キノ・ライカ 小さな町の映画館のレビュー・感想・評価
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映画館という存在の意味
慌てて「枯れ葉」だけ観て臨んだ「にわか」にとっては、カウリスマキの映画のタイトルが出てきてもチンプンカンプン。それよりも「この街の人々にとってはカウリスマキは誇りなんだなぁ」ということをしみじみ思わされる映画。
だからといって嫌いとかいうのではなく、むしろ日本との親和性とか、自分にとっての身近な風景との類似性とかを感じ、眺めていて心地よさがあった。
「カウリスマキがつくった映画館」ということで、こうして映画化しても興行的に成立したのだと思うが、本作の中で投げかけられている「映画館の意味」というのは、今のような配信全盛の時代にあっては、万国共通で考えさせられる問題だった。
経営という面では、設備の更新やら、来客の減少やらで厳しさを抱えているところも多いと思うが、映画の中でも言われていたように、「映画館」という存在は、地域のコミュニティセンターのような機能は大切にしていって欲しいと個人的に思う。
幸い、自分が最もよく通う映画館では、トークショーなどを積極的に企画してくれたり、学校に行きにくい子どもたちの居場所づくりとして、子どもシネマクラブという活動を積み重ねたりしてくれていて本当にありがたく思っている。
映画から得られるものは数多いが、それは他の人と分かち合うことで、更に豊かに広がる。
こうして、レビューを交流し合うのだって、皆さんがそういう価値を感じているからだと思う。
映画を通したこういうコミュニケーションは、リアルでもネットでも大切にしていきたい。
火を灯すという事
外を知らぬ日本人には物珍しい
枯れ葉という映画でこの作者の作品を知り、
追いかけるようになった、にわかの感想です。
やはり、北欧の地は私には未開であるので、
映画が始まってしまうと興味をそそられました。
しかしながら、自伝的な映画だったため場面ごとに
何かが起きるわけではなく、近所の人知り合いのインタビューや、ゆっくりと流れる時間を感じる手法に退屈さを感じました。
この監督などの物凄いオタクであれば、共感し、
興奮するのではないかと思いましたが、にわかの私には知らない人たちの会話をひたすら聞かされ、大人に連れ回されている子どものような気持ちでした。
ドキュメンタリー映画だとしても、映画ならもう少しハプニングを入れてもいいのではないかなと思いました。
個人的には、年齢的なこともあるでしょうが、
マウステテュトットの歌詞の方がより現実的で好きでした。
この監督の次作があれば、そちらに期待します。
カウリスマキの映画館
アキ・カウリスマキが出身地の田舎町に映画館を作った。映画館ができるまでの作業の様子に加えて、町の住人や彼と関わりのある人々が、映画館への期待や彼の作品について語る姿を、ある意味無造作につないでいく。
ほとんどのショットがフィックスで、色調や間の取り方含めて、カウリスマキの作品世界そのもの。ヴィダク監督は、映画館ができる1年前から実際に現地に移住していたそうだが、膨大に撮りためた映像を編集したのか、それともカメラをセットしてから人々に語らせるフェイクドキュメンタリーにしたのか?
突然ニューヨークに変わって、ジム・ジャームッシュが出てきて驚くが、カウリスマキの作品や想いについての良い解説になっていた。
最後に彼自身が語る「映画館を作ったのは町への恩返し」という言葉を、そのまま素直に受け止めた。
音楽の使い方も、まさしくカウリスマキ調。謎の日本人歌手、篠原敏武の実物を観られたのも嬉しい。
ドキュメンタリー…なの…か?
【アキ・カウリスマキ監督と作家のミカ・ラッティ達がフィンランドの人口6千人の小さな町カルッキアに映画館「キノ・ライカ」を作る過程を、関係する人達へのインタビューを交えて撮影したドキュメンタリー作品。】
今作は、アキ・カウリスマキ監督の諸作品の様に淡々と、描かれる。だが、その中身は監督の映画出演者たちや、友人であるジム・ジャームッシュへのインタビューで溢れている。
どの人も「キノ・ライカ」(”キノ”はフィンランド語の映画という意味。ライカはアキ・カウリスマキ監督の愛犬(2匹)から取られている。)の誕生を喜び、その映画館の中に作られたバーでグラスを傾けながら、アキ・カウリスマキ監督の諸作品について嬉しそうに語るのである。
一番驚いたのは、篠原敏武さんかな。”雪の降るまちを”を歌っていた人である。アキ・カウリスマキ監督のご近所さんだそうである。
ニューヨークでのジム・ジャームッシュへのインタビューも、面白かったな。
<”何時か、映画祭を””地域のコミュニティセンターに”等々、ミニシアターの最善の在り方を探究するアキ・カウリスマキ監督の姿勢は、ヤッパリ映画愛に溢れているんだな、と思ったな。>
<2025年1月26日 刈谷日劇にて観賞>
映画好きには至福の時間となる
「そんな事は問題じゃない」
フィンランドを代表する異能の映画監督アキ・カウリスマキが自身の故郷の田舎町に映画館を作ろうと、廃工場の一角で仲間と共にのこぎり・金槌を振るう姿を記録したドキュメンタリーです。僅か人口9000人の街ですから、そんな所に映画館を作って採算が取れるとは思えないのですが、カウリスマキは、
「そんな事は問題じゃない」
