V. MARIAのレビュー・感想・評価
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VIRGIN MARY
V系全盛期に青春を送った身として、これは観なくては。
まぁ、文化に切り込むというより真っ当に青春映画だったワケですが。
音楽SUGIZOだからってLUNA SEA推しすぎ。笑
問題のカセットテープ発見まではかなりスムーズ。
中盤まではRPG的に行く先々で次の目的を与えられるため、流れとしても非常に分かり易かった。
しかし主人公のマリアが事あるごとに相手に話しかけるのを先延ばすため、テンポが悪くなる。
ハナもいて、なんで響子さん一回見送った…
人見知りにしてもカナタの家までストーキングはヤバ過ぎるし、なのに家に上がりこむ無警戒さ。
あんなん、普通ならエロ展開待ったナシだわ。
後半はハナと仲を深めたり喧嘩したりと、定番の流れ。
元からの友達とのギクシャクは、唐突だった上にそれっきりなので無くてもよかったかなぁ。
現役時代の母ちゃんレディースみたいだなと思ってたら、バンギャ自体がレディースで笑う。
最後はカナタが今のバンドで『MARIA』を演奏してくれて、「私たちのバンギャ道はこれからだ」エンド。
父親が誰かとかは結局分からず終い。
テープは巻き戻してなかったオチかと思ってたわ。
Azavanaというバンドがハードロック寄りの曲調で、やはり自分の時代とは違うなぁ…なんて思ってたら!
カナタの方はモロLUNA SEAで安心&ニヤニヤ。
ライブは行ったことなかったけど、そう、当時はヘドバンじゃなく手を前後に動かすアレでしたよね。
女の子みんな可愛かったし、後味もよく概ね満足。
何よりライブシーンの音が生っぽさ抜群で迫力があって、それだけでテンション上がった。
カナタ役は日常会話の時からいい声してたなぁ。
ちなみに自分が一番好きだったのはFANATIC♢CRISIS、『MARIA』と言えば(既にV系でもなかったが)黒夢です。
綺麗な物語だが、V系とはなにかと考えてしまった
正直スケジュール調整が厳しかったので、観に行くかは迷っていた。
しかしカナタの若い頃の役で佐藤流司さんが出演されるというので観に行くことにした。
母親の遺品からMARIAという曲のデモテープが出てきて、
自分の名前の由来かも、と思い聴きたいと考えるのは自然だと思う。
しかし封印していたにしても、グッズは兎も角日記を娘に読まれるなんて
自分がセイコであれば死んでも死にきれないが。
若かりし頃に封印してそのまま忘れていたのだろうか?
マリアは本当に可愛いのだけど、脚本なのか演出の問題なのか
引っ込み思案という設定なのか
誰かに話しかけようとして中々話しかけられない。
その描写がやり過ぎで、相手から「何?」と訊かれて
なんでもないと答えて相手が立ち去ろうとすると呼び止める
というムーブは正直うざいなぁと思ってしまった。
ハナちゃんにもカナタにもレコード屋さんにも
誰に対してもそれなのだ。
特にカナタに対して、お金も払わず立ち去り
店に戻るとか店の前で待っているならまだ理解できるが
閉店するまで待って家の前まで追いかけていくのは
完全にストーカー。怖過ぎる。
父親でもない男の部屋に日が暮れてから何度も上がり込むのも
怖すぎた。脚本も監督も男性なのだろうなと思ってしまう。
母親の日記にキョウコが出てきたのに、伝説のキョウコさんと
繋がらなかったのも違和感。
キョウコさんがマリアに訊かれたとき
見るからにセイコとなにかあった感を出していて
後々セイコを知っていたと白状するものの、実際セイコに何を言って
喧嘩別れしたのかは明らかにはならない。
