ノー・アザー・ランド 故郷は他にないのレビュー・感想・評価
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理不尽極まりない暴挙にカメラと言葉で戦う2人の青年
今作を見る前日、私は『セプテンバー5』を見た。
ミュンヘンオリンピックでのパレスチナ武装組織が、イスラエル選手たちを人質にし全員死亡という悲劇を取り扱った作品だ。
その作品を見た後、罪もないイスラエルの選手たちに、パレスチナの人たちはなんて酷いことをするんだと憤った。
しかし本日このドキュメンタリーを見て、私は昨日とは全く逆の怒りを感じている。罪もないパレスチナの民間人に、イスラエルの人たちはなんて酷いことをするだろうと。
つまり、こういうことなのだ。どちらが正義で悪とかではなく、これはもう繰り返し行われる復讐の連鎖なのだと。
そして私は、答えの出ないこの長く根が深く、絡まりが簡単には解くことができない現実に打ちひしがれながら映画館を後にした。
命をかけてこの現象を映像や文章で届けようとした、パレスチナ人とイスラエル人の青年ふたり。彼らが突きつけて来る映像は、一方的に暴挙の限りを尽くすイスラエル側の非道さと、理不尽でしかない映像ばかり。何度も目を背けなくなって、誰か早く彼らを救ってくれと願わずにはいられなかった。
ドキュメンタリー映画は、フィクションという逃げ道が無いからこそ、見る側は否応なく受け止めるしか無い。でも受け止めた私たちに一体何が出来るのか、そればかり考えている。
この作品がアカデミー賞に取り上げられたことで、知名度が上がり、世界中の多くの人が見ることで少しでも良いから良い方に動き出してほしい。
パレスチナ人のバーセルとイスラエル人のユヴァル、2人がいつか何のしがらみも制限もなく、これからの未来を明るく楽しく語り合う日が、1日でも早く訪れてほしい。涓滴岩を穿つ日が必ず訪れることを信じるしかない。
土地を奪われるということ
パレスチナ、ヨルダン河西岸のマサーフェル・ヤッタという地域で、イスラエル人入植者たちによる弾圧の実態を捉えたドキュメンタリーだ。ここに射撃場訓練場を建設するという目的で、イスラエルはこの地に暮らす住民を強制的に退去させ、むりやり家を破壊していく。武器を持った軍もこれを支援している様子がカメラに収められており、パレスチナ人に対する理不尽が白日にさらされている。
トランプがガザの住民を強制退去させてリゾート地にすると発言したことが世界中で波紋を広げているが、土地を奪われ、追い出されることがどれだけ辛いことなのか、そのリアルがこの映画にはある。
本作を監督したのは、作品の主人公的な立ち位置でもあるパレスチナ人のバーセルとイスラエル人のユヴァルだ。この2人が立場の違いを超えて友情を築き、この映画を作っているということ自体が、この理不尽に対する微かな希望となっている。今の国際情勢の、数字だけでは見えない地に足の着いたリアルが確実に写されている作品だ。
事実を知ると共に、本作の制作体制にも注目したい
あらかじめ言っておくと、本作内でイスラエルとパレスチナの関係を改めて詳述することはない。よって鑑賞前後には確認の意味を込め、事実関係を頭の中で整理しておくと良いかも。そうやってマクロで知る自分の知識と、本作を通じ突きつけられるミクロ的な現状によって、私自身、これまでTV報道で漠然と聞き流していた場所の空気、人々の悲鳴、息遣いが初めて線と線で繋がったような感覚を覚えた。これはパレスチナ自治区の一つ、ヨルダン川西岸地区のとある村でイスラエルによっていかなる行為が行われてきたかを、パレスチナ 人の若者の視点で描き出したものだ。また彼のみならず、イスラエル人のジャーナリストの若者が支援に加わり、共に活動する。そこで交わされる同世代の何気ない言葉、思いやり、敬意もまた本作の命。彼らを含む計4人体制(イスラエル人ふたり、パレスチナ人ふたり)で対話を重ねて完全合意制で監督を担っている点も深く注目したい。
Timely Document about the State of Palestine
Shot over four years in the Palestinian West Bank, No Other Land puts you right in the eyes of the people pushed out of their homes by Israeli settlers. The filmmakers themselves are attacked by Israeli soldiers in the film. Ironically, the documentary stops just before the October 7th massacre. See for yourself the bizzarre injustice people of the world struggle through in our 21st century.
