九龍ジェネリックロマンスのレビュー・感想・評価
全48件中、1~20件目を表示
まずまずの及第点+αかな?
映画を見るまでの、この作品に対してのスタンスは以下の通り。
原作:見てない
アニメ:見た!良かったと思う!
なので、主にアニメとの比較になってしまう。ご了承願いたい。また、アニメとの比較でネタバレ内容をたくさん書いてしまったので、ネタバレ扱いにしておきます。
心象としては、圧倒的に時間が足りなかったな、と思う。同じ実写化なら、ドラマの方が良かったかも?そもそもアニメも原作から見たらエピソードの取捨選択があったであろうし、もしかしたら改変もあったのかもしれない。それにも増して映画は短いのだから、いろいろと端折ったし、そこそこ改変もあった(もしかしたら原作準処に戻した可能性もある)。
小黒(シャオヘイ)は◯◯ってことが明かされないし、サクセスの幻影が案内してくれるシーンもすごく短い。楊明(ヨウメイ)のあーんなことやこーんなことも表現できてない。お札(フダ。サツではない)のシーンもない。鯨井Bの死因もやや分かりづらい(アニメを知ってたから、あーアレが死因かと分かる。見てなかったら気付かない可能性も)。他にも書ききれないことがたくさん!まぁ、仕方ないよね、って感じ。
それでもこの約120分の中に、九龍ジェネリックロマンスの大抵の要素を詰め込んでくれたと思う。そういった意味で、本映画から入ったのであれば、アニメや原作を見るという一助になればいいのかなとも感じる。
単純に女なら水上恒司を、男なら吉岡里帆を観るだけという意味でもいいのかもしれない。ちなみに、吉岡里帆のスタイルの良さに感心しながら観ていた。惜しむらくは、鯨井令子の目の下のホクロをもう少しはっきりと描いてほしかった。もっと魅力的に見えたに違いない。序盤は薄く感じたし(最初の方はその存在を忘れていた)、気づいてからも小さいな〜と思ってた(アニメでもそんなに大きくは描かれてないが、存在感はとてもあった)。
個人的にお金払って見に行くって基準を★3.0にしてるので、まぁ損した気分にはなってない(笑)
あ、スタッフロールの後の話。続きがある。アニメとは違うけど、まぁこれはこれでありかなとは思う。
田園はやっぱりイイ!
あぁ、ベートーヴェンじゃないよ!玉置のほうね!🤣
まさに、あの歌通りの映画じゃん!
ジェネリックって、特許切れの新薬から後発に出来た…同じ効能・効果を持った同成分の薬。
謂わば、クローンみたいなモノ。
はは〜ん、なるほど、そう云うことね。
でも、何故に九龍?、、クローンと掛けてる?
魔城九龍砦にしては、かなり綺麗過ぎ🤣
好き過ぎて同じ顔や声でも、中身は別物だから嫌だ…
分かるけど、正直、我儘だなぁって🙇♂️
とは云え、終盤からラストはかなり素敵で…ホッコリで、明日へ一歩を踏み出してこ!って思える感じで好き🥰
西瓜とタバコ
原作では何一つ解決してない。
どうなるかと思ったけど、上手く
最後は仕上げたと思う。
何よりレモンチキンが食べたくなる。
チャイナドレス姿の吉岡里帆さんが
タバコを吸うシーンが好き。
西瓜とタバコの組み合わせはインパクト大。
丁寧で繊細に作られた映画。
自分達の存在を受け入れて繋がった二人。
思い切った勇気が未来へ羽ばたいたんだね。
アニメがある以上この映画の存在価値は薄い。
アニメの出来がかなり良かったので、実写も期待して観た。アニメと比較してのレビューとなる。
結論から…
やはり邦画の実写化はダメダメだな、と。いつものようにアニメと邦画の差を実感した。
一番目についたのは俳優陣の演技。この演技くささは一体なんなのだろうか。特に工藤役は本当に合ってなかった。素晴らしい俳優の1人なんだが…
ミステリー、SF、大人のラブストーリーを織り交ぜた作品で、微かな違和感から大きな謎に発展していく。
が、映画では冒頭から世界の謎をベラベラと説明し始める。かつ、吉岡里帆と水上恒司との日常やラブシーンが多めに入っている。邦画あるあるの俳優陣を前に立てた作品になってしまって、作品の良さを削っている。
