九龍ジェネリックロマンスのレビュー・感想・評価
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構想と設定のスケール感に反し、小ぢんまりした恋愛奇譚。ポストクレジットシーンあり
池田千尋監督の前作「君は放課後インソムニア」がよかったので、最新作「九龍ジェネリックロマンス」も期待して鑑賞したが、さてどうだったか。
原作は眉月じゅんによる連載中の同名コミックで、単行本は現在11巻。これだけのボリュームの話を2時間弱にまとめるのだから、内容的に相当割愛、凝縮を余儀なくされたものと思われる。
本作において「ジェネリック」という言葉は、本来の「一般的な、包括的な」という語義ではなく、ジェネリック医薬品に日本の一般消費者が抱くイメージ、つまり「特許を取得したブランド品(本物)と成分は同じだが安価な普及品(コピー)」と近いようだ。1990年代に取り壊された香港の九龍城砦にそっくりで、成立過程が謎につつまれた“ジェネリック九龍”が物語の舞台。上空に浮かぶ八面体の物体“ジェネリックテラ”がこの九龍をコピーしたような街の出現に関係しているようだが。
不動産屋勤務の令子(吉岡里帆)は、ほぼ変化のない日々を繰り返しているが、過去の記憶がない。令子の先輩・工藤(水上恒司)は、令子の過去について何か知っているようだ。2人の過去が徐々に明らかになるなか、ジェネリックテラ計画に関わる蛇沼(竜星涼)が、ジェネリック九龍出現の謎と令子の存在に関心を持ち接近してくる。
舞台や主要人物の設定に関する構想がなかなか壮大で興味をそそられるが、話が進むうち、基本軸は意外に小ぢんまりした恋愛奇譚なのかなという気がしてくる。展開次第では、「ブレードランナー」のような自意識・記憶・アイデンティティーをめぐる哲学的な問いかけになったり、「エターナル・サンシャイン」のようにSF設定をからめて記憶と恋愛の関係をエモーショナルに謳いあげたりするような、構想のスケール感とテーマの奥深さが両立する娯楽作となり得たのではないかと、もったいない感じがした。
おそらく物語要素を割愛したせいで、令子、工藤、蛇沼の3人以外はストーリーに有機的にからむというより単なる記号的な存在にとどまっているのも、物足りなさの一因。山中崇、嶋田久作、サヘル・ローズ、梅澤美波ら個性的な共演陣を活かしきれていない。
池田監督が過去に携わった長編映画やテレビドラマをざっと見渡すと、リアルな設定の作品が大部分で、SFやファンタジーの要素が強いフィクションは今回が初挑戦のようだ。脚本の問題もあるかもしれないが、「九龍ジェネリックロマンス」との相性はよくなかったのかもしれない。
そうそう、エンドロールの途中からクレジットに並行して画面左半分で追加シーンが流れ、監督の名前が出た後に画面全体でポストクレジットシーンが約4分、かなりたっぷりめに流れる。これを観ると観ないとでは印象もずいぶん違うはず。暗転してキャスト名が流れ始めてもどうか席を立たず、最後まで見届けていただきたい。
Generically Generic Romance
原作未読、アニメだけ観ており、2時間じゃサスガに無理だろ、と思っていたが…
やはりというか、焦点は完全に鯨井と工藤に絞られており、他キャラの背景は総オミット。
そのため、関係性や動機など諸々薄い。
楊明や小黒の件はテーマ的にも、鯨井の決断にも大きな意味があるので非常に残念。
楊明は後半出番ないし、小黒は消えるだけの役目なので、これなら1人にしちゃえばいいのに。
終盤、鯨井Bが実体化したあたりからはガッカリ。
オミットした分の厚みを出さなきゃいけないのに、謎に令子が過去を覗いたりとあまりに雑展開。
下巻を読まないくだりなどを省いてるため、Bの自殺理由も飲み込みづらい。
8月の繰り返しに気付くのはあまりに唐突だし、本物の支店長が急に来た理由も分からん。
エンドロール後は完全に余計で、小黒が日本にいるのはまだしも、ラストは何?
