敵のレビュー・感想・評価
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妄想だろうが夢だろうが
やがて必ず来る死を感じながら端正な余生(こまめに作る料理が旨そう)を過ごしていた仏文学者の暮らしが悪夢に呑み込まれていく
モノクロームに、彼の老いた、それでいて枯れきらない身体が物語る
バーで出会った女学生に騙され、教え子の女性にのめり込み、亡き妻に罵倒される
(肛門にぶち込む女医も含めて女たちには惹かれる)
パソコンは乗っ取られて混乱した言葉で満ち溢れる
敵がいきなり群れ溢れ、北の方から銃撃される急展開
怖しい
無事に死んだ後の屋敷で、祖父は何を見たのか
夢オチを多用しすぎ
序盤は美味そうに食事を摂り、引退後の生活を楽しんでいた主人公が、敵が来るといったメールを受信したあたりから心身ともに不安定になっていく様子が描かれている。
不気味な演出をより不気味にしたり、血便や犬糞の生々しさを緩和したりと、モノクロの特性が巧みに活かされている。
終盤の納屋のシーンを観ると、主人公が生きていたときと死んで遺言を読まれているときの時間が交錯しているかのような演出になっている。
井戸を掘りに来た教え子が見たという若者は家を相続した親戚だったということだろうか。
中盤以降は夢オチが多用されるため、後半でインパクトの強い展開・演出を出されても冷ややかに観てしまう点は残念だった。
北から敵が攻めてくる…。老いと死と自分自身が襲い掛かってくる。瀧内公美の妖艶さがモノクロに映える。
二十年前に妻を亡くした後、穏やかに暮らしていた元教授である老人のもとに、ある日パソコンに「敵がやって来る」というメッセージが届く。
それを境に、静かだった毎日が徐々に崩れていく。
長年の後悔と、現在の恐怖、傷つけられていくプライド、そして、かすかな下心までもが入り混じって襲い掛かってくる。
自分自身の思考、感情から作られる生々しい幻覚の恐怖。
夢と現実が交錯し、次第に幻覚の比重が大きくなっていく。
モノクロの映像がちょうどいい。
カラーでは情報が多すぎて、うるさすぎる。
要するにA・ホプキンス主演の「ファーザー」のように思ったが、筒井康隆は「あくまでも”夢と妄想”」であるということらしい。
主演の長塚京三の抑えられた緻密で繊細な表現がいい。
そして、かつての教え子を演じた瀧内公美の、妖艶さを湛えた美しさが、ひときわモノクロの画面に映える。
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 身につまされました。“それ(敵)”は突然やって来る⇐人生の真理です。
①序盤は、引退した(実はクビになったことが終盤で分かる)大学教授の隠居生活を淡々と描いていく(白黒ということもあって)のかな、と思いきや、中盤からは夢とも妄想とも幻覚ともとれる映像が次々と差し挟まれて主人公の内面が暴露されていく。
映像で語る映画という媒体はこういう表現方法にやはり適しているなあ、と思う。
②成熟した立派な大人、終活バッチリ、俗世を超越している、嘗ての生徒達に慕われる優れた教授という表面(これも本人の願望、プライドなのかも知れない…)の下に、実は切れ痔に悩まされ、様々な煩悩(亡き妻への慕情、後悔、捨てきれない嘗ての教え子への欲望、性欲、劣等感、体臭-これよく分かるわァ、未練、不安、恐れ、虚栄心)が渦巻いているのがあからさまになっていく。
でも、自分も60過ぎて分かるけれど、残された時間も指折り数えられる段階に入ったし、世の中のことも少しは分かってきたと思うし、ちょっとしたことには驚かなくなっては来ていても、なかなか悟りの境地には程遠い。
でも、それが人間だし人生だと思う(開き直っております)。
そういう点ではとても人間臭い映画だ。
主人公が見ているのが夢なのか(夢精したから夢とも思えるし)、妄想なのか、そろそろ認知が入ってきたせいの幻覚なのか、死ぬ前に走馬灯のよう見る映像なのか、の解釈は観る次第だろう。
③「朝ごはん食べてから歯を磨く人なんだ」
というのが何故か印象的。
④長塚京三は、生徒達から慕われる教授だったのが納得できる懐の深さと、教え子から慕われる色気、そして少々世間に疎いピュアさもそこはかと漂わせて流石。
⑤時間軸が歪んでいるようなところや、古い家につきまとう幽霊譚ぽい味付けも、なんとなく筒井康隆らしい。
中高年向き、高尚かつ下世話な深み
単に「面白い」という表現では表せない、深みのある、多面的な印象を持つ映画でした。
観る人の年齢によっては、面白いどころか、身につまされる怖さを感じる映画でもあるでしょう。
何人かの方が書いておられるように、61歳の私も「PERFECT DAYS」を想起しながら観ていました。独身男性の、日々の生活を丁寧に描写するところが共通点。ただ、あちらは現役ブルーカラー労働者で、こちらは余生を過ごす高齢の元大学教授なので、生活のベースはかなり異なる。あちらは自然の木漏れ日を美しく描写し、こちらはモノクロで四季の移り変わりを定点観測のように日本家屋の中で描いている。どちらも、派手さはないけど中高年者が観て、人生の何たるかを感じる描写が多い。
この映画の原作は未読ですが、筒井康孝の小説、特にナンセンスもの(というべきか)は若い時にハマッてかなり読んだことがあります。映画の後半、どんどん不条理な描写が増えていき、現実と妄想の境がわからなくなり、夕食の鍋をひとりで全部食べて、殺されて井戸に投げ込まれる編集者のくだりや、犬のフン騒ぎ、内視鏡検査、夢精などなど「これは確かに筒井康孝の世界やん」と、昔読んだ小説を思い出しながら、笑いをかみ殺して観ていました。
高尚さを感じる場面と、バカっぽい場面、また「敵」が階段の下から集団で上がって来る、強烈に怖いシーン等が、作品の中に違和感なく同居していて、ちょっと他にない味わいを感じました。この監督の作品は初めて観ましたが、少なくとも筒井康孝作品を相当読んでおられると思いますし、演出レベルの高さに圧倒されました。
もともとは洋画・韓国映画好きで、あまり邦画は観ない方だったのですが、昨年は「夜明けのすべて」「アイミタガイ」「侍タイムスリッパー」等、良い作品をたくさん観たので、今回の「敵」も含めて、邦画に対する印象も良い方に変わってきました。
主演の長塚さんが素晴らしかった!