第二九龍都市のどこか感じる懐かしさ、異質さの表現はとても良かった。アニメでは表現しきれない実写としての良さが出ており、金魚を通して見たような煌めいた雰囲気作りも工夫を凝らしていたなと思う。
あと、エンディング曲も良かったかな。エンドロールからラストは酷かったけれども。
それらも含めてアニメの表現力が映画をほぼ上回っている。下位互換ならまだしも、安易にネタバレをベラベラ喋っている以上アニメや原作を見る上で足枷としかなってない。2時間この映画に時間を費やすのなら、その分アニメや原作を観たほうがよい。実写にしないでアニメの総集編でも作っていた方が作品の質は保たれていたかと思う。
ジェネリックテラの陽のもとに
本レビューには「惑星ソラリス」と「ミッションエイトミニッツ」のネタバレを含みます。
ある日突然気づいた、自分には遠い過去の記憶がないことに。あるのはこの九龍での日々の暮らしの記憶のみ、それ以前の過去の記憶が完全に抜け落ちていた。
気づいたきっかけは職場の先輩工藤との会話からだ。九龍の街に懐かしさを感じる、それは恋にも似ているという彼の言葉にはどこか聞き覚えがあった。それだけではない、彼の他の言葉もどこか聞き覚えがあるものが多かった。
そして私は彼に懐かしさを感じると返すと彼はおもむろに顔を近づけて私の瞳の奥を覗きこんできた。まるで私の心の中をのぞこうとするかのように。
私は彼に恋してるようだ。しかしなぜ記憶がないのか、自分はそもそも何者なのか、なぜ彼に恋してるのか、この恋は本物なのだろうか。
今まで考えもしなかった疑問が頭の中から次々とわいてきた。今までただ同じような生活を繰り返すだけの日々、何の疑問も抱かずに生きてきたというのになぜ突然このような疑問が湧き出してきたのか。
ジェネリックテラがある人間の精神に作用してその人間の記憶を具現化したことによりあるはずのない幻の街九龍が生まれた。そこで暮らす人間たちもその人間の記憶により具現化された存在であり、その記憶の範囲内でしか存在しえない。いわば心の中にあるビデオテープを再生するかのようにその人間の記憶の範囲内で九龍の街の日常が再現されていた。その中に暮らす人間は当然自我を持たない人形のようなものだった。
記憶を失ったのではない。記憶なんて初めからなかったのだ。自分は他人の記憶から生み出された存在。いわばビデオカメラに収められた映像に過ぎない。それを撮影した人間が繰り返し映像を見るように同じ日々をただ繰り返してきただけなのだ。
記憶の持ち主は工藤だった。彼はかつて取り壊された九龍の街で暮らしていた。愛する恋人と共に。しかし恋人は帰らぬ人となり、街も取り壊された。
そんな彼に偶然ジェネリックテラが贈り物をしてくれたのだ。開発者の予想外の副作用が生じてこの幻の街が復元され、彼はその思い出の中に閉じこもった。
それはまさに人生の一番幸せだったころの思い出に浸り続けること。何度も思い出のビデオを日々見返すような生活。それで満足だった。永遠に自分の幸せな頃の思い出に浸り続けることが。しかし令子のジェネリックが自我を持ってしまったがために事態は急変する。
工藤は令子が自分と恋愛関係になったことが彼女の死の原因だと思い込んでいた。だからこのままでいい、けして時間の進まないままでいい、自分を好きになる前の令子と同じ時間を永遠に過ごせればそれで幸せだった。
令子のジェネリックが自我を持ち再び自分を愛せばまた同じ悲劇が起きる、工藤は涙する。それに呼応するかのように九龍の街は土砂降りに見舞われる。
自分はただのコピーに過ぎないのか。オリジナルの令子から生み出されただけの人形でしかないのか。この工藤への想いは植え付けられただけのものなのか。この思いは自分だけの思いではないのか。
苦悩する令子。しかし彼女はもはや人間と変わらぬ存在であった。それは彼女が抱く苦悩が証明していた。