今絶対に観ておきたかった
25-030
「ぱぱ、〝どなるな〟っていって」
張りつめる空気に怯えるこどもが必死に言った。
握りつぶされるように砕かれる家や学校。
立ち向かい容赦なき弾に射抜かれる家族。
目の前で大切なものがいとも簡単に破壊され続けていく。
これはゲームの世界じゃない。
マサーフェル・ヤッタのこどもたちの目に映る現実世界の不条理。
彼らのなかに憎しみのエネルギーとなりいつかそれは負の連鎖となりうる。
その過ちの痛ましさが満ちていく瞬間を目撃しているのかも知れない苦しさと恐ろしさは、ただ立ち尽くす力無い自分を責めもする。
微力な力も積み上がればどこかにいつか届くと信じたいが、そんなきれいごとなど彼らはその経験からすでに欲していない。
被害者側と加害者側の立場の青年たちが自分の命を差し出しながら、今、具体的な一手をと叫んでいるのだ。
あの場所で彼らの絶望が生きる気持ちを消滅させてしまう前に、世界はどうやってこの記録に意味を持たせられるのだろうか。
避難した暗い地下から見上げる小さな長四角の空が、無惨に切り取られた彼らの人生の断片にみえた。
あそこからみえる月や太陽に一寸先の命があることを祈る人々がいる。
平等の命なんかじゃない。
知らないではすまされない。
アラブ社会と白人社会の見方が変わる
観て本当によかった。フィクションでなくドキュメンタリー映画ですが、アラブ社会と白人社会の見方が変わる映画だと思うし、パレスチナの人達の人柄に心を動かされました。(特にバゼルに)
生きるのが過酷な状況な中で、ドキュメンタリー取り続けた、魂の結晶の様な映画です。地球人ならみんな観た方がいい映画です。
95分間の理不尽。
日本でも似たようなことが起きているような…
基本的には「イスラエル軍がパレスチナ人の家をブルドーザーで破壊」→「パレスチナ人がイスラエル軍に抗議デモ」の繰り返し。
家壊して道具奪って井戸をコンクリートで埋め立てて水道管を切断。
ほぼ殺人では?
映像は手ブレ画面多め。
あと、動画を撮影しているパレスチナ青年・バーセルがイスラエル軍に捕まりそうになって必死に逃走する場面も多い(『電波少年』を思い出した)。
個人的に衝撃的だった場面が2つ。
1つ目はスマホの縦長画面で撮影された、パレスチナの中年男性がイスラエル軍に抗議していたところ、感情的になったイスラエル兵が中年男性を銃撃する場面。
映画で人が撃たれるところなんて腐るほど見てきたが、本物は初めてかもしれない。
単純に気分が悪くなった。
もう一つはバーセルがイスラエル軍に拘束されそうになった時、バーゼルの父親が突撃してきて、撃たれるのを覚悟で兵を制し、バーゼルに「逃げろ!!」と叫ぶ場面。
これも映画でなら似たような画は何度も見たことあるが、本当に命をかけて人を救おうとしているのを見たのは初めてかもしれず、心震えた。
本作はパレスチナとイスラエルの青年監督二人に友情が芽生えていくところが見どころだと思うが、それで状況が何一つ改善されていかないのが悲しい。
パレスチナの人々がイスラエル兵の目の前で真っ当な訴えを全力で呼びかけても、イスラエル兵はどこ吹く風。
この感じ、どこかで見たことある。
辺野古基地建設に反対する住民の訴えを目の前で聞いている時の警察の顔と同じ。
考えてみれば、人道的な人間だとしたら非道な行いを繰り返すイスラエル軍なんてとっくに辞めているはずで、兵隊を続けている時点でまともな人間ではないのかもしれない。
あと、何も悪いことをしていないパレスチナ人に対してもイスラエル軍が非人道的な行いをしているのを見て、個人的には日本でのクルド人差別を連想。
悪いことをしたクルド人が批判されるのは仕方ないにしても、子供も含めたクルド人全体に対して誹謗中傷の嵐。
今はまだ一部の差別主義者がSNSで活動しているだけだが、トランプ的思考の政治家が日本で政権を握ったら、『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』の日本版ができても不思議ではない。
故郷は他にないのに。。
本作の上映を知り、絶対に観なくてはと思っていたのだが、題材が題材なだけに、躊躇していたら21日に公開したばかりなのにもう1日1回!
