MR. JIMMY ミスター・ジミー レッド・ツェッペリンに全てを捧げた男のレビュー・感想・評価
全10件を表示
レッドツェッペリン道の求道者
ジミーペイジのギターに憧れ10代の頃の情熱を持ち続けてレッドツェッペリンの楽曲のコピーを続けた桜井氏はジミーのギターを再現する事で糧を得て生きて来た。正に求道者という他ない。初老の年代に入った彼だが映画ではそこに至るまで過程を描き今まさに完全体になろうとしている男の姿を描いている。中々難しいと思うが彼のショーを見たくなる映画であった。
ヲタクにビジネスは難しい
冒頭、白樺の雪景色から始まる映像が幻想的で、北欧かどこかの国かと思っていたら新潟だったという衝撃。
この映画、日本のありふれた日常風景を、無駄に手間かけてテクニカルに撮影している場面がちらほら出てくる。
「レッド・ツェッペリンのギタリスト・ジミー・ペイジの真似をする日本人・ジミー桜井という人のドキュメンタリー」と耳にしていたので、ものまね芸人みたいなものを想像して鑑賞したら、予想を遥かに超えた狂人だった。
ロックバンドのギタリストの姿をしたレッド・ツェッペリンが好きすぎるオタク。
見た目や雰囲気は「THE ALFEE」の高見沢俊彦で、昼は着物のセールスマンらしいが、働いている姿が想像できない。
衣装や楽器のこだわりが異常。
過去のライブ映像を観ながら、その時ジミー・ペイジが身につけていた衣装の再現を試みるわけだが、「袖口の数ミリのずれ」や「背中の刺繍に使われている糸のわずかな色の違い」まで、異常ともいえるこだわり。
門外漢には違いがさっぱりわからなかった。
何度も何度もやり直しをさせられる仕立て屋が不憫に感じた。
序盤はジミー桜井が日本で細々と地道に活動する様子が描かれていくが、細かい「こだわり」の話が続くので、正直観ていて眠気が襲ってきた。
中盤にものまね番組でいうところの「ご本人登場」の場面があり、そこら辺から映画の流れが変わってきたように感じて面白くなってきた。
後半は舞台がアメリカに移り、客の前でレッド・ツェッペリンが過去に行ったライブの完全再現に挑戦するジミー桜井。
音楽ライブに行ったことがないので想像になるが、ライブ本番でミュージシャンがアドリブを加えた場合、それがファンにはその日だけの特別な体験として好意的に受け入れてもらえると思うのだが、「完全再現」を目指すジミー桜井はアドリブを禁止。
バンドメンバーがちょっとでもアドリブを加えようものなら、ジミー桜井が鬼姑ばりに細かくネチネチ指摘。
練習風景が「音楽ライブ」というより「演劇」に近いと思った。
実際に行われたレッド・ツェッペリンのライブと全く同じ曲構成で演奏したいジミー桜井に対し、他のメンバーから「客に人気のある曲だけにすべき」と要求されるも、ジミー桜井はこれを断固拒否。
この感じ、最近どこかで観たと思ったら、正月に観た『グランメゾン・パリ』のキムタクっぽい。
キムタクみたいに怒鳴ったりはしないけど。
ジミー桜井の、他人の意見を全く取り入れようとしないこだわりの強さに崇高さを感じつつも、オタクの悪い癖が出てるとも思った。
「作り手の作りたいものを優先するか、それともビジネスのために客が喜びそうなものを優先するか」の問いは、世界中のどこの職場にもありそうな普遍的な問いに感じた。
ジミー桜井がジミー・ペイジの演奏はライブごとに微妙に変化していることを説明した後、全てのライブバージョンの演奏を実演。
模倣の天才だと思った。
でも生活はギリギリ。
例えば「バットでボールを上手く打ち返す」という才能が、野球がビジネスになる前はたいした価値を持っていなかったのが今なら億万長者になれるように、ジミー桜井の才能も時代が違えば莫大な富を生み出していたのでは?と思った。
コピーバンドはどうあるべきか
今年25本目(合計1,567本目/今月(2025年1月度)25本目)。