彼女は工藤と恋に落ち彼と共に九龍の街を飛び出す。けして消えることはない。自分は確固たる人間なのだ。工藤が幻の街九龍が崩壊する様に気を取られて振り返った時には令子の姿はどこにもなかった。
日常に戻った工藤は日本で暮らしている。その工藤の目の前に現れた令子。作品はここで終わる。
「惑星ソラリス」がおそらく元ネタの本作。ソラリスの地表を覆うプラズマ状の海の様な知的生命体が近づく人間に作用してその記憶からあらゆるものを具現化する。主人公の自殺した妻を具現化させるのも本作と同じ、その妻が自我を持つところも。街全体が具現化されてるというのもソラリスの結末から想像できる。
本作の結末自体は「ミッションエイトミニッツ」みたいになるだろうなと予想してその通りになってニンマリできた。
あちらの作品は死んだはずの主人公たちが多元宇宙で生き続けるという理屈がある程度通ったものだけど、こちらのジェネリックの令子が存在し続けることができたという方が理屈抜きで夢がある終わり方で結構好き。
SF好きなら楽しめる作品だと思う。ジェネリックの令子に自我が目覚めるなんてのは今までSF作品ではさんざんやりつくされて来たこと、それこそクローン人間とかAIとかが自我を持ち苦悩するパターンで。
元ネタの惑星ソラリスは哲学的で難解な作品だけど本作は気楽に見れるSFラブコメに仕上がってた。
映像のチープさやセンスがいまいちなのも主演の二人が十分カバーしていた。何よりもチャイナ服は無敵。出来ればスタイル抜群の梅沢と共に生足が拝めるスリットが入ったチャイナドレス姿をお二人とも披露してほしかった。この監督の詰めの甘いのはそこなんだよなあ。
内容の面白さは別にして作り手の本気を感じる作品
九龍の雰囲気を感じたくて観ました
実際の九龍はあんなに美しいくはないと思いますが、中国的で面妖な雰囲気と雑多で人間臭い九龍、夏の儚げさや街の懐かしさ、人を思う切なさや愛おしさなどがこの九龍の街に美しい映像として描かれています
この作品の映像と世界観には没入させてくれる美しさがあります。
ストーリーは面白いとは思いますが、原作のファンの方には酷いものだと感じるのではないでしょうか。
内容も登場人物も原作に寄せてるけど中途半端な感じで、2時間に収めるならまぁ仕方ないかなって印象。
ただ原作に対するリスペクトは感じました。
総評して、内容、登場人物はイマイチですが
監督、俳優その他映画制作に関わった人たちがいい映画を作ろうとした本気が感じられるいい映画だと感じました
特に没入できる美しい世界観のある映像は素晴らしいと思います
吉岡里帆さんを愛でる映画です、なので点数甘めです
タイトル一行だけでもう終わりでもいいかもしれません
せっかくなのでもう少し書くと、
細かいエピソードとか頭の中でつながらないものが多くて、原作もアニメも
よく知らんせいかなと思ったけど、そちらのファンにもあまり評判よくないようで、、、
特にラストは全くの意味不明でした。本編終了で席立ったほうがよかったかもしれません。
九龍にも惹かれるものがあったのですが、時代も場所もどこか中途半端な印象でしっくりきませんでした。
どうでもいい付け足し
”八”に似た中国語発音の”はじめ”という漢字って何?気になって仕方なかったぞ!!
私の中国語知識も豊富とは言えないのでたどり着けないと思いましたが、
家に帰って探したらまさかの”発” どうやったらそう読めるんじゃ!!!!
どっちなのか?
今回も原作知らずで『吉岡里帆』観たさに鑑賞
九龍城砦が実に素晴らしい出来で感動!
街並みも台湾で撮影しただけあってとても良い雰囲気でした
鯨井令子(吉岡里帆)が実は工藤発(水上恒司)によって作られたって事に気が付くまでかなりの時間がかかってしまいましたw(かみさんは結構早い時期でクローン?と言ってましたが)
脇役もなかなかで靴屋の陽明(梅澤美波)はなかなか可愛かった
色々な所でバイトをする小黒(花瀬琴音)は何か犠牲になって消えて可哀相
とにかく蛇沼みゆき(竜星涼)が最初から最後まで怖かった
最終的に鯨井令子は自分(工藤?)を信じて九龍城砦を飛び出します!
