敵のレビュー・感想・評価
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混沌モノクロ夢と現実まさに筒井康隆
期待値がかなり高かったけど期待を裏切ららず!品の良い元大学教授の素敵な暮らしぶりに途中まで「長塚京三は素敵。いつ筒井康隆っぽさでてくるのか?」と思いながら鑑賞。途中から夢と現実が交差し始め混沌の中ふと現実が顔を出す感じに。いやどこまで現実?妄想?北から来る敵って?ネット民?妄想ワールドに行ってしまった。筒井康隆✕吉田大八成功してると思いました
〝煩悩〟なんて都合のいい言い換えです
昨日のことです。
ナポリの窯でピザを持ち帰り購入し、自宅で冷え冷えのビールをグビッ!!昔から辛いのが好きなので、当然のようにTabascoをワンピースあたり3〜4滴大粒でかけました。案の定〜中略〜なわけです。病院へ行くほどではないのですが、若い頃に比べると、辛いものに対しての大腸の耐性(機能?)がすっかり弱くなっていることを痛感するばかりです。
シワとか肌のツヤとか人から言われなくても分かるような、加齢による変化についてはさしてショックは受けません。
けれど、20代〜40代、人によっては50代60代までは気にも留めなかったようなこと、それもまさか加齢で衰えるとは想像もしてなかった部分で衰えを自覚することになるという経験は結構ショックです。
歳を取る、というのは身体のあちこちで生じる〝まさかこんなところが!〟という加齢による変化(要は衰えのこと)に慣れていくことなのです。
なのに〝性欲〟(それを煩悩なんて呼ぶのは男にとって都合のいい言い換えでしかない!!)だけは、歳を重ねても衰えを感じない。機能は肉体的なものなのに、それが想像力から発するものだなんて極めて大脳的。その矛盾ってどういうこと?
知的作業を生業(なりわい)としているものにとってそのショックは簡単に整理できないから、自分の内面の課題ではなく、いちどきに襲って来る、自力で対処しようのない〝敵〟のようにも見えるのではないでしょうか。
原作者 筒井康隆さんの、テレパシー能力を持つ七瀬が主人公のシリーズでは、出てくる男はひとりの例外を除き、すべて女を見れば裸とセックスを想像しているように描かれています。
もちろんそれは作品全体から見れば部分的なものであり、主題ではないはずですが、男の一面としては絶対に切り離せない欲望のひとつです。
これぞ映画。悪くはない後味を噛みしめて余韻に浸る。
とても丁寧な暮らしをする主人公の姿に「PERFECT DAYS」を思い出しました。食も住もテキトーな私は憧れはしてもとても真似はできませんね。
でもその几帳面な日常ルーティンさえも、結末を知ってから思い返すと、別の意味があったんだろうなと気づいたり。
現実と妄想の境目が次第に無くなっていく不思議な作品で、モノクロ映像の鮮やかさが印象的。
長塚京三さんも、彼を取り巻く3人の女性も、まさにハマり役でキャスティングもお見事です。
レビー小体型の症状で幻視の出る肉親を近くで見てきたから、主人公に見える見知らぬ男や襲いかかる敵たちがとてもリアルに感じました。
老いも死も避けられないという現実。
筒井康隆原作なのでそれさえもSF的に飛びこえて映像にしてしまった吉田大八監督の手腕が光っていました。
理性vs本能
観る人によってそれぞれ違う「敵」
中学生の時、筒井康隆の「狂気の沙汰も金次第」を読んでからファンになって、筒井康隆作品はほとんど読破しました。多くの作品を作り出している大御所ですが、すでに映画化されている「時をかける少女」や「俗物図鑑」みたいな解りやすいSF作品と、「虚構船団」や「文学部唯野教授」みたいな少々難解な純文学作品とに二分されます。今回の作品は後者ですね。
原作はもちろん読んだのですが、解りやすいSF作品とは異なり読むのに物凄く時間がかかったのを思い出しました。で、映画版なのですが、全編モノクロ(というか淡いセピア色?)で構成されていて、原作の雰囲気を上手く反映させていました。以前から教師役が上手な長塚京三を元フランス文学教授の主人公に据えて、エッセイやイラストにも造詣が深い松尾貴史を主人公の友達のデザイナー役、「ナミビアの砂漠」でも難解な役を演じきった河合優実を小狡い女子大生役に起用するなど、とても解りやすい作品に仕上がっていました。
長塚さんが良い
混沌の妙味
こわい映画でした。
大学教授だった男性が、
老いて内部から崩壊していく。
奥さんが亡くなり、一人暮らしの元大学教授。
なかなかシュッとしてカッコいい(長塚京三さん。このキャスティングはドンピシャ)。
昔の教え子が訪ねてきていい感じになっちゃったりする。
料理も淡々とこなし、レバーを牛乳に浸して臭み抜きをするあたり、ほんとにきちんとした生活をしていて感心する。
しかし、ポツポツあった仕事もなくなってしまうと、曜日、日付の感覚がなくなり、次第に昼なのか夜なのか時間もあやふやに。
生活がだんだん崩れていき、妄想が進む頃にはカップ麺を食べるようになる。
独居老人の生活の低下と老いの進行は比例するから、この辺りの表現は正確だし上手いなと思う。
白黒の画面が時間の区切れをいっそう曖昧にして、だんだん夢なのか現実なのか妄想なのかもわからなくなってくる。
老い、ボケを内部から見るとこういうことなんでしょうか?