あの消え方しといて普通に戻ってくるのはどう解釈すればいいやら。(しかもダラダラ長い…)
水上恒司は工藤にしては若さも上品さも消せてない。
原作通りのキャラ作りでないと認めないとは言わないが、無理してる感じが伝わってしまった。
吉岡里帆は、予想通りBの方の芝居が物足りず。
グエンと小黒(正体考えなければ)は思いの外ハマってたし、みゆきちゃんはクオリティ高過ぎ。
ユウロンは完全に別キャラだったけど、それなら普通に博士っぽくてよかったような。
BL要素を半端に入れたり、サンバや『田園』の歌唱に尺を使うより、もっと他になかったのか。
よく纏めたと感心はするが、薄まり過ぎかなぁ。
台湾に行きたい、8番
九龍の魅力満載。行ってみたいと思ったけど、そういえばもうないのか。
ロケ地は台湾との事。台湾はいいですね。
古都、高雄辺りかな。
吉岡里帆の魅力も満載。いいですね。
年上の女性と年下の女性、どちらも魅了的です。
水上恒司も良い役者だけど、この役は合わないかな。原作知らずですが、無精髭とタバコが似合うもう少し大人な方が良いかと。水上恒司の実力と言うよりもキャラのイメージが違うかも。
ストーリーも大人のラブストーリーかと思ったら、ファンタジー設定にびっくり。ストーリーも切なくて良かった。
エンドロールのあとは蛇足か、、、はちょっと微妙だけど。全体的に良い雰囲気の映画でした。
8番が気になる。8個目の世界かと思った。
過去に囚われて生きている人々が、果たして未来に向かって一歩を踏み出す勇気を持てるのか?
漫画原作でテレビアニメにもなった作品の実写映画化なので、知っている人は当然お馴染みなのだろうが、私にとっては初めましての作品。でも、それで良かったのかもしれない。というのも、なんとなく単なるのラブロマンスかと思って行ったら、ミステリーやSFの要素の方がむしろ強いかも、と新鮮に驚くことができたから。
物語の舞台は九龍城砦。そこで過去に囚われて生きている人々が、果たして未来に向かって一歩を踏み出す勇気を持てるのか?
個人の記憶は既に自分の頭の中だけに存在するものではなくなっている。旅行先で食べたものや訪れた名所旧跡は写真に収めて満足し、リアルな記憶というより、それらの写真を見返すことで思い出の記憶となって残っていく。さらにそれらの思い出の数々はSNS等で共有されていく。いわば、個人の思い出はクラウドにあると言っても過言ではないのではないだろうか?
そうなると、サーバーがクラッシュしたら思い出も同時に消えていくのか?一瞬にして消えてしまったら、もう立ち直れないのか?それとも逆に、そんな思い出を失うことを厭わずに、新たな体験を積み重ねていくことができるのか。
現代社会だからこそ我々が直面する課題をファンタジーのオブラートに包んで突きつける作品。ついでに、吉岡里帆を愛でる作品でもある。
同じモチーフの別作品。
良いところ、もったいないところ両方あり。
約2時間でこの感じは良くできてると思う。
アニメ版は時間がたっぷりあるし現実映像でないので自由にファンタジーを表現できるできるけど、
実写になって改変(改悪でも改善でもない)するのは仕方ないかな。
元ネタを知らないと気付かないシーンもあるし、細かいところで削って欲しくないところが入ってなかったりもするし、新しい解釈やシーンもあるし。
別作品として見るほうが良いかも。
映画全体の謎と恋と廃墟と時間軸と雰囲気はとても好きでした。ただのドタバタ映画にしないでくれてありがとう。
ちらほら杉田智和ボイス嬉しい!
