九龍ジェネリックロマンスのレビュー・感想・評価
全43件中、1~20件目を表示
内容の面白さは別にして作り手の本気を感じる作品
九龍の雰囲気を感じたくて観ました
実際の九龍はあんなに美しいくはないと思いますが、中国的で面妖な雰囲気と雑多で人間臭い九龍、夏の儚げさや街の懐かしさ、人を思う切なさや愛おしさなどがこの九龍の街に美しい映像として描かれています
この作品の映像と世界観には没入させてくれる美しさがあります。
ストーリーは面白いとは思いますが、原作のファンの方には酷いものだと感じるのではないでしょうか。
内容も登場人物も原作に寄せてるけど中途半端な感じで、2時間に収めるならまぁ仕方ないかなって印象。
ただ原作に対するリスペクトは感じました。
総評して、内容、登場人物はイマイチですが
監督、俳優その他映画制作に関わった人たちがいい映画を作ろうとした本気が感じられるいい映画だと感じました
特に没入できる美しい世界観のある映像は素晴らしいと思います
吉岡里帆さんを愛でる映画です、なので点数甘めです
タイトル一行だけでもう終わりでもいいかもしれません
せっかくなのでもう少し書くと、
細かいエピソードとか頭の中でつながらないものが多くて、原作もアニメも
よく知らんせいかなと思ったけど、そちらのファンにもあまり評判よくないようで、、、
特にラストは全くの意味不明でした。本編終了で席立ったほうがよかったかもしれません。
九龍にも惹かれるものがあったのですが、時代も場所もどこか中途半端な印象でしっくりきませんでした。
どうでもいい付け足し
”八”に似た中国語発音の”はじめ”という漢字って何?気になって仕方なかったぞ!!
私の中国語知識も豊富とは言えないのでたどり着けないと思いましたが、
家に帰って探したらまさかの”発” どうやったらそう読めるんじゃ!!!!
どっちなのか?
今回も原作知らずで『吉岡里帆』観たさに鑑賞
九龍城砦が実に素晴らしい出来で感動!
街並みも台湾で撮影しただけあってとても良い雰囲気でした
鯨井令子(吉岡里帆)が実は工藤発(水上恒司)によって作られたって事に気が付くまでかなりの時間がかかってしまいましたw(かみさんは結構早い時期でクローン?と言ってましたが)
脇役もなかなかで靴屋の陽明(梅澤美波)はなかなか可愛かった
色々な所でバイトをする小黒(花瀬琴音)は何か犠牲になって消えて可哀相
とにかく蛇沼みゆき(竜星涼)が最初から最後まで怖かった
最終的に鯨井令子は自分(工藤?)を信じて九龍城砦を飛び出します!
おっ!消えない!って思った瞬間に消えた↓ちょっと寂しいエンドだな・・・
エンドロール
結構な人数が席を立ってましたね!?
画像が出てるからまだ続きが!?ありました(笑)
東京の不動産屋で働く工藤発は昼飯へ
店を見てると中から小黒が出て来てレモンチキンを勧め注文
工藤がレモンチキンを一口食べて『うまっ』
そこへ荷物を引いた鯨井令子が登場してチキンレモンをパクリ!
これは鯨井令子が生きてたの?それとも東京で工藤が世界を作ったの?
原作読めばわかるのでしょうか?
吉岡里帆が魅力的だった
原作未読。アニメも未鑑賞。吉岡里帆さんが出ているので鑑賞しました。内容的には??という感じでしたね😭工藤役の水上恒司さん、不動産屋さんの支店長 李役の山中祟さんも良かったです。
いつも感じるのは、周役の嶋田久作さんのセリフが聞きづらいこと。この人のセリフが聞きづらいのは私だけかしら?
吉岡里帆さんのチャイナドレス姿も良かったし、そういう点では作品を満喫できました。ところでレモンチキンは美味しいのかしら?