おっ!消えない!って思った瞬間に消えた↓ちょっと寂しいエンドだな・・・
エンドロール
結構な人数が席を立ってましたね!?
画像が出てるからまだ続きが!?ありました(笑)
東京の不動産屋で働く工藤発は昼飯へ
店を見てると中から小黒が出て来てレモンチキンを勧め注文
工藤がレモンチキンを一口食べて『うまっ』
そこへ荷物を引いた鯨井令子が登場してチキンレモンをパクリ!
これは鯨井令子が生きてたの?それとも東京で工藤が世界を作ったの?
原作読めばわかるのでしょうか?
吉岡里帆が魅力的だった
原作未読。アニメも未鑑賞。吉岡里帆さんが出ているので鑑賞しました。内容的には??という感じでしたね😭工藤役の水上恒司さん、不動産屋さんの支店長 李役の山中祟さんも良かったです。
いつも感じるのは、周役の嶋田久作さんのセリフが聞きづらいこと。この人のセリフが聞きづらいのは私だけかしら?
吉岡里帆さんのチャイナドレス姿も良かったし、そういう点では作品を満喫できました。ところでレモンチキンは美味しいのかしら?
内容が難しいが、眠くはならなかった。
原作等の事前情報はほぼ無し。
強いて言えば、飛び飛びで深夜アニメを数回、目にした程度。
要するに、九龍と言う街も幻想もしくはクローン。
鯨井令子をはじめ、他の人もほぼクローン。
工藤発(はじめ)の作り上げた幻想の世界と幻想の人。
婚約者に先立たれた悲しみの力から、クローンが誕生したが、
このクローンの鯨井令子(れいぽん)は、自我も感情も持っていた。
クローンはその世界でしか生きられないのに、れいぽんは工藤とその限界を突破し、クローンの九龍の街から脱出。
一瞬消えたかに見せたが、最後は多分フィンランドから帰国して再会。と言う筋書きだとおもうが、
なんで九龍の街が幻想なのかとか、なんで、クローンのれいぽんに自我や感情があったのかの伏線はそのままで置いてけぼりに…
まあ、エンドロールの後に、きちんと再開できたし、レモンチキン食べてたし、よかったけど…
九龍(クーロン)とクローン(人間や街)をかけて、
クローン鯨井とのジェネリック(婚約した鯨井に先立たれたため)の恋(ロマンス)
だから、タイトルに戻ったのかな。と勝手に解釈した。
誰か、わかる人がいたら、私にもわかるように噛み砕いて欲しい…
元々、au映画割が使えて、目の保養と予告がおもしろそうだったから見たので、
吉岡里帆は可愛いし、水上恒司もかっこいいしで、
目の保養はできたからまあOKとします。
どうせなら吉岡里帆が出る夢が見たい
2025年映画館鑑賞86作品目
9月6日(土)イオンシネマ新利府
ACチケット1000円
原作は『恋は雨上がりのように』の眉月じゅん
監督と脚本は『東京の日』『君は放課後インソムニア』の池田千尋
脚本は他に『森山中教習所』『ギャングーズ』『夜明けのすべて』の和田清人
舞台は空中に浮かぶ使徒ラミエルっぽい人工物「ジェネリックテラ」が作り出した幻の香港九龍城砦
ロケ地
台湾台北市
台湾新北市
恋人鯨井令子を亡くした工藤発の妄想?
