「脚本としての出来の良さは、作品としての面白さを担保するか?」映画ドラえもん のび太の絵世界物語 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0脚本としての出来の良さは、作品としての面白さを担保するか?

2025年3月10日
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【イントロダクション】
『映画ドラえもん』シリーズ45周年記念作品。
絵の世界に入れる「はいりこみライト」で、様々な絵画の世界へ入って遊んでいたのび太達は、とある絵画から出てきた6歳の少女クレアと共に、13世紀のヨーロッパに存在したアートリア公国で冒険することになる。監督は、『のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い』(2007)や『新のび太と鉄人兵団〜はばたけ 天使たち〜』(2011)等の劇場版シリーズに参加してきた寺本幸代。脚本には、TVシリーズを手掛ける伊藤公志。

【ストーリー】
13世紀、ヨーロッパのとある地方に存在するアートリア城。宮廷画家の息子である6歳の少年マイロは、幼馴染のクレアの誘いも聞かず、夢中で絵を描いていた。クレアの瞳は、見る角度によって色が変わるという特殊な性質を持っていた。退屈して一人森へと出掛けたクレアは、突如出現した時空乱流に飲み込まれてしまう。

夏休み。絵の世界に入り込める秘密道具「はいりこみライト」で、スネ夫の自宅に飾られている様々な絵画の世界に入り込んで遊んでいたのび太達。スネ夫は、のび太とドラえもんが入っていた『ミノタウロスの迷宮』のモチーフであるクレタ島のクノッソス宮殿をはじめ、世界にはまだまだ未発見のかつて存在した伝説の場所があるのではないかとロマンを語る。

夏休みの宿題で、父の似顔絵を描いているのび太。しかし、絵が苦手なのび太は上手く描く事が出来ず、早々に宿題を投げ出してしまう。
何気なく点いていたテレビのワイドショーでは、先日発見された謎の絵画の特集が組まれていた。絵画には、王宮と周りを取り囲む湖が描かれており、湖の青には、見る角度によって発色が変化するという不思議な鉱石が用いられていた。専門家によると、その鉱石の価値は現代ではダイヤモンド以上で、発見されれば数億〜数十億は下らないという。
そんなニュースも他所に、不貞腐れ仰向けになっていたのび太の真上に、突如タイムホールが開き、不思議な形をした絵画が落ちてくる。

絵画には、森の中を彷徨う幼い少女の後ろ姿と、近くを羽ばたくコウモリが描かれていた。興味を持ったのび太とドラえもんは、「はいりこみライト」で絵の世界に入ってみる。しかし、2人が少女を探している内に、少女の方は絵の世界から飛び出して現実の世界へやって来てしまった。
現代社会の文明に圧倒され彷徨い歩いていた少女は、しずか、スネ夫、ジャイアンの3人に保護される。合流し、事情を知ったのび太達は、クレアと名乗る少女と共に、再び絵画の世界へ入り込む。出口のない森を彷徨い歩く中で、のび太達はチャイというコウモリ姿の小悪魔と出会い、行動を共にする。やがて、ドラえもんが偶然発見した「はいりこみライト」の別の出口から外の世界へ戻ってきたのび太達。すると、目の前には13世紀ヨーロッパのアートリア公国が広がっていた。

実は、のび太の元に降ってきた絵画は、一枚の絵画が何らかの事故によって2つに分かれたもので、「はいりこみライト」を照射した際に、もう片方の絵にもライトの効果が及び、意図せずして別の出入り口を作り出していたのだ。
こうして、のび太達は13世紀のヨーロッパにタイムスリップし、10歳となったマイロと出会う。マイロによると、クレアはアートリア公国の姫なのだそう。留守にしているクレアの両親の帰還を待つ間、のび太達は「水ビル建築機」で城を建て、マイロ達と友情を育んでいく。

