敵のレビュー・感想・評価
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老いるということ、その認知の乱れを巧みに描いた作品
映画「敵」
筒井康隆の同名小説を、吉田大八監督が映画化、2024年の第37回東京国際映画祭コンペティション部門において、東京グランプリ、最優秀監督賞、最優秀男優賞の3冠受賞ということで、期待して臨む。
主人公の儀助は、大学教授の職をリタイア、妻に先立たれているが、かつての教え子たちとの交流もあり、日々穏やかな生活を送っている。
年金と預貯金を計算、同じように生活できるであろう終わりの日を決め、遺言書をしたためつつ、その日に向けて淡々と暮らす老人。
その毎日のルーティンは、映画PERFECT DAYSの役所広司とも被る。そして毎日几帳面に暮らし、買い物をして美味しそうな料理を作り、ひとり食べる姿は、自分のそう遠くない将来をも予感させる。
そんな独居老人の儀助の前に、「敵」という得も知れないものが現れ、現実と妄想が交錯するカオスな展開。
もしかすると、それ以前から認知に乱れが生じていた可能性も多々あり、、、
舞台は現代であるが、モノクロ映像で描いたことにより、小津映画かのような、味わい深く映画らしい世界にどっぷり浸かることができる作品。
主人公の儀助を演じた長塚京三のキャスティングがドンピシャ。助演の瀧内公美、河合優実、黒沢あすか、彼女たちが見せる妖しい演技が、儀助の心の乱れをスクリーンにあぶり出していく。河合優実のファンとしては、そこも楽しめる要素。
特筆すべき点としては、前半に出てくる様々な料理が、モノクロながらもとても美味しく見えること。そして一軒家に住み、一般の老人より恵まれた環境の中、悠々と暮らす一人の老人が、乱れた心持ちの中、妄想と現実の狭間を生き、時に卑猥なことまでを頭に描いていること。
それらのどこまでが現実で、どこからが妄想か、観ている者にとっても掴みどころがないまま、巧みにスクリーンに映し出され、最期の時を迎える。
老いるということ、そこに突如現れる妄想や認知の乱れを上手に描いた、映画好きにお勧めの映画
妄想だろうが夢だろうが
やがて必ず来る死を感じながら端正な余生(こまめに作る料理が旨そう)を過ごしていた仏文学者の暮らしが悪夢に呑み込まれていく
モノクロームに、彼の老いた、それでいて枯れきらない身体が物語る
バーで出会った女学生に騙され、教え子の女性にのめり込み、亡き妻に罵倒される
(肛門にぶち込む女医も含めて女たちには惹かれる)
パソコンは乗っ取られて混乱した言葉で満ち溢れる
敵がいきなり群れ溢れ、北の方から銃撃される急展開
怖しい
無事に死んだ後の屋敷で、祖父は何を見たのか
夢オチを多用しすぎ
序盤は美味そうに食事を摂り、引退後の生活を楽しんでいた主人公が、敵が来るといったメールを受信したあたりから心身ともに不安定になっていく様子が描かれている。
不気味な演出をより不気味にしたり、血便や犬糞の生々しさを緩和したりと、モノクロの特性が巧みに活かされている。
終盤の納屋のシーンを観ると、主人公が生きていたときと死んで遺言を読まれているときの時間が交錯しているかのような演出になっている。
井戸を掘りに来た教え子が見たという若者は家を相続した親戚だったということだろうか。
中盤以降は夢オチが多用されるため、後半でインパクトの強い展開・演出を出されても冷ややかに観てしまう点は残念だった。
北から敵が攻めてくる…。老いと死と自分自身が襲い掛かってくる。瀧内公美の妖艶さがモノクロに映える。
二十年前に妻を亡くした後、穏やかに暮らしていた元教授である老人のもとに、ある日パソコンに「敵がやって来る」というメッセージが届く。
それを境に、静かだった毎日が徐々に崩れていく。
長年の後悔と、現在の恐怖、傷つけられていくプライド、そして、かすかな下心までもが入り混じって襲い掛かってくる。
自分自身の思考、感情から作られる生々しい幻覚の恐怖。
夢と現実が交錯し、次第に幻覚の比重が大きくなっていく。
モノクロの映像がちょうどいい。
カラーでは情報が多すぎて、うるさすぎる。
要するにA・ホプキンス主演の「ファーザー」のように思ったが、筒井康隆は「あくまでも”夢と妄想”」であるということらしい。
主演の長塚京三の抑えられた緻密で繊細な表現がいい。
そして、かつての教え子を演じた瀧内公美の、妖艶さを湛えた美しさが、ひときわモノクロの画面に映える。
仕事ばかりで遊びがないと儀助はつまらない少年になってしまう
前から東京国際映画祭を信頼してなかったのでスルーする筈が、原作が筒井康隆と知って鑑賞。
断筆宣言前のものは、結構読んでいたが本作原作は再開後なので未読。
かつて大学でフランス文学の教鞭を執り、今は気儘な執筆活動と貯蓄で静かな生活をおくり、財が尽きる時には自分で人生の幕を引くつもりの主人公のパソコンに不穏なメッセージが届く様になり…っと
あらすじ通りの映画ではありました。
これ、もう始めから狂ってません?