特に長塚さんの前半の演技にrealityがあった。日常の繰り返しだが、routine(同じ動作)ではなく、食事の準備をして、それを食べ、食器を片付け、洗うところまで、しっかりこなす。朝食には、ハムエッグや鮭の焼いたの、昼食には、蕎麦を湯掻いて冷水にさらし、ネギと共に、あるいは卵を茹で、スーパーの韓国系店員と相談して求めたキムチと、冷麺に載せて食べる。夕食には、レバーを牛乳につけて血抜きし、切って串に刺し、炭の上で焼いて食す。フレンチのレシピに挑むこともあり、ワインも時として食卓に載り、弟子たちとの会食も。77歳にして、あの食欲。身体が強くないと出来ない相談。朝と夜の歯磨き。夜は、少し前によく見た「糸ようじ」。
ただ、彼自身は、教授を退職してから、原稿を書いたり、講演を依頼されたりすることもあるが、退職後の境遇に決して満足していない。訪ねてくるのは教え子のみで、周りの人たちから尊敬を受けているわけでもなく、親から引き継いだ大きいが古びた二階屋の日本家屋に住み、食事に丹精を凝らすのも贅沢に見られているとこぼす。貯金の目減りにいつも気を配り、生きるために生きるだけの生活には満足できず、今の生活レベルが維持できなくなったら、一生を終えることも覚悟しており、遺書も準備している。
やがて彼は、老化からくる強い不安を背景として、夢とうつつの間を彷徨う。願望、妄想、不条理の三段階があったようだ。一番、現実に近い願望としては、よく訪ねてきて食事を共にすることもある教え子との性的な交わり。妄想としては、20年前に亡くなった妻が出没するようになり、教え子たちと同席したり、言葉を交わしたりする。亡妻が出てきたら、全部、夢の中と思ってよいのだろう。面倒なのは、非現実的かつ原作者の発想に基づく不条理。愛用のMacに「北からの脅威」がウイルス・メールとして現れて後、現実感を以って、暴力的に襲ってくる。これがタイトルにある「敵」の正体だし、内的な「不安」に呼応する外的な「不穏」、原作者の主題なのだろう。いくら想像の産物とはいえ、現実感ありすぎ。個人的には、この不条理だけは何とかして欲しかった。ただ、この映画にある種の活気をもたらしたことも事実か。
年齢を重ねることによる、認知症とは異なる、内的な不安との戦いをよく描いた映画だ。
老いと向き合う
元大学教授で仏文学研究の権威となればプライドもあるし弱みも見せられない。悟ったように教え子に語りながらも,内面は押し込められた煩悩が渦巻いていた。こんな矛盾を抱えて老後を生きるって辛すぎると言うのが最初の思いだ。最初はリアルな夢から始まり、その後はどんどん夢と妄想の境目がなくなっていく。
老いて自分がどうなるかはわからないし、想像するのも怖い気持ちがあるが、自分の気持ちに正直に生きたいなぁと思う。少なくとも,彼が日々の食事をきちんと作り,丁寧にコーヒーを入れて飲む姿は理想の老後に見えた。
原作は未読ですが筒井康隆ぎこの本を書いたのが63歳と観終わった後に知った。その年齢でこれを書く筒井康隆もすごいし、この本をこのような形の映像にする吉田大八もすごい。モノクロなのに色彩を感じる映画だった。
モノクロながら、鮮やかな色彩を感じさせる一個人の老後生活
『時をかける少女』『パプリカ』の日本文学界の巨匠・筒井康隆による同名小説を『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八監督が映像化。生い先短い老人の慎ましやかな生活と、自制していた欲望が次第に表出していく様を、モノクロの映像で鮮やかに描き出す。
主人公の元大学教授・渡辺儀助を、ベテラン俳優であり儀助と同じくフランスと強い縁のある長塚京三が演じる。
妻に先立たれ、余生を都内の山の手にある古い日本家屋で過ごしている元大学教授・渡辺儀助は、年金と講演や執筆の仕事で得た預貯金を切り崩しながら、“来るXデイ”に向けて過ごしていた。それは、「毎月の支出からいつ預貯金がゼロになるかを割り出し、ゼロになった時に自殺する」というものだった。
日々の食事を全て手作りし、僅かな友人やかつての教え子、行きつけのバーで出会ったフランス文学を専攻する女子大生と過ごす。時に自らの加齢臭を気にしたり、身体の不調に悩まされながらも、季節は過ぎて行った。
そんな中、突如自宅のパソコンに送られてきた「敵が来る」というメッセージを皮切りに、次第に儀助は現実と妄想の狭間に飲み込まれてゆくー。