真夜中、目を覚ましたのび太は、マイロの父が遺した工房を訪れる。遅くまで絵を描いているマイロ。傍には、目だけ色の入っていないクレアの肖像画があった。宮廷画家であった父の後を継ぎ、立派な絵師になる事を夢見るマイロは、いつかアートリアに伝わる伝説の鉱石、通称〈アートリアブルー〉を見つけ出し、クレアの肖像画の瞳を塗って、絵を完成させたいと思っていた。
そんなマイロの姿に、のび太は「どうしたら、絵が上手くなるの?」と尋ねる。しかし、マイロは「上手く描く必要なんてない。上手い絵が〈いい絵〉とは限らない」と答える。そして、「大事なのは、描く相手を大好きだと思う気持ち。それを絵に込めればいいんだよ」と、のび太に道具を手渡して描いてみるよう促す。
翌朝、真夜中まで夢中で絵を描いていた為に寝坊する2人。その傍には、不器用ながらにのび太が思いを込めて描いた『ドラえもん』の絵があった。

クレアに叩き起こされ、アートリア城へ向かったのび太達は、怪しげな美術商のパルやクレアの両親、宮廷道化師のソドロと出会う。城の画廊に案内されたのび太達は、アートリアに古くから伝わる、“光を奪う暗黒の騎士”イゼールと、“世界を滅ぼす”とされる赤き竜、そして“その羽ばたきが世界を救う”とされる青いコウモリが描かれた3枚の絵画を目にするのだが…。

【感想】
絵画をモチーフにしているだけあり、作中、特に冒頭ではゴッホの『星月夜』やモネの『散歩、日傘をさす女性』、葛飾北斎の『富嶽三十六景』といった、西洋画から日本画まで様々な絵画が登場する。
数年ぶりの使用となる『夢をかなえてドラえもん』に乗せて、西洋画から日本画まで様々な画風で表現されるドラえもん達の姿を堪能出来るオープニングが秀逸で、このオープニングが最も本作が扱う絵画というモチーフを存分に活かしていた。
ラスボスとなるイゼールの名称も、絵を描く際に用いる“イーゼル”から取っているのはオシャレ。

アニメーション表現も、流石45周年記念作品というだけあって、動きがなめらかで迫力ある。特に、冒頭の『ミノタウロスの迷宮』内での冒険は、逃げ惑うのび太とドラえもんの動きを追ったカメラワークや、崩壊する壁や土煙の表現まで「開始からいきなりクライマックス」と言わんばかり。
ただし、終盤のイーゼル・ドラゴン戦での表現には、息切れ感というか、冒頭程の迫力やカメラワークの面白さが感じられず、少々残念に思った。本当に「開始がクライマックス」になってしまっていたように思う。

脚本については、普段からTVシリーズに参加している伊藤公志氏が手掛けている(劇場版初参加なのは意外だった)だけあって、原作に登場している秘密道具の流用や、時空乱流(時空ホール)やタイムパトロールといった藤子・F・不二雄作品の要素を活かした話作りが成されており好印象。
特に、お馴染みの「タイムマシン」を用いず、ドラえもんが思いもよらなかった「はいりこみライト」の副作用によってタイムスリップを可能にするという展開には唸らされた。
しかし、そうした脚本的な「上手さ」が、必ずしも作品としての「面白さ」を担保するものではない事を証明してしまっているのは、何とも皮肉。作中でマイロが「上手い絵が良い絵ではない」と語るように、「上手い脚本が面白い話とは限らない」のだ。

そう感じさせる1番の要因は、要素の詰め込み過ぎによるものだろう。特に、クレアの不思議な瞳に関する設定に関しては、何かありそうだと思わせつつも、「そういう瞳の少女です」以上の設定はなく、単なる設定の域を出ていなかったのは非常に残念である。彼女の両親の瞳は、決してアートリアブルーと関連性のありそうな色の瞳ではない。であれば、観客は「クレアがアートリアブルーに関わる何らかの秘密を抱えているのでは?」と期待するのが普通だ。イゼールに襲われるしずかを助ける際に、彼女の瞳が違う色を放った瞬間など「キタ!」と思ったのだが…。