老後の静かな生活を淡々と描き、徐々に進む老い(の中の性と悔い)や認知症、死が敵という形でメタファーとして観客に迫る作りになっていますが、それは物語の構造であって描きたいのは世界の有り様は個人の脳が知覚するものでしかなく、いくらでも変容すること自体では無いのかなあと。
冒頭から客観的視点ではなく、主人公儀助自身の脳内で感じられてる現実(単に妄想と呼ぶのではなく)の変容と恐怖を語ってる様に感じました。
モノクロ映像が効果的に、主人公の家やその室内の佇まいを映し出し、特に台所の整理の仕方とか洗面所の蛇口とか、書斎の本棚とiMacの違和感とか、井戸の存在感とかが、それぞれ少しづつ狂ってる気がする上に、其処彼処で不安感を煽るカメラアングルが、まるでホラー映画の様でした。
私は書斎でのiMacに向かう儀助が、
All work and no play makes Jack a dull boy (シャイニングより)
といつか書き出すんじゃ無いかと、ワクワクしました。
松尾諭の椛島がヤケに井戸を掘りたがるとことか、庭で若者を目撃するとか、もうホラーだろこれって。
最後に2階から儀助が見つめる先は、井戸じゃ無いの?以外と井戸の中に関係各位いらしゃるんじゃ無いの?ほら〜2階の幽霊儀助見つけた甥っ子と、椛島の見た若者は同じでしょ〜?
これシャイニングぽいぞ〜っと私自身が、妄想して楽しめました。
原作は川本三郎氏曰く、老人文学の傑作だそうですが、そんなカテゴリーがあるのも知らんかった。
老人の生態を描くとそうなるのなら、児童の生態を描くと児童文学なのかとか、どうなのかとか徒然思った事は置いておく。
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 身につまされました。“それ(敵)”は突然やって来る⇐人生の真理です。
①序盤は、引退した(実はクビになったことが終盤で分かる)大学教授の隠居生活を淡々と描いていく(白黒ということもあって)のかな、と思いきや、中盤からは夢とも妄想とも幻覚ともとれる映像が次々と差し挟まれて主人公の内面が暴露されていく。
映像で語る映画という媒体はこういう表現方法にやはり適しているなあ、と思う。
②成熟した立派な大人、終活バッチリ、俗世を超越している、嘗ての生徒達に慕われる優れた教授という表面(これも本人の願望、プライドなのかも知れない…)の下に、実は切れ痔に悩まされ、様々な煩悩(亡き妻への慕情、後悔、捨てきれない嘗ての教え子への欲望、性欲、劣等感、体臭-これよく分かるわァ、未練、不安、恐れ、虚栄心)が渦巻いているのがあからさまになっていく。
でも、自分も60過ぎて分かるけれど、残された時間も指折り数えられる段階に入ったし、世の中のことも少しは分かってきたと思うし、ちょっとしたことには驚かなくなっては来ていても、なかなか悟りの境地には程遠い。
でも、それが人間だし人生だと思う(開き直っております)。
そういう点ではとても人間臭い映画だ。
主人公が見ているのが夢なのか(夢精したから夢とも思えるし)、妄想なのか、そろそろ認知が入ってきたせいの幻覚なのか、死ぬ前に走馬灯のよう見る映像なのか、の解釈は観る次第だろう。
③「朝ごはん食べてから歯を磨く人なんだ」
というのが何故か印象的。
④長塚京三は、生徒達から慕われる教授だったのが納得できる懐の深さと、教え子から慕われる色気、そして少々世間に疎いピュアさもそこはかと漂わせて流石。
⑤時間軸が歪んでいるようなところや、古い家につきまとう幽霊譚ぽい味付けも、なんとなく筒井康隆らしい。
中高年向き、高尚かつ下世話な深み
単に「面白い」という表現では表せない、深みのある、多面的な印象を持つ映画でした。
観る人の年齢によっては、面白いどころか、身につまされる怖さを感じる映画でもあるでしょう。
何人かの方が書いておられるように、61歳の私も「PERFECT DAYS」を想起しながら観ていました。独身男性の、日々の生活を丁寧に描写するところが共通点。ただ、あちらは現役ブルーカラー労働者で、こちらは余生を過ごす高齢の元大学教授なので、生活のベースはかなり異なる。あちらは自然の木漏れ日を美しく描写し、こちらはモノクロで四季の移り変わりを定点観測のように日本家屋の中で描いている。どちらも、派手さはないけど中高年者が観て、人生の何たるかを感じる描写が多い。
この映画の原作は未読ですが、筒井康孝の小説、特にナンセンスもの(というべきか)は若い時にハマッてかなり読んだことがあります。映画の後半、どんどん不条理な描写が増えていき、現実と妄想の境がわからなくなり、夕食の鍋をひとりで全部食べて、殺されて井戸に投げ込まれる編集者のくだりや、犬のフン騒ぎ、内視鏡検査、夢精などなど「これは確かに筒井康孝の世界やん」と、昔読んだ小説を思い出しながら、笑いをかみ殺して観ていました。
高尚さを感じる場面と、バカっぽい場面、また「敵」が階段の下から集団で上がって来る、強烈に怖いシーン等が、作品の中に違和感なく同居していて、ちょっと他にない味わいを感じました。この監督の作品は初めて観ましたが、少なくとも筒井康孝作品を相当読んでおられると思いますし、演出レベルの高さに圧倒されました。
もともとは洋画・韓国映画好きで、あまり邦画は観ない方だったのですが、昨年は「夜明けのすべて」「アイミタガイ」「侍タイムスリッパー」等、良い作品をたくさん観たので、今回の「敵」も含めて、邦画に対する印象も良い方に変わってきました。
主演の長塚さんが素晴らしかった!
