める。なんと彼らは10代から70代までを
同じ俳優が演じている。これも特殊メイクではなくデジタル技術によって
違和感なく見せているというのだから驚きだ。
② 客観的視点による定点観測
様々な人間模様が描かれているとは言え、特定の誰かの感情に寄り添って
共感を求めたり感動させたりする類の映画ではない。カメラは客観的に
その場の映像と音を捉えているだけだ。その映像と音から何を感じるかは
鑑賞者に委ねられている。
起承転結のはっきりしたドラマが観たい人には向かないかもしれない。
自分は徹底した客観性が良かったと思うし最後まで興味深く鑑賞した。
③ 現在とは違う時代に思いを馳せる感覚。
昭和の中期に生まれた自分は今日まで何十年にも亘る時代を生きてきた。
子供の頃、SF漫画や映画が描く未来に憧れたり未来の想像図のようなものを
見てわくわくした感覚を今でも覚えている。
逆に今では子供の頃の写真を見て懐かしんだり自分が写っていなくても
かなり昔の写真を見て時代が大きく変わったのを実感することがある。
軍服姿の親戚の写真を見て、映画ではない現実としてそういうことが
あったんだと切ない気持ちになったりもした。
古い写真に写っている、当時としては何でもないような風景だったり
服装だったり家具家電・調度品だったりを今見ると、別世界のもののように
感じてしまう。
この映画では各時代ごとに電話・テレビ・掃除機などをさりげなく見せる。
窓の外を車が通りすぎることもある。そしてそれらがやっぱり時代を感じさせる。
あと、部屋の構造自体は全く変わらないのに住人が変わると部屋の装飾や家具・
調度品がまるで違うものになっていて面白い。
あえて説明されなくても映像を見たら大体いつ頃かが分かる。時代を感じさせる
ものを見ているだけでも楽しかった。全編を通じて、現在とは違う時代に思いを
馳せる感覚が味わえた。優秀な美術スタッフに感謝。
④ 歴史
歴史が得意ではない自分からしたらピンと来ない部分もあったが、
「フォレスト・ガンプ/一期一会」(1994年製作 原題:Forrest Gump)
のように歴史的出来事を絡めた描写が結構あった。ごく普通の人々が
登場人物なので会話に絡めたりテレビの映像として流したりだったが
この構成も面白いと感じた。あとは「これって〇十年代に流行ったよね?」
というものも出てきた。
思いつくままに書いたら何だかまとまりのない文章になってしまった。
これだけ書いてもまだ映画を観て感じたことが伝えきれていない感じ。
文章力のなさを嘆きつつ、少なくとも自分は観て良かったと思う。
定点カメラが紡ぐある場所の記憶
ロバート・ゼメキス監督の実験的な作品。
ロバート・ゼメキスといえば時間を旅するSFの傑作「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の監督だ。その監督が今回も時間を旅する作品を作った。
ただ、今回は目まぐるしくシーンを展開する映画ではなく、一箇所にカメラを固定し、何世代もの家族を撮影し続けるという定点観測映画だ。
主演は「フォレスト・ガンプ」でゼメキス監督と組んだトム・ハンクスとロビン・ライト。共同脚本もエリック・ロスというフォレスト・ガンプチームが再集結した。
舞台は米国のある場所。太古の恐竜時代から先住民族の時代、植民地時代からそこに家が建ち、いくつもの家族が暮らす現代までの時代を同じ場所の定点カメラで映し出す。
メインとなる物語は第2次大戦後にある夫婦がこの家を購入し、その息子リチャード(トム・ハンクス)が生まれてからの話。彼は若くしてマーガレット(ロビン・ライト)と結婚し、娘が生まれ家族の歴史が紡がれていく。
この映画の特殊な形態を聞いたとき、カメラを固定しシーンが展開しないと飽きてしまうのではないかと心配した。結論を言うと飽きることはなかった。リチャードの家族を時間通りに追うのは流石に飽きるだろうが、この映画では太古の昔や未来がリチャードの家族の時間軸にカットインされるのだ。
この映画の原作は大ヒットしたアメリカのグラフィック絵本。その絵本の見せ方を再現しているのだが、絵本と映画は別物だ。
映画のダイナミズムはシーンとカットを繋いで縦横無尽に動き回るカメラともいえるのではないか。カメラを固定し歴史を写すと言うのは斬新ではあるが、はたして映画として成功しているかといえば、いささか疑問だ。物語は同じ部屋でのエピソードのみなのでステレオタイプなアメリカの家庭の描写に終始してしまっている。
