今日の空が一番好き、とまだ言えない僕はのレビュー・感想・評価
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痺れた
お笑いコンビの原作者のこの作品は未読
これをアレンジしたであろう監督は、おそらくこの原作の世界観に非常に共感したのだろう。
そしてこの作品を見事に映像化させたのだろう。
「勝手にふるえてろ」や「私をくいとめて」に感じた人間性の根幹
この作品にも嘘のない人間性が良く描かれていた。
それに使ったのが群像
桜だけの父特有の「父語」と、あの喫茶店のメニュー
そしてなぜかオムレツだけが、名前を変更されずにあった。
遠い記憶の中に、この茶店のことがあったので調べると、やはりあの茶店は実在した。
変なネーミングのメニューと変哲のないオムレツもその通りだった。
また、
犬のサクラ
やはり犬や猫はすべてをそのままでしか見ない。
だからいつも同じように接してくれる。
サクラは癒しの象徴だろうか。
サクラに触れれば、嫌なことすべてを忘れられる。
さて、
この作品の解釈は少し難しい。
それは、
この作品そのものが小西の一人称で語られていると思われるからだ。
花がバイト先で小西の悪口を言っているシーンがあるが、あれは小西が勝手に持ってしまった彼だけの思考だったように思った。
実際、花が約束した日に来なかったのは、その後妹が死んだからだとわかる。
つまり、小西は絶えず他人の在りもしない言動を思考している人物だ。
この小西徹
彼は半年間も大学に来れなかった。
その理由が高校から5年間も祖母が施設に入れられ、そうして感情を失ってしまったと感じたからだ。
祖母に対する仕打ちのようなことをしてしまった両親 そして無力な自分
そのことが頭から離れなかった。
では、桜田花はどうだったのだろう。
彼女が話したように、父が9歳の時に死んだ。
それはおそらくガンで、父の苦悶と苦痛をずっと見てきたことが、彼女の死生観に大きな影響を与えたのだろう。
大学で見た彼女のこと 勇ましさ 強さを感じたこと
目で追いかけ、座席の隣に行って、出席カードをお願いした。
これが小西の精一杯だったが、そこから二人の仲は発展する。
あの茶店の変なメニューに感じる「父語」
幸せ=「さちせ」 好き=「このき」
花にとってあの茶店は父を回想させる場所
そのタイミングは同時に咲を亡くす前触れ
花にとって家族は大切な存在で、だからこそ「気にしない」と言っていた父の死を、彼女は潜在意識の中に隠すように生きていた。
そしてさっちゃん
登場した時すぐに「さがす」の楓だとわかった。 伊東蒼さん
さっちゃんの長い告白は、永い失恋の言葉であり、そこまで詳細に言わなければ「あの」言葉に繋がらないというのは、本当にその通りで、この作品の神髄でもある。
言葉は言葉になった途端にその純粋な気持ちが散文される。
だからより詳細なことを付け加えた先に「好き」と言えるのだろう。
それを聞きながら、何も言えず、何もできず、たださっちゃんが消える前その場に立ちつくしていた小西は、翌朝何食わぬ顔で花と朝デートした。
その日が、咲の最期の日であり、だからバイトにも来なかったわけで、その事を小西は自分の所為だと考えた。
バイト先銭湯の佐々木は「うぬぼれるな」と言ったが、娘に子供が生まれた矢先に起きたこの事故が、娘のように思っていた咲の事故死を到底受け入れられなかった。
佐々木自身が咲に電話しなかった事実が、佐々木の自己嫌悪であり、そんな些細な気遣いさえしなかった自分への怒りだったのだろう。
どなったのは、裏返しだった。
そして、咲がハンモックの中で見た夢
父とギターと水の中
咲にとっては不思議な夢だったが、この部分だけが一人称ではなかった。
小西は、約束を反故にされて以来、また勝手な妄想癖に囚われて、親友の山根を口撃した。
自暴自棄というのもまた人間性で、ごく一般的。
晴れの日でも再び傘をさすようになった小西
傘をさす理由は、心の中が土砂降りだから。
お互い視界にも入らずにすれ違う小西と花
小西のヘッドフォンは、咲のもの
ハナは土砂降りの音を聞きながら歩していた。
心に降る雨
この作品のチャプター
語の進行に合わせて詩的なチャプター名が挿入される構成になっている。
第一章:虹橋(こうきょう)
小西と花が初めて出会い、心が少しずつ動き始める場面。
第二章:緑雨(りょくう)
二人の関係が深まりつつも、すれ違いや不安が芽生え始める章。
第三章:風灯(ふうとう)
小西が祖母の記憶や“空”の意味を思い出す、内省的な時間。
第四章:宵星(よいぼし)
花との関係が大きく揺れる転機の場面。
最終章:今日の空
