「新たなクリスマスムービーには至れず…。」レッド・ワン 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
新たなクリスマスムービーには至れず…。
クリスマス2日前、何者かに“レッド・ワン”ことサンタクロースが誘拐され、サンタクロース護衛隊の隊長と、金次第でどんな依頼も受ける人探しの天才トラッカーが行方を追う事になるバディ・ムービー。
護衛隊隊長カラムにドウェイン・ジョンソン、天才トラッカー : ジャックにクリス・エヴァンス、サンタクロースにJ・K・シモンズと、キャスト陣もとにかく豪華で、映像的にも高額な製作費が投じられた気合いの入った一作である事が伺える。しかし、クリスマスを題材にしているにも拘らず、興行開始が11月初めと若干季節を先取りし過ぎな印象で、案の定私が鑑賞したのは近場の劇場で上映最終日の最終回、ギリギリの鑑賞となってしまった。また、『ホーム・アローン』シリーズのような新たなクリスマスムービーとなる事を目論んでいたであろう事は明白だが、日本は勿論、本国でもあまり話題にはならなかった様子。
率直な感想としては、小学生の頃の自分ならばそれなりに楽しめもしたのだろうが、現在の自分には魅力に乏しいよくあるアクション作品の一作といったところ。
また、サンタクロースをはじめ、“首なし騎士”や“ジャック・オー・ランタン”といった神話や伝説の生物が存在するファンタジー設定、それらを密かに監視・守護する政府公認の秘密機関。カラムとジャックのバディ・ムービーとしての御約束要素に、ジャックと息子との親子愛、レッド・ワンと弟クランプスの兄弟愛までプラスするという、明らかな「詰め込み過ぎ」によるあらゆる要素の希釈・散漫化が勿体なく映った。
予告編でも強調され、ポスタービジュアルにも写っている護衛隊員の喋るシロクマの活躍が全然無かったのは、ある種詐欺ではないかとすら思ってしまう。
ジャックを演じたクリス・エヴァンスの見た目が実年齢より若く見える点、息子役の子が夫婦どちらともあまりにも似ていない為、ジャックと親子に見えないという点から、親子愛描写についても「親戚の子供のためにお兄さんが頑張っている」ようにしか見えず、余計な要素に感じられてしまった。
少年時代のジャックが何故、サンタクロースを信じられない現実主義な子供になったのかの掘り下げが無かったのも残念。そもそも、親子愛の要素をプラスするのではなく、現実主義のまま大人となったジャックが、カラムと協力してレッド・ワン救出に奔走する中で、信じてこなかった夢や伝説に対する純粋な視点を取り戻し、それによってカラムも再び相手の純粋な子供時代の姿が見えるようになるという展開に終始し、バディ・ムービーとしての側面をより強固にした方が、作品としてのクオリティが一段上がったように思うのだが…。
カラムの用いる物体を大きくしたり小さくしたり出来る腕輪の設定も、カラムが小型化したりオモチャを実用レベルの大きさに変えるという単なるコメディ描写にだけ用いるのではなく、クライマックスのグラム戦含め、もっとロボットのオモチャを巨大化させて本性を現したグラムと戦ったりさせた方が面白かったはずだ。更に言えば、この腕輪を作品内でのキーアイテムとし、「純粋な心の持ち主にしか扱えない」等の設定を付与すれば、序盤ではカラムを出し抜いて悪さに使おうとして失敗したジャックが、クライマックスではカラムやレッド・ワンを救う為純粋な心を取り戻した事で彼らの窮地を救うといった激アツ展開にだって持っていけたはずだ。そうしたあらゆる要素の煮詰め不足が、鑑賞してして心底「惜しい。勿体ない!」と感じさせた。
黒幕である魔女グラムの「クランプスが作り上げた“悪い子リスト”にリストアップされた悪い子達を、サンタのエネルギーを用いて量産したスノードームに閉じ込め、コレクションとして蒐集して罰を与える」という目的もイマイチパッとしない。また、ジャックが息子の為に真っ当な父親になると改心した途端、スノードームが砕け散り封印が解かれるというガバ判定も都合が良過ぎる。そもそも、悪戯レベルの悪事でリストアップされた子から、法的な犯罪行為によってリストアップされた子まで等しく同様の罰を与えるというのは、いくら魔女が人間界とは異なる尺度を持ち合わせた存在とはいえ、少々納得が行かない。
数少ない評価点を挙げるのならば、グラム達がレッド・ワンを誘拐した場所が北極の地下であったという“灯台下暗し”展開、ラストで世界中の子供達にプレゼントを配るレッド・ワンの極秘ミッション演出だろうか。特に、ラストの展開は子供達には夢いっぱいの素晴らしいものだったと思う(ところで、日本でプレゼントを配った際に用意されていたお菓子に手を付けつつも戻した描写は何だったのだろうか?クッキーではなく煎餅だったのが気に入らなかったとかだとしたら、失礼な描写な気もするのだが)。
新たなクリスマスムービーとして金字塔を打ち立てるには、製作費ではなくアイデアをこそ投じるべき且つそのアイデアをもっと精査して煮詰める作業が必要だった作品と言えるだろう。クリスマスシーズン本番から外されたのは、(他の興行作品と食い合いになるのを避けるという目的は重々承知の上で)ある意味必然だったのかもしれない。