秒速5センチメートルのレビュー・感想・評価
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実写を観るのは怖かったけど観てよかった
アニメの秒速が大変心に刺さってる作品だったので、正直観るの悩みました。
ネタバレは避けたいので...
結論から言うと、本当に映像が綺麗。
そして登場する一人一人の演技が素晴らしくて
大変満足しました。
結末はわかっていても、その先にあるものは各々感じとれる作品だなぁと感じました。
子役のこの演技もよかったし、最近他の作品でも目にする松村北斗の演技もよかった。
実写映画化としては最適解
まずはじめに、素晴らしかったです☆☆☆☆☆
「アニメの実写」が強調されていたので、暗い感情の部分に押しつぶされたらどうしようと不安をかかえながら観に行きましたが、それは杞憂でした。
アニメの三部作をそのまま実写化するのではなく、原作では語り足りなかった部分の補足だったり、小学校~中学校、高校、のそれぞれの部分(「桜花抄」「コスモナウト」)は、30歳の大人の部分(「秒速5センチメートル」)の回想という形で物語の中に織り込まれています。
何より、宮崎あおい、吉岡秀隆の存在で、原作よりも一歩踏み込んで主人公の心の成長が見られ、すがすがしい気持ちが残りました。
新海監督が「遠野貴樹が松村北斗でよかった」と絶賛するのも納得の、松村北斗の演技でした。
「夜明けのすべて」「ファーストキス」に引きつづき、単独主演で素晴らしい演技を見せてくれました。やはり、彼は人の心をひきつける物を持っています。
原作ファンだった方も、原作を知らなかった人も、ぜひ観て欲しい作品です。
アニメ版好きな人は見て損しないかも。
奥山由之監督に拍手!!
原作アニメーションは63分でそれを2時間の実写にするとなるとストーリーを付け足さないといけないわけで、その点を心配してましたが杞憂でした!
原作の大切なシーンやセリフや世界観は壊さず大切に実写化されていました。
時間軸の構成もよかったです。
この物語でいちばんの要はやっぱり中学生の貴樹が明里に会いに行くシーンだと思っているので、そこを後半にもってきたのは効果的でうまいなぁと思いました。
奥山由之監督はこれまでも注目していましたが、光の使い方とかカット割が好きですねぇ。
弟の奥山大史監督も大好きなんですが、兄弟そろって素晴らしい才能の持ち主だと思います。
キャストの松村北斗くん、高畑充希ちゃんも良かったし、少年期からのグラデーションもすごく自然でした。
運命の女神はたぶん全裸でハゲだと思う。すれ違ったら二度と捕まえられないから、もしも出逢えたら正面から「がっぷり四つ」でぶつかって離さないようにしよう。
※原作も劇場アニメ版も見ていないので舞台挨拶中継付き実写映画版だけを観たレビューになります。
冒頭は主人公の松村北斗が仕事に忙殺されている大人、ヒロインの高畑充希が書店員として楽し気に働く大人としてスタートします。「子供の頃に交わした約束が大人になってからどう変化するか」という題材は多くの作品になっていますが、子供の頃から成長の段階を踏んで順番に描いていくのが定石ですよね。
ところがどっこい、本作前半部分は小中時代の二人のやり取りと、大人になってから「あれ?なんか大切なこと忘れて生きてないかな?」という場面がバラバラに出て来て、冷静に時系列を頭の中で整理するのに時間を取られてしまいます。
中半は親の転勤で住所が頻繁に変わって物理的に距離が離れてしまう二人が、最後に大事な約束をして抱きう本作一番の名シーンが出てきたり、度々再会の機会があったものの些細な理由で再会できなかったり、二人が無事に再開してハッピーエンドになるのを観客のみんなが願っているだろうなというシーンが続きます。