タイトルにもつながる、物語のクライマックス。
これらのチャプター名は、自然現象や季語のような言葉を使って、登場人物の心情や関係性の変化を象徴的に表現している。
とても文学的で、詩のような構成が印象的だ。
そしてこのタイトル
もちろん父と祖母の言葉がキーとなる。
しかし二人には「今日の空が一番好き」とはまだはっきりと言えない。
記とそうだったという日はあっても、また元に戻されてしまうように感じる。
咲の前での小西の告白
それは不謹慎でありながら、タイミングでもあった。
父が咲にあてた手紙こそ、そのキーだった。
まだ8歳の咲 もうすぐ死ぬ自分
誰かのことを「好き」という言葉として口にする咲を思い描く。
そのたった一言に秘められた長い想いの言葉
想い出のように長く、色濃く、言い訳のように言い続けてもなお届かないかもしれない思い。
この父の想いが二人に届いたことで、小西は花にその言葉をしゃべり続けた。
同時に音量マックスで掛けたスピッツの「初恋クレイジー」
小西の告白は大音量にかき消されている。
それでも告白し続ける小西
音楽が止まり、「オレは今から最低最悪のことを言う」
大音量はきっと、左脳のおしゃべりだろう。
そんなものを吹っ飛ばして真実だけを語った。
この本心
嘘のない作品
なかなか痺れた。
オムライスという言葉 誰もが知る言葉 ここにかけた「不出来」とは、言葉そのものであって、一般的なメニューの言葉を変えたのは、その言葉が最もふさわしいと思ったからだろう。
ここがこの作品の「心の壁」であり、それを目の前に葛藤した登場人物たちだったのだろう。
この作品は、言葉にならない想いと、言葉にしなければ届かない想いの狭間を描いた、極めて繊細な人間ドラマ
「嘘のない作品」
そして、心に静かに降る雨のような、余韻の深い一本だった。
若さって、他愛がない
主人公(萩原利久)は無気力な大学生、バイト先で一緒になる女子大生(伊東蒼)とのバカ話は楽しい。
ある日大学で、お団子頭の女子大生(河合優実)が目に入り、とても気になる。
なんとかデートにこぎつけ、会話がとても心地良い。
しかしあり得ない様な大事件が起きてしまう。
女優二人の長台詞は聞き入ってしまう。
「“今日の空が一番好き”とまだ言えない僕は、キッチンカーに立つ」
『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』というタイトルを見た瞬間、胸がざわついた。経営者として日々戦い、挑み、笑顔の裏で不安や焦りと向き合っている自分そのもののようだったからだ。
起業して3年目。僕は「キッチンカー」という形で食を届ける事業を始めた。理由はシンプルで、“自分の人生を、自分で動かしたかった”からだ。だが、現実は甘くない。天候に売上は左右され、スタッフも入れ替わりが激しい。誰も来ない日、冷たい風の中で一人立っていた時間は、孤独そのものだった。
そんな日々のなかで、ふと見上げた空があった。綺麗でも、感動的でもなかった。ただ、“あぁ、今日も終わるんだ”という実感があった。でも僕はまだ「今日の空が一番好き」と言えなかった。満足もしていなければ、理想の未来にも遠い。
でも、それでいいのかもしれない。僕はまだ挑戦の途中だ。理想の空は、自分で作っていくものなのかもしれない。だからこそ、今日もキッチンカーを走らせる。誰かに“うまい”と言ってもらえることが、僕の空に少しずつ色をつけていく。
「今日の空が一番好き」——そう言える日は、きっともうすぐだ。
価値観
長台詞も気持ち良くて
音フェチ
今日の空が1番好き、とまだ言えない僕は
どう見ても
“独白”から浮かび上がる情景
前半は全部コントのような説明だった
後半で伏線回収というか巻き返しというか
漫画で言う上下巻的要素があった
そうこの作品が魅力的に感じ始めたもう1つの要素として3人のの“独白”について。
①バイト帰りのみっちゃんの思いの丈(このき)シーン
②桜田花に起きた身の丈(みっちゃんはさちすだったのか)シーン
③テレビの音大音量で頭の整理をし始める小西(このき)シーン
1人が画面いっぱい使って間髪入れずに長い長いセリフが流れる。
それを聞いているといつの間にか頭の中で映像が流れてて表情や声のトーンがその世界観を創り出していていたのに気づくとそれは素敵だなと感じた。
小っ恥ずかしいアレを言うには助走が必要で、つまるところ“このき”なのだが恥ずかしいんじゃ仕方ない。
この作品は“いきなり”
飛んだり
叫んだり
暴言吐いたり
走ったり
自由気ままやねん
って雰囲気かと思えば
何かに縛られてたり
画角とかワンカットシーンの視点が変態ちっくでなんやこれって思ったとこも多々あったけど!