しかも16時からしかかからなくなっていたので、子にお留守をしてもらい滑り込んできました。
こんな時間に観る映画じゃにゃい( ̄  ̄)
はぁー。。
ガザの停戦合意について注目が集まっている現在。
これは今を生きている人は観るべき作品だと思います。
意識していない人は観ないんだろーから全然かからなくなっちゃうの、仕方ないのはわかるけど。。
残念に思えてなりません。
ガザ侵攻については、ニュースでも拾って見ていたつもりだったが、実態はそんなもんじゃなかった。
本作は、イスラエル軍の占領が進むヨルダン川西岸地区、パレスチナ人居住地区マサーフェル・ヤッタで起きていた真実。
2023年10月までの4年間を映したドキュメンタリー。
"何とか撮れている動画"を編集しているだけなので、起きている悲劇を淡々と映し出していて、観客へのサービスなどはない。
むしろ見にくい箇所多数。
でも逆にそれがリアルで恐怖心が増した。
首を真綿でじりじりと締め続けられる様な日常が続くのみ。。
イスラエル軍とイスラエル人入植者達の非道な行い。
(女性兵の姿もありました)
「どうしてそんなこと」という思いしかない。。
ユダヤ人は自分達の過去を忘れてしまったのか。
今のユダヤ人はナチス・ドイツと同じ事をしているじゃないか。
長い歴史の中でずっと迫害を受けて来たユダヤ人。
やっとの思いでイスラエルという国を作った彼らが、国を死守したい気持ちも理解したいが、やっている事がこれじゃ。。
もう純粋にホロコーストの被害者として見れなかった。。
ブレア首相が7分視察?!に来ただけで、一時的に学校の破壊が止まる皮肉。
つか、過去にイギリスがユダヤ人にもアラブ人にも国を認めると言っておきながらフランスとつるんでオスマンの領土を山分けした歴史があるじゃないか!
だからユダヤ人達はパレスチナに移り住む動きが高まったんじゃないの?!
そもそもパレスチナ問題はイギリスにも原因があるんだぞどーにかしろよ!!三枚舌ヤローが!!と、あのスーツ軍団にも怒りの感情が湧いた。
パレスチナ人からは侵略者は信用出来ないと言われ、同胞からは売国奴扱い。。と厳しい立場ながら、マサーフェル・ヤッタの現状を伝えようとするイスラエル人ジャーナリストのユバル。
破壊され続ける故郷の現状を何とかして世界に伝えようと配信し続けるパレスチナ人バーセル。
2人の執念のおかげで、遠い日本にいる私のような平和ボケしている人間にまで届き、この理不尽な侵攻の実態を目にする事が出来ました。
「怒りで人が変わりそうだ」というセリフが心に残っています。
一瞬映った三日月。
私が今夜見ているこの月を、パレスチナの人々も見ているのかな〜と思ったら泣きそうになってしまった。
日本も他人事ではないと感じなくてはダメだ。
イスラエル軍の車列の中に、日本車があったように見えました。
ありふれた、決まり文句の様な言葉を並べるのは簡単ですが、今の私には何も言う事が出来ません。
だけど、終始怒りが込み上げ、そして苦しくて悲しくて悔しくて辛くて怖かった。
この痛みにも似た感覚を覚えておかなくてはと思った。
だから観る意味があったと強く思いました。
多くの人に届いて欲しい作品。
みんなでこの痛みを自分ごととして受け止めませんか?
(個人的にアメリカの皆さんの反応が気になるところ。。
それと、あのカメラマンはアメリカの人でしたっけ??
なんか発言が偽善者ぽくてその場しのぎで嫌悪感抱きました。。)
いろいろ言いたいことはありますが、ネタバレになってしまうので詳しく...
