おんどりの鳴く前にのレビュー・感想・評価
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世界各地で共通のムラ
自然豊かな田舎の村の警察官のイリエは、中年になり仕事に対する熱意も失い、格好もだらしない。果樹園でも買って、のんびり暮らそうかと考えている。そんなある日、新人の警官のヴァリが研修を兼ねて着任した直後に、村で惨殺された死体が見つかる。ヴァリは周囲に聞き込みを始めるが、それを不快に思う村人があり、イリエも余計なことはするなとヴァリを叱責する。しかし、それは、持ちつ持たれつで平和を保ってきた村に大きな亀裂を生み出すことになり……。
「ムラ社会」には自分たちの生活の平和と均衡を保つための暗黙のルールがあり、部外者から見ればどんなに歪(いびつ)なものであったとしても、そのルールは自分たちにとっては当然のことであり、ムラの中で生きていくためには不可侵な慣習となっている。もちろん、それはルーマニアの片田舎に限った話ではなく、世界各地で見受けられる。
もちろんこの国でも、自分たちの住む村や街の有力者にとって都合の悪いことを隠蔽するために住民が口裏を合わせる話として、藤井道人監督の『ヴィレッジ』(2023年)やWOWOWドラマの『誰かがこの街で』(2024年)などが記憶に新しい。まぁ、お偉いさんをかばって検挙もせずに、口をつぐんでさえいれば検察のトップにでもなれる国だから……。
「身内の論理」と「保身」というものから人間は逃れられないのだろうか?そこから目覚める人間が出現するとムラが崩壊するかそいつが潰されるかのどちらかなのだろう。
なお、原題の "OAMENI DE TREABĂ" は(Google翻訳によれば)「善人(good people / honest people)」という意味らしい。
ラストは秀逸
見るのにかなりの理解力を要するので注意。よくあるホラー映画とは違う?
今年42本目(合計1,584本目/今月(2025年2月度)5本目)。
こちらはルーマニアが舞台のホラー映画…かな。ジャンルとしてはそうなると思います。
なお、現地で話されているのは当然ルーマニア語のようなので、ほぼ理解はできません(村や町の看板で外国人向けか、STOP(とまれ)などの看板は出るが)。
この事情が大きく働くのが「ルーマニアの映画自体が稀であり予習が難しい」という難点で、まず舞台は、舞台の大半となるホラーが起きる「村」と、その村に近いのか、カフェやアクセサリーショップ等がある「街」の2つだけであり(とても、都市部というような場所すら出ない。その「街」ですら人口1~2万人かというレベル)、そこに一般的に見聴きしないルーマニアの地名や人名が多く出てくるところ、人名に関しては一部を除いてそもそも男性なのか女性なのかさえ不明な名前が出てくるので(地名も当然かなり独特)、固有名詞がまず「地名か人名か、あるいはほかの何かか」を理解するだけで頭がいっぱいになります。
※ ほぼ唯一の例外が、登場人物の一人「クリスティナ」ですが、字幕上はそう表記されても実際の発音がかなり異なるようで、そう聞き取るのはかなり無理(一般的なアルファベットの読み方とかなり乖離があるものと思います)ので、そこではどうしようもありません。
こうした事情と、主人公や周りが取る行動の突飛さも相まって、ジャンルとしてはホラー(一部、アクションといいうる点はあろうが)だとしても、何度か見ないと…といったところです。これは「村」パートが恐ろしいほど近代化されておらず、真っ暗なシーンもあるし(ただ、なぜかしら、国鉄なのか民間鉄道なのか、踏切らしきものは出るが、電車にのるようなシーンはない。踏切らしきものは背景に映るだけ)、理解にある程度の頭の整理がいるタイプの、典型的な「パンフ買ってね、何度も見てね」系になっているところです(パンフ買えばよかったなぁ。オンデマンドバスを待たせるわけにはいかないのであきらめましたが)。
採点に関しては以下まで考慮しています。
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(減点0.7/相当な理解力とパンフ前提の展開になるのが厳しい)