うん。見て良かったかも(?)とか思ったり思わなかったり
あと“間”の取り方が漫才のような雰囲気も感じた
うちも好きな人にこのきな曲オススメして、うちのいない所でうちを思い出して欲しいわぁ〜!!(~完~)
痛かった…
おばちゃんの胸がキュゥゥゥン
実家が関大に近く、関大前の駅前はなじみがあるので観てみようと
気軽な気持ちで鑑賞。
なんだかキラキラした青春を覗き見しているようで
いいなぁーと思いながら観ていたら、、、
さっちゃんの告白に胸がキュゥゥゥンとして涙が…!!!
なんか自分の遠い昔の切ない恋を思い出して涙が止まりませんでした。
さっちゃん可愛くて好感持てる。
後半の展開はいかにも邦画って感じの展開だなーとは思いますが、
これはこれでまあいいか。
小西くんの被害妄想(?)のシーンでの
花ちゃんがバイト先の人に小西くんの悪口を言ってるところが
すごくリアリティがあり、さすが河合優実!と思いました。
河合優実、次はめちゃくちゃ悪人の役をやってほしい。個人的願望。
花ちゃん、小西くん、さっちゃん、みんなそれぞれ長台詞のシーンがあるけど
見事に演じててスゴイと思いました。
小西くん(萩原利久)とさっちゃん(伊東蒼)は初見でしたがほかの作品も観てみたい。
めちゃくちゃ小っ恥ずかしい
なんというか大学生の話だけど、映画撮ったのも大学生なのかと思った。
なぜかというと、セリフはもちろんだが、撮り方や撮るものがあまりにも小っ恥ずかしすぎる。
なにか意味ありげに、主人公野立ち姿を真ん中に映して、だんだんズーム(コレやり過ぎ)していくのとか、ちょっと古風な喫茶店や2つのレーンしか点灯していないボーリング場とか、そりゃ綺麗なんだけどとりあえずお洒落なものを特に意味もなく意識高い撮り方で撮ってる感じ、撮るものの選び方とか撮り方が、大学生になって、なんかお洒落でみんなやってるからビリヤードやろうとかシティ・ポップ聴いてみようとか、なにも自分のアイデンティティや考えを持ち合わせてないよく居る大学生みたいで恥ずかしかった。
そういう撮り方も1つや2つなら何も言わないが、最初から最後までそればっかで構成されてるからしんどい。
ラストシーン主人公の告白が終わって、カメラが外れていくシーンなんか鳥肌者だった。
河合優実を
最初は感動した長台詞も、後から考えると酷い
今時、男性が日傘をさすことは珍しくなくなってきていると感じるが、この映画ではそれを特異なものとして描いている点に違和感を覚えた。
お笑い芸人原作という背景があるためか、食事シーンでの口の周りの汚れ方や、寝癖の不自然なほどの強調など、演出が過剰に感じられた。
個人的には、こうした誇張された表現に馴染めず、鑑賞の妨げになった。
萩原利久と河合優実演じる男女二人が街中を会話しながら並んで歩くシーンは、リチャード・リンクレイター監督の『ビフォア・サンライズ』や『ビフォア・サンセット』を彷彿とさせた。
しかし、『ビフォア』シリーズの会話が知的な示唆に富んでいて興味深く観られるのに対し、本作の二人の会話は瑣末な内容が多く、苦痛に感じた。
大学をずる休みする場面が「青春の1ページ」として肯定的に描かれているが、個人的にはこうした描写、ほんとうに嫌。
中盤の伊東蒼による長台詞での心情吐露の場面は、当初はその圧倒的な演技に引き込まれ、「このシーンは素晴らしい」と感じた。
しかし、いくらなんでも台詞が長すぎ。
途中から説教くさく感じてしまった。
さらに冷静に考えてみると、彼女の行動は「失敗する可能性の高い一か八かの告白(しかも自身の傷つきを前面に出した)」であり、その後の展開も含めると、テロにも近い迷惑行為に感じた。
もし男女を入れ替えて描かれていたら、受け止め方がさらに変わっていたかもしれない。
前半もたいしてコメディとしての面白さを感じなかったが、後半に突然ショッキングな悲劇が起こり、怒鳴り声や泣き出すシーンが増加し、急に感動的な展開へと誘導しようとする作りに不快感を覚えた。
自身が傷ついている状況で男友達にひどい言葉を浴びせる場面は、あまりにも言葉が過激だったため、その後のあっさりとした謝罪と仲直りは都合が良すぎると感じられた。
終盤における萩原利久と河合優実が親密になる場面は、個人的には生理的な嫌悪感を覚えた。
今年鑑賞した映画の中で、現時点でのワーストは宮藤官九郎脚本の『サンセット・サンライズ』だが、本作も同程度に苦手な作品だった。
どちらも世間的には絶賛されている印象で居心地悪い。
両作とも最終的に伝えたいメッセージが「自分さえ良ければ他人の気持ちなんてどうでもいい」というもので、トランプ大統領が再選するような世の中だとこういうメッセージが受けるのかと思うと悲しくなった。
この息苦しいストーリーも山根のおかげで・・・
タイトルなし
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