敵のレビュー・感想・評価
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「敵」が現れると???
フリーの元大学教授が過ごす日常を丁寧に描いて、
PERFECT DAYSとは違う切り口で老い方の描き方を好感をもって観てました。出てる方全員が自然で、見入る事が出来ました。ただ。。「敵」が現れだすと様相が変わってきます。内なる敵だと思わせたものが具体的になってきて。。。本当の敵を出してどうするの。。と私は感じました。後半の展開が好き、斬新と思われる方もいるかとは思いますが私には合わないと思いました。
文学より書院
原作未読のため、粗筋から不穏な話か多重人格か、呆け老人の妄想なのか、判別がつかぬまま鑑賞。
結果から言うと最後が一番近かった。
劇中では儀助の平穏な日常が淡々と描かれるが、所々がファンタジー。
特に元教え子(しかも人妻)が自宅に来て、酒に酔って終電近くまで無防備に寝こけるとか、有り得ないわ。
後半にいくにつれて妄想パートが増えたように感じていたが、このへんからするとすべてが夢オチか。
最後の独白や遺書の内容からしても、教え子たちとの交流も絶えてそうだし。
それ以前に、妄想内でしか描かれてない出来事も多い。
特に歩美へお金を渡した件や夜間飛行の閉店、松尾貴史の手術などはその後も触れられず曖昧なまま。
個人的には独居老人の侘しさが108分かけて表現されていたような解釈に落ち着いた。
出ずっぱりで画面をもたせる長塚京三もサスガだが、出色は瀧内公美。
清純な妖しさとでも言おうか、とにかく魅力的だった。
画作りとしては、終盤に中島歩が庭を横切った際に、“敵”が侵入した場面がすぐ想起されるのが見事。
ただ、クライマックスのドタバタは中途半端さを感じたし、締め方もよく分からない。
不思議と嫌いではないし、原作があるので難しいかもしれないが、もう少しオチに工夫がほしかったかなぁ。
現実か妄想か
こんな令和にモノクロ映画!?と思い、気になって川崎まで向かい視聴。
70代になった主人公が丁寧に生活している描写が続き、徐々に周りの人が離れ仕事もなくなり金も盗まれ、夢の世界(認知症や妄想、せん妄?)に引きづり込まれていくストーリー。
70過ぎて若い子をセクハラするなんてと20前半の頃飲み屋でセクハラされる度よく思ってましたが、歳取ってからこんな真面目な生活をしてる健気な男性にも性欲はあって若い教え子に妄想して亡き奥さんに怒られる妄想もして、その欲が書かれてて面白かった。ちょいちょい挟まる犬とうんちのシーンは何が書きたいのかちょっとよく分からなかった。すごい音がしたとおじさんが言ってたのでその妄想が少し現実味帯させるためのフラグだったのかな、、??
