敵のレビュー・感想・評価
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鑑賞動機:筒井康隆9割、長塚京三1割
原作は未読だけどあらすじは把握。筒井さんなので、夢/妄想か擬似イベント物…は今更ないか。実はメタフィクションなら映画化難しいのわかるけど。加えて吉田大八監督なら何をやってくるか?
結構手をかけた自炊で、ちょっと美味しそう。
ずっとモノクロでほぼ固定カメラを切り替える映像。一人暮らしの高齢男性にしては、充実した生活をされている方でしょうか。
徐々に夢/妄想の比率が増えていき、いつしか現実にまで侵食…かどうかは判然としないけど。願望充足ともちょっと違う。そして敵。何となくアレかなというのはあるが…。むしろエンディングに困惑。
たまたまつけたテレビで「100分de 名著 筒井康隆」に遭遇。短時間ではあるが吉田監督のインタビューもあって満足。星増やそ。
老い
おっとりした時間が徐々にすり減っていく。
元フランス文学の教授の渡辺儀助は自分の貯金残高に残りの時間を合わせながら悠々とした時間を過ごしていた。同時に彼の崩壊もゆっくりと忍びこんでいく。
細部まで気を配られた日常が、儀助が孤立していくごとに噛み合わなくなっていく。連載の打ち切り、友人の死、女、老化、敵。
アケルマン的な淡々とした時間がだんだんとリヴェットの世界のように壊れていくサスペンスはたまらない。
白と黒だけの色彩設計はよく練られている。敵は黒だ。それに注目して見ても面白い。単純に映像だけを味わおうとしても、コントラストがはっきりしつつ、グラデーションもきめ細かいモノクロ映像は興奮させられる。
食事と排泄、睡眠、セックス。人間の罰が作品全体にきちんと並べられていて、生のあり様が老いを際立たせている。儀助の欺瞞と虚飾に満ちた死生観がハリボテであることが暴露される。
コルドリエ博士にも似た儀助の妖しい妄想の旅は映画としてこの上ない。
満点。
ホラー映画かな
静か過ぎる恐ろしき日常
不安と晩年
下心な出費も計算済?
残りの人生と貯金残高を計算しバランスを考え生活する渡辺儀助の話。
妻に先立たれ祖父の代から続く家に独り住む儀助だったが、ある日PCにメールが届き開いてみると「敵がやってくる」というメッセージが届き…。
原作未読、モノクロ映像の中で進むストーリーで見せるけど、ただただ印象的に残ってるのは基本主食は麺類と焼鮭を焼いてるシーンが美味そう!と鷹司演じた瀧内公美がセクシー&セクシーって感じで!
独り孤独に住みながらも日々の生活の不安や下心、生前妻とは出来なかったことの後悔がちょっと分かりにくい世界観ではあったけれど、夢として見せていたって感じなのでしょうかね!?