エンド後のわかりやすくハッピーエンドも良かったかな。でも何人かエンドロールで帰ってた人いたからもったいない。
吉岡里帆のいろんな表情とKroiの曲はよかった
原作は未読。「恋は雨上がりのように」の作者だから少し期待して鑑賞。
冒頭でジェネリックテラなるものが空に浮かんでいる設定が説明され、あぁバーチャルな世界の話かと理解することはできた。だから、あの九龍の微妙な違和感も受け入れることができる。でも、肝心の話が自分にはあまり合わなかったようだ。工藤のかつての恋人(鯨井B)の面影に戸惑いながら、新たな鯨井として工藤に向き合おうとする話なのだが、どうにもしっくりこない。マンガやアニメならよくても実写だとチープに見える。そんな感じなんじゃないか。マンガもアニメも観ていないけど。
ジェネリックテラとか、ものすごくSFな設定なのにそれもあまり活かされていない気がする。そもそもそれなりに長い原作を2時間の映画にまとめることが難しいってことなのかもしれない。エンドロール後の映像である程度のちゃんとした終わり方を示したと言えるが、その内容も意味がわからない。あんな感じでなんかわからないけど、2人の関係性を楽しんでくださいって映画なのだろうか。もう少し面白くなりそうだっただけに残念だ。
それでも吉岡里帆のいろんな表情を楽しむことはできたし、Kroiのエンディング曲もよかった。いや、逆に言えば、そこしか楽しみを見いだせなかったということだ。
スイカを食べながらタバコを吸う
スイカ食べながらタバコを吸うのが好きな鯨井令子のそのタバコは「キャスター」。ずいぶん昔にブランドが変更されたが当時のそのタバコは妙に香料が効いていた。スイカにはピッタリハマる味なのだろう。そんな些細なことも含め、映画を通じてこの世界観がとても好きになってしまいました。もちろん最大は「九龍要砦」を見事に映像で蘇らせてもらったことです。現存してる頃に行ったことはありませんが、何故か懐かしさが込み上げてきます。過去の記憶を持たない鯨井令子が感じる懐かしさと似ています。彼女が暮らす部屋やちょっとした雑貨や調度品、チャイナドレス、工藤と一緒に勤めるゆる〜い感じの不動産屋さん、活気ある商店街や飲食店、。と冒頭から暫くの間続いてた日常風景がとても好きです。当時の香港らしさが残ってる台湾でオールロケをはったとのことである。
いつのまにか鯨井令子と工藤はその距離が縮まりはっきりと「恋」の到来を認識するようになる。そして喫茶店「金魚茶館」で鯨井令子は自分と瓜二つの鯨井Bの写真を見つけてしまう。そこにこの世界を図らずも作った蛇沼製薬の社長や喫茶店の従業員だったタオ・グエンが加わり物語が動いていく、、。観ている私たちもこの世界が「偽物」であることを割と早い段階で知ってるのだが、何としても2人の「恋」は成就して欲しいと願う。しかしその結末は、、。
エンドロールが始まり、近くで観ていた人は席を立ったが、最近はエンドロール後のラストショットも珍しくない。そして、なんと今回は、。
原作は未読。エンドロール後のエピソードは映画版オリジナルなのでしょう。気持ちよく映画館を出れました。私の評価は今年の邦画トップクラスとさせていただきます!
原作は面白いのだろうか
HAZE
原作・アニメ共に履修してからの鑑賞で、原作・アニメのイメージを払拭できるのかというところに念頭を置いての鑑賞。
特典はビジュアルポストカードでした。
原作の壮大な感じはやっぱり2時間ではまとまりきらずだったな〜という印象で、原作から抱いていたどこのターゲット層へ向けた作品なんだろうというのが実写ではより謎が深まってしまったのが残念でした。
序盤は概ね原作と同じ流れで進んでいくんですが、尺の都合もあって日常の異変が起こるのがかなり早く、登場人物に感情移入できる前にそそくさと展開が進んでしまうので、そこが映画としてあまり活きていなかったなと思いました。
主に2人の謎や恋模様を描くことにフォーカスを当てており、その上でミステリー要素をなぞっていく感じなので、魅力的だったキャラクターたちも表面上存在しているだけのようで舞台装置にしかなっていないですし、原作に触れていないとこの世界観からは振り落とされてしまうのでは?という作りなのもいただけなかったです。
ガラッと世界観が変わるところなんかも初見じゃついていけないでしょうし、観ていても違和感が少なからずありました。
全体的に小道具やセットや衣装なんかは雰囲気があって良かったなーと思いましたが、九龍城砦はCGで雑にぶち込まれた感があってあまり魅力的に映らなかったですし、場面自体もそこまで多く登場する訳ではないので、絵面的な物足りなさは確かにあったなと思いました。
原作のタッチに加え、アニメで命が吹き込まれたことによって工藤の印象が結構固まった中での実写工藤を演じた水上くんはどうしてもビジュアルが若すぎるな〜っていうのが引っかかってしまいました。