特に長塚さんの前半の演技にrealityがあった。日常の繰り返しだが、routine(同じ動作)ではなく、食事の準備をして、それを食べ、食器を片付け、洗うところまで、しっかりこなす。朝食には、ハムエッグや鮭の焼いたの、昼食には、蕎麦を湯掻いて冷水にさらし、ネギと共に、あるいは卵を茹で、スーパーの韓国系店員と相談して求めたキムチと、冷麺に載せて食べる。夕食には、レバーを牛乳につけて血抜きし、切って串に刺し、炭の上で焼いて食す。フレンチのレシピに挑むこともあり、ワインも時として食卓に載り、弟子たちとの会食も。77歳にして、あの食欲。身体が強くないと出来ない相談。朝と夜の歯磨き。夜は、少し前によく見た「糸ようじ」。
ただ、彼自身は、教授を退職してから、原稿を書いたり、講演を依頼されたりすることもあるが、退職後の境遇に決して満足していない。訪ねてくるのは教え子のみで、周りの人たちから尊敬を受けているわけでもなく、親から引き継いだ大きいが古びた二階屋の日本家屋に住み、食事に丹精を凝らすのも贅沢に見られているとこぼす。貯金の目減りにいつも気を配り、生きるために生きるだけの生活には満足できず、今の生活レベルが維持できなくなったら、一生を終えることも覚悟しており、遺書も準備している。
やがて彼は、老化からくる強い不安を背景として、夢とうつつの間を彷徨う。願望、妄想、不条理の三段階があったようだ。一番、現実に近い願望としては、よく訪ねてきて食事を共にすることもある教え子との性的な交わり。妄想としては、20年前に亡くなった妻が出没するようになり、教え子たちと同席したり、言葉を交わしたりする。亡妻が出てきたら、全部、夢の中と思ってよいのだろう。面倒なのは、非現実的かつ原作者の発想に基づく不条理。愛用のMacに「北からの脅威」がウイルス・メールとして現れて後、現実感を以って、暴力的に襲ってくる。これがタイトルにある「敵」の正体だし、内的な「不安」に呼応する外的な「不穏」、原作者の主題なのだろう。いくら想像の産物とはいえ、現実感ありすぎ。個人的には、この不条理だけは何とかして欲しかった。ただ、この映画にある種の活気をもたらしたことも事実か。
年齢を重ねることによる、認知症とは異なる、内的な不安との戦いをよく描いた映画だ。
老いと向き合う
元大学教授で仏文学研究の権威となればプライドもあるし弱みも見せられない。悟ったように教え子に語りながらも,内面は押し込められた煩悩が渦巻いていた。こんな矛盾を抱えて老後を生きるって辛すぎると言うのが最初の思いだ。最初はリアルな夢から始まり、その後はどんどん夢と妄想の境目がなくなっていく。
老いて自分がどうなるかはわからないし、想像するのも怖い気持ちがあるが、自分の気持ちに正直に生きたいなぁと思う。少なくとも,彼が日々の食事をきちんと作り,丁寧にコーヒーを入れて飲む姿は理想の老後に見えた。
原作は未読ですが筒井康隆ぎこの本を書いたのが63歳と観終わった後に知った。その年齢でこれを書く筒井康隆もすごいし、この本をこのような形の映像にする吉田大八もすごい。モノクロなのに色彩を感じる映画だった。
モノクロながら、鮮やかな色彩を感じさせる一個人の老後生活
