劇場公開日 2025年1月17日

敵 : インタビュー

2025年1月16日更新

長塚京三がフランス文学を愛する“枯れない”独居老人に 原作・筒井康隆が絶賛、吉田大八監督と語る12年ぶりの映画主演作

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筒井康隆氏が1998年に発表した同名小説を、長塚京三主演、「桐島、部活やめるってよ」「騙し絵の牙」の吉田大八監督が映画化した「」が1月17日公開となる。時代を現代に移し、平穏に暮らす独居老人の主人公の前に、ある日謎の「」が現れる事態を描く物語だ。キャリア50年を迎え、本作が12年ぶりの映画主演作となった長塚と吉田監督に話を聞いた。

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長塚が演じる主人公の渡辺儀助は、フランス近代演劇史を専門とする77歳の元大学教授。妻に先立たれ、残された預貯金を計画的に使いながら、いつか来る最期を見据え、規律正しく自活している。しかし、独居老人といっても、いわゆる日本の好々爺像とは異なり、愛の国フランスの文学よろしく、肉体は老いても“枯れない”女性(たち)への想いも赤裸々に語られる。

全編を通し長塚のインテリジェンスとダンディズムが滲み、吉田監督のウィットに富んだ演出、美しいモノクローム映像で、原作の持ち味を損なうことなく、老いと死のはざまを生きる儀助の自意識をシュールに描き出す。そして、「」とは――。

※本記事には映画のネタバレとなる記述があります。


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――原作の筒井康隆氏は本作を「すべてにわたり映像化不可能と思っていたものを、すべてにわたり映像化を実現していただけた」と絶賛しています。同じくSF的な味わいを持つ文学作品を、吉田監督ならではの脚色で映画化した三島由紀夫原作の「美しい星」(17)も記憶に新しいですが、映像化不可能と言われるような原作とどのように向き合うのでしょうか?

吉田:「美しい星」も今回の「」も自分が好きな原作なので苦労は感じないんです。たとえ苦労があったとしても好きだったら乗り越えられるというのは、脚色をしてきての実感です。「どうやって映画にするの?」なんて言われるようなものを、敢えて選んでいるわけではありませんが、難しいと言われれば言われるほど、何とかうまくやって褒められたいという気持ちも強くなります(笑)。

探っていると、自分なりにこのポイントで書けそうだ、という入り口が見つかる瞬間があるんです。「」の脚本も、初稿は2週間くらいで書き上げました。若い頃から愛読者だった自分にとって、筒井先生の小説は自分の血肉のようなものなので、あまり苦労は感じなかったですね。

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――今作「」を映像化できるな、と思われたポイントは具体的にどのような部分だったのでしょうか?

吉田:この小説を初めて読んだ30代の頃から、儀助の日常生活の描写、食事の支度や家の中の雑用の積み重ねなど、一見単調に見えるからこそ逆に映像で見てみたいと思わせるものがあったんです。後半の激しい展開は、ある程度何を見せるか決まっている。前半は我慢して、丁寧に生活の断片を積み重ねることで、映画全体の設計ができるイメージがありました。そのために原作からどの要素を活かして、どれを外して……と考えることがとても楽しい作業でした。

――原作の設定は1990年代後半でしょうが、映画では現代に変更されています。儀助が思わず知るところになる“怪しい”は、SNSでの陰謀論なども想起させ、筒井さんの先見性を感じます。設定以外で、原作と異なる展開はありますか?