で、後半なんですが、ここでは観客の願いをぶち壊すシーンが連続するので別の意味で泣けてきます。松村北斗(上田悠斗)が高畑充希(白山乃愛)との約束を思い出して、雪の降る中約束の地に行きますが会う事はできませんでした。高畑充希はプラネタリウムで近接接近しても出会えなかっただけでなく、帰りのバスの中で読んだパンフレットで「遠野貴樹」の名前を確認してもプラネタリウムに戻ってダメ元で会おうという行動もせずに、配偶者とイチャコラして海外へと旅立ってしまうのです。
新海誠原作なので「君の名は。」的なちょっとした後味の悪さは残りますが、少年少女時代を演じた上田悠斗と白山乃愛が掛け値なしの名演技をやりきってくれたのが救いになる作品でした。
縮まらない距離(初日舞台挨拶含む)
アニメーションの実写化は映画を問わず、基本的に歓迎していません。
俳優を使いたい側の理屈はわからないではありませんが、原作の人気に乗っかることで売り出したい側にとって都合が良いばかりで、原作へのリスペクトがあまりにも足りない作品が全てとは言いませんが圧倒的に多いからです。
実写映画が国内の興行収入10位から全て消えた事も致し方ないと思っています。
実写映画を観る時にはスピンオフまたは別作品を観るくらいの気持ちで鑑賞予約をしました。
原作は越えられない。けれど原作にはない、または見つけられなかった欠片のようなものを見つけられる作品だったと思います。
さて、今や国民的人気監督となった新海誠が手がけた伝説的な作品の実写化…私も原作は鑑賞後にこれほど打ちのめされた事がない体験をした思い出深い作品です。
昭和後期・平成前期生まれの世代なら多かれ少なかれ経験したことのある大切な人の転校や別離。私も例に漏れず経験があり、毎年のように仲の良いクラスメイトが次々に転校していき、ある時に転入してきた女の子に恋をしたことがあります。その後、その子はまた転校してしまいました。両片想いであったかは知る良しもありませんが。
(だから原作を観るとママレードボーイ7巻を読んだ時のような救われない感じに気持ちが落ちます)
ちなみに子ども時代ではありませんが、元カノの名前があかりでなかなか心がエグられるものがありますね…彼女はどちらかと言えば水野理紗っぽい感じでしたが(どうでもいい)
原作を観た際にはあまりの衝撃に、当時働いていた職場のアルバイトの男の子が中学時代から付き合っていた彼女にフラれたと落ち込んでいたので「前向きになれるアニメ」として紹介して励ました記憶があります。
大好きな作品ですから期待半分、不安半分でした。
そんな心理が働いたからなのか、序盤の会社で孤独に働く貴樹の姿にあまり入り込めない重い感じがしました。原作が幼少期のエピソードから始まる三部作だっただけに、失礼ながら胃もたれしそうな入り方…のように感じました。
監督は奇しくも撮影時、33歳だった奥山由之監督。
好きな作品であればこそ、批判も評価も自分の眼で観て、耳で聴いてから語りたいと思い映画館に足を運びました。
劇場で観ようと思ったのは当然原作が好きだからもありますが、種子島で出逢う花苗役の森七菜がかわいいからです。
しかし鑑賞して最も驚いたのは幼少期の明里役の白山乃愛(13)…演技も見事でしたが、舞台挨拶での立ち居振る舞い、トークで見せる年頃の女の子の可愛らしさ。
(比べては失礼かもしれませんが、芦田愛菜さんの子役時代を思い出させます。)
私が本作で涙を流したのはやはり転校が決まって、公衆電話から貴樹に電話をするシーンの回想から貴樹との文通、種子島への引っ越し前に雪の日に会いに向かう一連のシーン。
原作でも屈指の切ない場面ですが、語り、手帳に記した文字のやさしさ、吸い込まれるような大きな瞳と戸惑いの表情。良かった。尊い…。