若い頃と今を描くという点で一人二役なのでしゃーなしにしても、申し訳ないんですがあんまし髭が似合っているようにも思えず、一挙手一投足から滲み出る若さがこの作品でマイナスに働いたかなと個人的には感じてしまいました。
吉岡里帆さんは原作・アニメ鯨井とはまた異なる感じの魅力が発揮されており、九龍七変化を楽しめる点では良かったかなと思いました。
ただ一人二役の変化がアニメ版では際立っていただけに実写版ではパンチが劣ったかなとはどうしても思ってしまいました。
エピローグも原作とは異なるものが描かれてはいるんですが、いかんせん長いなーと思いましたし、新解釈の現代での展開は蛇足でしかなかったので、スパッとKroiの主題歌で終わらせて欲しかったです。
登場してくるご飯は全部美味そうでした。
個人的にはレモンチキンが魅力的に見えましたし、べらぼうに腹が減ってる時に観たので思わず腹の虫が鳴いてしまいました。
この手のジャンルでも実写に不向きな作品もあるんだなぁとは思いました。
やっぱり実写映画って難しいですね。
鑑賞日 9/1
鑑賞時間 18:15〜20:15
実写の方が映えると思ったのだが
原作漫画が好きでよく読んでいたけど正直分かりにくい。現実と虚構との間の様な話でどっちが現実で虚構なのか容易に判別できない感じになっているラブロマンス。最近アニメ化もされて見ていたけど実写の方がいい感じになるかな?と思ったのだが実際に見ると思った程でも無かった。今の香港とも違うしロケは香港では無く台湾みたいだ。あまり変わり映えしないと言ってしまえばそれまでだが、ちょっとなんか違うと言うか微妙な違和感。そもそも現存していないから仕方ないと言うのもあるが。
キャストはよく合っていると思う。演技もそんなに悪くない。
いい感じに仕上がっているが原作を知らない人には全体として分かりにくさととっつき難さを感じるかも知れない。放映時間も長いし冗長に感じるシーンもあるので微妙な感じ。
原作ファン向けと言われても仕方ないかな。
原作がそもそもミステリー的で分かりにくい感じで謎は最後に明かされるっぽい構成だから。
でも内容は恋愛もの。しかもそれが訳あって非常にもどかしいと敷居が高い。
万人受けしないんだろうなって感じです。
科学の進歩した未来の話っぽいのだが、殆ど昔の香港の九龍城砦(怪しげな巨大アパートの塊の様な街)を模した第二九龍城砦として再現したが流石に古くなってそろそろ住めないかな?となりつつある頃の話。
香港国際空港は現在とは異なり啓徳空港だった。頭の上をジャンボジェットが低空で着陸していた。そんな今となっては古の香港九龍で不動産の支店に勤める鯨井令子と同僚の工藤発。令子は発に気があるが進展なし。何気ない日常の毎日だが突然地震が起こったり何かが少しづつ変わり始めた。
ジェネリックな九龍だけど…
なりたい自分は自分で決める
簡潔にまとめられた三角関係ロマンス
原作既刊11巻(95話)は読了。アニメは観ていない。ここでいう九龍というのは単なる地名ではなく1994年に取り壊された九龍城寨が再建された(ということになっている)第二九龍城寨と、そのジェネリックであるバーチャルな第二九龍城寨継続版を指す。九龍城寨跡地は公園になっているそうなので、漫画に出てくる廃墟より映画での野原の方が実際のイメージに近いかもしれない。
さて原作漫画はSFに加えて、時空認識や、実存的自他認知などの哲学的アプローチへも踏み込んだ相当にスケールの大きな作品であり、現段階ではまだ完結していない。
最大の売りとなるのが、医薬品の概念である「ジェネリック」を自他の差異ラベルとして持ち込んでいるところである。簡単に補足しておくと、ジェネリック医薬品というものはオリジナル薬効物質の特許が切れた後に製品化が可能となる後発品ということになる。2つポイントがあって、先発品と後発品は全く同じかというとそんなことはない。そして先発品の価値が常に後発品を上回っているかというとそんなこともない。というのは主要成分の化学式はコピーされているが製剤にあたっての粒子化や賦形剤との混合やコーティング方法はすべて異なる。だから結果としてジェネリックがオリジナルを有用性で上回ることだってあり得る。
だから、この作品を一言で説明しようとすれば、ジェネリックである鯨井令子が、オリジナルである鯨井B以上に工藤に愛されるようにもがき苦しむ話であるといえる。ただ、もし、ジェネリック鯨井令子自身が、工藤の生み出した想念であるのならば、それは限りなく工藤好みの女性を創り出すプログラムに過ぎないのではないかという疑念が残るが。
いずれにせよ、映画化にあたっては、工藤と鯨井以外の登場人物たちを狂言回しの役割程度に落ちつかせ、鯨井Gと鯨井Bと工藤の三人による三角関係のロマンスに絞り込んだことは良かったと思う。多分、ダラダラと漫画原作をなぞってもロクな作品にはならなかったただろうから。
映画なりのオチをつけたと思うけど、破綻してない?