ぐっときたのは最後死ぬ前のシーン。
雪の降る外を見ながら「みんなに会いたいなぁ」とぼやく。こんなに妄想か認知症か分からないけど歳取って誰もいなくなって苦しい思いをして普通の生活も出来なくなったけど、今まで一緒にいた人たちをずっと思ってるんだと思ってこの主人公の清い心に胸を打たれました。認知症になっても周りにいた人達を思える人間になりたいなぁ。
こんなに丁寧に生活して元奥さん以外結婚することもなく素敵な主人公でしたが、老いて苦しい思いするなんて人生不平等過ぎて、年老いてから騙すなんて嫌な話だなぁ
そういえば妄想とは別に謎の敵が出てくるのが面白いですね、最後のシーン家の上にいた男や井戸を修理する男が若い人を見たというシーン。実際変な人がいたようにも見えて不気味でした。
人生の客たち
丁寧で手際よい調理
それに合わせた器選び
きれいな盛り付け
そして
実においしそうな食べっぷり
儀助は健康そうである
きちんと片付いた古い日本家屋も風情があり、自分のリズムで快適そうに過ごし羨ましい老人の独り暮らしにもみえる
そんな彼の人生にも客はたびたび訪れる
細々と続けていた仕事相手、美しいかつての教え子、バーで知り合うひとなつこい女子大生
プライドを保ち、ある時は品よく潔く礼儀正しく、ある時はほんのりときめき、ある時はこっそり自信を蘇らせ
家に戻れば長い人生の〝伴〟亡き妻の残り香を抱きしめる
そこまでは私もほんのりした幸せを感じながら居た
だが、招かざる客が現れ始める
それはこれまでの儀助を揺るがす不意の〝敵〟だった
敵に誘い出されるたび儀助は抗おうとする
不安は不可解な行動や悪夢となり目覚めの悪さは可哀想になるくらいだ
日増しに過去と現在の入り乱れ、おざなりになっていく食事に傍目にはどうしようもない影響があらわれているのがわかる
しかし彼の自覚はもはやそこにはないかもしれないし、
そもそも他の客とのエピソードも完全には不明だ
そんな儀助に余韻ある息を見事に吹き込む長塚さん
モノクロの世界に色も香りもぷんぷん漂わせ、時にユーモラスに、シビアに、おまけに人間の愛おしさまで匂わせながら栄枯ある人生の景色にシナリオにない部分の彼や彼の人生をも想像させてくれる
免れない老いに触れ、人の心の奥をしみじみとじんとさせる作品だった
訂正済み
意識するとそれは敵になるのか
老いからくるのか、孤独からくるのか。現実と妄想と夢の区別もつかないモノクロの世界の中、それは地味に確実に近づいてくる。それは孤独なのか、死なのか。変わらぬ日常に少しでも色付けするが、それでもモノクロから抜け出ない。
不思議な世界観を味わった。
歳とってから騙されたくないなぁ、、、
「敵」とは生存権を侵害するもの
殺傷武器を持って命を奪いに向かって来られたらそれが誰だろうと敵と認定せざるを得ませんし、スポーツの勝敗も生き残りを賭けた疑似の戦いとすれば相手を敵と表現することも多々ありますし、昨今じゃ税金の負担度が上がりすぎて国民の生存権が侵されている、国民の敵は政府?政治家?いや財務省だ!などと云われる始末、現代の本能寺は一体何処にあるのやら。
命の権利を侵す最多最強の敵"老い"は決して逃れられない負け確定のラスボス、劇中で「敵はゆっくりやって来ない、いきなりやって来る」ということでしたが近づいてくる予兆は感じられる、それは"不安"という感情になって心に現れるのでしょう。
講演執筆の仕事も少なくなって収入が減った、貯金の底が見えて残高ゼロになる日が計算出来るようになった、20年健康診断をしておらず身体の状態がわからない、辛いものを食べただけで身体を壊した、後を頼める親族もいないなどなど経済的な不安、健康の不安、孤独の不安が人生終盤となるとどんどん募って来るわけです。
不安は眠りを浅くし余計な夢を見ることになって感情を乱し、不安を取り除くためか夢や妄想の中で告白や言い訳、懺悔をし始め、儀助は現実と夢と妄想での不安との戦いに疲弊し急速に老いて抵抗する力を失ってしまい、ある日何でもない事をきっかけに"老い"は「不安」という弾をマシンガンのごとくダダダダダッと心に撃ち込む「敵」となりパニックになる、という映画だと思いました。