エンドロールも妄想の続き
エンドクレジット終了後もおまけが長い
原作読んでないとわからないらしいがおそらく原作も難解の可能性有り
吉岡里帆をたっぷり味合うための映画
あとCGだろうけど九龍城砦の見事な再現
脚本はシュールだけどビジュアルでお腹いっぱい
芸術鑑賞したと思えば
マグリットも当時の香港に訪れたら似たような絵を描いたかも
配役
「旺來地産」の九龍城砦店の従業員の鯨井令子に吉岡里帆
鯨井の職場の同僚で恋人になる工藤発に水上恒司
喫茶店「金魚茶館」の店員のタオ・グエンに栁俊太郎
靴屋の店主で令子の親友の楊明に梅澤美波
大手製薬会社の社長の蛇沼みゆきに竜星涼
蛇沼の手下のユウロンにフィガロ・ツェン
九龍のあちこちで色々なバイトをしている小黒に花瀬琴音
工藤の麻雀仲間の周に嶋田久作
工藤の麻雀仲間に諏訪太朗
工藤の麻雀仲間に三島ゆたか
スナック「クラブ万里」のママのローズにサヘル・ローズ
サンバで宣伝する蛇沼製薬の宣伝員に関口メンディー
「旺來地産」の九龍城砦店の支店長の李に山中崇
テレビのアナウンサーに白石晴香
テレビのナレーターに杉田智和
蛇沼製薬の社員で案内係に松丸春奈
住人に山口河童
住人に古川真司
エンドロール後のハッピーエンドを知らない人残念です
アニメ版は観ていた。なので設定はわかっていますが、初見の人は何が何だか分かりづらいです。もっと説明が欲しかった。工藤さんがはじめを発と書くことを説明するしないで鯨井Bが八の文字にこだわるシーンが分かる分からないが違うと思った。
最後に鯨井令子が消えてエンドロールで、アニメと違うバッドエンドと思いきや、長尺3〜4分ある本当のハッピーエンドが展開してうるっときました。しかし、他の人のレビューを見たらエンドロール中に帰ってしまった人多数いるとのこと。
作り方考えた方がいいかも。コナンやしんちゃん続編の予告なら観客も期待して待ってくれると思ったけど、本当のエンドをクレジットロールの後にやるなら最初とかで説明するしないで作品をぶち壊している。損しているのでもったいない。
ソラリスだな‼️
原作コミックも未読、事前情報もまったくナシの鑑賞でした‼️九龍を舞台にした異国情緒あふれるロマコメなのかなと思っていたら、まさかのSFモノ‼️要は記憶の再生、記憶の中にある人物や風景が再生されるという事ですか⁉️私的に思い出したのは、人間の意識を具現化する「惑星ソラリス」‼️今作のダイヤ形の浮遊体はソラリスの海といったところですか⁉️ちょっと世界観のいろんな設定が雑だし、竜星涼のキャラがウザいんですけど、美しい思い出、大切なヒトが具現化されるのは素敵なテーマだし、ラストの展開もご都合主義なんだけどウレシイ‼️ハッピーエンドなんですよね⁉️
「ジェネリックではない」のか「ジェネリックですらない」のか
やはり、吉岡里帆さんの美しさ可愛らしさ。チャイナ風やOL服など様々な衣装も素敵(それもエロく見え過ぎない線なのよ)。鯨井レコぽんの美味しそうに食べるところ、次第に工藤に惹かれていくところ、Bの存在と自分の記憶に困惑する表情、感情を吐露するところ…彼女の表現力を堪能させていただきました。
(ただ、原作と違い、伊達メガネをかけなかったのは、こちら側に分かりやすくしたためかな?)
そして、脇を固める俳優さんたちもさすがの演技力。周さんの包容力は「九龍の懐かしさ」が表れていたし、小黒のチャイナ日本語はクセになるw(花瀬琴音ちゃん、どんどん注目されてほしいな) 社長のキャラも明暗くっきり表現できてたねぇ、さすが。
しかしながら…。あの工藤のどこに、惹かれる要素ある?