タイトルにある「敵」についての意味を探る時、ともすれば我々は、現在の世界情勢と結び付けて考えてしまうかもしれない。しかし、原作が発行されたのは1998年。本作で描かれる「敵」とは、全て儀助の中、それを見守る我々観客一人一人の中にある問題である。その事にアテンションするように、作中ではカトウシンスケ演じる新米編集者の犬丸が「ロシア問題か…」と呟いた際、すかさず靖子が「先生はメタファーの話をされているのよ」と訂正する。
現在31歳である私が思うに、本作で描かれている「敵」の正体とは、月並みだが“死”であり、“孤独”であり、何より“自分自身”に他ならなかったのではないかと思う。
預貯金から割り出した「あとどのくらい生きられるか」という計算に裏打ちされた“死”に対する覚悟も、ラストでは脆くも瓦解する。
外見では常に余裕を持ち、穏やかな姿勢で元教え子の鷹司靖子(瀧内公美)や女子大生の菅井歩美(河合優実)と接しながらも、密かに靖子への劣情を抱き、亡き妻である信子(黒沢あすか)の幻影を追って遺品のコートをクローゼットから引っ張り出して書斎のハンガーに掛ける。歩美の大学の授業料を負担すると申し出て、まんまと預貯金から300万円も失ってしまう。知人の湯島に語った「不思議と腹が立たない」という台詞にも、僅かな見栄があったのかもしれない。
トランクケースに溜まり行く、独りでは使い切れない程の量の石鹸は、儀助が妻を亡くしてから積み上げてきた“孤独”なのではないか。妄想の中で難民に向けて「好きなだけお持ち下さい」と自宅の塀の前にそれを置く様は、妻に先立たれ、友を失い、若い女に騙されて預貯金を無くした事で、自らの理性と自制心が限界を迎えてしまった儀助の「誰かこの孤独を消し去ってくれ!」という静かな叫びだったようにも思えるのだ。
だからこそ、儀助は自宅の庭に振り続ける冬の雨を前にして、「この雨があがれば春になる。春になればきっと、また皆に逢える」と、心の中で呟く。静謐で厳かな雰囲気を漂わせていた儀助の生活の下には、孤独と虚栄心に塗れたごく普通の老人、どうしようもない「人間」、「男」という性別の生き物の本質があったのではないか。
しかし、パンフレットを読むと、主演の長塚京三氏は更に深い領域まで渡辺儀助という人物を捉えている事が分かる。それは、フランス演劇・文学という高尚でインテリジェンスな分野に人生を費やして来た事から来る傲慢さ。妻の信子に注ぎ切れなかった愛情と侮り(「夫婦揃って貧乏暮らしをするなんて、君は耐えられなかったはずだから、先に逝ってくれて良かった」と口にする様や、フランス文学・演劇を専門としながら、一度たりともフランス旅行に行かなかった事)。性欲を自制心と虚栄心によって律する中で密かに、しかし確かに抱いていた下心。儀助が向き合う「敵」の正体とは、つまり彼がこれまでの人生で蔑ろにしてきたもの、それらからの“復讐”なのだと。
この事を受けて、私の中では心理学者のユングが遺した【向き合わなかった問題は、いずれ運命として出会うことになる。】という言葉が思い起こされた。
他にも、“老い”や“恐怖”といった様々な「敵」を、観客一人一人が想像するだろう。その正体が何であるかが明確に語られない以上、それぞれがそれぞれの「敵」を想定して鑑賞し、考察して行く他ないのだから。
しかし、こうした内容やポスタービジュアルが与えるシリアスな印象とは裏腹に、本作は意外にも儀助の人間的・男性的な滑稽さをコミカルな表現で描き出す様も目立ち、それが魅力の一つとなっていた。
靖子を想って無精し、翌朝無様に下着を洗う姿や、痔の検査で内視鏡を挿れられる際、まるで掃除機のコードのように内視鏡が勢いよく入って行く様などは、場内からクスクスと笑い声が漏れていた。
また、信子が儀助に「この人(靖子)の事を考えて。勃起して。一人でしてたんでしょ?」と問い詰めるシーンでは、「…した。でも、想像の中だけだ!」と返す儀助に「想像するのが1番悪いのよ!」と激昂する姿が面白かった。
モノクロながら、その彩りの豊かさを感じさせてきた数々の料理シーン・食事シーンは、本作の最大の魅力だろう。本作は一個人の老後の私生活を描くと同時に、優れた飯テロ作品でもあったと思う。
物語冒頭から、起床した儀助は米を研ぎ、電気コンロで鮭を焼く。自ら豆を挽いて食後のコーヒーを嗜むのがルーティン。