上述のように、固有名詞の「属性」つまり、人名か地名か、それ以外か…といったところ、さらに人名だとしても男性か女性かもよくわからない固有名詞飛ばしで前半ごり押ししてくるのが厳しく、まぁ初回で見て3割か4割の理解率しかないのでは…と思います。結末を知った上で、より深い理解を求めようとすると2度3度見ることになると思います(ただ、大阪市ではテアトル梅田だけで、株主優待があればそれで見ることはできる)。
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(減点なし/参考/さくらんぼ農園の土地の所有権の物権変動について)
映画内で「所有権は俺のものなんだぞ」といいつつ、「契約書がない」などというシーンがあります。この点(不動産の所有権の得喪)は、日本民法では177条(当事者では有効でも第三者に対抗するには登記しろ/フランス型)、韓国民法186条(当事者であっても登記しろ/ドイツ型)という2パターンにわかれますが、そのどちらでもないようです。
※ ただし、さくらんぼ農園の所有権の話はトリックになっていない。ここが論点になると採点幅に考慮される。
you talkin’ to me? 綾波レイも言っていた
「視野が狭い田舎者、一人前の大人になれない」
この主人公の自嘲的なセリフは、
映画全体を、あるいは世界中の問題や、
本作の舞台であるチャウシェスク政権の崩壊も記憶に新しいルーマニア、
または現在のSNS上を貫くテーマを鮮やかに描き出しているのかもしれない。
短絡的で感情的な主人公は、
論理的な思考力に欠け、
周囲からも「一人前の大人」として認められない存在として描かれる。
そんな小さな田舎で発生した事件は、
主人公の内面を揺さぶる。
彼は被害者を悼み、心を寄せ、
そして行動に移す。
その行動には、計算や戦略、
野心や金銭的な目的といったものは見当たらない、
村の腐敗を正したいという思いもない。
もし、主人公が論理的な思考を持っていて、
村の在り方、政治等に興味があれば、
トラビス・ビックルのように、
「you talkin’ to me ?」と言ってたのかもしれない。
戦略的に事態への対応もできない、
ただ部下への悼みと隣人への痛みを共感する心だけが存在する。
悼みを、傷みを、行動に移せること。
それは、一見未熟に見える主人公が、
実は大人であることを証明しているとも言える。
感情に振り回されながらも、
正義感を持って行動する・・・
その一方、主人公は果樹園に興味を示す。
それは、彼の小さな純粋な気持ちが、
果樹園を生き返らせ、
その実が、土が、
チグリス・ユーフラテス川へと注ぐ一滴となるかもしれない。
その様子をじっと見つめるおんどりの姿は、
主人公の未来への希望を象徴しているのだろうか。
そしてこのおんどりが鳴く次の朝には、
この村には何が起きているのだろう・・・。
この映画は、人間関係において、
解決策を探るだけの論理的な思考力だけでなく、
感情や共感の大切さを教えてくれる。
(綾波レイとシンジの関係もそうだった)
主人公の一見短絡的な行動を通して、
私たちは「大人になる」とはどういうことなのか、
改めて考えることができるだろう。
結構滑稽コケッコー
微妙にスカッとさせない辺りが上手いというか 最後までもどかしいとい...
果樹園
真っ黒ですけどね。
モルドバ地方の小さな村に住み10年の、果樹園を営むことが目標の警察官が、村で起きた殺人事件により翻弄される話。
元妻と共同で所有するアパートを売り、果樹園を買おうと目論むも期待する額に遠く及ばないことを知った主人公に始まって、村に新人警官が赴任してきた矢先、殺人事件が発生し巻き起こっていく。
犯人探しのサスペンスかと思っていたら、えっ、そういう話し!!?
しかも穏便に済ますつもりまるでなし?
ちょっと、いや、かなり情けなく陰鬱な主人公を軸に、まったりとみせて行く流れからの終盤の展開はなかなか以外で面白かったけれど、赤い包の件からの怨も入ってますかね…。
始まりからぬめ〜っとしていたりとちょっと空気感がだるかったけれど、話し自体は面白かった。
ところで、ラストはめんどりじゃなかったですか?