「不安が募っていつか"老い"が敵になるぞ、準備と覚悟をしとけ」なのか「準備を怠らず不安に支配されるな"老い"は敵じゃない抗うな」という話だったのか今はよくわかりません。
私もご多分に漏れずン十年前の中高生時代にショートショート文庫本はほぼ揃えたツツイストでした。筒井先生のような先達がこのような心理分析を作品にして残して頂けるのは非常に有り難いですね。準備と覚悟に繋がります。
いつか爺さんになって老いと不安に対峙した時、「嗚呼、これが筒井先生の言っていた敵かー、どれどれ、"老い"と友達になれるか試してみよう」と言えたら幸せな人生だったと言えるかも知れませんね。
老人は夢見る、もうひとつの人生を
長塚京三さん演じる主人公の日常を見ているだけで満たされる映画。皆さんも名前を挙げる映画、「PERFECT DAYS」を思わせる丁寧な暮らしだ。あの映画はあつらえた感じで好きでなかったが、こちらの長塚さんが包丁を握り、コーヒーミルを回す様子は知的で芯が通っていて、しかし高齢者のもろさをちゃんと感じさせる。
主人公は退職して10年以上の大学教授で、今でも講演をしたり美人の教え子が訪ねてきたり、「俺もまだまだやれるな」と思えるうらやましい老後だ。資金が尽きたら潔く死ぬと言いながら、教え子との情事を夢見たり、バーで出会ったフランス文学専攻の女子大生にときめいたりする。
甘い夢もあれば、病気、亡き妻をめぐる後悔などの苦い夢もある。そのたびに主人公は夢から覚め、ベッドに横たわる痩せた姿をさらす。このように、達観しているようで「もしも、こうだったら」を夢見てしまうのが老境ということだろうか。
映画の後半では、主人公の妄想が深刻化し、いよいよ夢か現実なのかわからないシーンが続く。認知症や、ネットの陰謀論と現実を混同するような描写。でも果たして必要だったのか。私は途中で冷めてしまった。
認知症を描くなら、周囲の反応の冷たさや生活スキルの破綻などの描写があればリアルだと思うのだが。長塚さん演じる主人公は、どうしても最後まで健全に見えてしまった。またネットの陰謀論は時代を描こうとして古くなってしまう要素だと思う。
個人的には、この映画はあくまで長塚さんの日常の連続で描いて欲しかった。あるいは、ホン・サンス監督の「WALK UP」のように、主人公の言動や人間関係がチャプターごとにしれっと変わってしまうような形も面白かったと思う。
3人の美しい女性が出てきて、河合優実さんにはもちろんドキドキしたが、亡き妻(黒沢あすかさん)と一緒にお風呂に入る夢のシーンが一番好きだった。「生きているときは恥ずかしくてできなかった」だって。
老い 孤独 尽きる 危害 時間 狂気 過去 敵!!!!!!!!!!
だいぶ静かめな映画。
劇場で観に行った際はけっこう席が埋まっており、ときどきイビキも聞こえてきた。鑑賞層は主役と同じくらいの方々が見受けられた。
主人公の爺さんは独り身でありながら立派な屋敷、立派な経歴、立派な人脈と立派に毎日料理洗濯家事掃除もこなすし種も枯れてない強さを持った魅力的な人物。
しかし彼にも社会的・生物的に人間として避けられない悩みがあり、その恐怖や困惑から幻覚・悪夢、「敵」として彼を苛む様子が描かれる。
最初はクスっとくる悪夢がだんだん冗談じゃないような内容にエスカレートしていく様に彼の焦りや混乱が乗っかってこちらにリアルに伝わってくる。幻覚と悪夢で混沌とする精神に脳が酔う感覚を味わう作品。
白黒映画で画面の情報量がだいぶ削減されているが、セットがバッチリしており、物が多いけど綺麗に整っている部屋部屋がリアルで没入感があり、会話の内容に集中できる分、より幻覚・悪夢の混沌としている感じが強調されていた。
見ていて気分が明るくなる作品ではないが、とても完成度の高い作品だった。
その後に上映されていたトワイライト・ウォリアーズを見たおかげでまるでサウナの過激な寒暖差を味わえたので、前座としてとても良い映画だった。