湯島からの土産の手造りハムは、ハムエッグにして手際よく蒸し焼きにする。
たまの晩酌では、焼酎のお供に焼き鳥を自作する。レバーは血抜きし、葱間を作って焼き上げる。
朝食の白米を少し余らせて、塩昆布でサッとお茶漬けにする手際が美しかった。
好物の麺類は、素麺や冷麺を楽しむ。この冷麺の為に、拘りを持って買ってきた辛口のキムチが、翌朝痔を発症する原因となってしまうのだが。茹で卵を四つ切りにし、白胡麻を挽く手際の鮮やかさからは何とも悲惨な末路。
しかし、そんな食材や栄養に気を遣った食生活も、「敵」を前にして次第に現実と妄想の区別が付かなくなってからは、最終的には簡単なカップ蕎麦になってしまう。こうした食に対する姿勢の落差にも、抗いようのない“老い”を感じさせる。
渡辺儀助役の長塚京三氏の演技力には、今更賞賛を贈るまでもないだろうが、監督がキャストを想定して脚本の初稿を書き上げたと語るだけあって、儀助という人物のリアリティのある説得力は素晴らしい。時に滑稽な姿さえ晒してしまう振り幅の豊かさも、長塚氏が積み上げてきたキャリアの賜物だろう。
鷹司靖子役の瀧内公美の美しさは、モノクロの世界に於いて抜群の存在感を放っていた。本人も「モノクロ映えする」と言われた事があるというだけあって、妖艶さと成熟した大人の女性さを兼ね備えた靖子役はハマり役だったと思う。
老いるの怖い
今はYouTubeで年配女性のおひとり様暮らし動画なんかけっこうあって、老後も何とかなんじゃね?って思えてたのに…本作見ると「老いるの怖い」がぶり返してきた。キムチ食って血便出んのかよ!怖いよ〜!
自分が儀助くらいの年になる頃には、もっとライトな死に方が許される世界になっててほしい。歯医者行くくらいの感じで安楽死させてほしいし、死後のもろもろもネットでポチッと決めさせてほしい。
あとは、教え子の女性が色っぽかったですね。モノクロだと色彩がない代わりに陰影が強調されて、身体の凹凸がより目立つ感じがしました。
良い映画、でも楽しい気持ちにはならなかった
この映画の“敵”とは
・大学教授としてのプライド
・プライドゆえに素直に振る舞えないストレス
・ちゃんとした生活を送らなきゃという自分へのプレッシャー
・本当はどう思ってるか分からない他者の気持ち
・出来なかった事への罪悪感(妻とパリに行く)
・管理が難しかったり手に負えない家
・若い女たちへの下心、教え子が尋ねてくる妄想への罪悪感、
それを隠したいけど隠すのは苦しい気持ち
・老いへの不安と、それに重なる連載打ち切り、新しい編集者(若者)への恐怖心
・詐欺メールが来る屈辱感
・健康への不安
・世の中からの孤立、寂しさ
などなど
妻の死後20年かけてジワジワと主人公のなかに溜め込まれた“敵”に
最後は自らが潰されてしまったように見えた。
ただ主人公が“敵”と思っているものは実際に悪い事をする者でなく、
主人公の内面の中で“敵”と認識してしまっているだけに見える所が気になった。
人間は、考え方や向き合い方次第で、敵でないものも敵と認識して心をすり減らして肉体的にもダメージを負ってしまう。
それはとても怖い事だけど、考え方次第ではその逆もあり得るというのは救いでもある。
舞台となる家に主人公が閉じ込められている感じも、主人公が“自分の認識”から身動きが取れなくなっているのを象徴している様にも感じた。
最後の主人公の幽霊のようなものはよく分からなかったけど、
最後まであの家=自分の頭の中に閉じ込められたままだった主人公の様になるなよ、
というこれからあの家に住む者と、観客へのへの警告の様にも感じた。
この映画から学ぶなら
気楽さやテキトーさも大事!という事なのかな。
ダブル松尾😁
寝落ちした😂
目覚めたら、自宅に訪ねてきた編集者の不躾な男と女の子が、黒沢あすか扮する奥さんが振る舞う鍋を囲んでいたら、主人公が奥さんとケンカになったと思ったら、不躾な男が女の子に殺されて、井戸に落とそうと引きずっているのを、松尾諭が手伝って井戸に死体を落とすカオス…🤯
何だ、夢オチかいなと思ったら、今度は爆撃始まって、また夢オチかいなと思ったら、ホントに死んだのか🤣
結局、演技派女優の河合優実の出演シーンを見逃すという😌
それにしても、昔、あっち系でお世話になった黒沢あすかは、この系の役柄をやらせたら、右に出るものはいないよなってくらい、安定感抜群ですわい😆
ホラー?