内容が難しいが、眠くはならなかった。
原作等の事前情報はほぼ無し。
強いて言えば、飛び飛びで深夜アニメを数回、目にした程度。
要するに、九龍と言う街も幻想もしくはクローン。
鯨井令子をはじめ、他の人もほぼクローン。
工藤発(はじめ)の作り上げた幻想の世界と幻想の人。
婚約者に先立たれた悲しみの力から、クローンが誕生したが、
このクローンの鯨井令子(れいぽん)は、自我も感情も持っていた。
クローンはその世界でしか生きられないのに、れいぽんは工藤とその限界を突破し、クローンの九龍の街から脱出。
一瞬消えたかに見せたが、最後は多分フィンランドから帰国して再会。と言う筋書きだとおもうが、
なんで九龍の街が幻想なのかとか、なんで、クローンのれいぽんに自我や感情があったのかの伏線はそのままで置いてけぼりに…
まあ、エンドロールの後に、きちんと再開できたし、レモンチキン食べてたし、よかったけど…
九龍(クーロン)とクローン(人間や街)をかけて、
クローン鯨井とのジェネリック(婚約した鯨井に先立たれたため)の恋(ロマンス)
だから、タイトルに戻ったのかな。と勝手に解釈した。
誰か、わかる人がいたら、私にもわかるように噛み砕いて欲しい…
元々、au映画割が使えて、目の保養と予告がおもしろそうだったから見たので、
吉岡里帆は可愛いし、水上恒司もかっこいいしで、
目の保養はできたからまあOKとします。
どうせなら吉岡里帆が出る夢が見たい
2025年映画館鑑賞86作品目
9月6日(土)イオンシネマ新利府
ACチケット1000円
原作は『恋は雨上がりのように』の眉月じゅん
監督と脚本は『東京の日』『君は放課後インソムニア』の池田千尋
脚本は他に『森山中教習所』『ギャングーズ』『夜明けのすべて』の和田清人
舞台は空中に浮かぶ使徒ラミエルっぽい人工物「ジェネリックテラ」が作り出した幻の香港九龍城砦
ロケ地
台湾台北市
台湾新北市
恋人鯨井令子を亡くした工藤発の妄想?
エンドロールも妄想の続き
エンドクレジット終了後もおまけが長い
原作読んでないとわからないらしいがおそらく原作も難解の可能性有り
吉岡里帆をたっぷり味合うための映画
あとCGだろうけど九龍城砦の見事な再現
脚本はシュールだけどビジュアルでお腹いっぱい
芸術鑑賞したと思えば
マグリットも当時の香港に訪れたら似たような絵を描いたかも
配役
「旺來地産」の九龍城砦店の従業員の鯨井令子に吉岡里帆
鯨井の職場の同僚で恋人になる工藤発に水上恒司
喫茶店「金魚茶館」の店員のタオ・グエンに栁俊太郎
靴屋の店主で令子の親友の楊明に梅澤美波
大手製薬会社の社長の蛇沼みゆきに竜星涼
蛇沼の手下のユウロンにフィガロ・ツェン
九龍のあちこちで色々なバイトをしている小黒に花瀬琴音
工藤の麻雀仲間の周に嶋田久作
工藤の麻雀仲間に諏訪太朗
工藤の麻雀仲間に三島ゆたか
スナック「クラブ万里」のママのローズにサヘル・ローズ
サンバで宣伝する蛇沼製薬の宣伝員に関口メンディー
「旺來地産」の九龍城砦店の支店長の李に山中崇
テレビのアナウンサーに白石晴香
テレビのナレーターに杉田智和
蛇沼製薬の社員で案内係に松丸春奈
住人に山口河童
住人に古川真司
エンドロール後のハッピーエンドを知らない人残念です
アニメ版は観ていた。なので設定はわかっていますが、初見の人は何が何だか分かりづらいです。もっと説明が欲しかった。工藤さんがはじめを発と書くことを説明するしないで鯨井Bが八の文字にこだわるシーンが分かる分からないが違うと思った。
最後に鯨井令子が消えてエンドロールで、アニメと違うバッドエンドと思いきや、長尺3〜4分ある本当のハッピーエンドが展開してうるっときました。しかし、他の人のレビューを見たらエンドロール中に帰ってしまった人多数いるとのこと。
作り方考えた方がいいかも。コナンやしんちゃん続編の予告なら観客も期待して待ってくれると思ったけど、本当のエンドをクレジットロールの後にやるなら最初とかで説明するしないで作品をぶち壊している。損しているのでもったいない。
ソラリスだな‼️
原作コミックも未読、事前情報もまったくナシの鑑賞でした‼️九龍を舞台にした異国情緒あふれるロマコメなのかなと思っていたら、まさかのSFモノ‼️要は記憶の再生、記憶の中にある人物や風景が再生されるという事ですか⁉️私的に思い出したのは、人間の意識を具現化する「惑星ソラリス」‼️今作のダイヤ形の浮遊体はソラリスの海といったところですか⁉️ちょっと世界観のいろんな設定が雑だし、竜星涼のキャラがウザいんですけど、美しい思い出、大切なヒトが具現化されるのは素敵なテーマだし、ラストの展開もご都合主義なんだけどウレシイ‼️ハッピーエンドなんですよね⁉️
「ジェネリックではない」のか「ジェネリックですらない」のか
やはり、吉岡里帆さんの美しさ可愛らしさ。チャイナ風やOL服など様々な衣装も素敵(それもエロく見え過ぎない線なのよ)。鯨井レコぽんの美味しそうに食べるところ、次第に工藤に惹かれていくところ、Bの存在と自分の記憶に困惑する表情、感情を吐露するところ…彼女の表現力を堪能させていただきました。
(ただ、原作と違い、伊達メガネをかけなかったのは、こちら側に分かりやすくしたためかな?)
