「だって、僕は、ないからね。僕はジミーペイジを弾いてきただけだから。」MR. JIMMY ミスター・ジミー レッド・ツェッペリンに全てを捧げた男 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0だって、僕は、ないからね。僕はジミーペイジを弾いてきただけだから。

2025年3月1日
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鑑賞方法:映画館

レッドツェッペリンに出会ったときから、ジミーペイジになりたくて、ジミーを名乗り、ジミーペイジを完コピし、生活のすべてを捧げた男、ジミー桜井の話。機材はアンプのコンデンサーひとつからこだわり、衣装の縫い目にも究極の再現性を求める。彼と仕事をした人は言う。「いくらギターが上手くても、お客さんがそこにジミーがいると思えなければ、彼の仕事は完成されないんですね」と。もうね、ギターの細部のチューニングの時の、「弦高上げた?」「いえ、ペチペチが好きで」の会話とか堪んないのよ。
2012年、そんな彼の噂を聞いたペイジ自身がジミー桜井のライブを聴きに来た。ペイジから賞賛を受けたジミー桜井の「ただただあなたのことだけを、30年間やっているんですよ」の言葉には、憧れと愛とリスペクトが詰まっていた。
そして彼はアメリカを目指す。そこからの、理想と現実のギャップ。そう言うと実力不足か、と先回りしてしまうが、まったくの逆で、彼の求めるものに、エンタメの本場アメリカのミュージシャンたちがついてこれない。あまりにも高すぎる再現性と完成度。彼は自分のビジョンを貫こうとし、メンバーは彼に妥協を求めた先の崩壊。
実際、どんな成功したバンドだって、オリジナルメンバー同士でさえ意見があわず衝突するのだから、コピーバンド(あえてそう言う)のメンバーの温度差はあって当たり前。一つの音にさえこだわって上を目指すのか。ほどほどで妥協し、ビジネスを優先して客の求めるものを見せるのか。そこに齟齬があればこうなるのは必然だろう。
ジミー桜井はまだ先を目指している。おそらく彼は、生涯最後に、財産も友も何もかもなくしたとしても、後悔はしないだろうと思う。それほどジミーであることを貫いていた。そんな人生もまた、素晴らしい人生だと思う。

栗太郎