とりあえず終盤の鍋の件、図々しい編集者に笑えた!「敵」って結局、“不安”に追いつめられるとかの意味?よく解らなかった。
原作世界の現代的再現を楽しむ
1998年に上梓された筒井康隆原作の同名小説の映画化作品でした。1993年に断筆宣言をし、1996年に断筆解除した筒井が、解除後初めて発表した長編小説でしたが、当時は老人が主人公の地味な作品という印象で、従来の派手な作品を心待ちにしていた筒井ファンとしては、何となくガッカリした記憶がありました。
あれから四半世紀余りが経過し、今回映画化されるにあたって改めて原作を見直してみると、自分が主人公・渡辺儀助の年齢に近づいてきたこともあるのか、かなり違った印象を持ちました。特に前半部に書かれた一人暮らしの老人の生活にまつわる微に入り細を穿った表現は、リアリティがあり過ぎて文面から匂いが感じられるほどでした。また、自分にも迫った「老い」というものを、どう捉えるべきなのかも突き付けられた感があり、私自身も”終活”をせねばと思ったところでした。
肝心の映画の方ですが、原作の微細な「老い」にまつわる表現を、如何に映像化するかに注目して観ました。その結果、まずは主演の長塚京三が完全に嵌り役でした。年齢的な部分もそうですが、フランス近代演劇史を教えていた元大学教授の儀助という役柄は、パリ大学への留学経験がある長塚にはピッタリ。フランス語を喋るのはワンフレーズでしたが、充分に重みを感じられました。
一方で、女性の登場人物たちは、キャラ設定とか雰囲気は原作通りだったものの、その行動が原作と異なる部分もあり、そこが興味深いところでした。瀧内公美演ずる鷹司靖子は、色気が溢れていて実に魅力的な女性であり、その辺りは原作路線を寸分違えていなかったものの、最終的に人を殺してしまうことに。この部分は映画オリジナルの展開でした。また河合優実演ずる菅井歩美も、鷹司靖子同様に原作通りのキャラ設定や雰囲気を醸し出していたものの、最終的に儀助から学費の援助を受けた直後に姿を消すという映画オリジナルの展開になっていました。
鷹司靖子と河合優実は、儀助とは親子、ないしは祖父と孫ほどの年齢差があるものの、早くに妻を失った儀助にとっては恋愛対象になり得る存在であり、儀助に感情移入している当方にしてみれば、彼女たちの犯罪行為は極めて衝撃的なものでした。さらに、儀助が内視鏡で大腸検査をする際に、女医に意味不明に屈辱的な格好をさせられ、加えて内視鏡が肛門に超スピードで吸い込まれていくシーンも映画オリジナル。(因みに女医を演じたのが役者さんが、”唯野未歩子”さんというお名前だったので、これって名字でキャスティングしたんじゃないのと思ってしまいました。)
これら女性から酷い仕打ちを受ける儀助というのが、映画オリジナルの展開でしたが、概ね原作通りに描かれた本作が、ここだけオリジナルだったのは一体どういうことなのか?愚考するに、原作にしても映画にしても、この物語世界における「敵」というのは、老いを拒否する自分を罰するもう一人の理性的な自分なのではないかと思うのです。老いを拒否するからこそ、亡き妻を忘れて若い女性に恋心を抱く儀助な訳ですが、そんな自らを弁えぬ身勝手な自分を、理性的な自分が罰を与えている物語を、昨今の時代背景を加味して映画では強調したのかなと思ったところでした。
以上、原作を読んだ直後に映画を観たので、非常に楽しめました。そんな訳で、本作の評価は★4.6とします。
ジイサンの心臓には毒
タイトルなし(ネタバレ)
妻に先立たれ、ひとり暮らしをしているフランス文学元大学教授・渡辺儀助(長塚京三)。
祖父の代からの東京郊外の一軒家暮らしで、ひとり暮らしは20年になる。
教授を辞めたあとは、年金とちょっとした原稿書き、時折舞い込む講演が収入で、貯金がゼロになる日を「Xデー」と自ら定めている・・・
といったところからはじまる物語。
全編モノクロ(色調が良い)で、前半は『PERFECT DAYS』さながら、淡々とした儀助の日常生活を描く。
この前半が素晴らしい。
儀助にとってはかなり低い位置にある流し台、米を研ぐ、魚を焼く、麵を茹でるなどの動作・所作がリズムよく描かれている。
が、枯れているようで枯れていない。