2025.9.2 イオンシネマ久御山
2025年の日本映画(117分、G)
原作は眉月じゅんの同名漫画
記憶を失くした女と、語れない過去を持つ男を描いたファンタジックラブロマンス映画
監督は池田千尋
脚本は和田清人&池田千尋
物語の舞台は、かつて香港に存在した九龍城砦を再現した町
そこには、行くあてのない人々が集い、ある種の「何でもあり」のコミュニティが生まれていた
その町にある不動産屋「旺來地産」に勤める鯨井令子(吉岡里帆)は、先輩社員の工藤(水上恒司)に想いを馳せていた
工藤は麻雀仲間たちとギリギリまで遊んでから出勤し、いつもギリギリにタイムカードを押すようなズボラな性格をしていた
支店長の李(山中崇)もそんな2人を微笑ましく観ていたが、彼も不思議な男で、退勤時間になると時間ぴったりに帰っていた
ある日のこと、空き物件のメンテナンスをしていた工藤と令子は、その作業を終えて休んでいた
ソファで寝てしまった工藤を起こそうとした令子だったが、工藤は突然令子を出し寄せてキスをしてしまう
そして、耳たぶまさぐるようにさわると、「間違えた」と言って、令子を突き放してしまった
動揺した工藤は上着を置き忘れて帰り、令子は工藤とキスをしたことで舞い上がってしまう
だが、彼の上着から1枚の写真が見つかり、
事態は雲行きが怪しくなってしまう
それは、その写真に「自分そっくりな女と工藤」が写っていたからだった
令子は自宅にあった付けたことのないイヤリングのことを思い出し、自分は記憶を失くしているのでは?と思い始めるのである
映画は、ジェネリックテラ(地球)という衛星のようなものが上空に浮かんでいる世界で、そこには人々の記憶が記録されていると言う
それを可能にしたのがジェネリックと呼ばれる技術で、九龍の中には「ジェネリック(後発品)」と呼ばれるコピー人間のようなものが存在していた
令子も工藤と一緒に写真に映る令子B(親友の楊明(梅澤美波)が命名)のコピーであることが中盤になってわかり、それがこの世界を作り出した蛇沼(竜星涼)の特別な研究対象となっていた
また、工藤と令子Bの仲を知る茶館のタオ・グエン(柳俊太郎)は、令子の写真によってこの世界の謎を明かそうとして暗躍し、蛇沼と出会うことによって、情報共有をして行くことになった
蛇沼は「亡くなった母の再現」というものを試みていて、そのためにジェネリックテラという装置を開発して、その実験をこの街で行っていたことが判明するのである
とは言え、映画内から全てを理解するのは難しく、設定を知った上で観た方が理解度は高くなると思う
冒頭からテレビCMでジェネリックテラの宣伝をしているし、上空に浮かぶ謎の物体、時折歪んでしまう世界などを紐解いていくと、この空間がバーチャルのような世界だとわかる
この中で生活している人の誰が人間で、誰がジェネリックなのかの境界線は難しいのだが、感覚的には令子、支店長、楊明はジェネリックで、工藤、タオ、蛇沼は人間であると思う
そして、工藤の麻雀仲間の周さん(嶋田久作)はこの世界の歪みを知る人物のようで、彼の導きによって、ジェネリックである令子はこの世界での自分というものを確立して行くことになったように思えた
映画では、時折地震などが起こり、それが工藤の感情と連動していることがわかるのだが、それはこの世界の中に住むオリジナルが影響を及ぼしているように描かれている
そして、その感情の揺らぎを生み出しているのが令子の存在であり、令子は令子Bのコピーでありながらも、別人になろうとしていた
オリジナルとは別の人格になろうとするジェネリックの存在が世界を根底から揺るがし、そして工藤をその世界から助け出そうとする令子が描かれていくのである
個人的には、工藤を対象とした実験を行っていて、蛇沼が彼の自殺した恋人・令子Bを再現することで、ジェネリックテラの概念を完成させようとしているのだと思っていた
その目論見はジェネリック令子の目覚めた自我によって崩壊することになるのだが、その揺らぎこそがこの計画の克服すべき課題であるように感じていた
射沼は母親を再現したいと思っていたが、この技術で再現したとしても別人が投影されるだけであり、記憶や情報だけでは人を完全には再現できないということなのだろう
原作の設定とかは分からないが、故人を復活させることに意味はなく、過去と決別することでしか未来は訪れない