吉田:「」は、筒井先生の著作の中ではそれほど有名ではないかもしれませんが、すごく現代に通じる小説ですよね。ただ、預金額や年金、物価などは若干調整しました。例えば、儀助が守ると決めている講演料は現在の相場の2~3倍くらいだったのでしょう。脚本執筆段階で、現役の大学教授に取材したところ「今ではそんな額はあり得ない」とのことだったので。あとは、パソコン通信が今は存在しないところを、スパムメールに置き換えたり。基本は原作に忠実な脚色になっていると思います。

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――第37回東京国際映画祭コンペティション部門で、グランプリ、最優秀監督賞、最優秀男優賞の3冠を獲得しました。主演の長塚さん起用の経緯を教えてください。

吉田:僕は初稿を書いている間は、できるだけ俳優の顔を想像しないようにしています。書き上がった後すぐに、長塚さんにお願いしようと考えました。知性の裏に秘めた煩悩と、そこから滲み出す色気と人間味、長塚さんを想像してあらためて脚本を読み直したら間違いなく面白くなると確信できたんです。

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――インテリでダンディズム溢れる儀助がハマり役でした。長塚さんご自身は、儀助に親しみを感じる部分はありましたか?

長塚:ある知識階級の1人暮らしの老齢者という設定。いつか僕はこういう老人の役をやるような気がしていたのです。だから、いよいよ来たか……と思いました。儀助の設定のリアリティが人ごとではなかったですし、年に不足はないし、(こういった役は)今が受け時だろう、という気持ちでした。

儀助の、生きることに対する執着のような部分では共感はあります。でも、それをどういう風に……という方法論に関して、例えば彼の食道楽だったりは、共有するものはないかもしれない。しかし、自分の老いをそれなりになぞっていくことは、なかなか楽しいことでした。

それが演技というものなのでしょうが、僕の場合、いわゆる演技演技したものはピンと来ないのです。僕なりのやり方で言えば、そんなふうな気分でやってみる、生きてみる、動いてみること。それはなかなか楽しいものです。

例えば、自分が裸になって、いわゆる老醜を晒して、しかもそれを鏡を通して見ながら、老いというものをなぞるという場面は、願ってもいない演技の経験でした。ただ自分を見て、「あ……」と、思っているだけですが。そうか、きっとこれが演技かな、と感じて、とても楽しく、勉強になりました。

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――老境の自分を俯瞰しながら、自身の美学に基づいて生きる儀助のようなシニアがいたら素だな、と思わせてくださる演技でした。

長塚:演じているこちらはそんなことは全く考えていませんが(笑)。やっぱりそれは監督の目でしょうね。

吉田:自分の美学はこうだ、という自意識ほど美学から遠いものはありませんよね。もちろん意識はしてしまうけど、意識の痕跡をどれだけ消せるかが勝負です。そういう意味では、長塚さんには失礼かもしれませんが、僕は儀助さんを演じる長塚さんという前提を一回忘れて、カメラの前の長塚さんはほぼイコール儀助さん、という思いで撮影していました。その儀助さんの肉体をお借りして最終稿を書き、映画を完成させたという感覚が近いかもしれません。

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――カメラはずっと長塚さん演じる儀助を映し続けます。10年以上ぶりの映画主演ということで、肉体的にハードな撮影ではなかったですか?

長塚:僕は割と劇のカメラと割と相性が良いほうで、苦にならないのですが、料理をするシーンの手元などは、ごまかしようがないので緊張しました。本当に具体性のある、監督が欲しい通りの動きをしなければならないので。

吉田:とくに前半戦は家からほとんど出ずに、機材に囲まれたすごく狭い空間の中で細切れのシーンをコツコツ撮っていきました。まず朝食を作って食べ、着替えて蕎麦を茹でて食べて……場所の移動でもあればもう少しメリハリも出るのでしょうが、地味にゆっくり息が詰まっていくような撮影で、長塚さんはご苦労されたと思います。でもそれを一切顔に出さず、カメラの前に淡々と立ち続ける長塚さんに、逆に共演者やスタッフたちが励まされる。そんないい雰囲気の循環を感じられた現場でした。

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――長塚さんは儀助の設定に対して、監督に提案したり、アドリブを入れたりされたのでしょうか?

