敵のレビュー・感想・評価
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敵がやって来る
静かなモノクロの世界。物腰の軟らかい元大学教授の独居老人。フランス文学を専門とし、その権威としての自負もある。身の回りのことは自分でこなし、凝った料理もお手のもの。自分の身の処し方に手も打ち終えた。どこを切り取っても、元大学教授的『PERFECT DAYS』。ところが、もう人生の終末を穏やかに迎えるものと思っていた矢先、様々な出来事が舞い込んでくる。ささやかな、それでいて逃げきれない。いや、本当は心の奥底にまだそれを期待していたのだろう。興味がないふりしていながら、実は欲していたのだ。いろいろと。
さあそこでだ、突然の警告、「敵がやって来る」。もしかしたら、このメールを見つけた時ぐらいから、儀助はボケがはじまったんじゃないだろうか。たまにいるでしょう、強迫観念に支配されて暴れる老人が。儀助はそれだ。その視点で彼を見ると、すべてが納得できる。彼に迫る敵とは、達観していそうでいて本当はあった「不安」、若いものへの「嫉妬」、教え子への「欲情」、そんな隠れていた妄想のことだ。それが、ボケ始めることでタガが外れて顕在化したのだ。抑制も効かずに。それを傍から見れば、とうとうこの爺さんボケ始めた、となる。"あの裏窓の主人公はゲスだね。いたく共感するよ″とか、″フランス語は、愛を語るための言葉だからね″とか、つい少し前まで気取っていた姿はどこへやら、見るに堪えない妄想老人へと変わり果てる。いまそれに気づいている自分でさえも、あるとき、敵がやって来るかもと思ったら、戦慄が走った。長塚京三、絶妙。
老いと向き合う
元大学教授で仏文学研究の権威となればプライドもあるし弱みも見せられない。悟ったように教え子に語りながらも,内面は押し込められた煩悩が渦巻いていた。こんな矛盾を抱えて老後を生きるって辛すぎると言うのが最初の思いだ。最初はリアルな夢から始まり、その後はどんどん夢と妄想の境目がなくなっていく。
老いて自分がどうなるかはわからないし、想像するのも怖い気持ちがあるが、自分の気持ちに正直に生きたいなぁと思う。少なくとも,彼が日々の食事をきちんと作り,丁寧にコーヒーを入れて飲む姿は理想の老後に見えた。
原作は未読ですが筒井康隆ぎこの本を書いたのが63歳と観終わった後に知った。その年齢でこれを書く筒井康隆もすごいし、この本をこのような形の映像にする吉田大八もすごい。モノクロなのに色彩を感じる映画だった。
モノクロながら、鮮やかな色彩を感じさせる一個人の老後生活
『時をかける少女』『パプリカ』の日本文学界の巨匠・筒井康隆による同名小説を『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八監督が映像化。生い先短い老人の慎ましやかな生活と、自制していた欲望が次第に表出していく様を、モノクロの映像で鮮やかに描き出す。
主人公の元大学教授・渡辺儀助を、ベテラン俳優であり儀助と同じくフランスと強い縁のある長塚京三が演じる。
妻に先立たれ、余生を都内の山の手にある古い日本家屋で過ごしている元大学教授・渡辺儀助は、年金と講演や執筆の仕事で得た預貯金を切り崩しながら、“来るXデイ”に向けて過ごしていた。それは、「毎月の支出からいつ預貯金がゼロになるかを割り出し、ゼロになった時に自殺する」というものだった。
日々の食事を全て手作りし、僅かな友人やかつての教え子、行きつけのバーで出会ったフランス文学を専攻する女子大生と過ごす。時に自らの加齢臭を気にしたり、身体の不調に悩まされながらも、季節は過ぎて行った。
そんな中、突如自宅のパソコンに送られてきた「敵が来る」というメッセージを皮切りに、次第に儀助は現実と妄想の狭間に飲み込まれてゆくー。
タイトルにある「敵」についての意味を探る時、ともすれば我々は、現在の世界情勢と結び付けて考えてしまうかもしれない。しかし、原作が発行されたのは1998年。本作で描かれる「敵」とは、全て儀助の中、それを見守る我々観客一人一人の中にある問題である。その事にアテンションするように、作中ではカトウシンスケ演じる新米編集者の犬丸が「ロシア問題か…」と呟いた際、すかさず靖子が「先生はメタファーの話をされているのよ」と訂正する。