いろいろ言いたいことはありますが、ネタバレになってしまうので詳しくは書きません。
とにかくみんな見た方がいい映画です。
パレスチナ支持、イスラエル支持、中立派、無関心に関わらず、一度、見てみてください。
歴史に残る事態が起きている今だからこそ、見る意味があると思います。
今起きていることが歴史の教科書に載ってからでは遅い。
将来、子どもや孫が歴史の勉強でこの問題に触れた時に、あなたは親として、或いは、祖父母として、「知らなかった」と言うのか、今、映画を見て「あの時、私は、、、」と語ることができる大人になるのか。
これは、自分がどんな世界に生きたいか、或いは、子どもたちにどんな世界に生きてほしいか、その世界のために自分に何ができるのか、何をするのか、そういうことを問う映画。
監督たちが私たちに投げかけるのは、答えのない問いのようで、
まるで哲学対話のような映画だと感じました。
映画を見て終わり、ではなく、ずっとその問いに向き合いたいと思います。
そして、何より行動する勇気を貰った気がします。
とりあえず、今、一番見てほしい映画です。
被占領者による命懸けの告発、命懸けの蜂起。
ショックで唖然とした。
ああ結局「百聞」はどこまで行けど
「一見」未満なんだ、と。
16か月間 体に溜め込んできた残酷さは、しょせん断片でしか無かった。16か月間 夢中で追いかけてきたあらゆる断片を結集しても、多分一昨日見たフィルムの1/100のリアリティにも及ばなかった。
その断片たちが一昨夜、一気に繋がって生命を帯びて、目の前で化け物みたいに動きだした。
思いのままに泣けるような隙もなく、ただ驚愕し、瞬きも忘れていた。
アパルトヘイトが実際どんなふうに、人間を外側と内側から壊していくのか。
そこにいっとき立ち会うことを許可され、95分間、本当に自分はそこにいて、同じように恐れ、同じ絶望を見た。そんな感覚だった。
ずっと息苦しかったのは、
マサーフェル・ヤッタの美しい土壌に侵入する
余所者たちの傍観や偽善に対する描写が結局は自分にも向けられている批判であることを終始、感じ続けたからだろうと思う。
息子に重傷を負わせられた母親を訪れ、刹那の同情を演じて去っていく英語話者の記者たち。
気まぐれに権力を振り翳して他者の運命を管理し弄ぶ 国際社会のリーダーたち。
登場人物はみな、断片的に私の一部であり、
私が今生きている国の人々の一部だと思った。
二人の間にある抗えない構造的不平等にも胸がジクジク傷んだ。
それは膨らみ始めた友情の芽とは裏腹に浮き彫りになってゆき、ユヴァルさんがバーセルさんの心に近寄ろうとすればする程、軋んだ音を立てるみたいに、私には感じられた。
権力の不均衡を生じさせる構造。
ただ生きてるというだけで。
個々の人間性も互いの絆の深さもお構いなしに。
その理不尽さは、二人の距離が密接だったからこそ、より鮮明に、より際立って示されたと思う。
「状況が安定して民主化され自由になったら
今度は君が僕を訪ねておいでよ。
いつも僕だけが君を訪ねるのじゃなく」
ユヴァルさんは邪気のない様子で言う。
帰る場所があり、動き回れる自由があり、永遠の抑圧も永遠の敗北も知らぬ友。
私がもしバーセルさんなら、
"maybe...." と呟いたあの瞬間、
新しい友人が全く見知らぬ他人のように見え、
広い宇宙に独りぽっちで置き去りにされたみたいに感じただろうと思った。
祖父母から孫の代まで続く壮絶な占領の歴史。
彼らはアパルトヘイトに押し潰され、時々善意を放り投げてくる世界に失望し、それでも忍耐強くあらん限りの抵抗を続けながら、
一軒ずつ家が壊されるのを見届け、
一人ずつ家族を失ってきた。
共感だとか連帯だとか、知った振りをしていた自分が恥ずかしい。狂おしい自責の念で、吐き気がした。
「国境を越えた友情と連帯に希望を見出す」
この類の宣伝文句をよく見かけたけど、
本作の主題は友情ではあり得ないし、
希望を見出すような結末も用意されていない。
(と私は思う。個人の感想です)
これは、追い詰められて窮地に立つ故郷を背負い、占領国家に対し真っ向から叩きつけた告発であり、カメラという 彼らに残された最後の武器で世界に示した、文字通り命懸けの蜂起だったんだろうと思う。
希望なんて幻想がここには微塵も存在してない、それでも、バーセルさん達が彼の地から手を伸ばし世界に届けようとした真実をどう咀嚼するのか。
今生きるその場所で、私は、あなたは、何が出来るのか。
鑑賞後にそれぞれの日々の中で、自分だけの宿題を模索していかなければ、と思う。
マサーフェル・ヤッタから、
こんな声を聴いた。
「それでも僕らは、現実を変えたい。
だけどその手段はもう殆ど、僕らには残されてない。
もう分かっているよね?