そして、脇を固める俳優さんたちもさすがの演技力。周さんの包容力は「九龍の懐かしさ」が表れていたし、小黒のチャイナ日本語はクセになるw(花瀬琴音ちゃん、どんどん注目されてほしいな) 社長のキャラも明暗くっきり表現できてたねぇ、さすが。
しかしながら…。あの工藤のどこに、惹かれる要素ある?
デリカシーないし、食べ方汚いし(食べながら喋るのは仕方ないけど、観客に口の中見せるな!)、したり顔で喋ってることは死んだ恋人の受け売りだし、レコぽんにひどいこと言う割には金魚あげて街から出ないようにするし…。
そして、まぁ観る前からわかってたけど、対役のカレの演技力なぁ…(ほかの役者さんが達者だから今回は余計に感じたのよ。工藤は難しい役だろうしね)
抑えたセリフは何言ってるんだかわからないこと多かったし、工藤特有のにちゃぁとした笑みもムリに作ってるカタい感じだし(大体、工藤って大袈裟じゃないけど喜怒哀楽しっかりしてるタイプでしょ)。演技プランだけでなく、演出のせいもあるだろうが、工藤のガサツだけどいい意味でいい加減な人間っぽさが全然表現できていなかった。
レコぽんがメガネまったくかけなくなったのと対照的に、(そもそも、工藤が原作にない無精ヒゲなんだけど…アレ、何? 工藤役が設定より若いから、ヒゲでも生やして説得力持たせようってことなん? だったらキャスティング考えて欲しかったわー。演技力ある30代の俳優さん、他にもいるでしょー)
ストーリーとしては、ジェネリックシステム、全体的に分かりにくく感じた。店長の急変とか、観てる側からするといきなり感あって説明もないし。グエンももうちょい描いてあげないと、何がしたいんだこの人ってと思っちゃうよね(最近の映画にありがちな、俳優の演技に頼って人物描写不足してる感じよ)。
あと、舞台の九龍セットがしっかり豪華なのに対し、CGがやけ陳腐に感じたのはおいらだけだろうか。(小黒が消えるとこ、レコぽんとBの対話…)
賛否両論あるだろうエンドロール後のラストは、消えたのに何で?なんて野暮なことは申しません。レコぽん戻って小黒含めてのあのやり取りで終わるってイイじゃないの。
(少なくとも、何て言ってんだアレ、の叫びで終わったら最悪の感想もって帰るところなのよ)
ジェネリック映画
原作もアニメも観てません。香港6年大陸5年台湾は一週間。そもそも広東語ではガオロン、北京語ではジウロンとなる九龍をクーロンと呼ぶことに違和感を持つ人種だが、そんなことはキチンと頭から外した上で、台湾ロケと吉岡里帆で金曜の疲れ目を癒そうと鑑賞。結果睡魔とイライラを抱えて終劇。台湾ロケとチューとチキンだけが残った。映画に見えなくもないジェネリック映画じゃった。
香港でも十分古の九龍城砦を再現することはできるが、台湾基隆をジェネリック香港としたことはまあ許そう。しかしとにかく間の多い演出に閉口した。そんなに惚れる理由もわからんし背景となる世界観や竜星涼や柳俊太郎も山中崇も意味不明。セリフの間を詰めればもっとスジを語れるじゃろう。ヒットしているらしい原作からは大きく改変しているのではと想像。かといって吉岡里帆がことさら美しく撮られていたかというと、もっと美しく取れたじゃろーという意味不明な憤りも。ここ大事!