うだつ
原作は未読です。
敵は体の衰えや病気なのかなと推測しながらの鑑賞でしたが、前半で混乱したのに後半で更に混乱する大変な作りでこれは自分には早かったのかな〜と思ってしまいました。
自分の貯金残高に見合った死に方をしたいという、将来的にそういうことを考えるのかなと思ってしまうシーンがあったり、生活へのこだわりだったり、徹底したマイルールが良い意味で居心地の悪さを体現していたのが良かったです。
日常生活での変化に一喜一憂している主人公が人間臭くて良いところだなと思いました。
後半は登場人物のテンションも映像も激しいものになっていき、死ぬ前ってこんくらい目まぐるしくなるのかなと思いつつも完全に振り落とされてしまいました。
単純に自分の健康周りだけでなく、過去の経験なんかも敵となって襲ってくるというところにはいたく心揺さぶられましたが、映像がどうにもホラーチックになってしまったせいで集中力が削がれてしまいました。
終盤の展開で潔く終わっていくところと中島歩さんの表情でゾワっとさせられましたがもう少し早く欲しかった〜となりました。
モノクロでしたが飯の美味そうさは抜群に伝わってきました。
シンプルな料理だけど一手間加えるだけで美味しさが爆増しましたし、先生の料理食ってみたいなーとなるのも良かったです。
女性陣は皆々様それぞれのオーラが放たれており、瀧内さんの色気は凄まじかったです。
劇場内には年配の方が多く、自分の心境に重ねる部分も多いのかなと思いました。
30年後くらいにこれを見たらどうなるのか、だいぶ先の自分にぶん投げておきます。
鑑賞日 1/20
鑑賞時間 15:50〜17:45
座席 D-12
振りと回収のお手本
トランクケース一杯の石鹸等、老人が使える数などそれ程多くないのにという前段での、家の前でプレゼントとか、高等なジョークが続く本作 それにしても年齢を感じさせない長塚京三の俳優魂を改めて噛みしめた演技力である
「敵」をある昭和人から見る
私は72歳男性です。「敵」映画を見て。昭和の中高生の頃、星新一や筒井康隆などを読んでいた。SFショートショート風でいうと[夢が現実を食った話]とも見えました?映画の最後で、現実に小屋に敵に反撃するため包丁や双眼鏡が出てくるところあり。夢に焦点を当てると、最初現実で教え子の訪問や下血して医者に行ったり、と1回の出来事から話が夢のほうへ話として膨らんでいく。亡くなった妻や教え子の女子、無礼な出版社の新人が都合よく一緒に食事するシーンがある。それらが主人公を非難、追い詰めていく。夢は後悔や非難される悔しさ、何かに追いかけられる事が多い。寝るごとに話が繋がっていく。老人になれば、人との関係はなくなっていき、誰にも必要とされないので、妄想が現実となっていく。ただ、老人のくせに性欲があったりして、こんな事考えているのかと思われるので、人にはお勧めしない映画である。
老後の男性一人暮らしの理想系かと思いきや
長塚京三は自殺未遂のシーンで本当は亡くなっていたんでしょうか。その後は「アザーズ」のように死者の世界から見た生者と、亡霊が入り乱れた世界が展開されていく。
敵とは死なのか老いなのか?
色々と解釈出来そうですね。
敵とは
起床して、朝食を作って、豆から挽いたコーヒーを入れて、歯磨きするシーンが淡々と続く。何か「PERFECT DAYS」を観ているような感覚になる。
男の一人暮らしは、臭くて汚くなりそうですが、清潔さを保つには、使ったらすぐ片づけることが重要だなと思いながら観てました。
フランス文学の元教授で、人生経験も豊富な初老の男性。でも、女性への欲望は年老いても全くなくなるものではなく、詐欺に遇ったり夢精したりで、実際には情けないことも多くあるもの。判断力も衰えてくるのでしょうか。
規則正しい生活を送っていたが、老化が進んでだんだん生活が乱れていく。
タイトルの「敵」とは老化やその先に迫って来る死を指しているのでしょうか。
素晴らしい!長塚京三で主演男優賞は決まり!