『時をかける少女』『パプリカ』の日本文学界の巨匠・筒井康隆による同名小説を『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八監督が映像化。生い先短い老人の慎ましやかな生活と、自制していた欲望が次第に表出していく様を、モノクロの映像で鮮やかに描き出す。
主人公の元大学教授・渡辺儀助を、ベテラン俳優であり儀助と同じくフランスと強い縁のある長塚京三が演じる。
妻に先立たれ、余生を都内の山の手にある古い日本家屋で過ごしている元大学教授・渡辺儀助は、年金と講演や執筆の仕事で得た預貯金を切り崩しながら、“来るXデイ”に向けて過ごしていた。それは、「毎月の支出からいつ預貯金がゼロになるかを割り出し、ゼロになった時に自殺する」というものだった。
日々の食事を全て手作りし、僅かな友人やかつての教え子、行きつけのバーで出会ったフランス文学を専攻する女子大生と過ごす。時に自らの加齢臭を気にしたり、身体の不調に悩まされながらも、季節は過ぎて行った。
そんな中、突如自宅のパソコンに送られてきた「敵が来る」というメッセージを皮切りに、次第に儀助は現実と妄想の狭間に飲み込まれてゆくー。
タイトルにある「敵」についての意味を探る時、ともすれば我々は、現在の世界情勢と結び付けて考えてしまうかもしれない。しかし、原作が発行されたのは1998年。本作で描かれる「敵」とは、全て儀助の中、それを見守る我々観客一人一人の中にある問題である。その事にアテンションするように、作中ではカトウシンスケ演じる新米編集者の犬丸が「ロシア問題か…」と呟いた際、すかさず靖子が「先生はメタファーの話をされているのよ」と訂正する。
現在31歳である私が思うに、本作で描かれている「敵」の正体とは、月並みだが“死”であり、“孤独”であり、何より“自分自身”に他ならなかったのではないかと思う。
預貯金から割り出した「あとどのくらい生きられるか」という計算に裏打ちされた“死”に対する覚悟も、ラストでは脆くも瓦解する。
外見では常に余裕を持ち、穏やかな姿勢で元教え子の鷹司靖子(瀧内公美)や女子大生の菅井歩美(河合優実)と接しながらも、密かに靖子への劣情を抱き、亡き妻である信子(黒沢あすか)の幻影を追って遺品のコートをクローゼットから引っ張り出して書斎のハンガーに掛ける。歩美の大学の授業料を負担すると申し出て、まんまと預貯金から300万円も失ってしまう。知人の湯島に語った「不思議と腹が立たない」という台詞にも、僅かな見栄があったのかもしれない。
トランクケースに溜まり行く、独りでは使い切れない程の量の石鹸は、儀助が妻を亡くしてから積み上げてきた“孤独”なのではないか。妄想の中で難民に向けて「好きなだけお持ち下さい」と自宅の塀の前にそれを置く様は、妻に先立たれ、友を失い、若い女に騙されて預貯金を無くした事で、自らの理性と自制心が限界を迎えてしまった儀助の「誰かこの孤独を消し去ってくれ!」という静かな叫びだったようにも思えるのだ。
だからこそ、儀助は自宅の庭に振り続ける冬の雨を前にして、「この雨があがれば春になる。春になればきっと、また皆に逢える」と、心の中で呟く。静謐で厳かな雰囲気を漂わせていた儀助の生活の下には、孤独と虚栄心に塗れたごく普通の老人、どうしようもない「人間」、「男」という性別の生き物の本質があったのではないか。