一昔前のアートシアター系っぽい映画。つまり、芸術性が高いのか、製作者の自己満足なのか、いずれにしても難解で私のような凡人には理解不能!最後の双眼鏡を覗いたあとのシーンも意味不明!
それはともかく、映画の中の河合優実に頼まれたら私も騙されてかもしれません。
長塚京三さんだからこそ。
一歩間違えたらイライラする主人公像が、
表面が知的、紳士的でありながらみっともない、俗的、けどどこか人間味があり憎めない魅力的な
キャラクターになっている。
長塚京三さんの演技が変わらず素晴らしく魅力的で
感動してしまった。
あれだけ、みっともない姿はみせたけど
そんな中で後半の夢のような世界で亡くなった奥さんを追って『行こうよ!フランス』と、叶えられなかったことを叫ぶシーンは胸に来た。
どんなに若い女性に夢想しても奥さんが
忘れられないしコートを抱きしめてるシーンも
なんともせつない気持ちになった、
更に主人公の一番最後の台詞もよかった。
あの一言は涙がでそうになるね、自分も死ぬ時は
意識が遠のく中で『皆に会いたいな』と
親しい人を思い呟くんだろうか。と
しかしながら後半は筒井先生ワールド全開なので
好き嫌いわかれる表現は満載。
私は好きですが、あの世界観は教授の自己嫌悪や後悔が見せた夢、精神世界だったのかな。
まだ、教授の魂は生前の後悔と思い出の中で終わらない時間を過ごしているんだろうか。
良い映画体験でした。
鑑賞動機:筒井康隆9割、長塚京三1割
原作は未読だけどあらすじは把握。筒井さんなので、夢/妄想か擬似イベント物…は今更ないか。実はメタフィクションなら映画化難しいのわかるけど。加えて吉田大八監督なら何をやってくるか?
結構手をかけた自炊で、ちょっと美味しそう。
ずっとモノクロでほぼ固定カメラを切り替える映像。一人暮らしの高齢男性にしては、充実した生活をされている方でしょうか。
徐々に夢/妄想の比率が増えていき、いつしか現実にまで侵食…かどうかは判然としないけど。願望充足ともちょっと違う。そして敵。何となくアレかなというのはあるが…。むしろエンディングに困惑。
下心な出費も計算済?
残りの人生と貯金残高を計算しバランスを考え生活する渡辺儀助の話。
妻に先立たれ祖父の代から続く家に独り住む儀助だったが、ある日PCにメールが届き開いてみると「敵がやってくる」というメッセージが届き…。
原作未読、モノクロ映像の中で進むストーリーで見せるけど、ただただ印象的に残ってるのは基本主食は麺類と焼鮭を焼いてるシーンが美味そう!と鷹司演じた瀧内公美がセクシー&セクシーって感じで!
独り孤独に住みながらも日々の生活の不安や下心、生前妻とは出来なかったことの後悔がちょっと分かりにくい世界観ではあったけれど、夢として見せていたって感じなのでしょうかね!?
とりあえず終盤の鍋の件、図々しい編集者に笑えた!「敵」って結局、“不安”に追いつめられるとかの意味?よく解らなかった。
原作世界の現代的再現を楽しむ
1998年に上梓された筒井康隆原作の同名小説の映画化作品でした。1993年に断筆宣言をし、1996年に断筆解除した筒井が、解除後初めて発表した長編小説でしたが、当時は老人が主人公の地味な作品という印象で、従来の派手な作品を心待ちにしていた筒井ファンとしては、何となくガッカリした記憶がありました。
あれから四半世紀余りが経過し、今回映画化されるにあたって改めて原作を見直してみると、自分が主人公・渡辺儀助の年齢に近づいてきたこともあるのか、かなり違った印象を持ちました。特に前半部に書かれた一人暮らしの老人の生活にまつわる微に入り細を穿った表現は、リアリティがあり過ぎて文面から匂いが感じられるほどでした。また、自分にも迫った「老い」というものを、どう捉えるべきなのかも突き付けられた感があり、私自身も”終活”をせねばと思ったところでした。
肝心の映画の方ですが、原作の微細な「老い」にまつわる表現を、如何に映像化するかに注目して観ました。その結果、まずは主演の長塚京三が完全に嵌り役でした。年齢的な部分もそうですが、フランス近代演劇史を教えていた元大学教授の儀助という役柄は、パリ大学への留学経験がある長塚にはピッタリ。フランス語を喋るのはワンフレーズでしたが、充分に重みを感じられました。
一方で、女性の登場人物たちは、キャラ設定とか雰囲気は原作通りだったものの、その行動が原作と異なる部分もあり、そこが興味深いところでした。瀧内公美演ずる鷹司靖子は、色気が溢れていて実に魅力的な女性であり、その辺りは原作路線を寸分違えていなかったものの、最終的に人を殺してしまうことに。この部分は映画オリジナルの展開でした。また河合優実演ずる菅井歩美も、鷹司靖子同様に原作通りのキャラ設定や雰囲気を醸し出していたものの、最終的に儀助から学費の援助を受けた直後に姿を消すという映画オリジナルの展開になっていました。