教え子で編集者の三十路女性・鷹司(瀧内公美)が訪問すると、やはり心が浮き立つ(表面に出ないようにしているが)。
小洒落たバーのマスターの姪で仏文専攻の学生・歩美(河合優実)には、何か手助けしてやれないかと思う(スケベ心が底にある)。
夢で死んだ妻の信子(黒沢あすか)が現れ、そんな枯れていない心を咎めるが、それはなんだか夢ではないような・・・
と、幻想怪奇譚めいてくる。
この途中の展開も、やや常識的な感じがしないでもないが悪くない。
が、ある日パソコンの画面に「敵」がやって来るというメッセージが流れ・・・の後が、どうもいただけない。
いや、面白いといえば面白いが、それまでに、眠って起きて・・・と繰り返し描かれたことで、唐突感が失せてしまった。
個人的には、この終盤、銃撃戦がはじまったところからカラーで、パーンと世界が変わるようなのがよかったかなぁ。
血は毒々しい赤で。
モノクロに赤の血が飛び、カラーに転調。
あっという間に儀助の目の前が真っ白に・・・(死)
飛び散る白は夢精のそれか・・・
で、「敵」が攻めて来たのが現実、かつて淡々とした生活での少々の欲情が夢だった・・・
あ、それだと別の映画になっちゃうか。
(ジョゼフ・ルーベン監督『フォーガットン』とか、別の映画ね)
四季ならぬ三季のぶった切った場面転換は印象的。
長塚京三の端正でありながら、少々のスケベ心を感じさせる演技、素晴らしい。
瀧内公美、相変わらず、清楚なのにイヤらしい。
河合優実は、フツー。
カトウシンスケの編集者が生理的に受け付けなかった(そういう演出なんだけど、やや過剰かな)。
松尾諭と松尾貴史も滋味に好演(クレジットのトメでふたり並んでいるあたりは遊び心を感じる)。
観終わった後、「ちょっと食い足りない」と感じたが、レビュー書いているうちに面白くなってきました。
面白かったのかなぁ、面白かったのかも。
一人の人間を覗き見るような
前半と後半の空気の対比が面白かったです。
前半は、「PERFECT DAYS」を思わせるように淡々と空気が流れていきました。それは私にとっての将来の過ごし方の理想でした。最低限の消費、関わりとしながら、食にはこだわり、会いたい人には会える、そんな毎日。
一点して後半は、突然あらわれた、夢と現実を交錯させる「敵」に静かに怯える毎日に変容しました。何となくそんな敵が来訪することも許容しながら(どちらかというと待ち望んでいたか)生活していたはずなのに、実際に訪れると慄いてしまう、そんな現実、そんな「恥ずかしくて面白い」人間というものを、冷静に見せつけられた気がします。
作品の世界観自体がフランス文学のようでしたし、映像も日本でないどこかを思わせてくれました。
マズローの欲求五段階説
丁寧にと言えば聞こえは良いが、他者の意見を受け入れない自分のルールでガチガチの独居老人の崩壊の要素をマズローの欲求五段階説から観察したい。
生理的欲求:生存のための基本的な欲求で、食欲や睡眠、呼吸、性、苦痛回避など
→前半では飯テロの如く旨そうな調理シーン、朝は目覚ましもなくベッドで6時ちょうどに起き、健康診断に行かないという苦痛回避。かつての教え子に感じる色香に陽気になる程度の理性をたもつ。
これが、カップ麺あんパン、酒と血便で壊される睡眠と健康。通院による苦痛。生徒への内的理性の崩壊。
安全の欲求:心身の安全性を確保したいという欲求で、健康や経済的安定性、社会福祉など
→月間の収支から貯金がそこつく日を計算することで、経済的な安定、入院等の健康寿命問題からの解放、死する恐怖のコントロールを図る。しかし女学生への援助により切り上がるXデー。
社会的欲求:集団に所属したい、仲間を得たいという欲求。家族や友人関係、企業などの組織などが含まれる。
→配偶者の死も乗り越え、行きつけのバーで会う友人との会話もある。そこから、友人は死に
妻への後悔が噴出。
承認欲求:仲間に自分の実力を認められたいという欲求
→教授として尊敬され、講演をし、連載をもち対価をもらう。バーであった女の子には権威を認められた上で尊敬される。そもそも家を守っている。という状態から、講演依頼はなくなり、連載は打ちきり、渾身のフレンチを振る舞う人もいなくなる
自己実現の欲求:最終的に自己実現に至るという欲求