25-014
満席だったけど…
ルーマニアの社会風刺
“まるでタランティーノ”とか“ルーマニア・アカデミー賞6冠”とかポスターに書いてあって、ポスターのデザインも凄い感じを放っていて、
かなり楽しみにしてたんだけど、観たらガッカリ(笑)
何を観せられてるんだろうと思う、どうでもいいようなルーマニアの田舎の日常が、たらたらダラダラ起伏なく続き、眠くなってウトウトしながら鑑賞。
ラスト10分ぐらいは派手で目が覚めた。
そんな感想だったんですが、終わってからユーチューブで町山智浩さんの解説を観たら、まー分かりやすい素晴らしい解説。
そういう事だったのか!と腑に落ちまして、もう1回観たくなった。
興味を持った方は、ネタバレに触れてるので、映画を鑑賞後のチェックをオススメします。
ネタバレしない程度に解説すると…
ルーマニアの田舎の村、表面上は平和そうに見える村、冴えない常駐警察官イリエ、正義感の強い若い警察官ヴァリが来たことで、今までの日常は崩れていく…
ルーマニアの社会風刺が入ってるそうで、村長役はルーマニアの実在した人物に似てるそうです。
僕は、もう1回観てみます。
ニワトリは見ていた! コーエン兄弟っぽいテイストで締めるルーマニア発の田舎警官もの。
映画『コックファイター』をこよなく愛し、
ここで『殺しを呼ぶ卵』の感想も書いた僕としては、
「ニワトリ映画」なら観ずばなるまいと思って
はせ参じたが、別にニワトリ映画ではなかった(笑)。
いや、だからといって残念なわけでもないけど。
ルーマニアのど田舎の農村地帯を舞台にした
警察捜査ものではあるのだが、
ミステリ的な趣向があるわけでもない。
なので『マクベス巡査』とか『シェトランド』
みたいなのを期待すると肩透かしを食う。
語弊を生む言い方だという気もするけど、
むしろ「ハードボイルド」寄りではないか。
宣伝では、タランティーノを挙げてたけど、
コーエン兄弟にテイストは近いと思う。
あとは、ラスト近くはちょっとペキンパー風味。
ただねえ。
とにかくお話が動かないんですよ(笑)。
ひたすら地味に、地味に、展開する。
音楽も最低限、カット割りも最低限。
長回しで主人公の警官イリエの行動を追う。
フィリップ・マーロウものじゃないけど、
基本、主人公の行動を追う映画なのに、
彼の意図と目的が敢えて描かれない。
どうしてそこに向かったのか、
なんでその行動をとっているのか、
いま何を考えているのか、
そこで何がわかったのかが、
いまひとつ伝わってこないんだよね。
結局、農村をふらふらと移動してまわる
主人公の目に入ることや、耳にすること、
出会った人の様子などを一緒に体験して、
我々も事件の真相を一緒に考えながら観るしかない。
でも、これがひたすら単調なリズムで、
淡々と描かれるものだから、
とにかく眠たくて、眠たくて、眠たくて……(笑)
前半はかなりうとうとしちゃってて、
いろいろ大事な部分を見落としてしまったような気が。
農園を見回ってヒロインと会うあたりで
一度、しゃっきり覚醒したつもりだったんだが、
そのあとまた睡魔が忍び寄ってきて……。
若手警官に例の件が起きてからは、
しっかり集中して観られていたと思うけど。
― ― ― ―
この映画でとにかく重要なのは、主人公のイリエだ。
見た目はちょっと、デンジャラスのノッチとか、
ウォーレン・オーツを思わせる、疲れた初老の男。
(『コックファイター』つながりで、
そう思うだけかもしれないがw)
魯鈍そうな外見。猫背。ふらふらしたがに股歩き。
うつろな眼差し。弛緩した顔の筋肉。
田舎警官としての地域勢力との癒着。
若手警官に対するパワハラ的な言動。
けっして、善良な人間とはいいがたいが、
根っからの悪い人間というわけでもない。
終盤、元奥さんの口から語られるイリエの過去。
過去に不正と馬鹿正直に向き合った結果、
キャリアを喪った敗残者。それがイリエだ。
彼はそれをきっかけに「正しくある」ことを辞めたのだ。
そんな「惰性」で生き、引退後の果樹園での
生活だけを呑気に夢見るイリエのまわりで、
「日常」をゆるがす事件が立て続けに起きる。
長年続いてるような、村ぐるみでの密輸なら、
べつに見逃したっていい。
だが、殺人は? 見せしめの報復は?