若い俳優が活躍する映画界で、久し振りにベテランの味を見せてもらった。一つ一つの動きや演技がとても自然で、演じているのに、演じているように見えない。前半は役所広司のパーフェクトデイズのようだったが、役所より上手い。そこにいるのは、年老いた一人の元大学教授だった。
敵が来るというメールが届いた辺りから、現実と夢の世界の境目がつかなくなり、さらに戦時中の胎児の時の記憶が混ざり込んだようだった。この夢は死の間際に見た夢なのか? 敵とは何か。老いなのか、死なのか、理性でコントロールできない性欲なのか。この作品を見た人と語り合いたいが、その敵は私自身が恐れているものかもしれないと思うと、自分をさらけ出すようで恥ずかしい。夢精した後のパンツを、母親に見つからないように洗って、洗濯機に入れたときと同じぐらい恥ずかしい。
そもそも敵とは?
タイトルだけでは、「てき」なのか「かたき」なのかも分からず。あらすじを読んで、「てき」なんだなと解釈したうえで、ちょっと面白そうと思った。時代劇でもないのに、モノクロであることにも興味を持った。
…が、始まってしばらく、ただの老人の日常をモノクロで見せられている。しかも、全部、夢っぽい。こういう言い方は、偏見かもしれないが、男って、いくつになっても現役だな…とも。ずっと、暗い画面を見ていると、やばい、このままじゃ寝てしまうと心配もした。
思っていたよりも、「敵がやって来る」のメッセージが来るまで、時間がかかった。階段で、敵らしき者たちが、うわーっと押し寄せてきた時、恐怖を感じた。これ、カラーだったら、そんなに恐怖を感じなかったかも。モノクロであることの意味は、こういうことなのか?と思った。
見終わっても、いまいち、意味がわからず…。みんなのレビューを読んで、「死」とか「老い」とかって言葉を見て、なんとなく理解した感じかな。
「敵」は老いとその先にあるもの
見ていてすぐ、認知症か統合失調症の人の、時間経過とともに症状が進んでいくさまなんだろうと思った。
高名な仏文学者で元大学教授、インテリで穏やかで、長身、体格も姿勢も良い絵に描いたようなダンディーな老人が、夏から、変な夢を見るようになり、季節を追うごとに頻度も奇妙さも増していく。
本人も、事実ではなく「夢」だというのは自覚があるが、どこからが現実でどこからが夢なのか、分からなくなってくる。
そして、春が来る頃には、「敵」に追いつかれてしまった。
眼の前で展開する出来事は、老・元教授の、妄想と現実が入り交じった脳内現実なのだろう、今まで生きてきた中の、願望や、後悔、後ろめたさや諸々の感情が半端にリアリティを持って奇妙な形になって現れているよう。
「敵」が北からやってくるというのは、老元教授の中での仮想敵が某北の将軍様の国らしいのがちょっと笑える。
時間の経過とともに、妄想の割合が多くなっているのが分かる。
老元教授の生活が几帳面で丁寧で、掃除も洗濯も手慣れており、特に食生活は自分一人のために朝食にわざわざ魚を焼き、コーヒーは豆から挽いて、ただの昼ごはんのそうめんに、すり鉢で胡麻をすり、冷麺には卵をひとつだけ茹でる。一人の晩酌のためにレバー買ってきて牛乳に浸けて臭み抜いて、ネギ切って串に刺して網出して一人焼き鳥には脱帽。
都会に古くて広い一戸建てを所有、仕事はあるし教え子やら編集者やら、ヒトは来るし、馴染みのバーはあるし悠々自適な、それこそ「Perfect Days」じゃないかと思った。どこまでが彼の脳内現実か分かりませんが。
春になったら、みんなに会える、ってつぶやくが、春のお葬式には一人の教え子の姿もありませんでした。。
もしかして、全部が妄想⁉️。。
老境に差し掛かった人なら、我が事として切実に理解する映画。
若い人には何が何だか❓ だと思います。
長塚京三が、まるで当て書きのようにぴったり、良いキャスティングでした。