鷹司靖子と河合優実は、儀助とは親子、ないしは祖父と孫ほどの年齢差があるものの、早くに妻を失った儀助にとっては恋愛対象になり得る存在であり、儀助に感情移入している当方にしてみれば、彼女たちの犯罪行為は極めて衝撃的なものでした。さらに、儀助が内視鏡で大腸検査をする際に、女医に意味不明に屈辱的な格好をさせられ、加えて内視鏡が肛門に超スピードで吸い込まれていくシーンも映画オリジナル。(因みに女医を演じたのが役者さんが、”唯野未歩子”さんというお名前だったので、これって名字でキャスティングしたんじゃないのと思ってしまいました。)
これら女性から酷い仕打ちを受ける儀助というのが、映画オリジナルの展開でしたが、概ね原作通りに描かれた本作が、ここだけオリジナルだったのは一体どういうことなのか?愚考するに、原作にしても映画にしても、この物語世界における「敵」というのは、老いを拒否する自分を罰するもう一人の理性的な自分なのではないかと思うのです。老いを拒否するからこそ、亡き妻を忘れて若い女性に恋心を抱く儀助な訳ですが、そんな自らを弁えぬ身勝手な自分を、理性的な自分が罰を与えている物語を、昨今の時代背景を加味して映画では強調したのかなと思ったところでした。
以上、原作を読んだ直後に映画を観たので、非常に楽しめました。そんな訳で、本作の評価は★4.6とします。
タイトルなし(ネタバレ)
妻に先立たれ、ひとり暮らしをしているフランス文学元大学教授・渡辺儀助(長塚京三)。
祖父の代からの東京郊外の一軒家暮らしで、ひとり暮らしは20年になる。
教授を辞めたあとは、年金とちょっとした原稿書き、時折舞い込む講演が収入で、貯金がゼロになる日を「Xデー」と自ら定めている・・・
といったところからはじまる物語。
全編モノクロ(色調が良い)で、前半は『PERFECT DAYS』さながら、淡々とした儀助の日常生活を描く。
この前半が素晴らしい。
儀助にとってはかなり低い位置にある流し台、米を研ぐ、魚を焼く、麵を茹でるなどの動作・所作がリズムよく描かれている。
が、枯れているようで枯れていない。
教え子で編集者の三十路女性・鷹司(瀧内公美)が訪問すると、やはり心が浮き立つ(表面に出ないようにしているが)。
小洒落たバーのマスターの姪で仏文専攻の学生・歩美(河合優実)には、何か手助けしてやれないかと思う(スケベ心が底にある)。
夢で死んだ妻の信子(黒沢あすか)が現れ、そんな枯れていない心を咎めるが、それはなんだか夢ではないような・・・
と、幻想怪奇譚めいてくる。
この途中の展開も、やや常識的な感じがしないでもないが悪くない。
が、ある日パソコンの画面に「敵」がやって来るというメッセージが流れ・・・の後が、どうもいただけない。
いや、面白いといえば面白いが、それまでに、眠って起きて・・・と繰り返し描かれたことで、唐突感が失せてしまった。
個人的には、この終盤、銃撃戦がはじまったところからカラーで、パーンと世界が変わるようなのがよかったかなぁ。
血は毒々しい赤で。
モノクロに赤の血が飛び、カラーに転調。
あっという間に儀助の目の前が真っ白に・・・(死)
飛び散る白は夢精のそれか・・・
で、「敵」が攻めて来たのが現実、かつて淡々とした生活での少々の欲情が夢だった・・・
あ、それだと別の映画になっちゃうか。
(ジョゼフ・ルーベン監督『フォーガットン』とか、別の映画ね)
四季ならぬ三季のぶった切った場面転換は印象的。
長塚京三の端正でありながら、少々のスケベ心を感じさせる演技、素晴らしい。
瀧内公美、相変わらず、清楚なのにイヤらしい。
河合優実は、フツー。
カトウシンスケの編集者が生理的に受け付けなかった(そういう演出なんだけど、やや過剰かな)。
松尾諭と松尾貴史も滋味に好演(クレジットのトメでふたり並んでいるあたりは遊び心を感じる)。
観終わった後、「ちょっと食い足りない」と感じたが、レビュー書いているうちに面白くなってきました。
面白かったのかなぁ、面白かったのかも。
教養も、礼儀作法も、下ネタも、人のおちょくり方も、全て、筒井康隆から学んだ。
俺が、だい、だい、大好きな筒井康隆の小説を、あの吉田大八監督が映画化するという事で、ツツイストとして、車で三時間遠征して鑑賞。
説明しよう!ツツイストとは、作家筒井康隆を神と仰ぐ社会的不適合者の事である!
筒井閣下!TwitterにうPされた、俺の感想を見ていますかー!?貴方が私を作ったのだ!フランケンシュタイン博士が、フランケンシュタインの怪物を作ったように!
私は、南極まで逃げますけど、南極まで追いかけてこなくって、いいです!どうか、お身体をお大事に!!