役者たちもそこそこ出来に想像がつくと思うんだがきちんとやり切るところは尊敬します。とりあえずアニメ見てみよかな。
◾️一夜明けて追記 本作のポストクレジット否定派
本作ではかなり長いポストクレジットシーンがあるが、ある意味どんでん返しとも夢オチとも取れるものとなっていた。MCUのオマケなら本編は終わっているからオマケで良いが、この映画でのやり方は一定数の見ていない観客を産むこととなり、マタゾウアカン好かん判定を下すこととしました。
ジェネリックでも効き目は同じ
原作では工藤は鯨井との夏を何回も繰り返していて、今回の鯨井がちょっと違う、ということでそれぞれの悩みが始まるんだけど、この作品では、鯨井の蘇りは初めてみたいで、工藤は過去への未練から抜け出せず逡巡する、というふうになっている。
それなら、鯨井Bがどんな人間だったのかもっと描いてくれないと、レコポンとの対比が弱くなり、工藤の悩みが迫ってこない。
でも吉岡里帆の熱演で工藤のつかみどころのなさは伝わるし、SF設定で作品は引っ張られてるので、最後まで飽きずに見ていられる。
ラストは無理くりだけど、でもやっぱり、ハッピイエンドなのはよかったよね。
ジェネリックなもったいなさ
原作漫画未読。アニメ最終話まで鑑賞済み。
以下、アニメ最終話までのネタバレ含む。
いやあ、これ、この映画が初見で全く前情報ない人だとすげえ分かりにくいだろ。たぶんグエンがジェネリックグエンと今のグエンの2人いたことすら気づかない可能性ある。
このジェネリック九龍が何がOKで何がダメで誰がジェネリックが誰が実際に存在するかももっと明確にしたほうが良かったと思う。アニメはジェネリックと本物が両方存在するところに面白さがあったりしたわけだけど、後半でジェネリック九龍の世界の説明はあったから。
例えば嶋田久作はジェネリックで自分がジェネリックな自覚もある人で。店長はジェネリックだけど自分にジェネリックの自覚がないから、後半で「誰だお前は!」と豹変する。それはジェネリック九龍を意図せず作ってしまった工藤の心境が変わってきたから(ずっと過去を繰り返すことより未来に進む決意的な意味での変化)。そういう意図の演出だと思うのだが、あれも完全初見だと分かりにくいのではないかと思う。
そして。おそらく賛否われるであろう九龍から出た鯨井が消えない!と思ったら消えた!終わり方。あれ、エンドロール後の再会をやるなら、「絶対の自分」というキーワードを連呼させるなら、消えるべきではなかった。あれでバッドエンド感が増したし、エンドロール後の再会も「これは夢か何か?」みたいな単に分かりにくい描写になった。
アニメ最終話では鯨井は九龍から出た後も消えない。そして数年後にまた工藤と香港のテラス席で再会して物語は終わる。
終わり方は同じと言えば同じだが一度消えるのは良くないよな。前の席の人、エンドロール途中で出ていったし、バッドエンドな印象持つ人が沢山いると思う。
たぶん、あえて色々解釈できるエンドにしたつもりなんだと思うけど、この手の「意外とSF要素が多い作品」は明確にした方がいい部分もあると思った。
次に工藤。いや、もっとカッコよく演出できただろ。役者だけの問題じゃないと思う。演出と衣装とかでもうちょっとカッコいい先輩感出せたと思う。え、これにホレる?レコポン大丈夫?ってのはたしかにアニメでもあるのよ。妙に過去にとらわれてるしデリカシーのない発言も多いし。アニメは杉田ボイスとさわやかな絵に助けられていたところもあった。
この映画の工藤は明らかに「鯨井の可愛さ」に対し「工藤のカッコよさ」を演出しきれてない気がした。序盤の食べながらしゃべる場面とか「おい、食べながらしゃべって口の中見せるなよ!」思ったし。あれ、カメラアングルとかで何とかできただろ。
微妙にひげが生えているのは工藤を演じる水上が鯨井を演じる吉岡より実年齢6歳下ということもあり、なんとか貫禄を出して先輩感を出す工夫だったのではないかと思う。けど、ひげもなくてよかったんじゃないか。
終盤のレコポンと一緒に逃げる場面もなんであんなラフな短パン姿なんだよ。あそこはスーツで良かっただろ。
「レコポンがなにがしかに困っていて工藤がそれを助ける」みたいな場面をちょいちょいでも挟んでいたらまだ印象が違ったかもしれない。この工藤にホレる?感あるんだよな。