そして、お腹が空いている時に見てはいけない映画と思いました。
飯テロですから。
何はともあれ、叱られたい爺さんなんだなあと思った
2025.1.21 イオンシネマ京都桂川
2025年の日本映画(108分、G)
原作は筒井道隆の同盟小説
Xデーを設定した元大学教授の晩年を描いたスリラー映画
監督&脚本は吉田大八
物語の舞台は、都内某所
フランス文学の権威でもある元大学教授の渡辺儀助(長塚京三)は、妻・信子(黒沢あすか)に先立たれて以来、ずっと一人暮らしをしてきた
彼は、預貯金と年金、日々のランニングコストを計算し、「Xデー」なるものを自分で設定していた
ある日、儀助が物置を整理していると、荷物が崩れて色んなものが散乱してしまった
教え子の小道具屋・椛島(松尾諭)に荷物を整理してもらっていると、彼は庭に枯れた井戸があることに気づく
頼んでもいないのに、椛島は何としても復活させたいと意気込んで、知り合いの井戸掘り名人に声をかけると息巻いてしまう
その後、夏も盛った頃、儀助のところに教え子の靖子(瀧内公美)がやってきた
約束を取り付けていたとのことだったが、儀助は曜日を勘違いしていたようで、簡単な食事とワインでフランス文学談義で時間を過ごすことになった
酔っ払った靖子はソファで寝てしまい、儀助は良からぬことを考えるものの、彼女はあっさりと終電に乗って帰ってしまった
また、別の日には、行きつけのバー「夜間飛行」にて教え子のデザイナー・湯島(松尾貴史)と飲んでいると、バーの姪っ子の大学生・歩美(河合優実)を紹介される
彼女もフランス文学を専攻していて、別の機会に文学談義をする機会を持つことになる
だが、その際に彼女が学費を滞納していることがわかり、再び儀助の中で良からぬ考えが生まれてしまうのであった
映画は、そんな日常を過ごしている儀助の元に、迷惑メールが頻繁に届く様子が描かれていく
「当選しました」とか、「お金を受け取ってください」とか、「どこかで暴動が起きて危険です」みたいなものまで多彩だった
当初は無視していたものの、しまいには「敵について」という意味不明なものまで送られてくるようになった
儀助は意にも介さなかったが、ある日を境に「敵」について思いを巡らせることになり、いつしか自分の中の一部のようなものになってしまっていたのである
原作未読なので比較はできないが、映画を観た感じだと、ほとんどが老人の妄想なのかな、と思った
大体のシーンは夢だったという感じに描かれていて、椛島や湯島のパートは現実っぽく思えるのだが、それらも全部妄想か何かであるように思う
Xデーを決めたものの、そこに向かうに従って怖くなってしまうし、破壊的な願望に身を投じてしまう
儀助の時代の仮想的な「敵」は「北(中露)」のことだが、最終的に自分を破壊してくれるものは「暴力」だと考えているのかな、と思った
いずれにせよ、フランス文学について全く知らないと会話劇を流すことになると思うものの、そこまで支障を感じたりはしなかった
予告編で強調される「敵メール」も、儀助の日常を壊すもののメタファーの一つに過ぎず、それゆえに前半の「超日常パート」というものがあるように思えた
このシーンを退屈と思うかは人それぞれだと思うが、興味深く観察をすると、妄想との対比としてのルーティンが見えてくる
彼の日常のほとんどがルーティンワークで、外的な刺激以外はそれを乱すものがない
だが、一度それらを乱されると苛立つ性格をしていて、特に筆を止められる時の態度に顕著なものが出ていた
そう言ったことも相手の前では出さないのだが、こと妄想になると自由になるけど、最後まで行かないところに彼の弱さというものがあるのだろう
経験則から紡がれる妄想は最後まで行き着くけど、そうではないものは続きを描けない
そう言ったところに儀助の限界と性癖が隠れているのかな、と感じた