→自分のルール中で尊厳をたもったまま死んでいく予定であった主人公が、あらゆる崩壊により認知する世界が歪んでいく。
これらの欲求とその裏返しの恐怖がこの作品の根底に流れる。時には虚構に欲望が見えることもあれば、恐怖(敵)が現れる。はたまた時には、現実に欲求を過剰に刺激するものがあれば現実に絶望する。
この虚実の入り乱れを、吉田大八監督によって見事に描く。
そんな崩壊した主人公が納屋という子宮で空襲を聞きながら飛び出し敵と向き合うラストも秀逸であった。
内なる敵
2024年度の東京国際映画祭でグランプリを受賞した本作。正直、同映画祭のことは国際映画祭とは名ばかりのショボイ邦画宣伝会程度にしか思っていなかったが、あまりのこの「敵」という映画の素晴らしさに、映画祭の評価も上昇してしまった。これは本当に取るべくしてグランプリを取った映画だ。
冒頭、フィックスのカットを繋ぎ合わせて、主人公渡辺とその邸宅が詳らかに語られていく。どこにでもあるように見えて、そこしかカメラ位置は無かったのだと思わせるようなカットを、そこで切るしか無かったのだろうと思わせる編集に、いかにも邦画らしい心地良さを感じる。映画の文法を熟知している者が目論んだ、圧倒的なオープニングである。
それから物語は進むことも留まることも無く、渡辺の生活の記録の間に、迷惑メールや井戸や犬のフンなど幾つかのエピソード
を交え、それらが絡み合うことも互いに拒絶することも無く、確かな日々を映し出していく。
そこに2人の女性が介入してくることで、映画が動き出す。
2人の女性はそれぞれ違うベクトルで渡辺の人生に変化をもたらす。それが渡辺に「敵」を意識させるキッカケになる。
「敵」とは結局何なのかは、見る人によって感じ方が全く違って来るだろう。映画の終盤で敵は、思った以上に具体的な姿と、確かな敵意を持って襲って来るが、渡辺が劇中で自覚していたように、それが現実のものでは無いことも間違いない。
そのように具体的に顕現させてしまうに至ったのは、劇中で丁寧に描かれる渡辺の内にある様々な感情。そしてそれ自身が渡辺の生活に対する「敵」ということな気がしている。
思ったが、映画を1回見たくらいじゃ「こんな映画だった!」というような映画の全体は全くもって語れない!
(随時加筆予定)
「敵」が現れると???
フリーの元大学教授が過ごす日常を丁寧に描いて、
PERFECT DAYSとは違う切り口で老い方の描き方を好感をもって観てました。出てる方全員が自然で、見入る事が出来ました。ただ。。「敵」が現れだすと様相が変わってきます。内なる敵だと思わせたものが具体的になってきて。。。本当の敵を出してどうするの。。と私は感じました。後半の展開が好き、斬新と思われる方もいるかとは思いますが私には合わないと思いました。
迫り来る敵
吉田大八監督最新作。
この言葉だけで生きる意味が見い出せる。そのくらい好きな監督。とは言っても「騙し絵の牙」しか見たことがなく、好きを語るにはあまりに浅はかな新参者なんだけど、あの作品で受けた衝撃は相当なもので、見事すぎる原作改変が4年前の映画にも関わらず未だに頭から離れない。
本作「敵」は情報解禁されてから鑑賞に至るまで、キャストやモノクロ映像であることを除いて、内容に関することはほとんど取り入れず、更には予告も見ずで劇場へと足を運んだ。というのも、「騙し絵の牙」では予告からの想像と大きくかけ離れた作品であったことから面を食らってしまい、初見では思うように楽しめなかったという経験があったから。予告は出来ることなら見るものじゃない。あの作品からの教訓です。
上映館が少ないため、遠方まで赴き遥々鑑賞してきたのだけど、今回も吉田大八節全開のホントにホントに素晴らしい映画だった。しばらく席を立てないほどの衝撃とスタンディングオベーションを送りたくなる感動。いやいや、とんでもないな...。
東京国際映画祭で19年振りに日本映画がグランプリに輝いたのも納得の出来。なぜ上映館が少ないのか。なぜこの映画が100館に遠く届かず、「ロード・オブ・ザ・リング ローハンの戦い」が300館を超えていたのか(言わないであげて)。Filmarksでは話題の映画として常に上位になっているとはいえ、劇場の入りが少ないのはなんとも悲しい。この傑作を映画館で見らずしてなにを見る!