デリカシーないし、食べ方汚いし(食べながら喋るのは仕方ないけど、観客に口の中見せるな!)、したり顔で喋ってることは死んだ恋人の受け売りだし、レコぽんにひどいこと言う割には金魚あげて街から出ないようにするし…。
そして、まぁ観る前からわかってたけど、対役のカレの演技力なぁ…(ほかの役者さんが達者だから今回は余計に感じたのよ。工藤は難しい役だろうしね)
抑えたセリフは何言ってるんだかわからないこと多かったし、工藤特有のにちゃぁとした笑みもムリに作ってるカタい感じだし(大体、工藤って大袈裟じゃないけど喜怒哀楽しっかりしてるタイプでしょ)。演技プランだけでなく、演出のせいもあるだろうが、工藤のガサツだけどいい意味でいい加減な人間っぽさが全然表現できていなかった。
レコぽんがメガネまったくかけなくなったのと対照的に、(そもそも、工藤が原作にない無精ヒゲなんだけど…アレ、何? 工藤役が設定より若いから、ヒゲでも生やして説得力持たせようってことなん? だったらキャスティング考えて欲しかったわー。演技力ある30代の俳優さん、他にもいるでしょー)
ストーリーとしては、ジェネリックシステム、全体的に分かりにくく感じた。店長の急変とか、観てる側からするといきなり感あって説明もないし。グエンももうちょい描いてあげないと、何がしたいんだこの人ってと思っちゃうよね(最近の映画にありがちな、俳優の演技に頼って人物描写不足してる感じよ)。
あと、舞台の九龍セットがしっかり豪華なのに対し、CGがやけ陳腐に感じたのはおいらだけだろうか。(小黒が消えるとこ、レコぽんとBの対話…)
賛否両論あるだろうエンドロール後のラストは、消えたのに何で?なんて野暮なことは申しません。レコぽん戻って小黒含めてのあのやり取りで終わるってイイじゃないの。
(少なくとも、何て言ってんだアレ、の叫びで終わったら最悪の感想もって帰るところなのよ)
ジェネリック映画
原作もアニメも観てません。香港6年大陸5年台湾は一週間。そもそも広東語ではガオロン、北京語ではジウロンとなる九龍をクーロンと呼ぶことに違和感を持つ人種だが、そんなことはキチンと頭から外した上で、台湾ロケと吉岡里帆で金曜の疲れ目を癒そうと鑑賞。結果睡魔とイライラを抱えて終劇。台湾ロケとチューとチキンだけが残った。映画に見えなくもないジェネリック映画じゃった。
香港でも十分古の九龍城砦を再現することはできるが、台湾基隆をジェネリック香港としたことはまあ許そう。しかしとにかく間の多い演出に閉口した。そんなに惚れる理由もわからんし背景となる世界観や竜星涼や柳俊太郎も山中崇も意味不明。セリフの間を詰めればもっとスジを語れるじゃろう。ヒットしているらしい原作からは大きく改変しているのではと想像。かといって吉岡里帆がことさら美しく撮られていたかというと、もっと美しく取れたじゃろーという意味不明な憤りも。ここ大事!
役者たちもそこそこ出来に想像がつくと思うんだがきちんとやり切るところは尊敬します。とりあえずアニメ見てみよかな。
◾️一夜明けて追記 本作のポストクレジット否定派
本作ではかなり長いポストクレジットシーンがあるが、ある意味どんでん返しとも夢オチとも取れるものとなっていた。MCUのオマケなら本編は終わっているからオマケで良いが、この映画でのやり方は一定数の見ていない観客を産むこととなり、マタゾウアカン好かん判定を下すこととしました。
ジェネリックでも効き目は同じ
原作では工藤は鯨井との夏を何回も繰り返していて、今回の鯨井がちょっと違う、ということでそれぞれの悩みが始まるんだけど、この作品では、鯨井の蘇りは初めてみたいで、工藤は過去への未練から抜け出せず逡巡する、というふうになっている。
それなら、鯨井Bがどんな人間だったのかもっと描いてくれないと、レコポンとの対比が弱くなり、工藤の悩みが迫ってこない。
でも吉岡里帆の熱演で工藤のつかみどころのなさは伝わるし、SF設定で作品は引っ張られてるので、最後まで飽きずに見ていられる。
ラストは無理くりだけど、でもやっぱり、ハッピイエンドなのはよかったよね。
ジェネリックなもったいなさ
原作漫画未読。アニメ最終話まで鑑賞済み。