また作品のハイライトでもあるこの再会シーン、幼少期の貴樹役の上田悠斗君の学ラン姿がどうしても不釣り合いなのが特によかったです。
それもそのはず撮影当時(2024年7月〜2025年3月)の彼は小学5年生だったのですから。
子どものうちは女の子の方が早熟という言葉もあるくらい。そんな中でも明里と似た自分の世界を持っていたのですから、原作の貴樹は精神的に少し大人びていたと言えるかも。(だから漫画版の#%#は実写映画版ではなかったことに)
明里役の乃愛さんが、ちょっとリードするような感じの桜の木の前でのキスと抱擁…ここで頬を涙が伝って流れてしまうんです。
で、実写映画版オリジナルの補完ですよ。
吉岡秀隆演じる小川館長が代弁するシーン。
原作にはないエピソードであり、これを蛇足と捉えるか、エッセンスと捉えるかは好みでしょう。
そのために宮﨑あおい演じる輿水美鳥(花苗の姉)と大人になったら明里の絡みも描かれる訳で、原作の切なさである人生のちょっとしたすれ違いと伏線が回収されます。
宮﨑あおいが主役級でなく、こんな落ち着きある役所で器用するとは本当に、一昔前なら考えられない贅沢なキャスティングですね。
約束した2009年3月26日にいない…そんな約束を忘れてしまうくらいに幸せな人生を歩んでいて欲しい。
明里の願いを小川館長は代弁する訳ですが、これは原作で明示されていない部分で実写化の最も伝えたかった部分でしょう。
このために1991EVという地球に衝突する可能性の惑星のエピソードが幼少期の2人に挿入されていた訳で、そんな惑星は実在しない話であり、2007年公開の原作に2009年3月26日というエピソードを付け加えることで物語の拡張と補完を狙ったものと思われます。
(この日付って何か意図や意味があるのかも?)
もちろん、花苗と貴樹がカラオケで曲を流すだけの山崎まさよしの『One more time,one more chance』のBGMも、貴樹が電車の中でイヤホンから音漏れして聴こえてくるこの曲に押し出されるように人混みをかき分けて動き出すシーンも人生の何かを変えた、音楽がその時の気持ちを思い出させてくれる効果を巧みに演出に組み込んだなと思います。
奥山監督は元々フォトグラファー。それもポカリスエットやJR SKISKIなど青春の瞬いシーンを静止画に収めてきた方。CMや米津玄師(感電、KICKBACK)や星野源(創造)のミュージックビデオで動画にも挑戦していて、映画のワンシーンワンシーンが写真やスローモーションで描かれる回想場面はそういったところで培われた技術かと。そうした意味でもこれ以上ない組み合わせだったと思います。
あと初日舞台挨拶について。豪華でしたね。
奥山監督に主要キャスト揃い踏み。高畑充希さんと森七菜さんの場をかき乱すマイペースっぷりに大人の貴樹役をつとめた松村北斗がのっかる(笑)
でもグループの中心でもあったということで周りの人が言い淀んだりした場面でフォローに入ったり、茶々を入れたり、周りに溶け込んでまとめる良い人柄を感じられる場面がありました。
大人の貴樹は寡黙で、人付き合いに関心がなく、そういうキャラなので高校時代を演じた青木柚さんもですがあまり地の自分を出さずに演じるに徹していたのでしょう。青木さんは多分、元から貴樹に近く、松村さんは演技で寄せて演じられるのかも。
松村さんが悠斗くんと乃愛さんと仲良しで、三人で観覧車に乗ったエピソードが微笑ましかったです。
かなり残念な内容
原作と同タイトルではあるものの、脚本、演出がチープであり、実写化=失敗作の流れの作品になってしまった。原作アニメ好きな方は、観に行かないことをオススメします。
感情移入してるつもりは無いのに主人公と同時に涙出た
心と時間と物理的に近づいたり離れたり
明里からのアンサーがとてもいい。でも明里はなぜ?