変化の可能性の、その舵を、力の限り一杯に切り、これまでとは全く別の方角へ進路を変えられるのは、ここにいる僕らじゃない。
今日これを目撃したあなたでしかない。
僕はここで死と隣り合わせで
出来る限りのことをやってきた。
さあ、次はあなたが繋げる番だよ。
泣き言なんか言ってないで、
今すぐギアを100段階上げてくれ」
一方で、彼らの決死の記録を目撃したあとに
抱いて欲しくないのは「無力感」だと思う。
それが許される者がいるとするなら、それは途方もない忍耐を重ねてきた彼らであり、私たちではあり得ないと思うから。
世界が無視し続けてきたパレスチナ
鬼畜の所業
第95回『ナワリヌイ』、第96回『実録 マリウポリの20日間』と、最近は国際的な政治問題が題材となる作品が受賞する傾向が見えるアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞。今年で言えばやはり本作『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』が、前哨戦の実績から言っても有力と思われますが結果は如何に?
そもそも、アメリカの映画産業はユダヤ系の人材と資本があってこそ発展してきたこともありますが、今回(第97回)のアカデミー賞ノミネート作品をみていくと『ブルータリスト』『セプテンバー5』『リアル・ペイン 心の旅』など、映画の題材にユダヤが関連する作品が並ぶ中、断然に目立っている本作の行方が「特に」気になります。
2023年10月から続く「ガザ情勢」をきっかけに、改めて「パレスチナ問題」を振り返って理解しようとする機会も増えましたが、やはりネックとなるのはその複雑さ。と、ここで諦めては同じことの繰り返しですし、見方を変えればむしろ誰にも判る単純な「人道的な問題」については、例えどんな立ち位置にいても無視してはいけない事実です。
今作はまだまだ情勢の悪化の懸念が消えない「ガザ地区」ではなく、もう一方のパレスチナ自治区である「ヨルダン川西岸地区」が舞台。1947年の国連分割決議以降もイスラエルからの入植活動が続き、実質的な面積はどんどんと小さくなっています。本作はそんな過酷で不条理な現状を身を挺して映像に残し、世界へ発信し続けるパレスチナ人青年バーセルとユダヤ人青年ユバル等の活動を見せるドキュメンタリー。
ある日突然、パレスチナ人が居住する村に現れるイスラエル軍と役人。女性や子供の前でも躊躇することなく銃を向け、100年以上前からそこで生活してきた人々の家を重機で壊し、更には自動車や資産を奪っていきます。そして、その様子をカメラに収め取材し続けるバーセル達に対し、銃を向けながら「敵」と叫んで追いかけまわす過激な入植者達(おそらく一般人)も加わる様子は、言葉を選ばずに言えば実に「鬼畜の所業」。冷静に見続けることが辛くなるほど怒りが込み上げる95分は正直しんどいですが、命を張って訴える彼らから目を逸らすわけにはいきません。
果たして、アカデミー会員たちはこれをどう観て評価するのか、正に賞の真価が問われる一本。ある意味、トランプの迷惑な「思いつき政策」よりよっぽど影響があるのでは?と期待しつつ、授賞式に注目です。
彼らの現実を感じた&酔ったので三半規管弱い人注意
今まで遠い国の話っていうふうに感じてて現実感なかったんだけど、甥っ子に向ける笑顔とか子どもたちの無邪気な様子をみて、あ、これはフィクションみたいに離れてることじゃなくて現実がそのまま地続きになった惨禍なんだなって実感した。自分の住んでいるところにいきなり軍が現れて銃を向けられるの怖すぎる。軍は全然話を聞こうとしないし、抵抗してたら手榴弾なり催涙弾とか投げてくる。軍は住民が話しかけてるときにヘラヘラしてたり、話し合いの席すら設けてないように見えるから、すごく不誠実だなと思った。あくまで一方の視点からのドキュメンタリーだから深くは言えないけど軍がとにかく不気味で恐ろしくて暴力の力ってこんなに強いんだなって思った。撃たれたところはびっくりした。紛争地帯だからそういうシーンは覚悟してたけど、こんなに簡単に、指一本で人は殺せるんだなって思った。あっさり四肢が麻痺したって出てきて紛争地の現実はこんなに酷いのかと思った。