「ドストエフスキー、キューブリック」満ち足りた家族 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)
ドストエフスキー、キューブリック
カラマーゾフの兄弟の罪と罰と時計じかけのオレンジ。
英題は「A Nomal Family」
「こどもたちを〈守る〉親たち」
本作は母親、継母、兄、弟という異なる価値観を持つ4人の大人たちが、
それぞれの方法で子供たちを「守ろう」とする姿を描く。
母性の愛、自主性を重んじる継母、法の力、そして誠実さ、
これらの多様な価値観が衝突し、家族という枠組みを揺るがしていく。
本作の最大の特徴は、その高度なシナリオ構造にある。
いわゆるセカイ系とメタ構造を巧みに組み合わせることで、
観客は物語を俯瞰し、
登場人物たちの行動の裏側にある心理を読み解くことができる。
弁護士の兄の家で赤ちゃんのオムツ交換、
医者の弟の家で老婆のオムツのオムツ交換、
だれもが経験した、なおかつ、経験する、
記憶にない、なおかつ、認知できない、
象徴的な描写は、単なる比喩を超えて、
それぞれの家族が抱える問題の本質を暗示しながら、
それらを韓国映画特有の十字架が包み込む。
さらに、被害者と患者を共有するという設定は、
登場人物たちの関係性を複雑に絡み合わせ、
物語の展開を予測不可能にする。
チャン・ドンゴンとソル・ギョング、
過去の作品のイメージであれば、
論理的な弁護士の兄はチャン・ドンゴン、
感情的な医師はソル・ギョングだが、
(ソル・ギョングが両方できるは言うまでもない)
その役割を反対にしてきたのも興味深く、
後々その意味も腑に落ちるしかけになる、
その役割を二人ともしっかりと具現化した、
シナリオに負けない丁寧な芝居をしている。
彼らの対比は、物語のテーマでもある、
善悪、理性と感情といった対立を鮮やかに浮き彫りにする。
【蛇足】
近年、子どもが弱者を襲う事件が報道されることが増え、
社会に大きな衝撃を与えている。
映画史でいうと、
キューブリックの「時計じかけのオレンジ」がその象徴的な作品として有名だ。
キューブリックは、その世界観の構築を、
機能重視の衣装や美術、人工的なビジュアル、
そしてベートーヴェンの音楽を駆使して、
現実とは一線を画した虚構の空間をつくった、
いわばSFの括りの狙いもあったのだろう。
これにより、観客は登場人物たちの暴力や異常な行動を、
現実の延長ではなく、独自のフィクションとして体験していた。
しかし、本作は、あるいは昨今の作品は、
そのアプローチを大きく異にしている。
本作はチャンネル争いやファーストフードといった、
私たちが日常的に目にする場面や小道具を通して、
現実と密接に結びついた世界を描き出す。
「虚構」の中で何か異質なものを見出すのではなく、
私たちが実際に生きている社会に潜む不安や断絶を照らし出すことに焦点を当てている。
英題「A Normal Family」に込められた意味は、
まさにその「普通」や「満ち足りた」家族という前提に潜む不完全さ、
足りない何かを問いかけるものであろう。
「満ち足りた家族」において、
家族は一見して完璧に見えるが、何かが欠けている、
それは、物質的には満たされているが、
精神的な豊かさや他者への共感、
または社会全体の健全性において重要な何かが欠けていることを示唆している。
この点において、ドストエフスキーの作品やキューブリックの映画に通じるが、明らかに違うテーマが浮かび上がる。
時計じかけでもない、異常な愛情でもない、
〈満ち足りた普通〉だ。