現在31歳である私が思うに、本作で描かれている「敵」の正体とは、月並みだが“死”であり、“孤独”であり、何より“自分自身”に他ならなかったのではないかと思う。
預貯金から割り出した「あとどのくらい生きられるか」という計算に裏打ちされた“死”に対する覚悟も、ラストでは脆くも瓦解する。
外見では常に余裕を持ち、穏やかな姿勢で元教え子の鷹司靖子(瀧内公美)や女子大生の菅井歩美(河合優実)と接しながらも、密かに靖子への劣情を抱き、亡き妻である信子(黒沢あすか)の幻影を追って遺品のコートをクローゼットから引っ張り出して書斎のハンガーに掛ける。歩美の大学の授業料を負担すると申し出て、まんまと預貯金から300万円も失ってしまう。知人の湯島に語った「不思議と腹が立たない」という台詞にも、僅かな見栄があったのかもしれない。
トランクケースに溜まり行く、独りでは使い切れない程の量の石鹸は、儀助が妻を亡くしてから積み上げてきた“孤独”なのではないか。妄想の中で難民に向けて「好きなだけお持ち下さい」と自宅の塀の前にそれを置く様は、妻に先立たれ、友を失い、若い女に騙されて預貯金を無くした事で、自らの理性と自制心が限界を迎えてしまった儀助の「誰かこの孤独を消し去ってくれ!」という静かな叫びだったようにも思えるのだ。
だからこそ、儀助は自宅の庭に振り続ける冬の雨を前にして、「この雨があがれば春になる。春になればきっと、また皆に逢える」と、心の中で呟く。静謐で厳かな雰囲気を漂わせていた儀助の生活の下には、孤独と虚栄心に塗れたごく普通の老人、どうしようもない「人間」、「男」という性別の生き物の本質があったのではないか。
しかし、パンフレットを読むと、主演の長塚京三氏は更に深い領域まで渡辺儀助という人物を捉えている事が分かる。それは、フランス演劇・文学という高尚でインテリジェンスな分野に人生を費やして来た事から来る傲慢さ。妻の信子に注ぎ切れなかった愛情と侮り(「夫婦揃って貧乏暮らしをするなんて、君は耐えられなかったはずだから、先に逝ってくれて良かった」と口にする様や、フランス文学・演劇を専門としながら、一度たりともフランス旅行に行かなかった事)。性欲を自制心と虚栄心によって律する中で密かに、しかし確かに抱いていた下心。儀助が向き合う「敵」の正体とは、つまり彼がこれまでの人生で蔑ろにしてきたもの、それらからの“復讐”なのだと。
この事を受けて、私の中では心理学者のユングが遺した【向き合わなかった問題は、いずれ運命として出会うことになる。】という言葉が思い起こされた。
他にも、“老い”や“恐怖”といった様々な「敵」を、観客一人一人が想像するだろう。その正体が何であるかが明確に語られない以上、それぞれがそれぞれの「敵」を想定して鑑賞し、考察して行く他ないのだから。
しかし、こうした内容やポスタービジュアルが与えるシリアスな印象とは裏腹に、本作は意外にも儀助の人間的・男性的な滑稽さをコミカルな表現で描き出す様も目立ち、それが魅力の一つとなっていた。
靖子を想って無精し、翌朝無様に下着を洗う姿や、痔の検査で内視鏡を挿れられる際、まるで掃除機のコードのように内視鏡が勢いよく入って行く様などは、場内からクスクスと笑い声が漏れていた。
また、信子が儀助に「この人(靖子)の事を考えて。勃起して。一人でしてたんでしょ?」と問い詰めるシーンでは、「…した。でも、想像の中だけだ!」と返す儀助に「想像するのが1番悪いのよ!」と激昂する姿が面白かった。
モノクロながら、その彩りの豊かさを感じさせてきた数々の料理シーン・食事シーンは、本作の最大の魅力だろう。本作は一個人の老後の私生活を描くと同時に、優れた飯テロ作品でもあったと思う。
物語冒頭から、起床した儀助は米を研ぎ、電気コンロで鮭を焼く。自ら豆を挽いて食後のコーヒーを嗜むのがルーティン。
湯島からの土産の手造りハムは、ハムエッグにして手際よく蒸し焼きにする。
たまの晩酌では、焼酎のお供に焼き鳥を自作する。レバーは血抜きし、葱間を作って焼き上げる。
朝食の白米を少し余らせて、塩昆布でサッとお茶漬けにする手際が美しかった。