もう何から賞賛すればいいのか...。
まずポスターを見てもわかる通り、本作は全篇モノクロ映像。近年の日本映画でモノクロームと言えば「せかいのおきく」が記憶に新しいが、あの作品とは違い、舞台設定はMacBookも悪質な迷惑メールも存在する、我々が今生きる現代。それじゃあなんでこの技法が使われているのか。
物語はなんとも美味しそうな朝ごはんから始まる。77歳男性の一人暮らしとは思えない、生活の質の高さ。白黒なのにお腹が空いてくる。これ、色があっては意味が無いのではとも思えてくる。たった2色で構成されているからこそ感受性が豊かになるし、自然と心も満たされていく。質素な絵に抱く、鮮やかな感情。まさに、主人公・渡辺儀助の生き方そのもの。
この例え、あまりにしすぎているから言葉にするのは気が引けるけど、本作こそ「PERFECT DAYS」と最も近しく、むしろあの作品の先を行く「PERFECT DAYS2」のように思える。ただ、あの映画は時間をたっぷりと使って生きる幸せを噛み締める主人公の話だったが、本作では残された時間を考えながら近付いてくる死に立ち向かっていく主人公の話で、近しくも遠いテーマ性だった。比較するとかなり面白い。
あれもこれも、同様に現代人の生活を問うような話だけど、2人の考え方はまるで違うように感じる。喜びを感じる瞬間は似ているけど、そうする理由は異なる。1年と少し前は平山の生き方に感銘を受けたが、渡辺の考え方にも共感を覚える。
『健康診断は人間を健康にしないよ』
『残高に見合わない長生きは悲惨だから』
『君もあと何年生きれるか計算してみるといい。不思議と、生活にハリが出るから。』
これらの言葉が凄まじく強く、胸を打った。自分の考え方を彼が声高らかに代弁してくれたようだった。馬鹿げているかと思われるかもしれないが、私も彼と同様に病院をできるだけ生活から遠ざけている。それは決して診察が注射が場所が嫌なのではなく、定められた命を無理矢理延ばすという行為が到底理解できないから。人間いずれかボロが出る。綻んでいく。一時的なものはまだしも、長期的な治療はそれを否定する行為だと感じてしまう。
ただこれも、愛する人となるとそうはいかないもので。大好きな人はずっと長く生きて欲しいし、健康でいて欲しい。それもまたエゴなのだろう。1人が悲しいという嘆きなんだろう。妻に先立たれて立派な日本家屋に1人で生活する渡辺を見ていると、羨ましくもなんだか未来の自分を見ているようで寂しくもなった。
渡辺儀助という1人の男が生活するだけの108分間。日常の中にカメラがある、そんな映画であるため、彼の登場しないシーンは無いと言っていいほどなのだけど、永遠と魅せ続けられてしまう。
長塚京三。77歳にしてこのカッコ良さ。「お終活 再春!人生ラプソディ」での色気も半端じゃなかったが、今回はもっとすごい。主人公の生き方を真似するかは別として、長塚京三のピシッとした姿勢や佇まい、そして心の余裕を感じさせる話し方は是非とも私生活に取り入れていきたい。こんな老人になりたい。いや、老人というにはカッコよすぎる。
この映画の鑑賞を迷っている人はYouTubeで日本外国特派員協会特派員協会 記者会見の動画を見て頂きたい。彼の魅力を知ってしまうはず。本気で惚れてしまうんだよなぁ...。
この「敵」というタイトルが鑑賞後じわじわと効いてくる。なんて秀逸なんだ。一体全体、私はどうしたらいいのか。《敵》にどう立ち向かっていけばいいのか。この〈敵〉の正体はなんなのか、それは作中で明言されているわけではなく、見る人の捉え方次第といったところ。