ただ、60歳にも差し掛かった自分の歴史も重ね合わせてしまい、ラストは目頭が熱くなった。その意味ではこの斬新な試みは成功しているともいえる。
なお、ハンクスとライトは10代から老年までを本人が演じている。VFXの技術があってこそ可能としているが、演技はVFXではないので演じ分けは流石としか言いようがない。
いろいろとお疲れ様でした
定点で104分。役者さんもカメラさんも大道具さんも小道具さんも時代考証さんもCGクリエイターさんも衣装さんもサウンドクリエーターさんも本当におつかれさまでした。グラフィックノベル「Here」をベースにした定点カメラにこだわった作品を再現すると決めた時点で、ストーリーよりもギミックに重きが置かれるのは仕方ないとして、それでもやろうと決めて撮り切ったロバート・ゼメキス監督と出演したそのご家族様もお疲れ様でした。メインのストーリーのなんの面白みもない話しを演じきった主演のトム・ハンクスさんもお疲れ様でした。先延ばしにする癖を辞めて好きなことをすることの大切さを教わりました。あと自分。よく寝ずに最後まで見続けましたね。本当にお疲れ様でした。他のお客さんもお疲れ様でした。厳しいって。
それではハバナイスムービー!
世界最長固定カメラ映画
主人公は家
自分の人生を投影しながら観る作品
人は生まれてから、誰かと出会い、愛を育み、家族を育てる、やがて老いて、生涯を終える。本作は、人類が始まって以来、太古の昔から時代や世代を超えて繰り返されできた、そんな人々の営みを定点カメラによって現代までずっと映し出している作品だ。
10代、20代の若い世代向けではないかも知れないが、ある程度振り返るに足る年数を人生で費やした人々にとっては、住んでいる国や時代が異なっていても、登場人物の誰か、あるいは起きる何らかの出来事に自分自身を重ねることができて、胸に刺さるに違いない。
ところで、VFXを駆使して主演の二人が10代から70代まで演じているが、そこまで必要だっのだろうか?若手の役者と交代だと出演時間が少なくなってしまうといった懸念でもあったのだろうか?それこそ、ロビン・ライトが主演を務めた2013年制作の『コングレス未来学会議(The Congress)』を思い出してしまう。
顔が?
一つの視点で地球の始まりから現代まで。
Time flies.なのでいい映画いっぱい見ましょ
ゼメキスの挑戦的実験作品。定置カメラで一つの場所のみを、太古から現在に至るまでを最新VFXを駆使してとらえ続ける。
クローズアップなし、時代もあちこち飛ぶのでエピソードも浅く、咀嚼しにくいんですが、まあそれはそれでいいんです。
初めからそういうコンセプトで挑戦してやっているのだし、最後にちょっとホロっとさせるところまで持ってくるのは流石ゼメキスの力量でしょう。
でも次回は外に出ていっぱい暴れて下さいね。
リチャードとマーガレットの、ちょっと落ち着きないげどロースクールには合格してしまう娘役やってたザザ・ゼメキスは、ロバート・ゼメキスの実の娘。父子共に天才肌なのかな。
あと母役のケリー・ライリー イギリス出身だけに今回のような上品な役が似合う今どき稀有な女優さん。
「ヘンダーソン夫人の贈り物」以来のファンです。
定点観測ならでの展開がもう少しほしい
定点観測映画という発想は面白い。あの場所、あの家に暮らす家族の物語と思っていた。でも実際は、時代を超えでいくつかの家族を描いた群像劇に近い。同じ部屋の同じ場所でカメラを固定して映し出される物語の描き方はいろいろと工夫されていたし、撮影も大変だったんだろうなと想像する。出演する俳優(特にトム・ハンクスとロビン・ライト)の特殊メイク?CG?も素晴らしい。若い時から年老いてまで違和感が全くなかった。この手の技術は本当進歩しているなと感じる。
でも、観ていても気持ちがあまり乗らない。定点カメラだから飽きさせないようにと考えたのかもしれないが、場面転換が多すぎる。これでは、今どの時代の物語なのかを理解することに意識がいってしまい感情移入しづらかった。でも、そもそもどの家族にも大きな事件が起きるわけでもない。若い男女が家族となり、新しい家族が生まれ、子どもが旅立ち、年老いた家族が亡くなっていく。そんな家族の物語が比較的淡々と描かれていた印象だ。メインとなる家族の物語として考えれば、感動的なラストと言えるのかもしれないが、やはり気持ちが入り込んでいないので感動も今一つとなってしまった。群像劇としての面白さが圧倒的に足りていない。