と全く意に介さず、故郷に何かを返したいのだと語ります。カッコいいなぁ。街の主幹産業であった製鉄業が一挙に衰退する中、土地に暮らす人々もそれぞれに期待を口にします。その飄々とした語りは素朴な様でいて、これは俳優が演じているのではないかという匂いも漂います。でも、その辺の胡散臭さもカウリスマキ的として許せてしまうんですよねぇ。ちなみに、本作の監督はカウリスマキ自身ではありません。
オープンした日の祝祭感も素敵です。これから本当に経営が続けられるかどうか僕には分かりませんが、映画ファン・カウリスマキファンとしては遠い島国から声援を送りたい! ここには希望がある。
にわかファンですが、やはり面白い。
街に映画館がやって来る!というワクワク感が伝わってくる一作
フィンランドに留まらず世界を代表する映画作家、アキ・カウリスマキ監督が故郷フィンランドで行っている映画館建設プロジェクトの一端を記録したドキュメンタリー作品。というとちょっと堅い内容を想像してしまいそうになるし、実際なかなか見ることのできない映画館建築の経過を丹念にとらえてはいます。一方で、その工事自体もどこか映画、そしてカウリスマキ監督への思慕が感じられるし、折々に差し挟まれるインタビューでは、カウリスマキ監督がフィンランドの映画ファン、映画関係者にとってどのような存在なのかが理解できるなど、終始和やかな雰囲気の作品でした。本作だけでも楽しむことができるのですが、もしカウリスマキ監督の作品を事前にいくつか見ておくと、登場する人々の話す内容がより深く理解できるかも。
インタビューに応じる人々がいちいち映像的に決まっていて、いやこれ、台本付きのドラマじゃないの?と思うほど。多分面々が映像映えしすぎているゆえの印象なんだろうけど。
話題の中心であるカウリスマキ監督自身はなかなか登場しないので、もしかして『桐島、部活やめるってよ』(2012)みたいに本人だけが登場しない作りなのかなー、と思っていたら、途中で普通に作業している様子が写って思わず笑ってしまいました。この、自分の存在をことさら大きく見せずにさらっと現れるところが、いかにもカウリスマキ監督らしいというか。
冒頭にいきなり日本語の楽曲が流れて驚いていたらそこにきちんと意味があることがわかるような作りになっていたり、ジム・ジャームッシュ監督は相変わらずかっこいいけど自分の作品じゃなくカウリスマキ監督のことを話すときはちょっと映画ファンとしての顔をしていたりとか、見どころが多い作品である上に、一度は「キノ・ライカ」に行きたくなる映画でした!
なお「キノ・ライカ」は現在も普通に映画上映や演奏会などを行っているとのこと!
世界は映画館を必要としている。
私には好きな町の条件?というようなものがあって。
一つ目は、お城があること。
二つ目は、郊外電車があって、それに乗れば温泉場に行けること。
三つ目は、地元の酒蔵と、本屋と、そして映画館があること。
関東でいうと小田原はこの通りなんだけど、ちょっと町の規模が大きすぎて。今まで行った先でドンピシャなのは上田かな。九州あたりにはいくつかありそうだけど。
アキ・カウリスマキのこの映画はまさにそういうことを言っているわけで。彼の生活においては映画館と、そしてバーがないことは考えられない。だから生まれ故郷に近く、何かと縁のあるカルッキラに映画館をつくった。
この作品はそのドキュメンタリーということだけど、映画館が出来上がるまでを時系列に追っているわけではなく、いろいろな人が映画館への期待や、映画館に関わった経緯や、アキに対する思いなんかを喋っているのをアットランダムに繋いだ感じ。ただ構成は凝っていて、インタビューしている人をまた外から撮影していて、それをさらにTVで観ている人たちを撮影する、といった多重構造になっている。映像は全般に暗い、けど美しい。シーン毎の構図もアーティスティックでレンブラントの絵のようだ。
アキの作品は常に、生活と芸術の接点というか、その二つが溶け合っている世界観を表現している。そしてその生活においては映画館(そしてバー)が欠かせないっていうことですね。
劇映画みたいなオシャレなドキュメンタリー
フィンランド好きな人が観ると楽しい
自分的に、幸せな気持ちになれた。
薄汚れたセーターを着るカウリスマキ。周回遅れの音楽。外来語も母音で強引に終わらせるフィンランド語、語感のダサさが日本語に似てる感じがして。そんな所も自分にはハマる。他にもいろいろクスッとポイントはあるものの、悪口に聞こえるかもだから、やめとく。ヘルシンキからもそう遠くなさそうだし、映画祭は現実味があると思った。
余りにもアキ・カウリスマキ的
アキ・カウリウマキとミカ・ラッティによる田舎に映画館を作るドキュメンタリーとは言うものの、監督の演出がアキ・カウリスマキ的であり、フィクションの場面も多々ある感じがした。編集のやり方がもう一つ上手く無いようで、場面の切り替えが上手く流れず、必要ではない人物のカットも多々あって、思ったよりも詰まらない内容だった。
余談だが、アキ・カウリスマキもそうなのだが、流れるサントラがイモ臭く、田舎のセンスに思えて仕方がない。率直に言えば、音楽のセンスがダサいのだ。ひずみのない音のロックの感覚が、とんがらない歌謡曲の延長線上にあって、生温く聞こえるのだ。そのイモ臭いセンスが映像化されて、「妙味」になっているところもあるのだが…。何となく「10年遅れてやって来たパンクロックのニュアンス」がアキ・カウリスマキとその周辺の磁場の良さなのかもしれない。個人的には、ユホ・クオスマネン監督な作品が映画館の柿落としに使われたのが、妙に合点が行き、納得もした。
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