好物の麺類は、素麺や冷麺を楽しむ。この冷麺の為に、拘りを持って買ってきた辛口のキムチが、翌朝痔を発症する原因となってしまうのだが。茹で卵を四つ切りにし、白胡麻を挽く手際の鮮やかさからは何とも悲惨な末路。
しかし、そんな食材や栄養に気を遣った食生活も、「敵」を前にして次第に現実と妄想の区別が付かなくなってからは、最終的には簡単なカップ蕎麦になってしまう。こうした食に対する姿勢の落差にも、抗いようのない“老い”を感じさせる。
渡辺儀助役の長塚京三氏の演技力には、今更賞賛を贈るまでもないだろうが、監督がキャストを想定して脚本の初稿を書き上げたと語るだけあって、儀助という人物のリアリティのある説得力は素晴らしい。時に滑稽な姿さえ晒してしまう振り幅の豊かさも、長塚氏が積み上げてきたキャリアの賜物だろう。
鷹司靖子役の瀧内公美の美しさは、モノクロの世界に於いて抜群の存在感を放っていた。本人も「モノクロ映えする」と言われた事があるというだけあって、妖艶さと成熟した大人の女性さを兼ね備えた靖子役はハマり役だったと思う。
老いるの怖い
今はYouTubeで年配女性のおひとり様暮らし動画なんかけっこうあって、老後も何とかなんじゃね?って思えてたのに…本作見ると「老いるの怖い」がぶり返してきた。キムチ食って血便出んのかよ!怖いよ〜!
自分が儀助くらいの年になる頃には、もっとライトな死に方が許される世界になっててほしい。歯医者行くくらいの感じで安楽死させてほしいし、死後のもろもろもネットでポチッと決めさせてほしい。
あとは、教え子の女性が色っぽかったですね。モノクロだと色彩がない代わりに陰影が強調されて、身体の凹凸がより目立つ感じがしました。
虚の中のリアリティ
夢なのか妄想なのか現実なのか不確かな事象がスクリーンで起きる事自体を楽しむ映画なのかと思うが、終盤は全てが夢か妄想にしか見えなくて(実際そうなんだろうけど)割とどうでも良くなってしまった。
ギリ現実なのかもと思わせる描写があれば感じ方は違ったのかもしれないが。
映画や小説が全て虚なのは当然だが、虚の中のリアルのバランスとして自分はこの作品は上手く受け止められないと感じた。
丁寧な日常を丁寧に描写している序盤や、心の状態が日常の行動に波及している終盤の描写とかは好きです。
彼の様に地位も名誉も手にした人間でさえ、その地位と名誉の源泉から離れてしまった後の姿の描写として身につまされるリアリティがある。人間は一定以上自己のアイデンティティを外部に依存せざるを得ないが、依存の程度や強い場合や依存先が少ない場合の危うさについては老後に限らず意識しなくてはならない。
原作未読なので映画単体としての評価です。
良い映画、でも楽しい気持ちにはならなかった
この映画の“敵”とは
・大学教授としてのプライド
・プライドゆえに素直に振る舞えないストレス
・ちゃんとした生活を送らなきゃという自分へのプレッシャー
・本当はどう思ってるか分からない他者の気持ち
・出来なかった事への罪悪感(妻とパリに行く)
・管理が難しかったり手に負えない家
・若い女たちへの下心、教え子が尋ねてくる妄想への罪悪感、
それを隠したいけど隠すのは苦しい気持ち
・老いへの不安と、それに重なる連載打ち切り、新しい編集者(若者)への恐怖心
・詐欺メールが来る屈辱感
・健康への不安
・世の中からの孤立、寂しさ
などなど
妻の死後20年かけてジワジワと主人公のなかに溜め込まれた“敵”に
最後は自らが潰されてしまったように見えた。
ただ主人公が“敵”と思っているものは実際に悪い事をする者でなく、
主人公の内面の中で“敵”と認識してしまっているだけに見える所が気になった。
人間は、考え方や向き合い方次第で、敵でないものも敵と認識して心をすり減らして肉体的にもダメージを負ってしまう。
それはとても怖い事だけど、考え方次第ではその逆もあり得るというのは救いでもある。
舞台となる家に主人公が閉じ込められている感じも、主人公が“自分の認識”から身動きが取れなくなっているのを象徴している様にも感じた。
最後の主人公の幽霊のようなものはよく分からなかったけど、
最後まであの家=自分の頭の中に閉じ込められたままだった主人公の様になるなよ、
というこれからあの家に住む者と、観客へのへの警告の様にも感じた。
この映画から学ぶなら