内部はゆっくり崩壊していく。
外から見ると、ある日突然言動や行動がおかしくなったように見えるのだけれど。
結末に向かって混沌はどんどん激しくなり、見ている方も何が現実かわからなくなってくる。
彼が見る妄想を観客も一緒に見る
こわい映画でした。
老いる事は怖いのか?
過去に復習される男、儀助
老人と三人の女
筒井康隆の原作は未読。年老いた元大学教授の日常生活が丁寧に描かれる。焼き鳥を自分で作るほど、食事にもこだわりがあるよう。そんな平穏な一人暮らしに、見えない「敵」の影が忍び寄る…
とにかく長塚京三が主人公にぴったりはまっている。老体をさらしつつ、インテリで含羞を滲ませた役柄を演じられるのは、彼以外では考えられないほど。
亡き妻、かつての教え子、現役学生の三人の女性を、みな主人公が主観的に見た姿として描くことを徹底しているのも、面白い。芸達者な女優陣が、うまく色合いの違いを見せている。
後半の、現実と夢想が混然となり、侵食し合っていく様は、まさしく筒井康隆ワールド。しかし、滑稽さと情けなさを見せつつも、実写にすると、どうしても支離滅裂なものに見えてしまう。モノクロにしたのは正解だけど。
タイトルにもなっている「敵」は、素直に「死」のメタファーと読んだ。安らかで思い通りの死を迎えることは不可能なのだと、自分事として考えさせられる。
意図は分かるが、すっきりしない。
筒井康隆の原作を実写化したことで多くの人に評価されているが、私はむしろ映画を見るより原作を読んだ方が良かったかも、と思っている。それこそ、原作のある映画に相応しいのかもしれないが、映画単体で見た場合、面白さは今ひとつなのである。それは私自身が老いてきて、身につまされるからかもしれない。年甲斐もなく、まだ性欲があるのは良く分かる。ただ、北の敵というのが、いささか突飛な想像に思え、主人公の料理のリアルさと対照するにも、あまりにもチャチな感じがする。ただし、主人公が想像で恋する亡き妻、教え子、知り合った娘が黒沢あすか、瀧内公美、河合優美なのはそれぞれの役割に合ったキャスティングが最高で、彼女たちと相対するシーンはどれも好きだ。
<ストーリーを追ってはいけない映画かも>
●今、流行りはストーリーではなく「人物」にフォーカスする映画か
一昨年の「Perfect Days」、昨年の「ナミビアの砂漠」など、いずれもストーリーを追う映画ではなく、ただただひとりの人物の行動を追う。説明的なシーンは少なく、一人の人物像を感じとる事で成り立っている。
現在公開中の「敵」も、そんな映画か。
老境の高名な仏文学者。 出だしは、まさに人物が違うだけでPerfect Daysのような描き方だ。説明的なシーン設定もなく、淡々とした毎日をひたすら描き出す。すると、人物像も自然と浮かび上がってくる。そんな日常の中に、ほんの少しのノイズがヒタヒタと忍び寄る。
「敵」とは何者なのか。「敵」はどこにいるのか。「敵」の正体は? と、こう書くと、ストーリーを追って推理するような映画だと誤解されかねない。重ねて言う、理解するのはストーリーではない。人物のありのままの姿だ。
どんなに学があり高名であり、何不自由ない生活を自分自身で送れていたとしても、逃れられない「老い」。 昨今、PLAN75やロストケア、正体など、老いの社会問題をテーマとした映画が続々と生み出されているが、この映画は、老いのパーソナルでセンシティブな部分にフォーカスした問題提起となっているようだ。
面白かったー。 地位、名誉あっても 人間はいくつになっても怖れから...