ラストで、彼は行動する。
行動の結果は、ここでは書かない。
ただパンフで、パウル・ネゴエスク監督が面白いことを言っている。
主人公のラストのセリフについて質問されて、
このセリフを書いたのは脚本家だとしたうえで、
「なぜならイリエは常に物事に対する評価が甘いからです」と。
彼は自分のアパートが高く売れると思っていたし、
クリスティナが自分に恋をするかもしれないとも考えていた、と。
言われてみればそうだ。
彼は「なんとなく」、
いつも「なんとかなる」と考えている。
そして、うまくいかなくて途方に暮れる。
本作で、本来は悲劇に思われるような物語が、
どこか喜劇的な風合いをまとうのは、そのせいだ。
ドン・キホーテと同じようなもので、
彼はラスト、あれで意外と
「うまくいく」と思っていたかもしれないのだ。
だから、悲壮感がない。
とぼけている。
『ワイルド・バンチ』的な
「レッツゴー」「ファイノット」感がない(笑)。
そういうイリエに寄り添えた観客ならば、
この、全体に息を殺したように地味で、
そこはかとなくオフビートな映画を、
純粋に楽しめるのだと思う。
― ― ― ―
本作は結局のところ、ルーマニアの農村部においては一般的とされる、村ぐるみの汚職とちっぽけな正義の「兼ね合い」の話なのだが、そこはラストとも深くかかわりあってくるので、ここではあえて詳細には触れない。
とはいえ、「地方自治体レベルで機能している巨悪」を前に、「虐げられる弱者」がいるという理由で、ひとりの官吏が「正義」のために立ち上がることの意義と矛盾。
これ自体は、きわめて普遍的なテーマではあると思う。
犯罪自体が地域の主幹産業として成立し、村の富の大半を生み出す原動力となっていて、村民の大半がその恩恵に預かっているという場合、切り捨てられる弱者に報いるために悪を討つことが、本当に正義なのかどうかは、僕にはよくわからないし、あまり確信もない。
犯罪と正義については、いろいろなフェイズでの論理実験が可能だ。
たとえば、戦時中の「闇市」を法で裁いて、みんなで飢え死にしたほうがよかったのかという問いには、「しないほうがよかった、仕方がなかった」と答える人が大半だろう。
では、犯罪者のほうが一般人より多いような、メキシコの麻薬栽培地域での浄化作戦の場合はどうか? ああなると、もはや内戦と変わりないのではないのか。カルテルを温存するほうが、地域の「最大多数の最大幸福につながる」とはいえないか?
あるいは、日本の遠い過去を振り返ったとき、田沼時代の賄賂政治は間違いなく江戸の貨幣経済を発展させ、松平定信や水野忠邦の「正義」の改革は、むしろ江戸幕府を衰退させたのではなかったか。
「悪を裁く」というのは、意外に「社会を弱らせる」ことにもつながる諸刃の剣である。
現代の日本においても、その構図は変わらない。
「悪」を通じて流通している金や利権は、必ずしも巨悪の懐のみに滞留しているわけではない。そこから土建業やら飲食やらといった「特定の業種」に流れて、間違いなく「誰か」の得にはなっているし、それで生活が出来ている人たちがたくさんいる。彼らは悪の「おこぼれ」に預かってはいるが、必ずしも「悪そのもの」ではない。
僕たちは本作において、ルーマニアというきわめて旧弊かつ前近代的な土地柄で、まさにそういった社会の矛盾の「縮図」をまざまざと見せつけられることになる。
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今回、パンフレット記載の専門家のコラムが、作品の理解にとても参考になった。
観終わったあと「なんか最後以外はだっるい映画だったなあ」と思った人こそ、パンフを購入して答え合わせをされることをぜひお勧めしたい。
学習院女子大学の中島崇文教授は、ルーマニアの地域性と犯罪状況について、示唆的な一文を寄せている。この映画で描かれていることが、ごく通常の「あたり前」なのだと教えてくれる。
そのあとの町山さんのコラムでは、「なぜニワトリなのか」が鮮やかに論証される。
町山さんいわく、本作の邦題は新約聖書のマタイ福音書からとられている。
イエス・キリストが使徒ペテロに予言したセリフだ。
「あなたは今夜、ニワトリが鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」
ここからの解説は本当に素晴らしいし、一読の価値がある。
ただ、観ていてそんなことに気づいたり考察できたりする客は、ほとんどいないだろうが(笑)。
ちなみに監督自身はニワトリについて、もともとの脚本には出てこなかったのだが、オープニングとエンディングに登場させるのはいいアイディアだと思ったと述べている。「物語の見届け人」が必要だったのだ、と。
あとモルドヴァにロケハンに行ったときに、実際にあちこちでニワトリがうろついていたのも大きかったらしい。監督からは一言も新約聖書の話は出てきていないようだが、たとえディープ・リーディングだとしても、町山説には実に説得力がある。
というか、町山説に確信があったからこそ、配給会社はこの邦題をつけたということなのだろう。
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●シネマカリテでは、映画が始まる前になんと監督本人が突然映像で登場して、日本の観客に向けて挨拶をしてくる珍しい仕掛けあり。
監督曰く、観て面白かったらぜひSNSで宣伝してね。面白くなかったら面白かったとウソをついてねってことでした(笑)。
●とにかく「酒」と「たばこ」が頻繁に出てくる映画。
このあたり、現代劇なのに、まるで西部劇のようだ。
たばこを渡して火をつけることと、ショットグラスに酒を注いで渡すことが、ある種の「共犯性の確認」になっているあたりも、実に西部劇っぽい。
●ところどころで、シンメトリカルなショットが画面を引き締めている。
とくに元奥さんとのシーンは、冒頭の売却予定の部屋での対話、中盤での予定を変更する際の対話、噴水での資料引き渡し時の対話のいずれもが、シンメトリカルな構図どりとなっている。
●いっさいの宗教的な威厳を感じさせず、ただのプロレスラー崩れの用心棒みたいな言動しか作中でしない謎の狂犬司祭が草。でも胸には大きな十字架が輝いている!