新海作品の秒速はとても美しくて特にコスモナウトの種子島の空や光景がとても好きだったのだけど、男のセンチメンタリズムが強すぎて、そこがちょっとしんどい作品でもあった。しかし、この映画秒速はいい意味で明里からのアンサー作品になっていて、そこはとても効果的だったと思う。
個人的な最大の謎は、なぜ明里は一目会おうとしなかったのか、再会を選ばなかったか、なのだけど、結論としては明里にはまだ貴樹への気持ちがあるからとしか思えない。明里は貴樹と連絡をとろうと思えば取ることは可能な状況でも貴樹が望んだような「元気だった?久しぶり」程度の再会をあえて選ぼうとしない。これは、自分の気持ちが動揺するのが怖いからだと思う。新婚なのか配偶者と一緒に転勤についていく設定の明里は、今このタイミングで貴樹との再会を恐れたのだろう。明里は、貴樹がプラネタリウムのプログラミングに関わるような社会人として成功している一面を知っているわけだから、「自分と会うことで貴樹を振り回したくない」と思い上がっているとは考えにくい。むしろ自分のほうに未だ未練があるからこそ、ただ懐かしいからといって「元気だった?久しぶり」とできなかったんじゃないか。
で、もう一つの謎、なぜあれほど強くて綺麗な絆があった二人は疎遠になったか、なのだけど、これは致命的に二人に言葉と約束が欠けたからだと思う。貴樹が書いた手紙は渡せぬままで、貴樹は明確に「好き」という一言を伝えてない。そのまま遠距離に突入したことによって、特別な相手としての貴樹はそのまま心に置いたまま、思い出というよりもむしろ自分自身の掛け替えのない一時期として生かしたまま、求められるがままに他の男とつきあうことを拒絶させなかったのだろう。貴樹と明里が何故、好きだと伝え合うことを避けたかと言えば、そもそも「好きだ」という言葉は相手を振り向かせるために必要な言葉で、それは森七菜扮する花苗には告白して振り向かせなければならないため必要な言葉だったが、貴樹と明里は違う、相手を振り向かせることは必要なかった。ただお互いが一緒にいる時間があればよかった。だからあえて、「好きだ」と伝え合うことは彼らにはマストでなかったのだと思う。結果論的に言えば、「好きだ」という言葉は相手のために言うべき言葉だったと思う。思い上がりだろうと、相手が欲している言葉を吐くことが愛情だったはず。それは勿論お互いにとって。貴樹も明里も、掛け替えのない相手と結ばれないという罰?を受けることになるから。でもまあ若いから仕方ないか。
日本の四季がとても美しい。そしてキャストも可愛らしくて、森七菜さんはちょっといじらしくて素敵だったな、あのいじらしさに心動かされない貴樹というキャラクターは、明里と離れてからずっとここではないどこかを生きているような、なかなかに重い生を歩んだようにみえた。貴樹にとっての明里はむしろ呪いだったようで、明里は「わたしを呪いにしないで」と叫んでいるような作品だったと思う。個人的には、自分を好いてくれる花苗を好きになって高校生活を満喫する貴樹よりも、執着でどこか世捨て人のような貴樹は好きですね。もっとガッツがあれば、明里ちゃんにガツガツ告って、毎年お年玉ためて栃木に通うくらいしたってよかったわけですよ、でも貴樹はそれをしない。その不器用さと鈍重さもまた、人間らしさかな。
秒速のキーとなるエピソードをいかしつつ、明里からのアンサーも示しつつ、新海作品にあった美しさも存分に堪能できる、相当に好きな作品。そして、あそこでかかる山崎まさよしさんのワンモアタイム,ワンモアチャンスはわたしには反則でした。
甘くて切なくて残酷
アニメ版、実はまだ観てません。
これから観ます。
公開初日に観賞。
ここ数年の、いろんな邦画の要素が良い意味で混在してる感じがした。新海誠の別作品はもちろん、「夜明けのすべて」とかはニュアンスもよく似てる。
まず役者陣。
これはもうサイコーです。
小中学生時代の二人も上手いし、高校時代の森七菜なんて、こんな「ナチュラルボーン高校生」他に誰もできないよ。
大人たちの抑えた演技も皆さん素晴らしい。
次にお話。
これも良い。
青春時代に差し掛かる前の、淡くて甘くて、でも切ない恋愛。
そして、全体は残酷でもある。
「願い」は、ちゃんと叶わないんだ。
それなのに、評価の★が私は今ひとつ伸ばせない。
それは、(この作品に限らず)クリエイターたちが「中学生時代」という幻想に、あまりにも期待と責任を負わせすぎているのではないかと思うから。
私は仕事柄中学生と多く接しているからということもあるが、もっともっと「親」という存在に依存しているし、支配もされている。現実の中1って、かなり子供だから。
そんな中学時代の女の子との思い出を頼りに、約束の場所へ赴く30歳男性は、(下世話な言い方で申し訳ないが)やはり「キモい」と思うんだ。
これがもしアニメ版で同じエピソードが描かれるならもう少し飲み込みやすいかも知れないが、やはり実写のリアリティとアニメのそれは明らかに違う。
ただ、ラストはそれをしっかり突き放して終わってくれて、良かった。
これで彼も実人生の一歩を踏み出したんだ。
映画としてはよくできていると思う。
またアニメ観て、感じることがあれば書きます。
【アニメ版観賞後】
ほらあぁ。
この実写版で、大人になった主人公をメインストーリーにして、それぞれのエピソードを時間を往復しながら描いたのは悪くないと思うけど、やっぱり大人になってから会いに行くのは蛇足だったんじゃない?