味方が敵へと変わる瞬間。その敵が自身を襲いかかる時。誰も何も待ってくれない。ただ、それはひたすら自分に迫ってくる。生きとし生けるものが逃れることの出来ない恐怖。これまで客観的に映し出された主人公が、急に一人称視点として主観的に映し出された時、これは彼の物語ではなくみんなの物語なんだと恐ろしくなる。構成の妙。季節の移り変わりもゾッとする。
長々と語ってしまったが、正直まだ足りないくらい。それほどこの映画は底知れず、一生かけて読み解きたくなる、かつてない面白さがある。見る読書とでも言おうか。1本の映画にしては満足度の高すぎる、噛みごたえのありすぎる作品だった。
ここで点数をあげすぎちゃうとここからの楽しみが薄れてしまう気がするのでこの辺で。また必ず会いに行きます。面白すぎて無心で映画館を出たもんだから、パンフレット買うの忘れてたじゃないか。
一億総、長塚京三、の世か。だからホラー。
文学より書院
原作未読のため、粗筋から不穏な話か多重人格か、呆け老人の妄想なのか、判別がつかぬまま鑑賞。
結果から言うと最後が一番近かった。
劇中では儀助の平穏な日常が淡々と描かれるが、所々がファンタジー。
特に元教え子(しかも人妻)が自宅に来て、酒に酔って終電近くまで無防備に寝こけるとか、有り得ないわ。
後半にいくにつれて妄想パートが増えたように感じていたが、このへんからするとすべてが夢オチか。
最後の独白や遺書の内容からしても、教え子たちとの交流も絶えてそうだし。
それ以前に、妄想内でしか描かれてない出来事も多い。
特に歩美へお金を渡した件や夜間飛行の閉店、松尾貴史の手術などはその後も触れられず曖昧なまま。
個人的には独居老人の侘しさが108分かけて表現されていたような解釈に落ち着いた。
出ずっぱりで画面をもたせる長塚京三もサスガだが、出色は瀧内公美。
清純な妖しさとでも言おうか、とにかく魅力的だった。
画作りとしては、終盤に中島歩が庭を横切った際に、“敵”が侵入した場面がすぐ想起されるのが見事。
ただ、クライマックスのドタバタは中途半端さを感じたし、締め方もよく分からない。
不思議と嫌いではないし、原作があるので難しいかもしれないが、もう少しオチに工夫がほしかったかなぁ。
現実か妄想か
こんな令和にモノクロ映画!?と思い、気になって川崎まで向かい視聴。
70代になった主人公が丁寧に生活している描写が続き、徐々に周りの人が離れ仕事もなくなり金も盗まれ、夢の世界(認知症や妄想、せん妄?)に引きづり込まれていくストーリー。
70過ぎて若い子をセクハラするなんてと20前半の頃飲み屋でセクハラされる度よく思ってましたが、歳取ってからこんな真面目な生活をしてる健気な男性にも性欲はあって若い教え子に妄想して亡き奥さんに怒られる妄想もして、その欲が書かれてて面白かった。ちょいちょい挟まる犬とうんちのシーンは何が書きたいのかちょっとよく分からなかった。すごい音がしたとおじさんが言ってたのでその妄想が少し現実味帯させるためのフラグだったのかな、、??
ぐっときたのは最後死ぬ前のシーン。
雪の降る外を見ながら「みんなに会いたいなぁ」とぼやく。こんなに妄想か認知症か分からないけど歳取って誰もいなくなって苦しい思いをして普通の生活も出来なくなったけど、今まで一緒にいた人たちをずっと思ってるんだと思ってこの主人公の清い心に胸を打たれました。認知症になっても周りにいた人達を思える人間になりたいなぁ。
こんなに丁寧に生活して元奥さん以外結婚することもなく素敵な主人公でしたが、老いて苦しい思いするなんて人生不平等過ぎて、年老いてから騙すなんて嫌な話だなぁ
そういえば妄想とは別に謎の敵が出てくるのが面白いですね、最後のシーン家の上にいた男や井戸を修理する男が若い人を見たというシーン。実際変な人がいたようにも見えて不気味でした。
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