●村長宅での食事シーンは、ルーマニアならではの感じで面白かった。あの黄色いシフォンケーキかトルティーヤみたいなのは、コーンミールを練ってつくる主食らしい。
シモーヌ・シニョレみたいに肥った村長夫人の、慈愛に満ちた雰囲気もいかにもそれらしい。そういえば村長一派の面々は、良いものを食ってるからか、みんなよく肥えている。
●基本ずっと静かな映画であるぶん、イリエが絶叫するシーンには、いずれもインパクトがある。とくに若手警官のヴァリ絡みで、彼は何度か衝撃を受けて大きな声を出す。
そもそも、ヴァリにやたらきつく当たってたのも故あってのことであり、実際は「内心彼のことはかわいがっていた」のだろう。
相棒のために、大金を渡してくる自分の飼い主を●●●●●にするって展開は、実は『ガルシアの首』ともよく似ているような気がする。
●イリエが川に顔を映す例のシーン、僕はなぜか『ガルシアの首』で、ウォーレン・オーツが出陣前に部屋で鏡に自分を映して、一瞬だけサングラスを取って自分の素顔を見つめるシーンを思い出していた。どっちも銃に再装填するシーンが近くにあるからかもしれないが。
●結局、この閉鎖的な村において「川」こそは重要な外界との出入り口(接点)であり、そこを支配しているのが、まさに村長一派だということだ。ラストが埼玉あたりの河川敷のキャンプ場みたいな川べりで展開されるのも、決して故なきことではない。
サスペンス風味の田舎芝居
封切り2日目でほぼ満席。ルーマニア・アカデミー賞6冠てのと「今年最高のラストシーン!」という触れ込みが効いたか。
ほとんど仕事らしいこともせず、果樹園を持つことだけを夢想する中年警官が主人公。前半、なんとも魅力のないこの男の怠惰な日常が延々と続き、いささかげんなりする。そこへ見習いのハリキリ警官が登場、頭を斧でかち割られた殺人事件発生、で急展開かと思いきや、あれ? 謎解きのピースかと思わせる美人妻のエピソードも肩透かし、新人君の事件も早々にホシが割れてあらあら。どないやねん。
「最高のラストシーン」ね。うーむ。ドラマの盛り上げに重きを置かない、という試みは評価できるかもしれんが。
ラスボスの最期よりギャグかます方を選択してるからね。
不器用な男の悲劇の物語
ルーマニア・アカデミー賞6冠という宣伝文句に惹かれて鑑賞。(ルーマニア映画初めてかも)
監督のリューベン・オストルンドは「逆転のトライアングル」であまりいい印象はない。
主演のユリアン・ポステルニクは痩身・猫背でクタクタでヨレヨレの制服を見事に着こなし何とも言えない中年おじさんのモノ悲しさがあって非常に良かった。
肌感覚だが少なくとも9割以上は画面に出続けていた事からも、良くも悪くもこの映画はこの人が全てなんだろうと思う。
正直言って、葛藤から来る心の揺れやクライマックスに向かってのボルテージの上がり方の表現が少し伝わりにくく、最後の行動が唐突過ぎたように感じてしまったことが残念だったが、最後までかっこよくなく、ある意味この主人公っぽかったのにはリアリティを感じた。
ルーマニア国内で高く評価されたのは、ルーマニア農村部の村社会の現実を上手く描いているからなのかなとは思った。
こんな警官は嫌だ!
多分、相当リアルなんでしょう
他国の、しかも個人的には不勉強な所の物語であったためか、内容とか背景がしっくりくるまで相当時間がかかった印象です。
とはいえ、敢えて細部を隠しつつのストーリー展開だったように思うので、なかなか把握しきるのには苦労しました。
ぶっちゃけますと、見終わって全く気持ちがスッキリしない感じです。まぁこのモヤモヤもリアルなところを反映しているからなのでしょう、終始いやーな現実が描かれていて、見ていて結構しんどいのですが、良き映像とメインともいえるかなりリアルな銃撃戦など、楽しめる要素は満載な気がします。
物語の象徴として時々映し出されるオンドリも、見事な表現で、実に美しく、それ自体には秀逸さを感じたのですが、どうも全体のお話がねぇ・・・それが現実であり、なるべくありのままを表現したいという志は強く伝わってきます。そこのところに重きを置くというのであれば、非常に素晴らしい作品なのかもしれません。
全21件中、1~20件目を表示