もう一つ言うと、実写版だと、貴樹がその気になればすぐに明里の居所を突き止められちゃうけど、それはこの終わり方には雑音になるのでは?というのが私の感想。
13歳なりの樹熱に溢れた恋愛が、大人になった今は当然薄れていき、ふと何かの拍子に頭をかすめる。そんな、アニメ版で描かれた恋愛観は、無情でありながら客観性のある美しさ。
この実写版はより叙情的でポジティブ、もしかしたらこの後…みたいなラストを描いている様に見える。
あとは好み…ってコトなんだろうけどね。
正直退屈
原作の映画は過去に何度か配信、映画館ともに鑑賞済み
新海作品では近3作以外ではこれが1番好き。なので初日初回に鑑賞
新海監督が絶賛されていたので期待して鑑賞したが、正直私は退屈だった
まず本編の時系列が謎、うろ覚えだけど大人→ちょい小学生→高校生→中学生→大人
とざっくりこんな感じで、予想外でちょっと楽しめたがどういう意図でこんな順番にしたのかよくわからない
あとはアニメでも使われてる山崎まさよしさんのあの曲、使われるシーンが謎すぎる
終わりの交差点のシーンは、あの曲が流れてるのもあって良いラストだと思ってるから、ちょっと許せない
物語の舞台が1980から2009年頃だから、ガラケーやらカラオケの本?とやらも見られたのが新鮮で面白かった。子役の方特に明里ちゃんの子良いね
しかしやっぱり原作のファンだから、ちょいちょい許せない部分があった。リピはないかなあ
正直この作品は一つ一つのシーンが無駄に長いところがあって退屈、アニメ版は上映時間が約60分ほどの短さだからこそ良いと思う。
周りが絶賛してる中申し訳ないけど、結論私は微妙と感じた
新海作品は映画館で何回も見てるから、今回は本当に残念すぎる
冷たい女
1991年春。東京の小学校に転校してきた篠原明里は1年前に転校してきてた遠野貴樹と出会い、互いの孤独を理解し合い心を通わせていたが、卒業と同時に明里は栃木へ引っ越してしまった。中学1年の冬、東京から鹿児島へ引っ越すことが決まった貴樹は、もう会えなくなると思い、栃木の岩舟駅で明里と再会し、桜の木の下で、2009年3月26日に同じ場所で再会することを約束した。時は流れ、2008年。東京でシステムエンジニアとして働いていた29歳の貴樹は、その時の初恋が忘れられず、プログラマーとして孤独な生活を送っていた。そして、明里は、その当時を時々思い出しながら書店員として静かに暮らしていた。2人はどうなる、という話。
アニメ版は観た記憶が無く、新鮮な気持ちで鑑賞。
何が秒速5センチかと思ってたら、桜の花びらが散って落ちるスピードなんだと。ちょっと遅い気もするけど、風が吹いてたらそんなものかも。本作の題としてはどうかと思うが。
2009年3月26日に明里が岩舟駅に行かなかった理由がイマイチわからなかった。貴樹には幸せになっていて欲しいから会わない、という理由が???