以下、アニメ最終話までのネタバレ含む。
いやあ、これ、この映画が初見で全く前情報ない人だとすげえ分かりにくいだろ。たぶんグエンがジェネリックグエンと今のグエンの2人いたことすら気づかない可能性ある。
このジェネリック九龍が何がOKで何がダメで誰がジェネリックが誰が実際に存在するかももっと明確にしたほうが良かったと思う。アニメはジェネリックと本物が両方存在するところに面白さがあったりしたわけだけど、後半でジェネリック九龍の世界の説明はあったから。
例えば嶋田久作はジェネリックで自分がジェネリックな自覚もある人で。店長はジェネリックだけど自分にジェネリックの自覚がないから、後半で「誰だお前は!」と豹変する。それはジェネリック九龍を意図せず作ってしまった工藤の心境が変わってきたから(ずっと過去を繰り返すことより未来に進む決意的な意味での変化)。そういう意図の演出だと思うのだが、あれも完全初見だと分かりにくいのではないかと思う。
そして。おそらく賛否われるであろう九龍から出た鯨井が消えない!と思ったら消えた!終わり方。あれ、エンドロール後の再会をやるなら、「絶対の自分」というキーワードを連呼させるなら、消えるべきではなかった。あれでバッドエンド感が増したし、エンドロール後の再会も「これは夢か何か?」みたいな単に分かりにくい描写になった。
アニメ最終話では鯨井は九龍から出た後も消えない。そして数年後にまた工藤と香港のテラス席で再会して物語は終わる。
終わり方は同じと言えば同じだが一度消えるのは良くないよな。前の席の人、エンドロール途中で出ていったし、バッドエンドな印象持つ人が沢山いると思う。
たぶん、あえて色々解釈できるエンドにしたつもりなんだと思うけど、この手の「意外とSF要素が多い作品」は明確にした方がいい部分もあると思った。
次に工藤。いや、もっとカッコよく演出できただろ。役者だけの問題じゃないと思う。演出と衣装とかでもうちょっとカッコいい先輩感出せたと思う。え、これにホレる?レコポン大丈夫?ってのはたしかにアニメでもあるのよ。妙に過去にとらわれてるしデリカシーのない発言も多いし。アニメは杉田ボイスとさわやかな絵に助けられていたところもあった。
この映画の工藤は明らかに「鯨井の可愛さ」に対し「工藤のカッコよさ」を演出しきれてない気がした。序盤の食べながらしゃべる場面とか「おい、食べながらしゃべって口の中見せるなよ!」思ったし。あれ、カメラアングルとかで何とかできただろ。
微妙にひげが生えているのは工藤を演じる水上が鯨井を演じる吉岡より実年齢6歳下ということもあり、なんとか貫禄を出して先輩感を出す工夫だったのではないかと思う。けど、ひげもなくてよかったんじゃないか。
終盤のレコポンと一緒に逃げる場面もなんであんなラフな短パン姿なんだよ。あそこはスーツで良かっただろ。
「レコポンがなにがしかに困っていて工藤がそれを助ける」みたいな場面をちょいちょいでも挟んでいたらまだ印象が違ったかもしれない。この工藤にホレる?感あるんだよな。
過去回想で先輩の鯨井Bにホレる後輩工藤の場面は結構ハマっている感じがあり、ここは良かった。たぶんこのバランスで選ばれたのではないかとすら思う。後輩オーラはあった。これにより「タイムカードを後から来て先に押すズルさ」も「水餃子に正義を感じない?」も先輩鯨井Bからの影響だったんだ、ということに説得力が増した気がする。
次、CGな。小黒(シャオヘイと読む難易度)が九龍から出ると消える際の演出。サイバー感を出したかったのは分かる。しかしあまりにB級SFな歪み方だったろ。あれもCG担当だけのせいじゃない。監督なり演出なり誰か「ここ安っぽい感じで良くないね」みたいに誰も指摘しなかったのか。ふっと一瞬で消えるとかで良かっただろ。
終盤の九龍崩壊のデジタルがくずれていく感じの演出もやりたいことは分かるが金がなかったのかなと感じるさみしさがあった。サクセスが案内役になって工藤の過去を見せてくる展開はアニメ終盤にもあるのよ。でもアニメのほうはもっと金魚がたくさん宙に浮いていたり幻想的な感じがあった。実写映画ももうちょっと幻想的にできたのではないかと思う。
良かったところもあげる。