しかし、パンフレットを読むと、主演の長塚京三氏は更に深い領域まで渡辺儀助という人物を捉えている事が分かる。それは、フランス演劇・文学という高尚でインテリジェンスな分野に人生を費やして来た事から来る傲慢さ。妻の信子に注ぎ切れなかった愛情と侮り(「夫婦揃って貧乏暮らしをするなんて、君は耐えられなかったはずだから、先に逝ってくれて良かった」と口にする様や、フランス文学・演劇を専門としながら、一度たりともフランス旅行に行かなかった事)。性欲を自制心と虚栄心によって律する中で密かに、しかし確かに抱いていた下心。儀助が向き合う「敵」の正体とは、つまり彼がこれまでの人生で蔑ろにしてきたもの、それらからの“復讐”なのだと。
この事を受けて、私の中では心理学者のユングが遺した【向き合わなかった問題は、いずれ運命として出会うことになる。】という言葉が思い起こされた。
他にも、“老い”や“恐怖”といった様々な「敵」を、観客一人一人が想像するだろう。その正体が何であるかが明確に語られない以上、それぞれがそれぞれの「敵」を想定して鑑賞し、考察して行く他ないのだから。
しかし、こうした内容やポスタービジュアルが与えるシリアスな印象とは裏腹に、本作は意外にも儀助の人間的・男性的な滑稽さをコミカルな表現で描き出す様も目立ち、それが魅力の一つとなっていた。
靖子を想って無精し、翌朝無様に下着を洗う姿や、痔の検査で内視鏡を挿れられる際、まるで掃除機のコードのように内視鏡が勢いよく入って行く様などは、場内からクスクスと笑い声が漏れていた。
また、信子が儀助に「この人(靖子)の事を考えて。勃起して。一人でしてたんでしょ?」と問い詰めるシーンでは、「…した。でも、想像の中だけだ!」と返す儀助に「想像するのが1番悪いのよ!」と激昂する姿が面白かった。
モノクロながら、その彩りの豊かさを感じさせてきた数々の料理シーン・食事シーンは、本作の最大の魅力だろう。本作は一個人の老後の私生活を描くと同時に、優れた飯テロ作品でもあったと思う。
物語冒頭から、起床した儀助は米を研ぎ、電気コンロで鮭を焼く。自ら豆を挽いて食後のコーヒーを嗜むのがルーティン。
湯島からの土産の手造りハムは、ハムエッグにして手際よく蒸し焼きにする。
たまの晩酌では、焼酎のお供に焼き鳥を自作する。レバーは血抜きし、葱間を作って焼き上げる。
朝食の白米を少し余らせて、塩昆布でサッとお茶漬けにする手際が美しかった。
好物の麺類は、素麺や冷麺を楽しむ。この冷麺の為に、拘りを持って買ってきた辛口のキムチが、翌朝痔を発症する原因となってしまうのだが。茹で卵を四つ切りにし、白胡麻を挽く手際の鮮やかさからは何とも悲惨な末路。
しかし、そんな食材や栄養に気を遣った食生活も、「敵」を前にして次第に現実と妄想の区別が付かなくなってからは、最終的には簡単なカップ蕎麦になってしまう。こうした食に対する姿勢の落差にも、抗いようのない“老い”を感じさせる。
渡辺儀助役の長塚京三氏の演技力には、今更賞賛を贈るまでもないだろうが、監督がキャストを想定して脚本の初稿を書き上げたと語るだけあって、儀助という人物のリアリティのある説得力は素晴らしい。時に滑稽な姿さえ晒してしまう振り幅の豊かさも、長塚氏が積み上げてきたキャリアの賜物だろう。