筒井節がさく裂する原作の混沌とした世界観。モノクロームの静かなたたずまいにだまされてはいけません。かなりぶっとんでいます。
●はじめに
年を重ね、死期が近づいていると感じた時、人は何を考えるのでしょうか。人生の最期に備える「終活」が浸透してきた今、残していく家族や家の処遇について生前から考えている人も多いことでしょう。周りの人に迷惑をかけず、静かに逝くことが美徳とされる風潮が顕著になってきています。しかし人生はそう思い通りにはいかないものです。
そんな人生をどう終えるのか問いかける作品が本作です。筒井康隆の同名小説を、「桐島、部活やめるってよ」「騙し絵の牙」の吉田大八監督が映画化。12年ぶりの映画主演となる長塚京三が、儀助からあふれる知性を表現。昨年の東京国際映画祭ではグラシプリを含む3冠に輝きました。穏やかな生活を送っていた独居老人の主人公の前に、ある日「敵」が現れる物語を、モノクロの映像で描いたのです。
吉田監督は、パンデミックのなか、蔵書を読み返していて、1998年に書かれたこの筒井康隆による原作小説に再会したそうです。
「朝食」「友人」「物置」……といった40以上の章に分かれていて、こまごまとした、こだわりのある暮らしぶりが主人公の視点で書かれ、そのなかで、ゆったりと物語が進むのです。描写の細部に魅力があり、これを映画化するのは至難の業と思える小説だったのです。
仕掛けとして用意したのは、舞台となる、主人公の、築100年以上、文化遺産レベルの民家を利用した家と、それを活かしたモノクロームの映像です。まるで、小津安二郎か、成瀬巳喜男の映画のような、端正で、どこかストイックなたたずまいを見せてくれます。
●ストーリー
ひとり暮らす、渡辺儀助(長塚京三)77歳。大学を辞して10年、フランス近代演劇史を専門とする元大学教授。20年前に妻・信子(黒沢あすか)に先立たれ、都内の山の手にある祖父の代から続く日本家屋で一人慎ましく暮らしていました。
毎朝決まった時間に起床し、料理は自分でつくり、晩酌を楽しみます。食事の内容、食材の買い出し、使う食器、お金の使い方、書斎に並ぶ書籍、文房具一つに至るまでこだわり、丹念に扱います。その割には、使い切ることもできない量の贈答品の石鹸をトランクに溜め込み、物置に放置していることも。
麺類を好み、そばを好んで食します。たまに辛い冷麺を作り、お腹を壊して病院で辛く恥ずかしい思いもするのです。食後には豆を挽いて珈琲を飲みます。
親族や友人たちとはすっかり疎遠になりましたが、元教え子(松尾諭)は儀助の家に来て傷んだ箇所の修理なども手伝ってくれます。また、時に同じく元教え子の鷹司靖子(瀧内公美)を招いてディナーを振る舞ったりもするのです。元教え子で出版社勤務の男(松尾貴史)と行ったバー「夜間飛行」で、デザイナーの湯島と酒を飲交わします。そこで出会ったフランス文学を専攻する大学生・菅井歩美(河合優実)に会うためでもあったのでした。でもこのあと歩美に300万円貸したものの行方知れずになります。
湯島の提案から、儀助は講演や執筆で僅かな収入を得ながら、預貯金が後何年持つか、すなわち自身が後何年生きられるかを計算してみることにします。収入に見合わない長生きをするよりも、終わりを知ることで、生活にハリが出ると考えたからでした。来るべき日に向かって日常は完璧に平和に過ぎてゆきます。
できるだけ健康でいるために食生活にこだわりを持ち、異性の前では傷つくことのないように、なるだけ格好つけて振る舞い、密かな欲望を抱きつつも自制し、亡き妻の信子(黒沢あすか)を想い、人に迷惑をかけずに死ぬことへの考えを巡らせます。 遺言書も書きました。もうやり残したことはないと儀助は思ったのです。
そんなある日、パソコンで原稿を書いていると不気味なメールが届きます。文面は、「敵がやって来る」と不穏なメッセージが流れてくるのです。
いつしかひとり言が増えた儀助の徹底した丁寧な暮らしにヒビが入り、意識が白濁し始めます。やがて夢の中にも妻が頻繁に登場するようになり、日々の暮らしが夢なのか現実なのか分からなくなってくるのです。
知らぬ者が庭をうろついたり、ゾンビが退去して襲ってきたり、遠くで銃撃戦の音が響いていたり、表に出れば隣人が撃ち殺されたりするのです。
「敵」とは何なのか。逃げるべきなのでしょうか。逃げることはできるのでしょうか。自問しつつ、次第に儀助が誘われていく先にあったものは…。
●解説