言っておくが、俺は狂ってはいない。
筒井康隆は役者も目指していたので、本人が演じても良かったのだろうが、筒井康隆は現在、車椅子生活なので銀幕デビューは叶わず。息子さんの、筒井道隆は、スケジュールが合わなかったのだ。
長塚京三がフランス文学研究者の元教授を演じる。実際にフランスのソルボンヌ大学のフランス文学部を卒業している。薄紅色したフレンチの香りほど眩しいものはない。
長塚京三って、ちょー、頭良くて、満里奈マリネが得意料理のおニャンコ渡辺満里奈との、往復書簡がTVで公開された時、聞いた事が無い慣用句で語っていて、じぇん、じぇん、分からなかったとです。ぼくは、夜の慣用句なら得意だじょ?
どう、最近、前置き短くなってなくなーい?
元教授の長塚京三は、妻に先だ立たれているも、家事はお得意のものなので、おかずは一品だけで、野菜は食わないようだが、サクサクと自炊すりゅ。酒は、五合の後に、五合、計一升を鯨飲する。
↑ いや、本当にこういう歌詞の演歌があるのだよ?
この料理シーンはアドバイザーがいるので、モノクロ映画なのに美味そうなんだよなー。俺も真似して、鮭を炙って食いました。
元教授は、講演会で10万円貰えるくらいのランクなので、食うには困らない。時折、知り合いの編集者とも会うし、馴染みのBAR夜間飛行のマスターとも仲良しこよし。時間旅行のツアーはいかがなものと、問いかけるのは原田真二。
いや!俺、狂ってないって!?普通の事、語っているじゃん?
そんな時に、パートで働いている、金の使い方が下手糞だから貧乏の女学生と知り合った事で歯車の回転が怪しくなる。
ここで、長塚京三は昔の事を思い出した。そう、あれはゼミの女学生( 名はO嬢とする)との二次会の飲み屋に向かう帰り道。
何となく、ゼミの女学生O嬢と二人きりになった長塚京三。前方にはゼミの学生の愚かな烏合の衆が、凄くつまらない下ネタを喚いている。
もう、うんざりだ!人様の子を預かっているが、こいつらは、文学の素養に欠けている!
最近、どんな本読んでいる?と聞いたら、
フランス書院です!あははははは!
と、笑いやがった!おい、おい、昭和生まれにしか通じないギャグ言うんじゃねーよ?チ✖️ポ頭?
あれって、エロい表紙を描く絵師で釣っておいて、中身はスポーツ新聞のエロコラムと同等の駄文だ、だっふんだ!
最低、月光のドミナ、O嬢の物語、家畜人ヤプーくらいは読んでね?とゼミで言ったら、あいつら、一冊も読んでないでやんの?
はぁー、何ですかぁ?何ですかぁ?てめーら、出版社に入社する為だけに、文学部を専攻したんでーすかー?デストローイ!死ぬがいい!
先生!先生!何を恐ろしい事を呟いているんですか?心の中の声を口に出して、喋っちゃっています!?
あ、メンゴ、メンゴ、横槍メンゴ!( 話題を変えて) ところで、O嬢?貴女はあの烏合のし...、じゃなくて、仲間達と二次会に行かないのかい?
もう若い子はいいんです...。
と、匂わせながら立ち去るO嬢。それに応えて、
恋は遠い日の花火ではない...。
と、長塚京三は歌会始を披露するも、歌会始は返信してはいけないルールなのでO嬢にスルーされる。
後の祭り、覆水盆に返らず、溢れたミルクは元に戻らない。
O嬢の物語は唐突に終わる、どっとはらい。
からーのー?
あ、気は狂ってないっス!
で、その知り合った女学生に金を貸しちゃうワケ?何で、学校の先生って、正体不明の女に貢ぐかねー?
俺がこっそりと、観察していた、とある飲み屋で、女の子に貢ぎまくっている元教師が、お店に通うお金がなくなった途端に...、あー、それ以上は、恐ろしくて言えない!
女学生は金を貰ったら、トンズラしたズラ〜!唯一の社交場のBAR夜間飛行も閉店。
知り合いのデザイナーは病に倒れ、精神のバランスも崩して、長塚京三にNASAが宇宙人に向けて送る、0と1から構成される( たぶん16進法) ような怪文書で、ようやく要約したら、
北から、彼奴らはやってくる...。
との、どっきどっきラブメールが長塚京三に届く。
この敵の正体だが、フランス政府である事は間違いない!
だって、BAR夜間飛行は、サン・テクジュアリのフランス文学。
犬の名前バルザックはフランス人、本名を、己れ、このドグサレ外道・バルザックであるのは有名である。
時折り、挟まれるフランスあるあるでも分かる通り、この町は既にフランスに毒されているのだ。
ED辺り、フランス革命で暴れている民衆に、犬連れたお婆ちゃんが、射殺されるが、あれは流れ弾が当たったのだ。
俺は、この映画をフランスに渡米して、ミニシアター・ルクソールで見たが、映画館は場内が盛り上がりまくって、あわや暴動直前まで盛り上がっていた!
俺的には、人生ベスト3に入るくらいの傑作だった!マジでお勧めの映画です!この映画が分からないって言う人?
足るを知れ!足るを知る者は富み、強めて行う者は志有りだ!