Lewy小体型認知症か
映画はよくできていてとても面白い。モノクロームも美しい。主人公のつくる食事がまるで色鮮やかに美味しそうに見える。
一方、脳外科医の視点でみると、主人公はLewy小体型認知症と考えられる。幻視とレム睡眠行動異常がある。ちなみに松尾貴史はおそらく脳ドックで脳動脈瘤が見つかって血管内治療したがうまくいかず意識障害と失語症を後遺したと考えられる。
つまり、この映画は虚言癖のある女に詐欺に遭ったLewy小体型認知症の元仏文学大学教授が、数多くの幻視など様々な症状を発症しながら亡くなるまでの様子を描いているといえる。そう考えると、それはそれでとてもよくできている。
人生の敵とは老いと後悔
儀助は「残高に見合わない長生きは悲惨だから」などと人生の終いをさも受け入れたようなことを言いつつ実は「老い」に争って生活をしている元フランス演劇(文学)の教授である。
食事は質素だけれどもみすぼらしいものではないし、服装を整え、体臭にも気を配る。
公演料の値は下げないし、雑誌の連載も抱えていている。
そしてまだ性欲も枯れていない。
そんな儀助の日常が揺らぎ始める。敵(老い)の存在である。
バーで知り合った娘に金を騙し取られ、馴染であったそのバーも閉店してしまう。
連載の打ち切りを告げられ社会的な存在意義も失う。
そして健康への不安(キムチを食べたぐらいで下血して内視鏡検査)。
一気に押し寄せてきた「老い」と環境の変化が彼に過去への後悔を蘇らせる。
先だった妻との生活、教え子との実らぬ情交…。
彼は「敵」と「後悔」に抗おうとするが圧倒的な力でそれらは彼に迫ってくる。
生前、彼は自分の財産を周りの人間(教え子たち)に託そうとする遺言書を用意していた。
しかし、死を身近に悟った時、甥に全財産を託すよう遺言書は書き換えられた。
※しかもかなり贅沢な希望を交えて
結局、最後は身内なのである。そしてそれが現実の世界で確実に存在した人間だから。
人間は老いはゆっくり進むと思っている。
しかし、実際にはあるきっかけで老いは一気に進むのだ。
それはまるで得体の知れない「敵」が襲ってきた時のように。
「老人文学の傑作」とも評されるこの原作をモノクロ映像で描き切ったこの映画は、東京国際映画祭でグランプリ、最優秀監督賞、最優秀男優賞の三冠を獲得したのも頷ける出色の映画だった。
老人を主人公とした新たな傑作‼️
大学教授の職を引退した主人公が送る晩年の日々‼️講演したり、出版社で原稿を書いたり、元教え子達と交流を持ったり、友人となじみのバーへ行ったり、そのバーのオーナーの姪に金を騙し取られたり‼️そんな時、主人公のパソコンに「敵がやってくる」とのメッセージが・・・‼️その日から主人公が見る幻覚や夢‼️不審人物の群れに襲われたり、大昔に亡くなった祖父が庭に現れたり、同じく亡くなった妻との幸福なひと時・・・‼️これはベルイマン監督の「野いちご」なのかと思ってしまう‼️ところが幻覚と現実が混同してくる‼️亡き妻と元教え子の女性が喧嘩を始めたり、元教え子が出版社の社員を自宅の庭で殺害し、巻き込まれる主人公‼️そして主人公が亡くなり、遺言が読み上げられる時、教え子や友人たちの姿はどこにもない‼️ひょっとしたら、私個人の考えとしては、今作の物語自体が主人公が見た幻覚、または夢だったのかも⁉️引退し、妻を亡くし、誰からも相手にされない孤独な老人が見た壮大な夢物語‼️今作での「敵」とは、主人公に忍び寄る幻覚や認知症などの「老化」なのかも⁉️そう考えると、実に恐ろしい映画‼️そしてラスト、主人公の自宅を受け継いだ青年は、主人公の幻影を見る‼️主人公が祖父の幻影を見ていたのと同じように・・・‼️
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