その中でも時々ジョークを言ったり軽く笑う場面があって、笑ったりちょっと嫌なことがあったりする私の普段の現実と同じ部分があるから(もちろん映画の人々の方が遥かに辛いし残酷)軍の略奪行為や泣いてる人だけを映してるニュースより人々の気持ちを身近に感じた。ニュースは酷い状況になってから撮ってるだろうからそういうの以外撮れない、今は軽く笑うことすらできないのかなって今書いてて思った。死や命の危機がとにかく近いと思った。なんか有名な人が来たから学校が取り壊されずに済んだ、父は就学しなかったから英語ができなかった、ここのシーンは語りすぎず言外の意味が強く伝わってくるなって思った。お父さんの時代はネットもないだろうからだれか有名な人に語ってもらう、もしくは大国に助けてもらうしかないんだろうな。無力感を感じた。7分居ただけなのにこんなき大きな影響を及ぼすことができるんだ。あと立場的には宿敵である相手と一緒に作業して激昂せず冷静に話せるの凄いなと思った。今はどうなってるのか考えたくないな。もうちょっとこのパレスチナ問題とか予習してからくるべきだったなぁと思った。これから勉強しようと思った。内容も重いし、ドキュメンタリーだから視点がひゅんひゅん動くので映画館で酔ってしまった‥。最後二人が話してる超大事なところ気絶してて見れなかった。友達ではいられないんだろうな
日本では報道されないイスラエルの蛮行
この作品では、ヨルダン川西岸地区でイスラエル軍とイスラエル軍に守られた入植者が、パレスチナ人の村を破壊し、土地を奪う様子が描かれている。ヨルダン川西岸地区はイスラエルの領土ではないが、イスラエル軍は、ある日突然、以前からあるパレスチナ人の村を軍用地に指定する。すると軍用地にある建物は違法建築になり、合法的に破壊されることになる。ユダヤ人には出来ないことがパレスチナ人相手だと許されてしまうイスラエル社会は異常である。イスラエルのユダヤ人は感覚が麻痺しているが、彼らのやっていることはナチスドイツによるユダヤ人の抑圧と同じである。
80年前のホロコーストを世界は止められなかったが、いま世界中の人々がイスラエルの蛮行をリアルタイムで目撃している。イスラエルのユダヤ人が1日も早く正気を取り戻し、パレスチナ人と和解することを望むが、そのためには世界中の人々がパレスチナ人の現状を知ることが必要だ。
「もしわたしが死ななければならないのなら
あなたは生きなければならない
わたしの物語を伝えるために」イスラエル軍のガザ攻撃で殺されたパレスチナの詩人リフアト・アル・アライールの言葉です。この映画を見た私、あなたは何をするべきか考えさせられる映画です。
水1滴ではダメでもしずくが続けば変わる
報道など目にする「入植」というものがどんなことを意味するのか、この映画を観るまで知らなかった。
23年10月以降、本を読んだり自分なりに学んできたつもりだけど、何も分かっていなかった。
入植なんてきれいな言葉で表現できるものではなく、ただの破壊で、強奪で、暴力である。
それを、 イスラエル軍だけでなく入植者(ただの一般人)が彼らに守られながらやっている。昔からその場所に住んでいた、非暴力のごく普通の住民たちに対して…
この映画は、それにさらされている側の人達が撮影しているから見せられるものも容赦ない。だからこそ見て、沢山の人に知ってほしい。
そして、そうやって誰かの家を破壊し、故郷を奪ってできた場所に家を建てて住む人、利用する人は一体どんな人なのか、想像するだけで心底おぞましい。
バーセルとユヴァルは、同じ目的を持って活動する同士なんだと思う。
でも、それぞれの境遇が余りにも違いすぎて、観ながら何度も何度も頭を抱えるような思いだった。時間はかかるかもしれないが、バーセルがユヴァルの家を自由に訪ねられるようになったり、彼が自分の意志で就きたい仕事に就けるようになる日が来てほしいと心から思う。そのために、日本にいる自分に何か少しでもできることはあるのか…
最後に……
今もマサーフェル・ヤッタで暮らしているバーセルのTwitterのアカウントを紹介しておく。
@basel_adra
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