鷹司靖子役の瀧内公美の美しさは、モノクロの世界に於いて抜群の存在感を放っていた。本人も「モノクロ映えする」と言われた事があるというだけあって、妖艶さと成熟した大人の女性さを兼ね備えた靖子役はハマり役だったと思う。
老いるの怖い
今はYouTubeで年配女性のおひとり様暮らし動画なんかけっこうあって、老後も何とかなんじゃね?って思えてたのに…本作見ると「老いるの怖い」がぶり返してきた。キムチ食って血便出んのかよ!怖いよ〜!
自分が儀助くらいの年になる頃には、もっとライトな死に方が許される世界になっててほしい。歯医者行くくらいの感じで安楽死させてほしいし、死後のもろもろもネットでポチッと決めさせてほしい。
あとは、教え子の女性が色っぽかったですね。モノクロだと色彩がない代わりに陰影が強調されて、身体の凹凸がより目立つ感じがしました。
良い映画、でも楽しい気持ちにはならなかった
この映画の“敵”とは
・大学教授としてのプライド
・プライドゆえに素直に振る舞えないストレス
・ちゃんとした生活を送らなきゃという自分へのプレッシャー
・本当はどう思ってるか分からない他者の気持ち
・出来なかった事への罪悪感(妻とパリに行く)
・管理が難しかったり手に負えない家
・若い女たちへの下心、教え子が尋ねてくる妄想への罪悪感、
それを隠したいけど隠すのは苦しい気持ち
・老いへの不安と、それに重なる連載打ち切り、新しい編集者(若者)への恐怖心
・詐欺メールが来る屈辱感
・健康への不安
・世の中からの孤立、寂しさ
などなど
妻の死後20年かけてジワジワと主人公のなかに溜め込まれた“敵”に
最後は自らが潰されてしまったように見えた。
ただ主人公が“敵”と思っているものは実際に悪い事をする者でなく、
主人公の内面の中で“敵”と認識してしまっているだけに見える所が気になった。
人間は、考え方や向き合い方次第で、敵でないものも敵と認識して心をすり減らして肉体的にもダメージを負ってしまう。
それはとても怖い事だけど、考え方次第ではその逆もあり得るというのは救いでもある。
舞台となる家に主人公が閉じ込められている感じも、主人公が“自分の認識”から身動きが取れなくなっているのを象徴している様にも感じた。
最後の主人公の幽霊のようなものはよく分からなかったけど、
最後まであの家=自分の頭の中に閉じ込められたままだった主人公の様になるなよ、
というこれからあの家に住む者と、観客へのへの警告の様にも感じた。
この映画から学ぶなら
気楽さやテキトーさも大事!という事なのかな。
ダブル松尾😁
寝落ちした😂
目覚めたら、自宅に訪ねてきた編集者の不躾な男と女の子が、黒沢あすか扮する奥さんが振る舞う鍋を囲んでいたら、主人公が奥さんとケンカになったと思ったら、不躾な男が女の子に殺されて、井戸に落とそうと引きずっているのを、松尾諭が手伝って井戸に死体を落とすカオス…🤯
何だ、夢オチかいなと思ったら、今度は爆撃始まって、また夢オチかいなと思ったら、ホントに死んだのか🤣
結局、演技派女優の河合優実の出演シーンを見逃すという😌
それにしても、昔、あっち系でお世話になった黒沢あすかは、この系の役柄をやらせたら、右に出るものはいないよなってくらい、安定感抜群ですわい😆
ホラー?