セイコが他のバンギャに詰められるのを助けなかったのは描かれているが。
暴力沙汰はいけないが、正直これまで門限厳しいと
グルーピーから距離を置いていた癖にメンバーと付き合い始めて
恐らく同棲関係にまでなっておいて、
どの面下げてライブに来ているのかとは思うので
キョウコたちが悪いとも言い切れない気がする。
母親の姿を追ってVの世界に入ったマリアだが、
結局母親のことはどんどんわからなくなっていくと言っているし
実際セイコもVの何が好きというのはそこまで言語化できていない。
ここは言語化しなくても良い話だとも思うが。
ただ描写として、セイコがカナタの音楽のどこに惹かれたのか
カナタがセイコという女性のどこに惹かれたのかは
もっと見せて欲しかったと思う。
ここのすれ違いが二人の別れの原因にもなったと思うし。
セイコとカナタは一定以上の真剣な交際だったのだろうと予想はできるが
ライブに行き続けるのも、その癖ボコられたら一気に別れるまで発展するのも
セイコの言動には全く共感ができなかった。
カナタが最高の曲を作って最高のライブをして、それを最後に
バンドをやめてセイコと一緒にいたい、と言ったことの方が
きちんと真剣にセイコのことを考えているなと思い好感がもてた。
若さ故後先を考えず好きが高じて付き合ってしまい
同棲関係に近そうなところまで進展するも
仲間にボコられた上カナタが音楽を辞めるというので
我に返って、カナタを音楽の道に戻そう、というのは理解できるが
華々しい未来を想像できていないまま、好きな女に去られ
しかし好きな女の音楽を続けてという言葉が呪いのように
一人アパートで暮らし全く音楽と関係ない仕事をしながら歳も取ったのに
ずっと音楽から離れられないのは、羨ましくも苦しくも見えてしまう。
セイコが死んでしまったのは物語上仕方ないとして
旅先でスカイダイビングをしていて強風に煽られて死んだ、
という設定は必要なのだろうか。
なにか事実を元にしたりオマージュだったりするのか?
とても突飛に感じた。
カナタは粛々と音楽に囚われ、セイコは娘を置いて旅行に出るような
自由奔放な生活を送っていた、という表現なのだろうか。
父親もいないらしいが、それがカナタでも無いというのも微妙に感じた。
『父親はいるが映画には出てこない』でも良かった気がするし、
カナタを父親かもしれないと思ったからマリアが必死に探したとするなら
そういった描写は薄かったように思う。
ハナちゃんもとても可愛くて好きだったのだが、
マリアの友達たちと会う前はうきうきしていた癖に
急に「本当にVが好きな人とライブ行きたい」と帰ってしまうのは酷い。
元々マリアがVに興味を持ったきっかけも知っているのに今更?
という気持ち。
きっかけがなんでも、今好きになっている途中だろうに。
マリアはよくこれを喧嘩だと認識し、自分から謝る気持ちになったなと思う。
傍から見ていて、急なメンヘラムーブで酷いことを言われたようにしか思えなかった。
マリアから謝られてから、メンヘラ発動したと自分で言って
自分も謝ってくれたのでまぁ良かった。
自分が好きなアーティスト達のジャンルは多分オルタナティブなのだと思うし
友達でヴィジュアル系が好きな子が何人かいたくらいで詳しくはないが
何を指してV系というのかなと改めてこの映画を見て考えてしまった。
一般にはビジュアルが派手な感じのロックバンドをそう呼ぶと思っている。
ヴィジュアルのファンはこんなに、見るからに初心者で高校生でも
「地蔵をするな」と因縁をつけて大人に仲裁されてもすぐ引き下がらないし
気に入らなければ同じバンギャでも掴まえて複数人で痛めつけても良い
という界隈なのだろうか?