過去回想で先輩の鯨井Bにホレる後輩工藤の場面は結構ハマっている感じがあり、ここは良かった。たぶんこのバランスで選ばれたのではないかとすら思う。後輩オーラはあった。これにより「タイムカードを後から来て先に押すズルさ」も「水餃子に正義を感じない?」も先輩鯨井Bからの影響だったんだ、ということに説得力が増した気がする。
次、CGな。小黒(シャオヘイと読む難易度)が九龍から出ると消える際の演出。サイバー感を出したかったのは分かる。しかしあまりにB級SFな歪み方だったろ。あれもCG担当だけのせいじゃない。監督なり演出なり誰か「ここ安っぽい感じで良くないね」みたいに誰も指摘しなかったのか。ふっと一瞬で消えるとかで良かっただろ。
終盤の九龍崩壊のデジタルがくずれていく感じの演出もやりたいことは分かるが金がなかったのかなと感じるさみしさがあった。サクセスが案内役になって工藤の過去を見せてくる展開はアニメ終盤にもあるのよ。でもアニメのほうはもっと金魚がたくさん宙に浮いていたり幻想的な感じがあった。実写映画ももうちょっと幻想的にできたのではないかと思う。
良かったところもあげる。
まず、九龍のセットは想像以上に良かった。ジェネリックではあるがちゃんと九龍を再現しようという心意気は感じた。まあ台湾に実際にああいう場所があるのだろうけど、それでもよくちゃんとロケしたと思う。ちゃんと人が生活している感じがしたし、狭い路地を身体をひねって通るような演出もあり、これはすごく良かった。「この九龍になつかしさを感じる」という感じのセリフの説得力は増したと思う。正直、アニメのほうは「ごめん、作画コストが高くてそこまでごみごみした九龍感は出せない!ジェネリックということで許して!」感があったから。この九龍の街並みはアニメより良かったと思う。
工藤が頻繁に数字の八の字をさわりそれが鯨井Bに言われた「八と一の発音って似てる」みたいなセリフの影響であるということが後半で明確に示されるのも良かった。あそこもアニメでは「八を触っていたのは何だったんだ」で終わったから。
あと、これはさけることができない。序盤で楊明(ヨウメイはまだ読める)こと梅澤のへそがおがめる点ね。普段の乃木坂の制服だとなかなかお腹が出ることないから~梅のおへそが観れてラッキー。みたいな感想を言いたくはなかったのよ、本当は。もっと「世界観がすごくて」「演出が素晴らしくて」という感じのことを言いたかったのよ。CGが梅のへそに負けている。
あの楊明もさ、外から来た人でジェネリックではない存在で。それでもジェネリック鯨井を「レコポン」と呼んで「絶対の自分」あでると認めてくれる結構重要なポジションなのよ、アニメでは。外の世界とジェネリックの世界をつなぐ存在でもある。映画ではそこらへんを入れる余裕がなかったのは分かるけど、もったいねえよなあ。
吉岡鯨井に色々な衣装を着せてくれたのも良かったよ。ぎりぎりエロくなりすぎないように、かつ本人の魅力を損なわないような配慮は見えた気がした。からこそ、工藤はもっとどうにかなっただろうと思う。
ちょっとした演出の違いで、もっと印象が良いステキ感がある映画になったと思う。もったいねえ!
もう一つのジェネリックロマンス
アニメを見て12話でも駆け足だったのに、映画は2時間位でどうなるの?と疑問があって気になったので観てきました。
なんとなくゲームのルート違いの作品という気もして、キーワード、行動が決まっていて誰がレコポンの対象となっているかでラストが変わる。
映画編はこっちのルートみたいな印象でした。
途中ホラー味が強くて怖かったです。
Generically Generic Romance
原作未読、アニメだけ観ており、2時間じゃサスガに無理だろ、と思っていたが…
やはりというか、焦点は完全に鯨井と工藤に絞られており、他キャラの背景は総オミット。
そのため、関係性や動機など諸々薄い。
楊明や小黒の件はテーマ的にも、鯨井の決断にも大きな意味があるので非常に残念。
楊明は後半出番ないし、小黒は消えるだけの役目なので、これなら1人にしちゃえばいいのに。
終盤、鯨井Bが実体化したあたりからはガッカリ。
オミットした分の厚みを出さなきゃいけないのに、謎に令子が過去を覗いたりとあまりに雑展開。
下巻を読まないくだりなどを省いてるため、Bの自殺理由も飲み込みづらい。
8月の繰り返しに気付くのはあまりに唐突だし、本物の支店長が急に来た理由も分からん。
エンドロール後は完全に余計で、小黒が日本にいるのはまだしも、ラストは何?