令子は令子Bになって工藤のそばにいるのではなく、オリジナルとしてそばにいたいと考えていた
だが、それを可能にするよりも、外の世界に工藤を連れ出して、彼を救うことを選んだということになる
そして、エンドロール後にはジェネリックテラが消滅した街を描き、そこで工藤と令子が再開することになるのだが、この映像のおかげでさらに意味がわからなくなっている
もしかしたら、蛇沼の計画がさらに進化を遂げていて、ようやく完成形としてのジェネリック令子が再現できたようにも見える
だが、映画の主題を考えるとその構成はおかしくなってしまうし、あの映像を正当なものと考えるのならば、「実は令子Bの自殺すらもプログラムの一環」のように思えてしまう
工藤に目をつけて、最愛の人を失くした人物にジェネリックを会わせる目的があり、それすらも蛇沼の計画だったというものなのだろう
そうして、工藤を令子Bが死んだ世界に閉じ込めて、そこで令子と再会させることによって、実験データを取ろうとしていた
そう考えると、令子Bは実は死んでなんかいないということになり、それがジェネリック令子が令子Bとの相違点を生み出している(令子は生き続けて変化しているから)ということになるのかな、と感じた
いずれにせよ、正解があるかわからない内容で、ぶっちゃけると吉岡里帆を大画面で愛でるだけの映画になっている
それはそれで良いと思うのだが、きちんと映画内で設定を解決し、からくりを提示しないとダメなんだと思う
原作は未完とのことでラストは模索中なのだと思うが、それを見越した上で映画オリジナルの解決を結ぶのは難しい
それでも、あのラストを描くことで、製作者サイドの解釈というものが生まれていて、その隙間を埋めるとするならば、前述のような解釈を加えるしかないのかな、と思った
原作を読んでから見た方が良い。
上手くまとめれなかったか
漫画もアニメもそこそこ見てから映画を見たので、カットされた部分や設定違いに戸惑いました。
九龍の世界観はとてもよく出来ていて素晴らしいなと思ったのでもったいない。
吉岡・水上の醸す空気に浸る
予告編を観て、(かすかに聞いた覚えがある程度だが)九龍城という舞台と吉岡里帆・水上恒司のコンビにちょっと惹かれて観賞。
【物語】
香港の九龍城の古い部屋に住む鯨井令子(吉岡里帆)は、九龍の中にある小さな不動産屋で働いていた。令子は職場の先輩・工藤発(水上恒司)に思いを寄せている。九龍を知り尽くしている工藤は令子をあちこち連れ出し、令子に好意を持っているようなそぶりを見せながら、一定の距離以下には近づこうとしなかった。
あるとき令子は、工藤の行きつけの喫茶店の店員タオ・グエン(柳俊太郎)から発の恋人に間違われる。さらに覗き見た工藤の写真には、自分そっくりの女性が工藤に寄り添っていた。
【感想】
予告編からは“大人のラブストーリー”を想像していた。確かにそうに違い無いのだが、予想していなかったSFであることを開始早々のシーンで知った。その後終盤に差し掛かるまでSF色はほとんど無く進むのだが、冒頭のシーンが無かったら、最後になって「そんな展開かよ!?」と落胆していたと思うので、(説明微少で、その時点では意味不明なのだけど)冒頭のシーンを入れてあるのは良心的だと思う。
ストーリー展開的には冒頭シーンの意味が終盤になって分かって来て、“なるほど”感を味わうことが出来て、なかなか面白かった。ただ、エンドロール後のエピローグ的映像は意味不明だった。俺的には「あれは無い方が良かった」ので見なかったことにしておく(笑)
もう一つ蛇沼(竜星涼)が鯨井に拘っていた理由が明かされぬまま終わったように思えたが、何か見逃したのか???
そんな疑問が少々残ったものの、「まあいいや」と思えたのは、本作の魅力はストーリ展開よりも吉岡と水上のやりとりやふたりが醸す空気、さらにはスクリーンに映えるふたりの姿形にあると思ったから。
売れっ子俳優と言えるが、TOP俳優と言うほどでもない、そんな共通の形容ができる吉岡と水上。それが地味な興行成績(初週の動員から最終興収1億円程度と予想)に表れているが、悪くないと思う作品。 「吉岡・水上は嫌いじゃない」という方になら「観てもいいと思うよ」と言えるかな。
全93件中、1~20件目を表示
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