フランスでの上映特典として、EDロールの歌が、日本版とは違い「 レ・ミゼラブルの民衆の歌」 が流れる。
当然、フランス語ヴァージョンの「民衆の歌」 で、場内の観客は大合唱で大盛り上がり!!
俺は英語ヴァージョンの方が好きなんだけどなー?
だーかーらー、狂ってないっばー!?
長塚京三は、妙な夢を見る。
こんな夢を見た。教え子の空気が読めない男の子が、長塚京三の家に勝手に井戸を掘る。
この井戸は、イドの怪物のイドである事に気づいている人は少ないだろう。長塚京三の内面の悪魔が目を覚ましたのだ!
後に長塚京三は愛弟子のロボット・ロビーと共に、イドと対決するも、途中でロビーに拒否られて、あわや、撃沈。
イドの怪物は消滅したが、長塚京三は虫の息となる。彼は遺跡の自爆装置を作動させ、アルテア4もろとも滅びる道を選ぶ。
松尾貴史は、アルティラとロビーを伴ってC-57-Dに戻り、生き残ったクルーとアルテア4から離脱する。
そしてアルテア4が爆発するのを確認すると、父の死を嘆くアルティラを抱きしめ、我々は神ではないことを教えてくれたモービアスの名は銀河を照らす灯台となるだろうと語る...。
のだが、それはまた別のお話し...。
何故、俺がその事に気づいたかというと、長塚京三が物置を掃除している時に、見慣れないオモチャがあった事に気づいた人はいるだろうか?
そう!それこそが「 映画・禁断の惑星のロボット・ロビー 」 で、あるのだ!!
こんな夢を見た。かつての教え子の女子大生が何年かぶりに拙宅にチン入でおま。
ぼくのオットセイ太郎こと、オットと共に、元女子大生の凱旋門にチン入!ふへー、辛抱たまらん!
それを機に長塚京三のリビドーが暴走。教え子で、若奥様の生下着に登場したとしか思えない妖艶な教え子の凱旋門に高速鉄道TGVでチン入でおま。
元教え子の女子大生のアワビちゃんにオットを引き連れてチン入。
おっとっと、夏だぜぃ!じゃなかった、オット、この洞窟は狭いぞ?チン入できるのかい?できないのかい?チン肉に聞いてみよー!?
しかし、あえなく笑点、もぅ、オイラにはチカラは残っていないズラ!!
こんな夢を見た。何故か、死んだ妻と、編集者と、女子大生とで裸のランチ。
インターゾーン商会の回し者で、ウィリアム・テルごっこで殺した妻と、かつての教え子女子大生と、私を裏切った編集者と、自宅で鍋をつついている。あと、一人いたかもしれないが、思い出せない。
ここで、あの編集者の若造が、文学大好きおぢさんを激怒させる事を言ってしまう。
僕が最近、読んだ本はフランス書院ですかねー?
と、言いやがったのだ!こん馬鹿ちんがぁー!!
あんな、程度の低いエロ本はねぇーよ?ばーかー、ばーかー!
これは聞いた話しなんだけど、病人28号という愚かな男がバイトでライター募集とあったので、面接受けたら即採用されて、いざ出勤日を迎えたら、机にPCが置いてあって、Wordが開いていてさ?
何ですか?これは?
って、聞いたら、
そこにフランス書院の文庫本があるから、それを参考にして、何か書いて?書けなかったら、クビね?
って、言われたんだよ?
書けねーよ?そんなモン!
当然、夕方まで何も出来ずにクビになって、給料も無しだったよ?( ちなみに、これは実話だ)
お前にこの苦労が分かるか?お前は必殺と書いて必ず殺す!!
何か、シリアル・ママの被害者のような、編集者の若造は殺されて、その遺体は新しく出来た井戸に投げ込まれる。証拠隠滅、バッチコーい!!
こんな夢を見た。
ん?何だ、こんな早朝に救急車のサイレンが聞こえてきた。
何で、都市開発で向かいの山肌に、新道が出来たのに、うちの前の旧道を走るのだ?
あれ、うちの前で停車した。・・・しかも、車体が黄色いぞ?黄色い救急車って...、あっち系の救急車だよね?まぁ、いいか!
こんな夢を見た。亡き妻と一緒に風呂に入る。生前はしたかったけど出来なかったと負け惜しみを言うが、子どもも居なくて二人きり。周りには邪魔する者は誰もいない、お互い、今日は風呂に入っていない...。
どーすんのー?どーすんのー?俺ぇー!続く!
と、尺の都合にて入浴取り消し!おい、このお預けはどう言う事だよ?ちゃんと、責任を取りなさい!!
ピンポーン、自宅の呼び鈴が鳴る。
何だ?あの黄色い救急車の人達が、
病人はどこですか?
って、言っている。僕は健康そのものなんだけどなぁ?
2階の奥の部屋にいます!
と、ママンが叫ぶ。
どうしたんだい?へへい、ベイビー、ママン?
一体、何が起きたって、言うんだい?
屈強な男二人が、僕の部屋の扉を開けて、こう問いかけるの少女。愛は輝く夢。
貴方が病人ですね?
僕は返事をする。
はい、そうです!
すると、スタンガンを持った、屈強な大男二人組が僕の部屋に侵入してき
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