まず、九龍のセットは想像以上に良かった。ジェネリックではあるがちゃんと九龍を再現しようという心意気は感じた。まあ台湾に実際にああいう場所があるのだろうけど、それでもよくちゃんとロケしたと思う。ちゃんと人が生活している感じがしたし、狭い路地を身体をひねって通るような演出もあり、これはすごく良かった。「この九龍になつかしさを感じる」という感じのセリフの説得力は増したと思う。正直、アニメのほうは「ごめん、作画コストが高くてそこまでごみごみした九龍感は出せない!ジェネリックということで許して!」感があったから。この九龍の街並みはアニメより良かったと思う。
工藤が頻繁に数字の八の字をさわりそれが鯨井Bに言われた「八と一の発音って似てる」みたいなセリフの影響であるということが後半で明確に示されるのも良かった。あそこもアニメでは「八を触っていたのは何だったんだ」で終わったから。
あと、これはさけることができない。序盤で楊明(ヨウメイはまだ読める)こと梅澤のへそがおがめる点ね。普段の乃木坂の制服だとなかなかお腹が出ることないから~梅のおへそが観れてラッキー。みたいな感想を言いたくはなかったのよ、本当は。もっと「世界観がすごくて」「演出が素晴らしくて」という感じのことを言いたかったのよ。CGが梅のへそに負けている。
あの楊明もさ、外から来た人でジェネリックではない存在で。それでもジェネリック鯨井を「レコポン」と呼んで「絶対の自分」あでると認めてくれる結構重要なポジションなのよ、アニメでは。外の世界とジェネリックの世界をつなぐ存在でもある。映画ではそこらへんを入れる余裕がなかったのは分かるけど、もったいねえよなあ。
吉岡鯨井に色々な衣装を着せてくれたのも良かったよ。ぎりぎりエロくなりすぎないように、かつ本人の魅力を損なわないような配慮は見えた気がした。からこそ、工藤はもっとどうにかなっただろうと思う。
ちょっとした演出の違いで、もっと印象が良いステキ感がある映画になったと思う。もったいねえ!
もう一つのジェネリックロマンス
アニメを見て12話でも駆け足だったのに、映画は2時間位でどうなるの?と疑問があって気になったので観てきました。
なんとなくゲームのルート違いの作品という気もして、キーワード、行動が決まっていて誰がレコポンの対象となっているかでラストが変わる。
映画編はこっちのルートみたいな印象でした。
途中ホラー味が強くて怖かったです。
Generically Generic Romance
原作未読、アニメだけ観ており、2時間じゃサスガに無理だろ、と思っていたが…
やはりというか、焦点は完全に鯨井と工藤に絞られており、他キャラの背景は総オミット。
そのため、関係性や動機など諸々薄い。
楊明や小黒の件はテーマ的にも、鯨井の決断にも大きな意味があるので非常に残念。
楊明は後半出番ないし、小黒は消えるだけの役目なので、これなら1人にしちゃえばいいのに。
終盤、鯨井Bが実体化したあたりからはガッカリ。
オミットした分の厚みを出さなきゃいけないのに、謎に令子が過去を覗いたりとあまりに雑展開。
下巻を読まないくだりなどを省いてるため、Bの自殺理由も飲み込みづらい。
8月の繰り返しに気付くのはあまりに唐突だし、本物の支店長が急に来た理由も分からん。
エンドロール後は完全に余計で、小黒が日本にいるのはまだしも、ラストは何?
あの消え方しといて普通に戻ってくるのはどう解釈すればいいやら。(しかもダラダラ長い…)
水上恒司は工藤にしては若さも上品さも消せてない。
原作通りのキャラ作りでないと認めないとは言わないが、無理してる感じが伝わってしまった。
吉岡里帆は、予想通りBの方の芝居が物足りず。
グエンと小黒(正体考えなければ)は思いの外ハマってたし、みゆきちゃんはクオリティ高過ぎ。
ユウロンは完全に別キャラだったけど、それなら普通に博士っぽくてよかったような。
BL要素を半端に入れたり、サンバや『田園』の歌唱に尺を使うより、もっと他になかったのか。
よく纏めたと感心はするが、薄まり過ぎかなぁ。
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