冒頭は、朝ごはんを用意し、洗濯や皿洗い、掃除、買い物を淡々とこなしていく儀助の日常が映し出されます。決まったルーチンをこなしつつ、たまの楽しみを満喫する姿は悠々自適な老後に見えるのです。時々家に来る教え子の靖子や、バーで出会った女子大生の歩美にひそかな欲望を抱きつつも、亡き妻の信子を思って自制します。しかし、信子が頻繁に夢に登場するようになり、やがて幻想と現実の境が曖昧になっていくのです。
講演や執筆の依頼は減っても、一律10万円の講演料や生活水準は落とさないと決め、日々の出費と貯金残高を照らし合わせていつまで生きられるのか計算する儀助。敵の襲来に備えるように老いや死への万全な対策をとっていたのです。
加えて儀助は、若い女性にもてるのです。インテリで包容力があり、清廉潔白に生きていたので、枯れた紳士ではあるが、何かと頼られる存在でした。
プライドを保って生きているように見えます。しかし「敵」が現れてからというもの、教え子の靖子と、性的な関係になるという妄想に猛烈にかられたり、歩美に「先生に教えてほしかったな」と言われメロメロになったりと、長年潜在意識の中でうごめいていた欲望が噴出するのです。
さらには時折、亡くなった妻の信子まで夢に現れて、一緒にお風呂に入ったりするのです。生きていたときはそんなことは一度もそんなことはありませんでした。白黒の映像が、逆になまめかしくみえてきます。
この靖子や歩美との逢瀬に浮かれる姿は滑稽です。夢の世界では下心を見透かされ、責められ、情けなく許しを請うのです。夢を通して、今までの行いを悔やんでいるのか、それでも許されたいと願う自身の甘さを恥じているのか。まるで「このまま人生の幕を引けるのか」と自問しているようでもあります。過ちや自分が軽んじてきた相手、夢に表れた自意識も、儀助の平穏な人生を脅かす「敵」なのかもしれません。
但し「敵」は儀助を脅かし続けますが、正体は最後まで分からりません。
静かな生活が淡々と進むか、とみせて、主人公の内部では事態はまるで戦争状態に突入してしまうような、スリリングな展開。夢とうつつが混然一体となり、見る側を引き込む終盤は、筒井節がさく裂する原作の混沌とした世界観を見事に映像化しています。モノクロームの静かなたたずまいにだまされてはいけません。かなりぶっとんでいます。
●感想
わたしは、マルチバースとか夢落ちの展開が大嫌いです。そういうのって俳句でたとえれば、季語を比喩に使ってしまうようなものです。それでは季語の鮮度が落ちてしまうと口酸っぱく『プレバト』で言われ続けています。同様に映画でもメインストーリーを夢落ちにしてしまったら、演出者の思いつつままに、どんな不条理な展開でも可能にしてしまいます。その分観客には、何を伝えたいのかったのかさっぱりわからず、演出者の独り相撲にしてしまうところが、夢落ちの問題点でしょう。
原作に描かれたとおりストーリーをぶっ飛ばすのは、仕方ないのかも知れません。ただ本作上映が終わったとき、隣で鑑賞していた老夫婦が「何をいいたかったのか、さっぱりわかりません。」と語り会った言葉が全てだろうと思います。
夢か現か、現か夢か
長塚京三さん、素晴らしい。
「毎月の支出から年金とわずかな原稿料を引いて、貯金の総額を割ればいつゼロになるかがわかる、。そこがXデイってこと。残高に見合わない長生きは悲惨だから」と、渡辺儀助77歳は数少なくなった友人の湯島に言う。妻に先立たれて20年。フランス文学の教授は10年前に辞めた。
慎ましい毎日だが食事にはこだわり、朝昼晩と自炊をする。焼き鳥なんかは下作りから丁寧に作り晩酌をする。
私は渡辺儀助よりちょうど一回り若いが、まさに今年から年金とわずかな配当収入で毎日を生きることにした。渡辺と同じように全ての支出は賄えないので蓄えが尽きたら人生も終わるのではないかと思っている。今は幸いにも私には元気な妻も家族もいるので孤独ではないが、先を考えるとやはり身につまされる。
「敵」とは何かと言うことを観た人は皆、思うだろうが、決して「北の脅威」でも単なる「老い」でもない。私なりに考えると「弱くなった心根に忍びこんでくる闇」のようなものであり、それは年齢に関係なく襲ってくるのではないかと思う。
長塚京三が演じた「恋は、遠い日の花火ではない」の名コピーが忘れられないサントリーOLDのCMは30年前。その頃も素敵な中高年であった。そして後期高齢者になっての今作の主演。その佇まいと演技。素晴らしい。これほどの適任はなかったのではないかと思っています。
今年の私の映画鑑賞はまだ始まったばかりですが、先ずはベストムービーと認定できます!
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