長塚:そういうことはあまりなかったですね。でも、してもしなくてもいいんです。変な言い方をすれば、監督の顔色見ていれば、大体自分が正しい軌道上を回っているかどうかがわかりますから。だから僕は僕で、僕なりのやり方で楽しませる。これが儀助ですが何か? と言えば儀助になりますから。それが通用する現場で、またその楽しさをひとしお感じていました。

吉田:僕も長塚さんの顔色を見ながら、儀助を知っていくような感じでしたから、儀助が不快な状況で、ちゃんと長塚さんが不快そうならたぶんOKで、儀助が楽しそうな時に、長塚さんが楽しそうだったらそれもOKという、そんな基準に助けられましたね。

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――儀助のフランス文学への情熱など、映画の中では原作よりもフランス文化のエッセンスが色濃く出ています。キャスティング当初からフランスとゆかりのある長塚さんを意識されていたのでしょうか?

吉田:儀助をお願いした後で、そういえばフランスに留学されていたんだなと思い出したくらいでした。しかし、フランス語のセリフや文学に関する記述に違和感がないかを直接確認できたことは有難かったし、聞かせていただいた留学時代のエピソードも、儀助の描かれない過去としてキャラクターの厚みを増してくれた気がします。

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――長塚さんは学生時代から演劇を学び、フランス留学中に、現地の映画で俳優デビューされていますね。近年も「UMAMI」(22/邦題「旨味の旅」で配信中)というフランス映画に出演、儀助が言及する戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」映画版主演などでも知られる、名優ジェラール・ドパルデューと共演しています。フランスとのかかわりは、ご自身のキャリアにおいてどのような影響をもたらしましたか?

長塚:早稲田大学に入学して、演劇科で日本で芝居をやっていくことに志がありました。でも、ひょんなことでフランスという国に行って、しばらく生活することになって、それが映画に出るきっかけになりました。そしてその後に日本のテレビドラマに出るきっかけにもなって……そういう行きがかりみたいなものですね。

何かを計画的に、1つのステップ、次のステップという形で進めて、フランス的なものと付き合ってきたのではありませんが、それとなくフランスで友達ができて、言葉も少し覚えて帰ってきたという感じです。ですから、そこから先はフランスとの接点はほとんどないんです。友達が応援してくれたり、助けてくれたので、フランスには恩義を感じていますが、まずは日本で日本のお客さんを前に、お芝居したいという気持ちでした。

それは遅ればせながら30代になって実現し、現在に至ります。そして、今、監督とこういうお仕事ができるのも本当に嬉しいことです。当時はまさか自分が日本の俳優になれるとは思っていなかったので。「UMAMI」のようにフランスにかかわる仕事が来たときは、言葉も自転車と同じように、操縦すれば少しずつ思い出せたので、ドパルデューさんともお話しできました。

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――儀助は行きつけのバー「夜間飛行」でアルバイトをする女子大生(河合優実)に好意を抱き、フランス文学の良書を薦めますね。長塚さんが若い時代に影響を受けた文学や映画作品を知りたいです。

長塚:そうですね、僕自身はもう1回、ヌーベルバーグの映画を網羅して見返したいです。昔の僕と同じ志の人たちだったんじゃないかと思うんです。上手いとか下手とかいいとか悪いとかは置いといて、もう一度彼らの志を感じてみたいですね。

吉田:例えば今、特に見返してみたい1本はなんですか?

長塚:「突然炎のごとく」や「ピアニストを撃て」ですね。フランソワ・トリュフォーの、ある種控えめな反発を感じる脚本がすごく良かったと思うんです。

吉田:長塚さんは(五月革命のあった)1968年のパリの空気を直で吸ってらっしゃるんですよね……例えば当時、フランスで見た映画で印象に残っている映画はありますか?

長塚:ジェラール・ドパルデュー主演の「バルスーズ」(1974/ベルトラン・ブリエ監督)、あとはジャン・ジロー監督の「サントロペの憲兵」シリーズ(1964~)も好きでしたね。南仏のサントロペの警察署のお巡りさんの話で、お馬鹿なコメディでしたね。ひょっとしたら1番好きかもしれません。

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