一昔前のアートシアター系っぽい映画。つまり、芸術性が高いのか、製作者の自己満足なのか、いずれにしても難解で私のような凡人には理解不能!最後の双眼鏡を覗いたあとのシーンも意味不明!
それはともかく、映画の中の河合優実に頼まれたら私も騙されてかもしれません。
長塚京三さんだからこそ。
一歩間違えたらイライラする主人公像が、
表面が知的、紳士的でありながらみっともない、俗的、けどどこか人間味があり憎めない魅力的な
キャラクターになっている。
長塚京三さんの演技が変わらず素晴らしく魅力的で
感動してしまった。
あれだけ、みっともない姿はみせたけど
そんな中で後半の夢のような世界で亡くなった奥さんを追って『行こうよ!フランス』と、叶えられなかったことを叫ぶシーンは胸に来た。
どんなに若い女性に夢想しても奥さんが
忘れられないしコートを抱きしめてるシーンも
なんともせつない気持ちになった、
更に主人公の一番最後の台詞もよかった。
あの一言は涙がでそうになるね、自分も死ぬ時は
意識が遠のく中で『皆に会いたいな』と
親しい人を思い呟くんだろうか。と
しかしながら後半は筒井先生ワールド全開なので
好き嫌いわかれる表現は満載。
私は好きですが、あの世界観は教授の自己嫌悪や後悔が見せた夢、精神世界だったのかな。
まだ、教授の魂は生前の後悔と思い出の中で終わらない時間を過ごしているんだろうか。
良い映画体験でした。
鑑賞動機:筒井康隆9割、長塚京三1割
原作は未読だけどあらすじは把握。筒井さんなので、夢/妄想か擬似イベント物…は今更ないか。実はメタフィクションなら映画化難しいのわかるけど。加えて吉田大八監督なら何をやってくるか?
結構手をかけた自炊で、ちょっと美味しそう。
ずっとモノクロでほぼ固定カメラを切り替える映像。一人暮らしの高齢男性にしては、充実した生活をされている方でしょうか。
徐々に夢/妄想の比率が増えていき、いつしか現実にまで侵食…かどうかは判然としないけど。願望充足ともちょっと違う。そして敵。何となくアレかなというのはあるが…。むしろエンディングに困惑。
たまたまつけたテレビで「100分de 名著 筒井康隆」に遭遇。短時間ではあるが吉田監督のインタビューもあって満足。星増やそ。
下心な出費も計算済?
残りの人生と貯金残高を計算しバランスを考え生活する渡辺儀助の話。
妻に先立たれ祖父の代から続く家に独り住む儀助だったが、ある日PCにメールが届き開いてみると「敵がやってくる」というメッセージが届き…。
原作未読、モノクロ映像の中で進むストーリーで見せるけど、ただただ印象的に残ってるのは基本主食は麺類と焼鮭を焼いてるシーンが美味そう!と鷹司演じた瀧内公美がセクシー&セクシーって感じで!
独り孤独に住みながらも日々の生活の不安や下心、生前妻とは出来なかったことの後悔がちょっと分かりにくい世界観ではあったけれど、夢として見せていたって感じなのでしょうかね!?
とりあえず終盤の鍋の件、図々しい編集者に笑えた!「敵」って結局、“不安”に追いつめられるとかの意味?よく解らなかった。
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