あの消え方しといて普通に戻ってくるのはどう解釈すればいいやら。(しかもダラダラ長い…)
水上恒司は工藤にしては若さも上品さも消せてない。
原作通りのキャラ作りでないと認めないとは言わないが、無理してる感じが伝わってしまった。
吉岡里帆は、予想通りBの方の芝居が物足りず。
グエンと小黒(正体考えなければ)は思いの外ハマってたし、みゆきちゃんはクオリティ高過ぎ。
ユウロンは完全に別キャラだったけど、それなら普通に博士っぽくてよかったような。
BL要素を半端に入れたり、サンバや『田園』の歌唱に尺を使うより、もっと他になかったのか。
よく纏めたと感心はするが、薄まり過ぎかなぁ。
HAZE
原作・アニメ共に履修してからの鑑賞で、原作・アニメのイメージを払拭できるのかというところに念頭を置いての鑑賞。
特典はビジュアルポストカードでした。
原作の壮大な感じはやっぱり2時間ではまとまりきらずだったな〜という印象で、原作から抱いていたどこのターゲット層へ向けた作品なんだろうというのが実写ではより謎が深まってしまったのが残念でした。
序盤は概ね原作と同じ流れで進んでいくんですが、尺の都合もあって日常の異変が起こるのがかなり早く、登場人物に感情移入できる前にそそくさと展開が進んでしまうので、そこが映画としてあまり活きていなかったなと思いました。
主に2人の謎や恋模様を描くことにフォーカスを当てており、その上でミステリー要素をなぞっていく感じなので、魅力的だったキャラクターたちも表面上存在しているだけのようで舞台装置にしかなっていないですし、原作に触れていないとこの世界観からは振り落とされてしまうのでは?という作りなのもいただけなかったです。
ガラッと世界観が変わるところなんかも初見じゃついていけないでしょうし、観ていても違和感が少なからずありました。
全体的に小道具やセットや衣装なんかは雰囲気があって良かったなーと思いましたが、九龍城砦はCGで雑にぶち込まれた感があってあまり魅力的に映らなかったですし、場面自体もそこまで多く登場する訳ではないので、絵面的な物足りなさは確かにあったなと思いました。
原作のタッチに加え、アニメで命が吹き込まれたことによって工藤の印象が結構固まった中での実写工藤を演じた水上くんはどうしてもビジュアルが若すぎるな〜っていうのが引っかかってしまいました。
若い頃と今を描くという点で一人二役なのでしゃーなしにしても、申し訳ないんですがあんまし髭が似合っているようにも思えず、一挙手一投足から滲み出る若さがこの作品でマイナスに働いたかなと個人的には感じてしまいました。
吉岡里帆さんは原作・アニメ鯨井とはまた異なる感じの魅力が発揮されており、九龍七変化を楽しめる点では良かったかなと思いました。
ただ一人二役の変化がアニメ版では際立っていただけに実写版ではパンチが劣ったかなとはどうしても思ってしまいました。
エピローグも原作とは異なるものが描かれてはいるんですが、いかんせん長いなーと思いましたし、新解釈の現代での展開は蛇足でしかなかったので、スパッとKroiの主題歌で終わらせて欲しかったです。
登場してくるご飯は全部美味そうでした。
個人的にはレモンチキンが魅力的に見えましたし、べらぼうに腹が減ってる時に観たので思わず腹の虫が鳴いてしまいました。
この手のジャンルでも実写に不向きな作品もあるんだなぁとは思いました。
やっぱり実写映画って難しいですね。
鑑賞日 9/1
鑑賞時間 18:15〜20:15
映画なりのオチをつけたと思うけど、破綻してない?