また、アートリア公国に伝わる怪物イゼールと赤き竜に纏わる伝説と、それに関する予言も、抽象的で説得力に欠ける印象だった。もっと言ってしまえば、「脚本上のクライマックスの盛り上げの演出の為に作られた」という製作上の都合の方が前に出て来てしまうのだ。それは恐らく、本作が架空の13世紀ヨーロッパを舞台としているとはいえ、あの世界では“実在した場所”と設定されているからだろう。大昔の人々は、疫病や天災をキャラクター化し、畏怖の念を抱いたが、イゼールの持つ〈色を奪う〉という能力が、人々の何に対する恐怖心から来るものなのかがイマイチ釈然としないのだ。これもまた、本作が「絵画をモチーフにしているから」というコンセプトありきで設定されたキャラであると強く感じさせるのだ。

ゲストキャラクターであるクレアとマイロは、特にクレアの表情が豊かで、喜怒哀楽を存分に表現していた。時空乱流の影響で時空間を彷徨っていた為に、1人だけ時間の流れが止まってしまっており、結果的にのび太やマイロ達より年下の状態で冒険に参加する事になるという仕掛けも面白い。
実は、のび太達と冒険を繰り広げた6歳の彼女は、あくまで絵画の中の人物であり、「はいりこみライト」が破損した事で、元居た絵画の世界に帰ってしまうという“泡沫の夢”といった儚さのある突然の別れには驚かされた。しかし、そこは子供向け作品。しっかりとパルが時空間を漂っていた本物の彼女(しかも、ちゃんと10歳の姿になっており、夢という形で絵画のクレアと冒険の記憶を共有している)を見つけ出し、ラストで本当の再会を果たすという演出は、若干のご都合主義を感じさせるものの、着地としては○だろう。

ただし、一つ苦言を呈するならば、そんなクレアの姿はどれも可愛らしく、魅力的ながら、その魅力は現代的な美少女アニメで表現されるそれであるという事だ。つまり、『ドラえもん』という作品のキャラクターデザインとは明らかに異なっており、異物感が目立つのだ。それが狙いによるものだとしても、F先生が御存命の時代ならば、まずお目にかからないタイプのキャラクターだろう。

【今作だからこそ出来る“究極の一手”】
物語のクライマックスでは、遂にドラえもんまでもがイゼール・ドラゴンのブレスによって色を奪われ、無力化されてしまう。倒れたドラえもんの体に付着していた「水もどしふりかけ」の粒子を目にしたのび太は、ドラえもんの意図を理解する。しかし、肝心のドラえもんは無力化され、道具も破壊されてしまった。
絶対絶対のピンチに、偶然にもイゼールの体から弾き出された「はいりこみライト」と、その光を浴びたドラえもんの似顔絵の中に落下するのび太。そこで出会ったのは、のび太が「大好き」という気持ちを込めて描いたドラえもんだった。姿は歪で、会話すら困難、絶えず「のび〜、のび〜」と口にする姿が何とも愛らしい。しかし、不出来ではあるが、それは間違いなく「ドラえもん」であり、ポケットから取り出した「タケコプター」も本物には及ばないがちゃんと空を飛べる。のび太は機転を効かし、ドラえもんに「水もどしふりかけ」を出してもらう。
現実に戻ったのび太は、マイロにパチンコの絵を描いてもらい、自分達の城に向けて射出。見事に城を水に戻す事に成功し、イゼールを飲み込む。イゼールを飲み込む寸前、水の塊の影の形が、アートリアの伝説にある青いコウモリというさり気ない演出がニクい。
無事にイゼールを倒し、世界を救ったのび太達。のび太の描いた『ドラえもん』の絵は、「世界を救った絵画」として、アートリア城の1番良い場所に展示されるのだそう。

この、「のび太の絵が世界を救う」という展開は、間違いなく、今作だからこそ出来る“究極の一手”だろう。のび太のドラえもんに対する愛情と、ドラえもんの秘密道具による究極の合わせ技。世界の崩壊すら防いでみせたこの勝ち方の論理的にも素晴らしい美しさは、まさに「夢をかなえてドラえもん」であり、拍手を贈りたい。

【総評】
45周年記念作品というだけあって、作り手の気合いの入り様が伝わってくる作品であり、ラスボスの倒し方の美しさは、シリーズの集大成とも言える。しかし、そんな気合いが入り過ぎたあまり、詰め込み過ぎや空回りしている部分もあり、個人的にはシリーズ最高傑作ではない。また、F先生の偉大さを改めて実感するに留まってしまっているのも間違いない。

緋里阿 純