プログラミングが遠野貴樹とパンフレットに書いてあったのを見ていたのに、本人かもと問い合わせてみようとは思わなかったのだろうか?そこも理解できなかった。
結婚して海外へ行くにしても、一度会う事を拒むのがわからないし、冷たい女、って思った。
貴樹役の松村北斗は良かったが、明里役の高畑充希には感情移入が全く出来なかった。
小中学生の時の明里役の白山乃愛は本作でも可愛かった。
貴樹の高校の同級生・澄田花苗役の森七菜は痩せた?変わらず可愛いし高校生に見えるから不思議。
木竜麻生や宮﨑あおいもともに良かったし、吉岡秀隆もほんわかして良かった。
誠実で‼️❓切実で‼️❓切ない‼️❓戻らない過去‼️❓
原作を上手く調理したのを美味しくいただきました。
秒速5センチメートル実写もなかなかいい…
この手の映画はアニメを超えられないだろうとの思いで鑑賞しましたが、本来の断片的な3つの章を上手く時間の流れと関係性をストーリーにはめ込み、貴樹の心と明里の心を照射し、原作を崩さず、原作の原風景を押さえながも捻りある視点の映画に感動しました。
教師と館長という新たな登場人物の設定は、ドラマ化させるうえでそれぞれの思いを柔らかに伝える役割を果たし、ボイジャーのように離ればなれになりながらも、思い出を希望に換えて宇宙を力強く進んで行く道を示唆するかのようです。
貴樹を抱きしめる明里、明里が貴樹に立ち去る列車の外から投げかける言葉は、貴樹を理解し貴樹を心配する、そしてあの頃から少しお姉さんだった明里の愛の証だったのでしょうか…。
期待し過ぎた。非常にもったいなく感じます。
20代前半の男の稚拙なレビューであることを踏まえて、読んでください。
良かった点を挙げるなら、松村北斗さんの表情や存在感がとても印象的で、彼が見せる静かな感情表現には惹かれるものがあった。また、BUMP OF CHICKENのファンとして、藤原基央さんの声を劇中で聴けたのは素直に嬉しかった。
一方で、作品全体の展開には強い違和感を覚えた。
物語が「大人 → 高校生 → 小学生 → 大人」という順番で進む構成は、なぜそこでオリジナリティを出そうとしたのか理解に苦しむ。『秒速5センチメートル』というタイトルが象徴するのは、遅くも早くもないスピードで、二人の心が少しずつ離れていく切なさだと思う。であれば、時間の流れを順に描くほうが初見の観客にも感情が伝わりやすかったのではないか。
また、貴樹がプラネタリウムのシステムエンジニアに就職する展開にも必然性を感じなかった。アニメ版の彼が“心が死んだように働く大人”として描かれ、最後に明里らしき人とすれ違うことでようやく前に進む姿に深い余韻を残したのに対し、今回の実写版にはその繊細な“踏ん切り”の瞬間が欠けていたように思う。雪の中で岩舟駅を訪れるくだりも、正直蛇足に感じた。
さらに、明里の心理描写をここまで丁寧に描く必要があったのかも疑問だ。二人を“ダブル主人公”のように描くことで、かえって作品としての深みが失われた印象を受けた。恋愛観の違い、そして「過去の恋愛をどう乗り越えて前を向くか」という核心を、もっと凝縮して描くほうが、この物語にはふさわしかったと思う。宇宙の描写など、意味がぼやける要素を削ぎ落として、心のリアリティに焦点を当ててほしかった。
そして何より残念だったのは、主題歌「One more time, One more chance」の使い方だ。
この曲は本来、貴樹の“失われた時間”と“未練”を静かに映し出す象徴のような存在であるはずなのに、実写版ではカラオケで流してみたり、電車から飛び出すシーンで唐突に流したりと、そうじゃない感がある使われ方をしていたと感じます。
作品や曲の良さは、そんな直接的な演出ではなく、もっと両方の良さを引き立たせる演出の方法があったのではと感じました。
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