棒立ちで聞いてるのだって最高にロックだと思うのだが。
まぁモッシュが起きているのに真ん中で棒立ちしていたら
流石に邪魔なので隅の方にいて欲しいとは思う。
ヘドバンの練習をしているのは青春っぽいし可愛かったが、
やろうと思って体を動かすより思わず体が動いてしまうのが
音楽というものではないのだろうか。
音楽を聴きに行くのが一番で、一体感は副次的なものだと思うし
一体感としてモッシュやヘドバンが重要視されると
この曲はこの部分でヘドバン、この部分で横モッシュ、と
古参に決められて初心者がより入りづらくなる。
ミュージシャン側が振り付けを紹介してやってね、と言ってくるなら
まだ分かるのだが。
これがV系バンギャだというなら、V系はあまり好きではないな
という感想になってしまった。
そもそもバンギャはV系限定ではなくバンドが好きなギャル(女子)
という意味だった筈なのに、V系ファンしか指していない内容なのも
引っかかった。
その割に、V系な感じなのは初めてマリアが行ったライブシーンだけで
肝心の大人のカナタがやっている音楽は全くV系には見えない。
そればかりか、伝説のライブという言葉だけが上滑りして
当時のGUILTYのライブの模様も全く無く、多少化粧をしていそうな
過去のライブポスターの写真が数回映るばかり。
賛否両論あったBECKの映画のコユキの歌の表現も自分は否定派なので
(誤魔化しであり狡いと思う)
マリアがステージに圧倒されたように
セイコがGUILTYに圧倒されるシーンは必要だったのではないかと思ってしまった。
百歩譲って音声無しでも過去のライブシーン映像に被せて
現在のカナタがマリアを歌い、当時セイコに届かなかったものが
マリアに届くという描写では駄目だったのだろうか。
カナタの若い頃の役を演じた佐藤流司くんは中々公式や
各映画関連サイトでも扱いが低く
実際映画の上映前のアナウンスでスタッフ・キャストの名前が読み上げられた時も
「他」扱いで触れてももらえなかったものの
回想シーンで度々の短くも印象的な登場だったと思う。
これは贔屓目なのだろうが、セイコが写真を見つけた時
ろくにアップにもならない古い写真なのにはっとした。
あんな写真を自分が遺品から見つけたら、カナタを追いたくなる。
存在感、後ろに広がる物語を眼差しや佇まいから感じさせてくれる。
大人のカナタと合わせているのか低く落ち着いた
丁寧な喋り方もとても良かった。
そういった何気ない演技だけでも上手い人だし、
そこだけでキャスティングしてくれたのかもしれないが
それでも流司くんを知っているファンの一人として、
筋金入りのロック好きでV系の造詣も深く、
自分でもバンドでボーカルをやってしっかりプロとして
活動している流司くんを折角キャスティングしたのに
ライブシーンどころかバンドマンっぽい演出すらなかったのは
正直がっかりしてしまった。
ライブハウスの前、公園、家のシーンだけで
ライブハウスの中にいる様子すら無い。
音楽をやっている人っぽいのは会話と、ハードのギターケースを持って
家を出るくらいなもので、メイクをした顔もポスターでしか見られない。
音楽要素がほぼ見えてこない、ただただ実直な男性だった。
流司くん側の都合でライブシーンの撮影まではNG、みたいな事情でもあったのだろうか。
必死に作曲をしている様子や、バンドで練習をしている様子くらい
あっても良かったのに。
それがないから、セイコの熱情も上っ面でよくわからない。
ラストシーンで大人のカナタがマリアを歌うのは予想できたが、
セイコの姿を入れるなら当時のカナタのシーンも入れてくれた方が
展開として良かったと思ってしまう。
探していた曲が聞けた、は良いしわかりやすく綺麗な物語で良いものの
V系と区切って目黒鹿鳴館も出したのに
肝心の過去のカナタとセイコの関係とカナタの音楽活動の描写がなく
ぼんやりしたまま終わってしまって残念に思った。
恐らく全体的に、物語が非常に綺麗なのも違和感があるのも
バンギャという女性を中心に据えつつも脚本も監督も男性だからだろうと思う。
女性目線で見ると違和感の方が強くなるのかもしれない。
大人になったカナタがV系じゃなくなっていても、
過去の激しいライブ映像とオーバーラップして
今の大人のカナタが歌うマリアはこうなのだ、なら説得力も増したのに、
折角本物のバンドボーカルを若かりし頃の役に抜擢した割には期待外れで、
勿体ないなと思った。
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