2025.9.2 イオンシネマ久御山
2025年の日本映画(117分、G)
原作は眉月じゅんの同名漫画
記憶を失くした女と、語れない過去を持つ男を描いたファンタジックラブロマンス映画
監督は池田千尋
脚本は和田清人&池田千尋
物語の舞台は、かつて香港に存在した九龍城砦を再現した町
そこには、行くあてのない人々が集い、ある種の「何でもあり」のコミュニティが生まれていた
その町にある不動産屋「旺來地産」に勤める鯨井令子(吉岡里帆)は、先輩社員の工藤(水上恒司)に想いを馳せていた
工藤は麻雀仲間たちとギリギリまで遊んでから出勤し、いつもギリギリにタイムカードを押すようなズボラな性格をしていた
支店長の李(山中崇)もそんな2人を微笑ましく観ていたが、彼も不思議な男で、退勤時間になると時間ぴったりに帰っていた
ある日のこと、空き物件のメンテナンスをしていた工藤と令子は、その作業を終えて休んでいた
ソファで寝てしまった工藤を起こそうとした令子だったが、工藤は突然令子を出し寄せてキスをしてしまう
そして、耳たぶまさぐるようにさわると、「間違えた」と言って、令子を突き放してしまった
動揺した工藤は上着を置き忘れて帰り、令子は工藤とキスをしたことで舞い上がってしまう
だが、彼の上着から1枚の写真が見つかり、
事態は雲行きが怪しくなってしまう
それは、その写真に「自分そっくりな女と工藤」が写っていたからだった
令子は自宅にあった付けたことのないイヤリングのことを思い出し、自分は記憶を失くしているのでは?と思い始めるのである
映画は、ジェネリックテラ(地球)という衛星のようなものが上空に浮かんでいる世界で、そこには人々の記憶が記録されていると言う
それを可能にしたのがジェネリックと呼ばれる技術で、九龍の中には「ジェネリック(後発品)」と呼ばれるコピー人間のようなものが存在していた
令子も工藤と一緒に写真に映る令子B(親友の楊明(梅澤美波)が命名)のコピーであることが中盤になってわかり、それがこの世界を作り出した蛇沼(竜星涼)の特別な研究対象となっていた
また、工藤と令子Bの仲を知る茶館のタオ・グエン(柳俊太郎)は、令子の写真によってこの世界の謎を明かそうとして暗躍し、蛇沼と出会うことによって、情報共有をして行くことになった
蛇沼は「亡くなった母の再現」というものを試みていて、そのためにジェネリックテラという装置を開発して、その実験をこの街で行っていたことが判明するのである
とは言え、映画内から全てを理解するのは難しく、設定を知った上で観た方が理解度は高くなると思う
冒頭からテレビCMでジェネリックテラの宣伝をしているし、上空に浮かぶ謎の物体、時折歪んでしまう世界などを紐解いていくと、この空間がバーチャルのような世界だとわかる
この中で生活している人の誰が人間で、誰がジェネリックなのかの境界線は難しいのだが、感覚的には令子、支店長、楊明はジェネリックで、工藤、タオ、蛇沼は人間であると思う
そして、工藤の麻雀仲間の周さん(嶋田久作)はこの世界の歪みを知る人物のようで、彼の導きによって、ジェネリックである令子はこの世界での自分というものを確立して行くことになったように思えた
映画では、時折地震などが起こり、それが工藤の感情と連動していることがわかるのだが、それはこの世界の中に住むオリジナルが影響を及ぼしているように描かれている
そして、その感情の揺らぎを生み出しているのが令子の存在であり、令子は令子Bのコピーでありながらも、別人になろうとしていた
オリジナルとは別の人格になろうとするジェネリックの存在が世界を根底から揺るがし、そして工藤をその世界から助け出そうとする令子が描かれていくのである
個人的には、工藤を対象とした実験を行っていて、蛇沼が彼の自殺した恋人・令子Bを再現することで、ジェネリックテラの概念を完成させようとしているのだと思っていた
その目論見はジェネリック令子の目覚めた自我によって崩壊することになるのだが、その揺らぎこそがこの計画の克服すべき課題であるように感じていた
射沼は母親を再現したいと思っていたが、この技術で再現したとしても別人が投影されるだけであり、記憶や情報だけでは人を完全には再現できないということなのだろう
原作の設定とかは分からないが、故人を復活させることに意味はなく、過去と決別することでしか未来は訪れない
令子は令子Bになって工藤のそばにいるのではなく、オリジナルとしてそばにいたいと考えていた
だが、それを可能にするよりも、外の世界に工藤を連れ出して、彼を救うことを選んだということになる