気楽さやテキトーさも大事!という事なのかな。
一人の俗物を襲う「老醜」と「死」
仏教で説く「四苦八苦」の四苦は生・老・病・死を指す。老と死は一続きではない。老いることは苦しみであり、そして死は別に存在する。この映画は老と死を峻別して別々にみせているところに際立った個性がある。
主人公渡辺儀助は大学教授だったがすでに引退し妻にも先立たれた。古い日本家屋で暮らし、身の回りのことはキチンとこなす。食べることにこだわりがあり、凝ったものはつくらないが飯を炊き、肉や魚を焼くなどして菜をつくり食事を楽しんでいる。講演の謝礼は10万円と決めており(安売りはしない)貯金が尽きたときは自裁すると公言している。
要するに自律的、スタイルスティックな生活をおくっているわけだが、翻っていうとこれは老醜を恐れているからに他ならない。ありのままの自分を受け入れられないという意味で俗物であろう。
だが年月は人を老いさせていく。顔の張りはなくなり、身体はたるみ、加齢臭が漂うようになる。
そして儀助を取り巻く女たち。教え子の旅行雑誌編集者は時として儀助を訪れ心をかき乱す。彼女の狙いはよく分からないが、恐らくは学生時代の楽しかった記憶を思い起こしたいというような気持ちなのだろう。バーで出会った女子大生は金目当て、そして儀助の夢うつつに現れる亡妻は儀助の言うことを聞かず恨みごとを申し立てる。つまり、自分勝手な彼女たちと自分自身の欲望に振りまわさせることによって儀助の老醜が隠しようがなく晒されていくのである。
そして「敵」。恐らくこれは死を指している。死は老いとは別のところから現れ、容赦なく人を打ち倒していく。青森から上陸し、黒く汚く這いずる者たちというのは儀助の持つ「敵」=死のイメージなのであろう。
「敵」=死は突然やってくる。これは映画の中でフランス語の引用でも示されるし、儀助の友人であるデザイナー(松尾貴史)が敵を見た後、突然死ぬシーンでも説明される。
老醜から逃れられなかった儀助は「敵」=死からも逃げられない。
残酷な映画であるとしか言いようがない。
映画の最後は、儀助の残した遺書によって家を相続した遠縁の槙男と思われる人物が家を見て回るシーンで終わる。槙男がのぞき込んた遺品の双眼鏡に、儀助の姿が一瞬映る。人は死に、その記憶はかすかに亡霊のように残るが、やがて跡形もなく消え去っていく。その無常を改めて感じた作品でもあった。
敵とは…
女性たちが上品
敵とは
ダブル松尾😁
寝落ちした😂
目覚めたら、自宅に訪ねてきた編集者の不躾な男と女の子が、黒沢あすか扮する奥さんが振る舞う鍋を囲んでいたら、主人公が奥さんとケンカになったと思ったら、不躾な男が女の子に殺されて、井戸に落とそうと引きずっているのを、松尾諭が手伝って井戸に死体を落とすカオス…🤯
何だ、夢オチかいなと思ったら、今度は爆撃始まって、また夢オチかいなと思ったら、ホントに死んだのか🤣
結局、演技派女優の河合優実の出演シーンを見逃すという😌
それにしても、昔、あっち系でお世話になった黒沢あすかは、この系の役柄をやらせたら、右に出るものはいないよなってくらい、安定感抜群ですわい😆
現実と妄想のバトル
こういう映画が好きなら
老いの恐怖を経験している人にとってはあるあるネタ的な感じでメタ的に...
crescendo(だんだん強く)
なんじゃこりゃ
最初は年配男性の一人暮らしの丁寧な暮らしぶりが淡々と描かれていて、
モノクロというより極限まで彩度を落とした映像で、
登場人物もセリフも少なくとにかく眠かった!!!
一人また一人と登場して話は進むが、途中から夢?妄想?現実?ごちゃ混ぜで
なんのこっちゃの世界でした。これがSFというものなのか。
私はSF作品を読んだことがありません。筒井先生の作品も読んだことがありません。
知識がないからか理解できない。。。
最後なんてもう、とんだ安っぽい映画を見せられている気分。
筒井先生が以前、関西ローカルの番組にコメンテーターとして出演しており
いつも最後に確信をつく一言や粋な一言を仰るのがとても面白く好きでした。
だけどこれはよくわからなかった。原作を読んでみたくなりました。
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