電話越しからの父親からの勧めで(私が小さいときにエレクトーンに通わせてくれた。音楽が好きだった。なお、健在(2025年1月時点))見に行きました。そういえば自宅、レコードだのVHSだの今(2024~2025年)から考えるとノスタルジーっぽいもの、色々ありましたね(今でもこれらの再生ってできるのかなぁ)。
元になる「コピーされる側の人」はとても有名な人物で、そのような有名な人物だからこそコピーしようという人があらわれ、またいわゆるコピーバンドというものが(彼に限らず、いろいろと。例えばビートルズだってコピーバンドでいえば100も200もあるのでは?)あるわけで、それらは日本アメリカとも法体系は多少違っていても「元著作者に敬意を払う」ということと「極端にもうけすぎない」という2条件があれば、大体は許諾が取れるものです。そしてそれが日本でもアメリカでも(日本とアメリカ以外の国は大半出ない)要請されている表現の自由ほかの現れなのだろう、と思います。
人は確かに無から何かを作り出すことは難しいけれども、コピーバンドという特殊性から実在する(有名か無名かはさておき)誰かの真似をしようという狭義の意味でのコピーバンドを作る、結成するということであれば多少の音楽に関する知識と、ごく一般的な法律(著作権関係)を知っていれば大丈夫です(もっとも後者については、行政書士等に依頼することもあるようですが)。
コピーバンドを全否定するのではなく、コピーバンドの「ターゲット」が何であるかによって、そのコピーバンドが「コピー」を作ってまで活動して愛する「対象」が何であるのかわかりますし(したがって、法の解釈上の問題とは「別に」、コピーバンドが多い人ほど有名人物である、とはだいたい論で言える)、そこは著作権上クリアになっていればよいのではといったところです。
ただ、コピーバンドといっても「コピー」に過ぎないし、映画内で言うように「本物がうたうのなら良いが、コピーバンドとして出る以上はある程度妥協しないと(例えば曲の演奏を一部削る等)いけない」といったビジネスの部分にあたるのはコピーバンドにありがちな部分で、そこでメンバー同士の考え方がすれ違ったりで解散したり再結成されたりといったものが多いです。この映画もそうした部分を扱っています。
もちろん、「コピーされた」側の当該人物の話も少しでますが、この映画はその「コピーした」コピーバンドの話のほうが大半になり、そのコピーバンドの成立と解散の繰り返しを描く映画です。こういった部分があるのでやや人を選ぶかな(音楽だけを聴きたい、という方にはちょっと合わない?)という部分はありますが、良かった映画です。
採点上特に気になる点はないので(この映画がコピーバンドの話であることは予告編からも明らかだったので、音楽「だけ」を聴ける映画ではないのもわかっていた)、フルスコアにしています。
「自分が無い」と言い切る人生
これほどまでに
別の人のコピーとして
人生を歩んでいる人がいるでしょうか
モノマネ芸人でもここまでいきません
徹底的に徹底すると
それでメシを食えるくらいにまでなるのですね
ついていけず辞めていくバンドメンバーのように
誰だってちょっとくらいは自分が出てしまうもの
自分?無いですね
と言い切れる人生
最終的にジェイソンボーナムとツアーを周るまでに達したこと
あっぱれです
彼こそはツェッペリン バカ一代
理想と現実
名前くらいしか知らない私みたいな人にとっては、 予告と解説だけで良...
名前くらいしか知らない私みたいな人にとっては、
予告と解説だけで良かったかな
それ以上でも以下でもないから
もともとジミーペイジが好きな人にはきっとすごく良い
愛に溢れた作品
それにしてもコピーバンドが生活していかれるって、
それだけで凄い
全10件を表示