そして、エンドロール後にはジェネリックテラが消滅した街を描き、そこで工藤と令子が再開することになるのだが、この映像のおかげでさらに意味がわからなくなっている
もしかしたら、蛇沼の計画がさらに進化を遂げていて、ようやく完成形としてのジェネリック令子が再現できたようにも見える
だが、映画の主題を考えるとその構成はおかしくなってしまうし、あの映像を正当なものと考えるのならば、「実は令子Bの自殺すらもプログラムの一環」のように思えてしまう
工藤に目をつけて、最愛の人を失くした人物にジェネリックを会わせる目的があり、それすらも蛇沼の計画だったというものなのだろう
そうして、工藤を令子Bが死んだ世界に閉じ込めて、そこで令子と再会させることによって、実験データを取ろうとしていた
そう考えると、令子Bは実は死んでなんかいないということになり、それがジェネリック令子が令子Bとの相違点を生み出している(令子は生き続けて変化しているから)ということになるのかな、と感じた
いずれにせよ、正解があるかわからない内容で、ぶっちゃけると吉岡里帆を大画面で愛でるだけの映画になっている
それはそれで良いと思うのだが、きちんと映画内で設定を解決し、からくりを提示しないとダメなんだと思う
原作は未完とのことでラストは模索中なのだと思うが、それを見越した上で映画オリジナルの解決を結ぶのは難しい
それでも、あのラストを描くことで、製作者サイドの解釈というものが生まれていて、その隙間を埋めるとするならば、前述のような解釈を加えるしかないのかな、と思った
上手くまとめれなかったか
漫画もアニメもそこそこ見てから映画を見たので、カットされた部分や設定違いに戸惑いました。
九龍の世界観はとてもよく出来ていて素晴らしいなと思ったのでもったいない。
吉岡里帆って不思議だよね
吉岡里帆主演と聞くと暗雲が立ち込めるんだけど、監督が池田千尋だからね。観に行かないと。
そしてこの作品、主演二人の演技が今ひとつなの。どういうキャスティングなんだ。
これを池田千尋の手腕でなんとかできるのかってとこだね。
吉岡里帆は工藤を好きなんだけど、なかなかうまくいかなくてみたいなエピソード語られてくね。
それでそのうち、吉岡里帆はどうもオリジナルの記憶を部分的に植え付けられたクローンみたいな奴で、オリジナルはもう亡くなってるってことが分かるの。
しかし工藤は吉岡里帆を好きになるが、それはいったいどういうことなんだってなってくね。
たぶん「私」の特別性みたいな話なんだよね。
吉岡里帆は簡単なんだよね。「私は私」だから。オリジナルとは別物で、工藤が好きになったのは「私」で済む。
でも工藤はさ、目の前の吉岡里帆を好きになったのか、亡くなったオリジナルの代替として好きになったのかで、そりゃ悩むよね。
もし相思相愛の相手がなくなって、その記憶を引き継いだクローンが目の前に現れたとしたら、どうするかって悩むよね。悩むじゃ済まないくらい悩む。
しかしそこはケリがついて、当然のごとく、目の前の吉岡里帆が好きなんだよ。
新しい靴で新しい場所に行って、新しい友だちを作って、水餃子を正義と思わずレモン唐揚げを食べる吉岡里帆が好きなの。
そして次にくるのが仮想存在の実在化みたいな話だね。ピグマリオンの頃からやってる。
どうも九龍は、吉岡里帆のことを忘れられない工藤が産み出した幻想と実存が半々みたいな存在なんだね。
その中で産み出された人物は、九龍から外に出ると消えてしまうという。
でも大丈夫。吉岡里帆は愛を知ったから。出ても消えないの。
「よっしゃー!」と思ったら……。ここでエンドロール。
いやさすがにそれはと思ったら、エンドロール後でまとめたね。
これレモン唐揚げ屋が実在したってところで終わりでも良いんだよね。
さらに唐揚げ食べてる後ろに吉岡里帆っぽい人が立ってるところで終わりでも良い。
でもちゃんと分かりやすく説明してくれる親切設計。
そしてまた思うんだけど、吉岡里帆は、そんなに良い役者じゃない気がするんだよね。
主演作はスベった印象の方が強い。例外は《正体》。
コメディを頑張るけどそこまで笑えないし、美人ではあるけど飛び抜けた美人でもない。演技は下手ではないけどうまくはない。
なんかそんな感じなんだけど、色んな作品に出てて、この頃は悪いまでいかない。
不思議な役者だなと思ったよ。
池田千尋の手腕が鮮やかに発揮されたかというとそんなこともなく、これ多分、原作の設定の詰めが若干甘いんじゃないかという気がする。機会があったら原作も読んでみよ。
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