ロバート・ゼメキス監督、トム・ハンクス主演だったから期待値が高かったかもしれないが、それでももう少し脚本に工夫がほしかった。部屋に飾られている絵や置かれているオブジェや壁のシミや傷がこんな経緯で生まれた!なんて、定点観測ならではのエピソードがあってもよかったのに。様々な工夫と技術は素晴らしいが、肝心の物語が今一つのため、こんな点数とした。
歴史の蓄積を残すものは
時代を越えて徹底的に定点を描く試みは面白く、その実験精神に敬服。
時代が部分切り抜きフレームで交錯する様は面白いですが、
各時代の家族の点描のエピソードが典型的なものが多く、ちょっと弱いように思え、
恐竜時代や先住民時代、開拓時代などインパクト、変化のある映像で
それを無理に補填しようとしているような不自然な構成の印象を受けた。
いっそのことトムハンクスが開拓時代の人間も演じるなど
時代を越えて俳優を重複させたら繋がりも見えるし面白いのでは、なんて思った。
定点映像では、顔、人物以外の器物にも視点を誘導し
空間全体から豊饒なドラマを引き出すことを狙っているように思ったが、
家具とか柱の傷、汚れた感じなどで歴史の蓄積をみせるのではなく
ソファなど一部を除いて、物が新しいものに置き換わっていくことで時代の変化をみせている感じがして、あまり心に突き刺さらなかった。
常に新しいものに更新されていく、若い、夢に溢れた物質世界のアメリカという国が
歴史の蓄積を語ることの、なにか空虚さを感じるようでちょっと複雑な気持ちになった。
定点カメラから紡がれる人の営みは、時代の変化こそあれ、根っこは変わらないものかも
トム・ハンクスにロビン・ライト、ロバート・ゼメキス監督(あと作曲家のアラン・シルヴェストリ)が一堂に会したとなれば、思い出すは名作「フォレスト・ガンプ」。30年の時を越え、再集結したとあらば、これは興味しかない!今度は一体どんなヒューマンドラマを魅せるのか、という気持ちで映画館に向かいましたが、
のっけからびっくりと戸惑いが襲ったんですな・・・。
物語はたった一か所の“定点カメラ”から、そのフレームに入った人たちの生活を移すだけというもの。しかも時代は恐竜時代~アメリカ植民地時代~開拓時代~現代と幅広い。その定点カメラに収まった人たちの営みのみを本作は映し出している。まあこれだけでは物足りないだろうからか、メインはトム・ハンクスとロビン・ライトが出会ってからの60年間、この家で起きた諸々の出来事を描いている。
まあ眠くなりましたよ。
「12人の怒れる男」のように1つの部屋でストーリーを完結する映画というのはあったが、全編“定点カメラ”から見るなんて。これは一つの実験映画か?しかもゼメキス監督お得意のCGを駆使して主演の二人は10代~70代まで演じている。よーやったよ、この企画。
しかしよー見てみると、時代の変化こそあれ、「これって現代でも変わらんよな?」てな印象を感じてくるんですな。なんでそう思ったんかなと考えたとき、
本作の根っこには“思いやり”というものがあるのではないか。
いつの時代にも、人を愛し、喧嘩をし、どうにもならない思いがあったとしても、確かにその人は、他者に対し“思いやりの心”を持っている。もしかしたら、それを広義の意味で“愛”と呼ぶのかもしれないのではないか?そう思ったとき、思った以上に腑に落ちたんです。本作は、
すべての時代において変わらぬ人類の営みを見せることで、いかに人と人とのつながりというものが大事であるかを伝えているのではないでしょうか。
悪い映画ではないんですが、退屈感はあるし、時代があっちゃこっちゃ飛ぶので頭の整理が追い付かないときあるし、そんなに面白い映画ではないと思います。しかし、確かにじんわり来るものがある。若者より歳を重ねた人向けのような気がする作品ですが、
思いやりというものを、改めて感じる映画かなと思います。
光陰矢の如し
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